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1988年の夏、僕はエジプトから飛んで、ナイロビにいた。<br />最初は、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニアの東アフリカを回ろうとしていたが、ビザを取りまくった後、ある理由でやめた。<br /><br />次はビクトリア滝を見に行こうと、旅行代理店で切符を買う寸前まで行ったが、それもある特殊な理由で、突然止めた。<br />そのころのナイロビは、確かに危険だと言われてはいたが、まだ昼間にうろうろする程度は全く問題なかった。<br /><br />僕は、有名な「イクバルホテル」のツインルームを一人で借り切って、一階にあった大きなレストランに居座っていた。<br />そこに来る日本人をつかまえては、旅行のアドバイスをしたり、大げさな話でからかったり(これは、実は同じことなのだが)して、ナイロビ生活を楽しんでいた。<br /><br />さらには、映画を見たり、ナイロビヒルトンホテルのサウナに行って、プールで泳いだりもしたね。<br />ほとんど毎日日本人宿「リバーハウス」へ通って食事をしたり、日本人旅行者諸君とだらだらしゃべったりしていた。<br /><br />ビザをたくさん取ったのに、ケニアを出る気がなくなってしまったので、ケニアの海岸地帯へ行くことにした。<br />夜行寝台列車でモンバサへ(これは7、8年位前に橋が落ちて列車ごと事故ったという噂を聞いたが)、そこからバスでマリンディへ。<br /><br />マリンディで一泊しただけで、またバスに乗ってラムへ。<br />ラムというのは、それ以前の伝説のヒッピー旅行時代に、カトマンズ、ゴアと並んで、世界の三大沈没地として有名だったところだ。<br /><br />ラムは大陸から船で渡る小さな島なのだが、町の通りがものすごく狭いのが特徴だ。<br />縦じまのロバくんたちが、荷物を積んで、がんばって通りを歩いていたっけ。<br /><br />ラムでは、すべての情報が島中に伝わるようだった。<br />僕が、ちょっと友人の話をしただけで、自動的に、僕がラムへやってきて友人を捜しているという話が、町中に伝わっていた。<br /><br />その季節のせいか、結構歩いてたどり着いたラムのビーチは、風が強すぎて砂が飛んで居心地が悪かった。<br />僕は軽飛行機に乗って、一気にマリンディへ戻った。<br /><br />マリンディの海沿いに立つ三階建てのホテルの、二階のベランダ付きの部屋に居座った。そして、ウィンドサーフィンをしたり、スノーケリングをしたりして、一ヶ月を過ごした。<br /><br />泊まったのは安宿だったが、近くには欧米人ツアーを対象にしたリゾートホテルが並んでいて、僕はそのリゾートホテルのプールへ通った。<br /><br />プールサイドの芝生の上で、デッキチェアに横たわって、ビールを飲んで、時々プールに飛び込んだりしたものだ。<br />海岸に出ると、一つ長いジェッティ(桟橋)が突き出していたが、砂浜は小さなカニの穴だらけで、それを追いかけて暇つぶしをしたりした。<br /><br />ここの生活で、僕は二人の日本人女性に出会ったのを覚えている。<br />一人は、野球帽をかぶって、男の子の振りをしていた、無口な女の子だった。<br /><br />同じホテルに泊まっていたので、一緒に、ビーチのピザレストランへ行って、ワインを空けたが、ほとんど彼女は話をしなかった。<br />いろいろとたくさん考えてはいるのだが、それを言葉に表しにくい(失語症?)、そういう感じだった。<br /><br />でも僕は、話し相手になってあげたよ。<br />もう一人は、おしゃべりな子だったなー。<br /><br />僕がマリンディの町をあるいていたら、女の子から話しかけてきた。<br />それも、「この洗濯バサミを買ったんだけど、高いよね。ぼられてるのかしら?」と、向うから話しかけてきたのだ。<br /><br />彼女の特徴は、タンクトップで乳が見えそうだったこと。<br />フランス人男性と一緒に旅をしていて、近くのユースホステルに泊まっていた。<br /><br />彼女とも、海岸沿いのステーキハウスで、一緒に食事をしたっけ…。<br />黒人観光ガイドと親しくなって、彼の人生相談にも乗ってあげた。<br /><br />僕の泊まっていたホテルのオーナーの巨体の黒人おばさんも思い出すなー。<br />おばさんは僕の顔を見ると、いつもホテル代を要求してくる。<br /><br />お金を払っても、ノートに付けるのを確認しないと、ホテル代を僕が支払ったことを忘れるという特技を持っていた。<br />ワタムへは、マリンディから現地のバスで、ちょっと日帰りしただけだ。<br /><br />こうして僕は、ケニアの東海岸で、ノンビリしていたんだね。<br />僕はいろんなビーチで泳いできたが、これだけ長居をしていたのはマリンディだけだ。<br /><br />夕方に、ホテルのプールからゲートを通って誰もいない砂浜へ出て、一人ぽっちで海に入る。<br />海に肩まで浸かって海岸を振り向く。<br /><br />そして、夕陽がマリンディの建物群と、椰子の木々の向うに沈むのを見ていた。<br />もう二度と戻ることはない。<br /><br />戻ったとしても、あのころの風景とは違っている。<br />僕ももうすっかり変わってしまった。<br /><br />でも、あの夕陽はまだ覚えている。<br /><br />http://www.midokutsu.com/africa/beaches.htm<br />

ケニアの海岸地帯、モンバサ、マリンディ、ワタム、ラム

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1988/07 - 1988/07

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みどりのくつした

みどりのくつしたさん

1988年の夏、僕はエジプトから飛んで、ナイロビにいた。
最初は、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニアの東アフリカを回ろうとしていたが、ビザを取りまくった後、ある理由でやめた。

次はビクトリア滝を見に行こうと、旅行代理店で切符を買う寸前まで行ったが、それもある特殊な理由で、突然止めた。
そのころのナイロビは、確かに危険だと言われてはいたが、まだ昼間にうろうろする程度は全く問題なかった。

僕は、有名な「イクバルホテル」のツインルームを一人で借り切って、一階にあった大きなレストランに居座っていた。
そこに来る日本人をつかまえては、旅行のアドバイスをしたり、大げさな話でからかったり(これは、実は同じことなのだが)して、ナイロビ生活を楽しんでいた。

さらには、映画を見たり、ナイロビヒルトンホテルのサウナに行って、プールで泳いだりもしたね。
ほとんど毎日日本人宿「リバーハウス」へ通って食事をしたり、日本人旅行者諸君とだらだらしゃべったりしていた。

ビザをたくさん取ったのに、ケニアを出る気がなくなってしまったので、ケニアの海岸地帯へ行くことにした。
夜行寝台列車でモンバサへ(これは7、8年位前に橋が落ちて列車ごと事故ったという噂を聞いたが)、そこからバスでマリンディへ。

マリンディで一泊しただけで、またバスに乗ってラムへ。
ラムというのは、それ以前の伝説のヒッピー旅行時代に、カトマンズ、ゴアと並んで、世界の三大沈没地として有名だったところだ。

ラムは大陸から船で渡る小さな島なのだが、町の通りがものすごく狭いのが特徴だ。
縦じまのロバくんたちが、荷物を積んで、がんばって通りを歩いていたっけ。

ラムでは、すべての情報が島中に伝わるようだった。
僕が、ちょっと友人の話をしただけで、自動的に、僕がラムへやってきて友人を捜しているという話が、町中に伝わっていた。

その季節のせいか、結構歩いてたどり着いたラムのビーチは、風が強すぎて砂が飛んで居心地が悪かった。
僕は軽飛行機に乗って、一気にマリンディへ戻った。

マリンディの海沿いに立つ三階建てのホテルの、二階のベランダ付きの部屋に居座った。そして、ウィンドサーフィンをしたり、スノーケリングをしたりして、一ヶ月を過ごした。

泊まったのは安宿だったが、近くには欧米人ツアーを対象にしたリゾートホテルが並んでいて、僕はそのリゾートホテルのプールへ通った。

プールサイドの芝生の上で、デッキチェアに横たわって、ビールを飲んで、時々プールに飛び込んだりしたものだ。
海岸に出ると、一つ長いジェッティ(桟橋)が突き出していたが、砂浜は小さなカニの穴だらけで、それを追いかけて暇つぶしをしたりした。

ここの生活で、僕は二人の日本人女性に出会ったのを覚えている。
一人は、野球帽をかぶって、男の子の振りをしていた、無口な女の子だった。

同じホテルに泊まっていたので、一緒に、ビーチのピザレストランへ行って、ワインを空けたが、ほとんど彼女は話をしなかった。
いろいろとたくさん考えてはいるのだが、それを言葉に表しにくい(失語症?)、そういう感じだった。

でも僕は、話し相手になってあげたよ。
もう一人は、おしゃべりな子だったなー。

僕がマリンディの町をあるいていたら、女の子から話しかけてきた。
それも、「この洗濯バサミを買ったんだけど、高いよね。ぼられてるのかしら?」と、向うから話しかけてきたのだ。

彼女の特徴は、タンクトップで乳が見えそうだったこと。
フランス人男性と一緒に旅をしていて、近くのユースホステルに泊まっていた。

彼女とも、海岸沿いのステーキハウスで、一緒に食事をしたっけ…。
黒人観光ガイドと親しくなって、彼の人生相談にも乗ってあげた。

僕の泊まっていたホテルのオーナーの巨体の黒人おばさんも思い出すなー。
おばさんは僕の顔を見ると、いつもホテル代を要求してくる。

お金を払っても、ノートに付けるのを確認しないと、ホテル代を僕が支払ったことを忘れるという特技を持っていた。
ワタムへは、マリンディから現地のバスで、ちょっと日帰りしただけだ。

こうして僕は、ケニアの東海岸で、ノンビリしていたんだね。
僕はいろんなビーチで泳いできたが、これだけ長居をしていたのはマリンディだけだ。

夕方に、ホテルのプールからゲートを通って誰もいない砂浜へ出て、一人ぽっちで海に入る。
海に肩まで浸かって海岸を振り向く。

そして、夕陽がマリンディの建物群と、椰子の木々の向うに沈むのを見ていた。
もう二度と戻ることはない。

戻ったとしても、あのころの風景とは違っている。
僕ももうすっかり変わってしまった。

でも、あの夕陽はまだ覚えている。

http://www.midokutsu.com/africa/beaches.htm

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