2007/12/18 - 2007/12/18
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マキタン2さん
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12月の17日、18日、19日の3日間、台東区の浅草寺 (観音様)の境内で羽子板市が開かれます。「羽子板市」の当日は、浅草の仲見せ通りは大変な人出ですが、混雑の前に散策できました。
「市」とは、神社仏閣の縁の日、参詣人の集まる日に、近郷在住の人々が日常生活用品を商うために「市」が立ち、「歳の市」とはその歳の最後の市です。 江戸の歳の市は浅草が最も古く、万治元年(1659年)両国橋が架けられた頃と言われています。花鳥風月や殿上人、左義長(悪魔を払う正月の儀式)を描いた羽子板は、江戸時代後期、歌舞伎の興隆とともに、役者絵を押絵を用いて取りつけるようになり、現在にいたっています。
300年以上も続く伝統行事で、年の瀬の風物詩としていつまでも大切にしたいものです。
羽子板と破魔矢のお話は参考になります。
http://members.jcom.home.ne.jp/oshougatsu/index.htm
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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浅草・仲見世通りは新春のお飾り。
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浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺院。山号は金龍山。
本尊は聖観音(しょうかんのん)。「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称される。 -
宝蔵門−雷門をくぐり、仲見世の商店街を抜けた先にある。入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)である。現在の門は1964年(昭和39年)再建の鉄筋コンクリート造で、実業家大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものである。
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宝蔵門中央の提灯。宝蔵の名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっている。2007年(平成19年)に屋根改修工事を行い、チタン成型瓦を全国ではじめて採用したという。
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五重塔−再建前の塔は慶安元年(1648年)の建立で、1945年の東京大空襲で焼失した。現在の塔は1973年(昭和48年)に再建されたもので、鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。
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基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカから将来した仏舎利を安置している。
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本堂−本尊の観音像を祀るため観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で、近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失した。
現在の堂は1958年(昭和33年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。 -
本堂前の供物。酒樽が壮観だ。
近世には徳川家の祈願寺に定められたこともあり、関東でも有数の観音霊場として多くの参詣者を集めた。 -
本堂から山門を振る返る。
浅草寺については
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA -
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似顔絵羽子板
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福田首相も
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行革の成果は?
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浅草神社雷門−表参道入口の門。切妻造の八脚門で、向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから、正式には「風雷神門」というが、「雷門」の通称で通っている。
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1960年(昭和35年)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建された。実業家松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものとのこと。
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和 東京大空襲の慰霊碑。
1945年(昭和20)3月10日、東京大空襲で、旧国宝の観音堂、五重塔などが焼失したという。 -
湯川博士のことば
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さざんかの花
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アサヒビールの看板?夕陽に映えて・・。
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浅草のイメージ。(地下鉄の壁画)
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