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僕がニュルンベルクに入ったのは、あれは1988年9月25日の日曜日だった。<br />チェコスロバキアのプラハから夜行列車に乗った。<br />ちなみにこの切符は、(そのころの)西ベルリンで買ってたけどね。<br /><br />オランダ人とアルバニア人とそして日本人の僕の3人が、プラハからニュルンベルク行きの列車で、6人用のコンパートメントを独占した。<br />コンパートメントの座席を引き出して、ベッドにして、3人で仲良く寝た。<br /><br />コンパートメントは6人入れる自由席だった。<br />もちろん、ほかの人も入ってこれる。<br /><br />だが、すでに3人が仲良く寝ているところへ、無理に入るなんて、そんな失礼な人間はいない。<br />夜中に、コンパートメントのドアを開けて、「ここは空いてますか」と聞いた人がいた。<br />僕らは、「ええ空いてますよ」と言ったが、3人がきれいに横になっているところへ割り込めないと悟ったらしく、入ってこなかったよ。<br /><br />トイレに行くときに、車内を見て回ったら、指定席はオープンサロン式で、ぎっしりと満員だった。<br />かえって自由席のほうが楽に乗れたわけだね。<br /><br />この時期のチェコスロバキアは社会主義が崩壊する前で、かなり政情不安定な空気があったよ。<br />国内の経済は最悪だったので、オランダ人の話では「闇両替でものすごく安く滞在できた」とのこと。<br /><br />僕もツーリストレートで両替して、プラハのビアホールでビールの中ジョッキが一杯20円程度だったからね。<br />ちなみに闇のレートはツーリストレートの3倍もよかった。<br />それでも、ツーリストレートは、公定レートよりもずっとよかったんだ。<br />つまり、公定レートの意味がなかったんだ。<br /><br />3人で一晩寝て、翌朝ニュルンベルクへ到着。<br />横になってはいたが、中途半端に寝ていたので、頭がボーッとしている。<br /><br />ニュルンベルクといえば、もちろん第二次世界大戦でナチスの戦犯を裁いた「ニュルンベルク裁判」で有名な町だ。<br />とにかく町を歩いてみないと話にならない。<br /><br />歩き出すと、日曜のせいか、午前中の町はとても静かだ。<br />ニュルンベルク中央駅からケーニグ通りを歩く。<br /><br />聖ローレンツ教会、聖セルバドゥス教会などを見て歩く。<br />なかなかきれいな落ち着いた町という雰囲気だね。<br /><br />なにげなく聖セルバドゥス教会に入っていったら、ちょうど日曜のミサがあって、後ろの席で静かに祈っていた。<br />すると、牧師さんが寄付金を集める箱を持って回ってくる。<br /><br />あわてて小銭を出そうとしたが、ポケットには5ドイツマルクコインしかない。<br />何も出さないわけにも行かないし、お釣りをもらうのもおかしいので、そのまま5マルクを払ってしまった。<br /><br />この時期、1ドイツマルクは75円程度だったので、400円くらいだ。<br />これは、僕としては大金だった。<br />牧師さんも、変な東洋人が大金を寄付したのでびっくりしたようだ。<br />丁寧な態度で受け取ってくれたよ。<br /><br />ニュルンベルクは、なかなか感じのいい町だったね。<br />中央広場、デューラー広場のデューラー像、城壁、教会の屋根の構造の比較などをしながら、たらたらと歩く。<br /><br />すると、一応予定していた午前9時発の列車に乗り遅れてしまった。<br />まあ、最初からちょっと無理かなとは思っていたのだが。<br /><br />こういうときは向かい酒が効くものなので、列車を待ちながら、駅のバーでビールを注文する。<br />ザワークラウトとソーセージ3本で7.5ドイツマルク。<br />それをつまみにビール3杯を飲む。<br />それで、全部で17ドイツマルク程度(千三百円弱)だった。<br /><br />プラハから同じコンパートメントだったオランダ人がバーへ入ってくる。<br />避けるわけにも行かず、ちょっと世間話をする。<br />オランダ人の若者は「昨日はごめん」と謝罪する。<br />というのは、夜中に、コンパートメントで話をしているうちに、オランダ人が調子に乗って、日本人を馬鹿にするようなことを言ったからだ。<br />それ以降、僕は気分を悪くして、彼と話をしなかったからね。<br />日本人はあまり気にしていないが、大東亜戦争では、蘭領インドネシアを日本が開放して、オランダを追い出した。<br />そしてオランダ人を捕虜にして収容所に放り込んで、あまりいい取り扱いをしていない。<br />また、オランダ女性を日本高級軍人専用の慰安婦にしたという話もある。<br /><br />そういうこともあって、オランダ人の対日感情というのは、あまりいいわけではない。<br />昭和天皇がオランダ訪問されたときも、退役軍人による反日運動があったと聞いている。<br /><br />本当は気分が悪かったのだが、僕はそのオランダ人の反日感情がわからないわけでもなく、日本人を嫌う理由も知っている。<br />「別に気にしてないよ」と答えて、2人で互いの旅の無事を祈って、ビールで乾杯をした。<br /><br />そうそう、ニュルンベルクの駅に両替所があって、両替レートのリストがあった。<br />チェコスロバキアの通貨コロナ札が少し残っていたので、窓口に出すと、あっさりと突き返された。<br />あまりに安いので、両替の手間をかけたくなかったのだろう。<br />駅で時刻表を見ると、シュツッツガルト行きの列車が昼の12時21分に出る。<br />トーマスクックの時刻表をチェックすると、どうやらシュツッツガルトで乗り換れば、今日中にハイデルベルクへたどり着けそうだ。<br />うまく乗り継いで、15時8分シュツッツガルト発の列車が、20分遅れて16時16分にハイデルベルクに到着する。<br /><br />【写真】ニュルンベルク鉄道駅<br />【旅行哲学】教会へ行くときは小銭を用意しておくこと<br /><br />http://www.midokutsu.com/europe/nurnberg.htm<br />

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1988/09/25 - 1988/09/25

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みどりのくつした

みどりのくつしたさん

僕がニュルンベルクに入ったのは、あれは1988年9月25日の日曜日だった。
チェコスロバキアのプラハから夜行列車に乗った。
ちなみにこの切符は、(そのころの)西ベルリンで買ってたけどね。

オランダ人とアルバニア人とそして日本人の僕の3人が、プラハからニュルンベルク行きの列車で、6人用のコンパートメントを独占した。
コンパートメントの座席を引き出して、ベッドにして、3人で仲良く寝た。

コンパートメントは6人入れる自由席だった。
もちろん、ほかの人も入ってこれる。

だが、すでに3人が仲良く寝ているところへ、無理に入るなんて、そんな失礼な人間はいない。
夜中に、コンパートメントのドアを開けて、「ここは空いてますか」と聞いた人がいた。
僕らは、「ええ空いてますよ」と言ったが、3人がきれいに横になっているところへ割り込めないと悟ったらしく、入ってこなかったよ。

トイレに行くときに、車内を見て回ったら、指定席はオープンサロン式で、ぎっしりと満員だった。
かえって自由席のほうが楽に乗れたわけだね。

この時期のチェコスロバキアは社会主義が崩壊する前で、かなり政情不安定な空気があったよ。
国内の経済は最悪だったので、オランダ人の話では「闇両替でものすごく安く滞在できた」とのこと。

僕もツーリストレートで両替して、プラハのビアホールでビールの中ジョッキが一杯20円程度だったからね。
ちなみに闇のレートはツーリストレートの3倍もよかった。
それでも、ツーリストレートは、公定レートよりもずっとよかったんだ。
つまり、公定レートの意味がなかったんだ。

3人で一晩寝て、翌朝ニュルンベルクへ到着。
横になってはいたが、中途半端に寝ていたので、頭がボーッとしている。

ニュルンベルクといえば、もちろん第二次世界大戦でナチスの戦犯を裁いた「ニュルンベルク裁判」で有名な町だ。
とにかく町を歩いてみないと話にならない。

歩き出すと、日曜のせいか、午前中の町はとても静かだ。
ニュルンベルク中央駅からケーニグ通りを歩く。

聖ローレンツ教会、聖セルバドゥス教会などを見て歩く。
なかなかきれいな落ち着いた町という雰囲気だね。

なにげなく聖セルバドゥス教会に入っていったら、ちょうど日曜のミサがあって、後ろの席で静かに祈っていた。
すると、牧師さんが寄付金を集める箱を持って回ってくる。

あわてて小銭を出そうとしたが、ポケットには5ドイツマルクコインしかない。
何も出さないわけにも行かないし、お釣りをもらうのもおかしいので、そのまま5マルクを払ってしまった。

この時期、1ドイツマルクは75円程度だったので、400円くらいだ。
これは、僕としては大金だった。
牧師さんも、変な東洋人が大金を寄付したのでびっくりしたようだ。
丁寧な態度で受け取ってくれたよ。

ニュルンベルクは、なかなか感じのいい町だったね。
中央広場、デューラー広場のデューラー像、城壁、教会の屋根の構造の比較などをしながら、たらたらと歩く。

すると、一応予定していた午前9時発の列車に乗り遅れてしまった。
まあ、最初からちょっと無理かなとは思っていたのだが。

こういうときは向かい酒が効くものなので、列車を待ちながら、駅のバーでビールを注文する。
ザワークラウトとソーセージ3本で7.5ドイツマルク。
それをつまみにビール3杯を飲む。
それで、全部で17ドイツマルク程度(千三百円弱)だった。

プラハから同じコンパートメントだったオランダ人がバーへ入ってくる。
避けるわけにも行かず、ちょっと世間話をする。
オランダ人の若者は「昨日はごめん」と謝罪する。
というのは、夜中に、コンパートメントで話をしているうちに、オランダ人が調子に乗って、日本人を馬鹿にするようなことを言ったからだ。
それ以降、僕は気分を悪くして、彼と話をしなかったからね。
日本人はあまり気にしていないが、大東亜戦争では、蘭領インドネシアを日本が開放して、オランダを追い出した。
そしてオランダ人を捕虜にして収容所に放り込んで、あまりいい取り扱いをしていない。
また、オランダ女性を日本高級軍人専用の慰安婦にしたという話もある。

そういうこともあって、オランダ人の対日感情というのは、あまりいいわけではない。
昭和天皇がオランダ訪問されたときも、退役軍人による反日運動があったと聞いている。

本当は気分が悪かったのだが、僕はそのオランダ人の反日感情がわからないわけでもなく、日本人を嫌う理由も知っている。
「別に気にしてないよ」と答えて、2人で互いの旅の無事を祈って、ビールで乾杯をした。

そうそう、ニュルンベルクの駅に両替所があって、両替レートのリストがあった。
チェコスロバキアの通貨コロナ札が少し残っていたので、窓口に出すと、あっさりと突き返された。
あまりに安いので、両替の手間をかけたくなかったのだろう。
駅で時刻表を見ると、シュツッツガルト行きの列車が昼の12時21分に出る。
トーマスクックの時刻表をチェックすると、どうやらシュツッツガルトで乗り換れば、今日中にハイデルベルクへたどり着けそうだ。
うまく乗り継いで、15時8分シュツッツガルト発の列車が、20分遅れて16時16分にハイデルベルクに到着する。

【写真】ニュルンベルク鉄道駅
【旅行哲学】教会へ行くときは小銭を用意しておくこと

http://www.midokutsu.com/europe/nurnberg.htm

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