2008/03/09 - 2008/03/09
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korotamaさん
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旧信越本線の跡地、横川駅から碓氷第三橋梁:めがね橋までの4.8kmをのんびり散策しました。
- 交通手段
- 自家用車
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1997年10月1日の長野新幹線開業に伴って廃止となった横川駅〜軽井沢駅間の一部が遊歩道「アプトの道」として整備されています。
横川駅隣にある「碓氷峠鉄道文化むら」のアトラクションの一つとして、「ぶんかむら駅」〜「まるやま駅」〜「とうげのゆ駅」をトロッコ電車が走っていて、それに乗って途中まで、往時を偲ぶことができます。
これはその線路。ラックレールはありませんね。 -
トロッコ列車は「シェルパくん」と命名されています。
私たちは行きに乗りましたが、写真は下り「まるやま駅」に差し掛かるところ。 -
こちらは上り「とうげのゆ駅」手前。
上りはこちらが先頭になります。
この先頭車両、夏場はプラスティックの窓が取り払われるみたいです。 -
トロッコ列車の中。
2両目は普通に上げ下げのできる窓に、軟座でした。
1両目はプラスチックの窓に硬座。いや、洒落たすのこ状の椅子でした。 -
トロッコ列車終点駅にある「峠の湯」
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トロッコ列車を降りて、さぁ、歩きます。
レールは取り払われ、歩きやすい路面になっています。
早々に、第一号トンネル。石積みの、美しいデザインです。 -
第一号トンネルの中。
レンガ積みです。相当傷んでいる様子。 -
第二橋梁。
下はちょっとした谷。短い橋でした。 -
第二号トンネル。
手前の舗装がクネッとしているのは何故だろう? -
第二号トンネルの中はがっちり補強されていました。
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第二号トンネルを抜けると、碓氷湖が現れます。
碓氷川に建設された坂本ダムによって造られた人造湖です。 -
坂本ダムはもともとは1957年に砂防ダムとして建設されたそうですが、1994年、碓氷川の正常な流水機能の維持を目的としたダムとして改築されたそうです。
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対岸から坂本ダムを眺めました。
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君は誰?
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碓氷湖を離れると、第三号トンネル、第四号トンネル、第五号トンネルが立て続けに現れます。
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トンネルの壁面からしみ出た水がこんな風に凍っていました。
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この補強は、沁み出し防止でしょうか。
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第三号トンネルの中から、第四号トンネル、第五号トンネル。
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天井から落ちてきた水もこんな風に・・・。
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第五号トンネルを抜けると、碓氷第三橋梁。通称「めがね橋」です。
ここが「アプトの道」の終点です。 -
季節が幸いして、上からも橋の様子を見ることができました。
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下から見上げためがね橋。
碓氷線と呼ばれた横川〜軽井沢間の11.2kmは1893年(明治26年)に開通しました。
1000分の66.7という急勾配を走るため、ドイツで実用化されていたアプト式鉄道を導入し、1963年(昭和38年)まで走り続けたそうです。 -
このめがね橋は、イギリス人技師と日本人技師の設計によるものとか。長さ87.7メートル、200万個のレンガで作られた、美しい橋です。
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第六号トンネル。ここから先は通行止めです。
なんとなく黴臭さが漂っていました。 -
めがね橋の下を流れる霧積川沿いに小道がありました。
向こうに見えるのは、1963年に建設された新線の橋。 -
霧積川沿いの小道。管理用道路みたいです。
新線の橋梁を見上げました。 -
小道が途切れたところにはこのようなダム(?)が。
水がとても澄んでいました。 -
かな見えづらいですが、ヤマガラです。
たくさん賑やかに飛んでいました。 -
こちらは、コゲラ。
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帰路につきました。
峠の湯付近です。
左に延びているのが、トロッコ列車の線路。右に延びているのが、新線(既に廃線になっていますが)の線路です。 -
新鮮の線路。先は草ぼうぼうです。
この通せんぼは、、、。 -
トロッコ列車線路沿いの遊歩道です。複線であった上り線が歩道として整備されています。
レールが残されていますね。 -
温度で変化する架線の張り具合を示した柱。
運転手さんに見やすいように、と色分けされており、重りの高さが緑なら適正だそうです。 -
霧積川橋梁
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旧丸山変電所。
1912年(明治45年)、碓氷線を走る機関車の電化に伴い、国鉄が全国で初めて造った変電所です。
発電所から送られてきた交流電気を直流電気に変えて機関車に送電しました。
1963年(昭和38年)粘着新線の開通に伴い、その役目を終えました。
この建物、長いこと放置され荒れましたが、2000年から改修工事が始まり、この写真のような姿になりました。
レンガ造りの、どっしりとした風格ある建物です。 -
横川に戻ってきました。
ラックレールが水路の蓋に使われています! -
レトロな看板!
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「碓氷峠鉄道文化むら」の屋外展示場には歴史的名車両(?)の数々が並んでいます。
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園内では、「あぷとくん」と呼ばれる蒸気機関車が走っています。園内1周800メートル。
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アプト式電気機関車 ED42形の1号機。
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同じく。
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EF63形電気機関車。
碓氷峠専用の補助機関車として旧国鉄が設計、1962年から製造。
時間短縮と輸送力アップのため、それまでのアプト式を廃止し、EF63形を碓氷峠を走る列車に連結して新線を走りました。 -
しゅっぱ〜つ、しんこーっ!
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最後は屋外展示コーナーの列車たち。
オハユニ61−107.
この色の列車、好きです。
そして、中は・・・。 -
郵便車でした!
移動郵便局? -
その他、貨物と客車スペースもありました。
三種混合。
このレトロな雰囲気、いいですねー。 -
オシ17−2055.
占領下の進駐軍より返還された車両台枠を改造した特急用食堂車。 -
確かに、食堂。。。
町の定食屋さんみたい。。。 -
除雪用ディーゼル機関車 DD53−1.
先端のロータリーヘッドでかき集めた雪を、脇からびゅんびゅん吐き出すんですね。
鉄道のことは皆目わからないkorotamaでも、十分楽しめた「アプトの道」&「鉄道文化むら」でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 横浜臨海公園さん 2008/03/11 21:23:29
- はじめまして
- korotamaさま、はじめてメッセージを差し上げます。
横川の旅行記を興味深く拝見させて頂きました。
小生、此の区間に乗車したのは昭和37年夏に特急白鳥号で上野→軽井沢間で、横川まで快適に飛ばしていた列車が、横川駅を過ぎると牛歩の歩みの如くトロトロとした走りになったのを記憶しております。
後から考えると、ED42型を連結して無線機など無い時代ですので、機関車同士が汽笛を合図に登坂しておりました
最後のトンネルを抜けると軽井沢側が一面霧が深くて何も見えず、また駅頭に立った時に夏だと言うのに肌寒さを感じたものでした。
今では新幹線に乗って簡単に行ける軽井沢ですが、当時は万平ホテルも含めて静かで落ち着いた風情が今でも眼底に残ってます。
横浜臨海公園
- korotamaさん からの返信 2008/03/12 22:15:09
- RE: はじめまして
- 横浜臨海公園さん、こんにちは。初めまして。
拙い旅行記を読んでくださり、そしてメッセージをくださり、ありがとうございます。
昭和37年というと、アプト式機関車がその役目を終える前年なのですね。
当時の機関車やレンガ造りのトンネル、めがね橋を見ながら、もう走っていないことがとても残念に思えました。
汽笛の音、当時のものとは異なると思いますが、今回聴くことができました。山に響く汽笛の音、なんと言うんでしょう、心がやんわりする感じがしました。
korotama
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