ナイアガラ・フォールズ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
(1)からの続き<br /><br />【バッファロー空港へ】<br />翌朝は、予約しておいたモーテルのシャトルサービスがあり、7人ともタクシーを使わずに空港へ行き、アルバカーキに別れを告げ、一路バッファローへ飛びました。と簡単に言っても、実際は山岳時間から東部時間への移動で2時間時差で早くなりますし、シカゴのオヘア空港経由での乗り換えですから、朝7時半頃出発してもバッファローに着くのは3時過ぎです。シカゴのオヘア空港はユナイティッド航空のハブ空港の一つで、私にとっては色々な思い出のある空港です。20年ほど前に丁度ユナイティッド航空が日本へ初進出した時に、太平洋線を利用したのですが、おまけとしてオヘア空港経由でのメキシコの保養地、カンクンまでがたったの40ドル、オヘア空港経由でのバハマ諸島のナッソーまでがたったの80ドルとしっかりと恩恵に預かりました。以後も、日本航空でも、バッファローやシンシナティから日本に帰国すると大抵オヘア空港経由になります。従って、何度も何度もこの空港は利用していますし、たぶん私にとって一番利用機会の多いアメリカの空港でしょう。<br /><br />【ナイアガラ瀑布】<br />予定通り、またミニバンを借りて北上して国境のナイアガラの滝へ急ぎました。今回は、一番近いレインボー橋でなく、やや遠回りしてしまってもう一つ北東の橋からカナダに入国しましたが、少し遠回りになっただけで無事に明るいうちに目的の滝の近くのホテルへ着きました。すぐに歩いて、クリフトンの坂道を下って滝へ行きましたが、周りの変化に愕然としました。私は、35年前にAFSの高校留学時代にナイアガラの滝へ初めて連れてきてもらって以来、何回も来ていますが、最後に来たのは6、7年前です。いつのまにか、ラスベガスのように下品なけばけばしい人工的な建物が沢山建っているのです。大自然が売り物のここナイアガラ周辺には全くふさわしくないです。非常に残念な変化です。<br /><br />20年前に研究のために留学した時は、アルバカーキからシンシナティに引っ越すことになり、私のいつもの思考回路で、せっかくならとそれを利用して一ヶ月以上の夏休みにし、東北方向のシンシナティに向かうのに、旅行を兼ねてわざと遠回りをし、まず北上しコロラド州アスペン、Yellowstone 公園、マウント・ラシュモア(4人の大統領の巨大な彫刻)等、ゆっくりとドライブを楽しみながら回り、デトロイトからカナダ側に入って、トロントの先輩医師に会ってから見慣れたナイアガラの滝にやって来ました。そして、レインボー橋を渡ってアメリカに再入国しようとしたら拒否されました。2年間の予定の留学ビザは1年毎に更新が必要らしくそれを知らなかったのです。仕方がないので、シンシナティの新しい留学先に慌てて連絡してビザの手続きをしてもらいましたが約一週間かかり足止めを食い、暇なのでナイアガラの滝をジョギングしたりして過ごし、見飽きるくらいになりました。カエデの紅葉の時期もいいですが、こんな私がもう一度本当に見たいナイアガラの滝は真冬です。寒いので大変ですが、霧氷も見れ、滝も半分凍り、中々の雪景色です。観光客はもちろん少ない時期です。<br /><br />知っている人も多いと思いますが、船に乗って滝の水しぶきを浴びる所まで近づける「霧の乙女号」の最終便に乗り(もちろん冬は無理です)、型の如く合羽を着て水に濡れながらみんなで楽しみました。この日はカナダ側からのナイアガラを見学しているうちに暗くなり、歩く途中で私が吟味していたレストランへ夕食に入りましたが、正解でした。私の六感で選んだ店です。店構えとメニュー等で大体おいしそうかどうかわかります。この日は、私は奮発して一番高い「Surf and Turf」を久しぶりに注文しました。Surf は海岸に打ち寄せる波です。海の幸のニュアンスで、ロブスターのことです。Turf は芝地です。牧場の幸のニュアンスでビーフ・ステーキです。欲張って、ロブスターとステーキの両方のご馳走です。それでもチップを入れて3〜4千円程度でそんなに高くありません。ウェイターもハンサムで娘とその友達はちゃっかり写真に一緒に写っていました。<br /><br />夜は、私一人で外出し、最近できたらしいカジノへ行きました。これは私にとっては嬉しい変化です。アメリカもカナダもかなりカジノが増えているようです。アルバカーキ周辺にもインディアン保護地区の優遇のためのカジノができているようです。カナダではモントリオールのカジノ以来です。いつものように、ブラックジャックしかしませんでしたが、1万円程勝ったところで眠いので早々と気持ちよく撤退しました。<br /><br />翌朝は、レインボー橋を渡ってアメリカに戻り、アメリカ側からナイアガラの滝を楽しみました。一般的には、全体が眺望できるカナダ側からだけのツアー(定番はトロント観光との組み合わせらしい)が主流のようですが、ニューヨーク州立公園になっているナイアガラの滝公園とも呼ばれるゴート島からは間近に馬蹄形のカナダ滝とアメリカ滝が見られます。以前にカナダ側からだけナイアガラの滝を見たというSさんとMさんも新たな発見があり、満足してもらえたようでした。滝の近くに行くと水しぶきで常に雨が降っています。従って、晴れていれば必ずきれいな虹が見えます。レインボー橋の名前の由来です。<br /><br />【いよいよウェストフィールドへ】<br />公園のレストランでピザやサンドイッチや野菜サラダの軽食後、午後はいよいよ私にとっては懐かしいWestfield へ出発です。有料と言ってもわずか2ドル程度の I-90 で行けばバッファロー経由で1時間半程度なのですが、景色を楽しむために、五大湖のエリー湖沿いのドライブウェーを選んで、のんびりドライブを楽しみ、あと3つ程度の近くの町に近づくとなじみの深いルート20を選び、ぶどう畑に囲まれた道をゆっくり進んでいよいよウェストフィールドの町へやって来ました。私にとっては、第二の故郷で、国東の田舎に帰ったような気持ちになります。もう何度も訪れています。<br /><br />まずは、以前私が住んでいた家です。以前私がホームステイしていた家は船長が建てた家らしく、歴史のないアメリカとしては価値のある歴史的な建物で、大手のドラッグストアの進出による立ち退き時に、町の人々の声に押されて保存されることが決まり、何と、道路を約100m引きずって東側に大移動していたのでした。しかも、今はモーテルの一角として利用されているのでした。4階建てのモーテルの建物とは別に一軒家として貸し出しているようで、Captain Storm House という立派な名前まで付けられていました。実は今回インターネットで検索してここに宿泊しようとしたのですが、すでにこの家は満室でした。次に来る時はこの家を借り切って、昔の私の部屋で寝たいと思っています。<br /><br />以前から漠然と思っていたことですが、今回の旅行のためにヤフーの地図を調べて、アメリカの道路の方がはるかに合理的でわかり易いということが再確認できました。アメリカでは全ての道路に名前が付いていて、道路の片側が奇数で反対側が偶数なので非常にわかり易いのです。ここウェストフィールドも住んでいたので大体の地理は覚えていますが、さすがに細かいことは忘れています。そこで、今回ヤフーのアメリカ版から地図に入っていくと通りの名前まで全て確認できました。そこで、同じ田舎でも日本の故郷の国東市の国見町の地図をヤフーで出して見ると、当然のことながら通りの名前もなく大雑把な住所だけなので、道路の線が書いてあるだけで、何にもわかりません。私はごちゃごちゃした日本では車の運転は余り好きではありませんが、道もわかりやすく道路も広いアメリカではむしろドライブを楽しみます。ガソリン代もレンタカー代もまだまだ日本よりははるかに安いです。<br /><br />それからいよいよ、約束していた Ross さんのお宅を訪ねました。ロス夫人は私が留学時代に非常にお世話になった人で、ぶどう農家です。ここのぶどうは主にジュース用で、日本でもカルピスと提携して売っているWelch&#39;s のぶどうジュースです。私が住んでいた頃は何故か、このど田舎にウェルチの会社の本社があったので、田舎のわりに裕福で学校の教育水準も高かったらしいのです。ぶどうはコンコードという種類で巨峰に似ていて、そのまま果物として食べてもおいしいと私は思うのですが、何故か主にジュースやジャム用で、本社はその名前のマサチューセッツ州 Concord へ引っ越してしまいました。今は、末っ子の Howard が跡取りです。次男の Steve は私の親友で、長女の Jeannie もよく知っていますが、二人とも今は遠くシアトルに住んでいます。落ち着いたら、偶然シアトルに留学中の私の次男を家に招待してもらおうと思っています。<br /><br />本当はぶどう狩りをさせてもらうつもりだったのですが、まだ熟れていませんでした。でも、ぶどう畑を案内してもらい、収穫用の機械を見せてもらったり、私には懐かしい池やそのうちにワインセラーを開きたいという小屋も見せてもらいました。以前はウェルチのジュース用のぶどうだけだったはずですが、今はより儲かるらしいワイン用の種類のぶどうも栽培しているようです。ただ、市況が悪く農家の経営状態は厳しいようで、残念ながら跡取りのハワードはかなりストレスが溜まっているようでした。<br /><br />夕食は、会いたいので連絡していた親友の Jerry Warner夫婦も合流し、ついでにそのお母さんも、ロス夫妻、ハワード夫妻と我々7人とかなりの人数になりました。場所は、すぐ近くのエリー湖の湖畔のバルセロナのレストランです。目の前に私がよく友達と軽食を食べに行った Jack&#39;s のレストランもありました。入り口で、レストランのオーナーの同年代の女性に紹介されましたが、急に35年も前のことが懐かしく思い出され、目の前のレストランに友達とよく来て、Greasy(脂っぽい)Jack&#39;s と呼んでいたとか、ハンバーガーとチーズバーガーのように、フィレオ・フィッシュ(フィッシュバーガー)にわざと &quot;Fish with cheese, please!&quot; とかメニューにないものを頼んでいたとか、グルメ「gourmet」をフランス語からの外来語で英語では「ゴゥメイ」なのに、わざと「ゴゥメット」と t を発音していたとかを無意識のうちにまくし立てていました。<br /><br />いつも不思議なのですが、この田舎町にもこのようないくつかの結構大きなレストランがあります。私の田舎にはありません。外食文化の差なのでしょうか?<br /><br />【シャーマンのジェリーの家】<br />この夜は、成り行きで女性4人がロスさん宅に泊まり、私と男の子2人は隣町の Sherman のジェリーの家に泊まることになっています。翌朝聞くと、娘と友達はロスさん宅の地下室のプールで泳がせてもらったそうです。私たちは、子供たちをジェリーの車に乗せ、迷わないように私の車に奥さんの Pam が乗り、30分程かけてシャーマンへ移動しました。私は半分忘れていたのですが、パムと色々話しているうちにずっと昔の事を思い出しました。パムは隣町の Mayville 出身なのですが、当時からジェリーと付き合っていました。彼女の家にも同じAFSの留学生としてノルウェーの女性、Tina がホームステイしていたので、私もパムと何回も会ったことがあるのでした。あの底抜けに明るかった Tina も今は医者になっているそうです。同じく底抜けに明るかったポルトガル人のリカルド、あか抜けしなかったパリジェンヌのモニカ、名前は忘れたおっさんの風貌のブラジル人、明るいパナマ人等の当時の留学生仲間を思い出しました。<br /><br />ジェリーの家に着くと、早速ガレージで卓球をしたり、サッカーゲームをしたり、遊び好きのジェリーは寝させてくれません。それから、地下室の手作りのアスレチックジムを見せてもらいました。私は以前に見たことがあるのですが、長男はさすがにビックリしていました。ジェリーは一つ年下ですが、今でも筋肉マンで私なんか問題になりません。ボクシングをやっていた長男が気持ち悪がるぐらいです。数学と体育の先生ですが、今はアイスホッケーもやっているそうです。高校時代は、背が低いのにフットボールで活躍し(秋シーズン)、その年は8戦全勝で優勝しました。私は全試合スクールバスで応援に行きました。冬シーズンは私と同じレスリングで活躍し、春シーズンは欲張って陸上の中距離と野球の4割バッターでした。私は陸上部で一緒で、得意な三段跳びで活躍しました。今でも顧問の先生が &quot;You missed the school record by half an inch!&quot;(あと半インチ(約1cm)で学校の新記録だった)と残念がってくれます。<br />  <br />後日、私たちの事が地元の新聞記事になり、約束通りロス夫人から切抜きを送ってもらいました。と言っても、大したことではなくて、こんな田舎にも新聞があるので、この程度のことで記事にしてもらえるので、「元留学生がウェストフィールドへ帰って来た」みたいな記事です。例の如く、私の名前が Sacamoto になっていたり、いつのまにか福岡市が日本で3番目に大都市になっていたりとか小さな間違いは沢山ありますが、こんなもんでしょう。後日、写真のお礼とともに、お前の写真付きの新聞記事を読んだ、お前はセレブだ!とジェリーにメールでからかわれました。<br /><br />翌朝、ロスさん宅で女性陣と合流し、もう少しウェストフィールドの町をドライブしました。私にとってはあちこちで色々な思い出があります。学校にも行き、自慢の広大なグランドを見せました。サッカーをやっていた長男は芝生のグランドが羨ましそうでした。陸上競技場を兼ねたフットボール場は昔からナイター付きで日本では考えられません。試合はだいたい金曜日の夜でした。その横にもう一面広いグランドがあり、野球場でもありましたが、ちょうど女子サッカーの選手が練習を始めていました。当時はサッカーはまだ盛んではありませんでした。スクールカラーが2色決まっているのでしたが、いつのまにか白と青から黄色と青に変わっているようでした。スポーツチームのニックネームも以前は Wolverines(クズリというイタチ科の肉食獣)だったのに、今は Wolves(オオカミ)になっているようでした。でも、気になるのでお世話になった英語(つまり国語)の先生の Mr.Odell に後日メールで聞くと、誤りで両方とも変わってないそうでした。<br /><br />この学校へは一年間通ったわけで数多くの思い出がありますが、今でも耳に残っているのは、厳しくて生徒から嫌われていた校長先生からの一言で、&quot;You&#39;re the first exchange student ever skipped school in 13 years!!&quot;(この13年間で学校をさぼった留学生はお前が初めてだ!)と言うお小言でした。回りに合わせるのが得意な私は、卒業間近になっての「Senior&#39;s Skip Day」に参加し、一日だけみんなと学校をさぼってエリー湖沿いの公園で遊んでいました。私は結構成績が良かったし、卒業証書ももらえたのですが、そんな優等生の私が学校をサボったのが校長には気にくわなかったのでしょう。   <br /><br />【隣州のジェーンおばさん宅へ】<br />それから、私のホストファミリーである両親のお墓参りとホームステイ先の親戚、ジェーンおばさんを訪ねるために、西隣のペンシルバニア州のノース・イーストへ行きました。隣の州と言っても40分足らずです。墓地へは着いたものの、一度しか行ったことのない両親のお墓が分からないので困りましたが、携帯電話があるのでジェーンおばさんに電話して、結局娘の、つまりいとこのエイミーが来てくれてお墓を教えてくれました。雨が降っていたので、私だけ車から降りてお参りしました。それから、一緒におばさんの家へ行きました。ここも農家で前庭の芝生が広く、以前はソフトボールをした思い出があります。<br /><br />お昼時だったので、おばさんはラザーニアを準備してくれていました。これがまたおいしくて、誰かは今回の旅行で一番おいしかったと言ってくれました。エイミーの娘二人、4歳と6歳がいたので、子供達はすぐに仲良く遊んでいました。今回の旅で私のうれしい誤算は、私の知人宅を数軒訪問したわけですが、意外とみんなホームステイのような雰囲気で楽しんでくれたようでした。つかの間の「ウルルン滞在」です。私だけ懐かしくて、他の人が退屈するのではと心配していましたが、杞憂でした。旅行会社のツアーでは、絶対にこんな経験はできませんからね。<br /><br />このジェーンおばさんに関しては、今でもよく覚えていることがあります。留学も終わろうとする頃には、当然英語力も一番ピークにある訳ですが、生意気盛りな私はおばさんに向かって、どうもおばさんの英語は他の人と違って訛りがあると言ったのです。すると、おばさんは怒りもせずに私はノースカロライナ州出身だから南部訛りがあるのだと教えてくれました。そのせいか、私と年が同じで一番親しかった長女のリサも同じようなのんびりしたしゃべり方をします。母親の影響か、子供5人の内エイミー以外の4人が今はノースカロライナ州に住んでいるそうです。<br /><br />【ウェストフィールド近郊】<br />それから、ウェストフィールドへ戻り、エリー湖に対して直角に伸びる Chautauqua 湖ぞいに Jamestown へ向かいました。Chautauqua はこの辺りの郡の名前でもあり、「シタークァ」と発音しますが、これもインディアン語です。つまり、この辺りのニューヨーク州にもインディアンがいたのです。ちなみに、バッファロー市の町名にもラッカワナやセネカやトナワンダなどのインディアン語の地名が沢山あります。途中に有名な Chautauqua Institute と言う高級住宅地が湖の中央部にあり、中に入るのも有料です。何故なら、夏は内部で無料の野外コンサートや劇の公演があるからです。私も知人に招待されて何度か行ったことがありますし、悪友とは夜、壁をよじ登って只で忍び込んだ懐かしい思い出もあります。ジェームズタウンはルーシー・ショーで有名なルシル・ボールの生まれ育った所で、記念の博物館があるので行ったのですが、残念ながら日曜日で5時に着いたらちょうど閉まったところでした。<br /><br />AFSという留学組織のいい所は、サポートがしっかりしているのと、月に1回位、同地区の世界中の留学生同士が集まって交流できることです。ある日曜日にいつものようにみんなで集まり、車で40〜50分の Cattaraugus という所へ連れて行かれました。体育館でバスケットをしている連中を見ているとみんな中国人に見えて、こんなところにチャイナタウンがあるのかなと思っていました。ところが、しばらくするとインディアンの酋長みたいな人がやって来て挨拶するのです。やっと気が付きました。ニューヨーク州のこんなところにもインディアン保護地区があったのでした。<br /><br />この最後の夜は、翌朝にそなえて、バッファロー市内で夕食をして空港近くのモーテルに泊まるだけの予定です。ところが、市内に着いて車でレストランを探す頃は9時近くになり、日曜日なので店が開いてないのです。適当にダウンタウンを車でうろちょろしてもレストランが開いていません。意外と、車から見るとバッファローのダウンタウンも危険そうには見えませんでしたが。それはともかく、食べる所がないので、仕方なく空港近くのモーテルに先にチェックインして、レストランを探すと近くに一軒だけ空いていました。Denny&#39;s です。確か、ファミリーレストランです。最後の最後にまずいファミリーレストランになってしまいました。どうせならサンドイッチが無難だと皆に勧め、まぁ食べれないことはなかったです。ところが、よせばいいのに長男はこんな店でステーキを頼んだのです。案の定、まずそうなステーキが来ました。どうも、ちゃんと焼かずにレンジで暖めただけのようなステーキでした。味見したら、ぬるいステーキでした。長男もこんなのなら焼き具合を聞かないでチーンで何分か聞いてくれと、今頃になって怒っていました。だから言ったのに!私の経験では、アメリカでも10ドル以上のちゃんとしたステーキハウスのシンプルな塩・こしょうのステーキはおいしいです。<br /><br />ここで、居酒屋でバイトをしている長男が、働いているウェートレスを見て、何か緊張感がなくていい加減そうに働いていて楽そうだと感心していました。アメリカに慣れている私にはわかりませんが、そうなのかもしれません。今回の旅行で再発見したことは、SさんとMさんにも指摘されたのですが、アメリカ人は悪いサービスに慣れているせいか意外と我慢強く、運転中もクラクションなんかはまず鳴らさないということです。この値段だったら、この位のサービスで仕方がないと悟っているのかもしれません。日本のサービスは確かに世界一かもしれませんが、そのせいで日本人は甘やかされ過ぎてスポイルされているのかもしれません。「お客様は神様です!」とか。日本の医療は崩壊しつつありますが、その一因はそんな過剰サービスに慣れた患者が医療を普通のサービス業と勘違いし始めたせいかもしれません。先進国で世界一安い医療費で、世界一贅沢な医療を求めても無理です。まるで、ビジネスホテルで高級ホテルのサービスを要求するようなものです。<br /><br />こうして無事に今回のツアーは終了しました。もちろん、バッファローからはシカゴのオヘア空港経由で成田行きでした。今回は家族旅行を兼ねていたので、飛行機代、ホテル代、レンタカー代、食事代等をどんぶり勘定で7人で割り勘した計算で他人の3人からは実費で払ってもらいました。そして、サービス料として少しだけ払ってもらいました。わずかですが、記念すべきカノヤ・トラベルメディカの初収入です。ずい分、経費がかかっていますが。私なりのいつものペースの旅行でしたが、普通の古き良きアメリカ人も紹介できたし、食べ物も私が厳選したので、SさんもMさんも娘の友達も概ね満足してもらえたようです。成功と言ってよいでしょう。<br />            終わり<br /><br /><br />長い文章を最後まで、有難うございます。こんな私の紀行文をもっと読みたい方は http://www.kanoya-travelmedica.com を見て下さい。このような北米旅行を一緒にしたい人を募集しています。詳しくは同じく上記のサイトを参照してください。<br /><br />旅行好きを仕事にするため、「空飛ぶドクター」を目指しています。そんな私が「海外旅行時の健康管理」に関する本を4月21日から出しました。悠飛社(03-5327-6052)坂本泰樹。「機内にお医者さんはいませんか?」空飛ぶドクターの海外旅行と健康管理。<br /><br /><br /><br />

北米旅行ツアー風(2)

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2006/08 - 2006/08

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

(1)からの続き

【バッファロー空港へ】
翌朝は、予約しておいたモーテルのシャトルサービスがあり、7人ともタクシーを使わずに空港へ行き、アルバカーキに別れを告げ、一路バッファローへ飛びました。と簡単に言っても、実際は山岳時間から東部時間への移動で2時間時差で早くなりますし、シカゴのオヘア空港経由での乗り換えですから、朝7時半頃出発してもバッファローに着くのは3時過ぎです。シカゴのオヘア空港はユナイティッド航空のハブ空港の一つで、私にとっては色々な思い出のある空港です。20年ほど前に丁度ユナイティッド航空が日本へ初進出した時に、太平洋線を利用したのですが、おまけとしてオヘア空港経由でのメキシコの保養地、カンクンまでがたったの40ドル、オヘア空港経由でのバハマ諸島のナッソーまでがたったの80ドルとしっかりと恩恵に預かりました。以後も、日本航空でも、バッファローやシンシナティから日本に帰国すると大抵オヘア空港経由になります。従って、何度も何度もこの空港は利用していますし、たぶん私にとって一番利用機会の多いアメリカの空港でしょう。

【ナイアガラ瀑布】
予定通り、またミニバンを借りて北上して国境のナイアガラの滝へ急ぎました。今回は、一番近いレインボー橋でなく、やや遠回りしてしまってもう一つ北東の橋からカナダに入国しましたが、少し遠回りになっただけで無事に明るいうちに目的の滝の近くのホテルへ着きました。すぐに歩いて、クリフトンの坂道を下って滝へ行きましたが、周りの変化に愕然としました。私は、35年前にAFSの高校留学時代にナイアガラの滝へ初めて連れてきてもらって以来、何回も来ていますが、最後に来たのは6、7年前です。いつのまにか、ラスベガスのように下品なけばけばしい人工的な建物が沢山建っているのです。大自然が売り物のここナイアガラ周辺には全くふさわしくないです。非常に残念な変化です。

20年前に研究のために留学した時は、アルバカーキからシンシナティに引っ越すことになり、私のいつもの思考回路で、せっかくならとそれを利用して一ヶ月以上の夏休みにし、東北方向のシンシナティに向かうのに、旅行を兼ねてわざと遠回りをし、まず北上しコロラド州アスペン、Yellowstone 公園、マウント・ラシュモア(4人の大統領の巨大な彫刻)等、ゆっくりとドライブを楽しみながら回り、デトロイトからカナダ側に入って、トロントの先輩医師に会ってから見慣れたナイアガラの滝にやって来ました。そして、レインボー橋を渡ってアメリカに再入国しようとしたら拒否されました。2年間の予定の留学ビザは1年毎に更新が必要らしくそれを知らなかったのです。仕方がないので、シンシナティの新しい留学先に慌てて連絡してビザの手続きをしてもらいましたが約一週間かかり足止めを食い、暇なのでナイアガラの滝をジョギングしたりして過ごし、見飽きるくらいになりました。カエデの紅葉の時期もいいですが、こんな私がもう一度本当に見たいナイアガラの滝は真冬です。寒いので大変ですが、霧氷も見れ、滝も半分凍り、中々の雪景色です。観光客はもちろん少ない時期です。

知っている人も多いと思いますが、船に乗って滝の水しぶきを浴びる所まで近づける「霧の乙女号」の最終便に乗り(もちろん冬は無理です)、型の如く合羽を着て水に濡れながらみんなで楽しみました。この日はカナダ側からのナイアガラを見学しているうちに暗くなり、歩く途中で私が吟味していたレストランへ夕食に入りましたが、正解でした。私の六感で選んだ店です。店構えとメニュー等で大体おいしそうかどうかわかります。この日は、私は奮発して一番高い「Surf and Turf」を久しぶりに注文しました。Surf は海岸に打ち寄せる波です。海の幸のニュアンスで、ロブスターのことです。Turf は芝地です。牧場の幸のニュアンスでビーフ・ステーキです。欲張って、ロブスターとステーキの両方のご馳走です。それでもチップを入れて3〜4千円程度でそんなに高くありません。ウェイターもハンサムで娘とその友達はちゃっかり写真に一緒に写っていました。

夜は、私一人で外出し、最近できたらしいカジノへ行きました。これは私にとっては嬉しい変化です。アメリカもカナダもかなりカジノが増えているようです。アルバカーキ周辺にもインディアン保護地区の優遇のためのカジノができているようです。カナダではモントリオールのカジノ以来です。いつものように、ブラックジャックしかしませんでしたが、1万円程勝ったところで眠いので早々と気持ちよく撤退しました。

翌朝は、レインボー橋を渡ってアメリカに戻り、アメリカ側からナイアガラの滝を楽しみました。一般的には、全体が眺望できるカナダ側からだけのツアー(定番はトロント観光との組み合わせらしい)が主流のようですが、ニューヨーク州立公園になっているナイアガラの滝公園とも呼ばれるゴート島からは間近に馬蹄形のカナダ滝とアメリカ滝が見られます。以前にカナダ側からだけナイアガラの滝を見たというSさんとMさんも新たな発見があり、満足してもらえたようでした。滝の近くに行くと水しぶきで常に雨が降っています。従って、晴れていれば必ずきれいな虹が見えます。レインボー橋の名前の由来です。

【いよいよウェストフィールドへ】
公園のレストランでピザやサンドイッチや野菜サラダの軽食後、午後はいよいよ私にとっては懐かしいWestfield へ出発です。有料と言ってもわずか2ドル程度の I-90 で行けばバッファロー経由で1時間半程度なのですが、景色を楽しむために、五大湖のエリー湖沿いのドライブウェーを選んで、のんびりドライブを楽しみ、あと3つ程度の近くの町に近づくとなじみの深いルート20を選び、ぶどう畑に囲まれた道をゆっくり進んでいよいよウェストフィールドの町へやって来ました。私にとっては、第二の故郷で、国東の田舎に帰ったような気持ちになります。もう何度も訪れています。

まずは、以前私が住んでいた家です。以前私がホームステイしていた家は船長が建てた家らしく、歴史のないアメリカとしては価値のある歴史的な建物で、大手のドラッグストアの進出による立ち退き時に、町の人々の声に押されて保存されることが決まり、何と、道路を約100m引きずって東側に大移動していたのでした。しかも、今はモーテルの一角として利用されているのでした。4階建てのモーテルの建物とは別に一軒家として貸し出しているようで、Captain Storm House という立派な名前まで付けられていました。実は今回インターネットで検索してここに宿泊しようとしたのですが、すでにこの家は満室でした。次に来る時はこの家を借り切って、昔の私の部屋で寝たいと思っています。

以前から漠然と思っていたことですが、今回の旅行のためにヤフーの地図を調べて、アメリカの道路の方がはるかに合理的でわかり易いということが再確認できました。アメリカでは全ての道路に名前が付いていて、道路の片側が奇数で反対側が偶数なので非常にわかり易いのです。ここウェストフィールドも住んでいたので大体の地理は覚えていますが、さすがに細かいことは忘れています。そこで、今回ヤフーのアメリカ版から地図に入っていくと通りの名前まで全て確認できました。そこで、同じ田舎でも日本の故郷の国東市の国見町の地図をヤフーで出して見ると、当然のことながら通りの名前もなく大雑把な住所だけなので、道路の線が書いてあるだけで、何にもわかりません。私はごちゃごちゃした日本では車の運転は余り好きではありませんが、道もわかりやすく道路も広いアメリカではむしろドライブを楽しみます。ガソリン代もレンタカー代もまだまだ日本よりははるかに安いです。

それからいよいよ、約束していた Ross さんのお宅を訪ねました。ロス夫人は私が留学時代に非常にお世話になった人で、ぶどう農家です。ここのぶどうは主にジュース用で、日本でもカルピスと提携して売っているWelch's のぶどうジュースです。私が住んでいた頃は何故か、このど田舎にウェルチの会社の本社があったので、田舎のわりに裕福で学校の教育水準も高かったらしいのです。ぶどうはコンコードという種類で巨峰に似ていて、そのまま果物として食べてもおいしいと私は思うのですが、何故か主にジュースやジャム用で、本社はその名前のマサチューセッツ州 Concord へ引っ越してしまいました。今は、末っ子の Howard が跡取りです。次男の Steve は私の親友で、長女の Jeannie もよく知っていますが、二人とも今は遠くシアトルに住んでいます。落ち着いたら、偶然シアトルに留学中の私の次男を家に招待してもらおうと思っています。

本当はぶどう狩りをさせてもらうつもりだったのですが、まだ熟れていませんでした。でも、ぶどう畑を案内してもらい、収穫用の機械を見せてもらったり、私には懐かしい池やそのうちにワインセラーを開きたいという小屋も見せてもらいました。以前はウェルチのジュース用のぶどうだけだったはずですが、今はより儲かるらしいワイン用の種類のぶどうも栽培しているようです。ただ、市況が悪く農家の経営状態は厳しいようで、残念ながら跡取りのハワードはかなりストレスが溜まっているようでした。

夕食は、会いたいので連絡していた親友の Jerry Warner夫婦も合流し、ついでにそのお母さんも、ロス夫妻、ハワード夫妻と我々7人とかなりの人数になりました。場所は、すぐ近くのエリー湖の湖畔のバルセロナのレストランです。目の前に私がよく友達と軽食を食べに行った Jack's のレストランもありました。入り口で、レストランのオーナーの同年代の女性に紹介されましたが、急に35年も前のことが懐かしく思い出され、目の前のレストランに友達とよく来て、Greasy(脂っぽい)Jack's と呼んでいたとか、ハンバーガーとチーズバーガーのように、フィレオ・フィッシュ(フィッシュバーガー)にわざと "Fish with cheese, please!" とかメニューにないものを頼んでいたとか、グルメ「gourmet」をフランス語からの外来語で英語では「ゴゥメイ」なのに、わざと「ゴゥメット」と t を発音していたとかを無意識のうちにまくし立てていました。

いつも不思議なのですが、この田舎町にもこのようないくつかの結構大きなレストランがあります。私の田舎にはありません。外食文化の差なのでしょうか?

【シャーマンのジェリーの家】
この夜は、成り行きで女性4人がロスさん宅に泊まり、私と男の子2人は隣町の Sherman のジェリーの家に泊まることになっています。翌朝聞くと、娘と友達はロスさん宅の地下室のプールで泳がせてもらったそうです。私たちは、子供たちをジェリーの車に乗せ、迷わないように私の車に奥さんの Pam が乗り、30分程かけてシャーマンへ移動しました。私は半分忘れていたのですが、パムと色々話しているうちにずっと昔の事を思い出しました。パムは隣町の Mayville 出身なのですが、当時からジェリーと付き合っていました。彼女の家にも同じAFSの留学生としてノルウェーの女性、Tina がホームステイしていたので、私もパムと何回も会ったことがあるのでした。あの底抜けに明るかった Tina も今は医者になっているそうです。同じく底抜けに明るかったポルトガル人のリカルド、あか抜けしなかったパリジェンヌのモニカ、名前は忘れたおっさんの風貌のブラジル人、明るいパナマ人等の当時の留学生仲間を思い出しました。

ジェリーの家に着くと、早速ガレージで卓球をしたり、サッカーゲームをしたり、遊び好きのジェリーは寝させてくれません。それから、地下室の手作りのアスレチックジムを見せてもらいました。私は以前に見たことがあるのですが、長男はさすがにビックリしていました。ジェリーは一つ年下ですが、今でも筋肉マンで私なんか問題になりません。ボクシングをやっていた長男が気持ち悪がるぐらいです。数学と体育の先生ですが、今はアイスホッケーもやっているそうです。高校時代は、背が低いのにフットボールで活躍し(秋シーズン)、その年は8戦全勝で優勝しました。私は全試合スクールバスで応援に行きました。冬シーズンは私と同じレスリングで活躍し、春シーズンは欲張って陸上の中距離と野球の4割バッターでした。私は陸上部で一緒で、得意な三段跳びで活躍しました。今でも顧問の先生が "You missed the school record by half an inch!"(あと半インチ(約1cm)で学校の新記録だった)と残念がってくれます。
  
後日、私たちの事が地元の新聞記事になり、約束通りロス夫人から切抜きを送ってもらいました。と言っても、大したことではなくて、こんな田舎にも新聞があるので、この程度のことで記事にしてもらえるので、「元留学生がウェストフィールドへ帰って来た」みたいな記事です。例の如く、私の名前が Sacamoto になっていたり、いつのまにか福岡市が日本で3番目に大都市になっていたりとか小さな間違いは沢山ありますが、こんなもんでしょう。後日、写真のお礼とともに、お前の写真付きの新聞記事を読んだ、お前はセレブだ!とジェリーにメールでからかわれました。

翌朝、ロスさん宅で女性陣と合流し、もう少しウェストフィールドの町をドライブしました。私にとってはあちこちで色々な思い出があります。学校にも行き、自慢の広大なグランドを見せました。サッカーをやっていた長男は芝生のグランドが羨ましそうでした。陸上競技場を兼ねたフットボール場は昔からナイター付きで日本では考えられません。試合はだいたい金曜日の夜でした。その横にもう一面広いグランドがあり、野球場でもありましたが、ちょうど女子サッカーの選手が練習を始めていました。当時はサッカーはまだ盛んではありませんでした。スクールカラーが2色決まっているのでしたが、いつのまにか白と青から黄色と青に変わっているようでした。スポーツチームのニックネームも以前は Wolverines(クズリというイタチ科の肉食獣)だったのに、今は Wolves(オオカミ)になっているようでした。でも、気になるのでお世話になった英語(つまり国語)の先生の Mr.Odell に後日メールで聞くと、誤りで両方とも変わってないそうでした。

この学校へは一年間通ったわけで数多くの思い出がありますが、今でも耳に残っているのは、厳しくて生徒から嫌われていた校長先生からの一言で、"You're the first exchange student ever skipped school in 13 years!!"(この13年間で学校をさぼった留学生はお前が初めてだ!)と言うお小言でした。回りに合わせるのが得意な私は、卒業間近になっての「Senior's Skip Day」に参加し、一日だけみんなと学校をさぼってエリー湖沿いの公園で遊んでいました。私は結構成績が良かったし、卒業証書ももらえたのですが、そんな優等生の私が学校をサボったのが校長には気にくわなかったのでしょう。

【隣州のジェーンおばさん宅へ】
それから、私のホストファミリーである両親のお墓参りとホームステイ先の親戚、ジェーンおばさんを訪ねるために、西隣のペンシルバニア州のノース・イーストへ行きました。隣の州と言っても40分足らずです。墓地へは着いたものの、一度しか行ったことのない両親のお墓が分からないので困りましたが、携帯電話があるのでジェーンおばさんに電話して、結局娘の、つまりいとこのエイミーが来てくれてお墓を教えてくれました。雨が降っていたので、私だけ車から降りてお参りしました。それから、一緒におばさんの家へ行きました。ここも農家で前庭の芝生が広く、以前はソフトボールをした思い出があります。

お昼時だったので、おばさんはラザーニアを準備してくれていました。これがまたおいしくて、誰かは今回の旅行で一番おいしかったと言ってくれました。エイミーの娘二人、4歳と6歳がいたので、子供達はすぐに仲良く遊んでいました。今回の旅で私のうれしい誤算は、私の知人宅を数軒訪問したわけですが、意外とみんなホームステイのような雰囲気で楽しんでくれたようでした。つかの間の「ウルルン滞在」です。私だけ懐かしくて、他の人が退屈するのではと心配していましたが、杞憂でした。旅行会社のツアーでは、絶対にこんな経験はできませんからね。

このジェーンおばさんに関しては、今でもよく覚えていることがあります。留学も終わろうとする頃には、当然英語力も一番ピークにある訳ですが、生意気盛りな私はおばさんに向かって、どうもおばさんの英語は他の人と違って訛りがあると言ったのです。すると、おばさんは怒りもせずに私はノースカロライナ州出身だから南部訛りがあるのだと教えてくれました。そのせいか、私と年が同じで一番親しかった長女のリサも同じようなのんびりしたしゃべり方をします。母親の影響か、子供5人の内エイミー以外の4人が今はノースカロライナ州に住んでいるそうです。

【ウェストフィールド近郊】
それから、ウェストフィールドへ戻り、エリー湖に対して直角に伸びる Chautauqua 湖ぞいに Jamestown へ向かいました。Chautauqua はこの辺りの郡の名前でもあり、「シタークァ」と発音しますが、これもインディアン語です。つまり、この辺りのニューヨーク州にもインディアンがいたのです。ちなみに、バッファロー市の町名にもラッカワナやセネカやトナワンダなどのインディアン語の地名が沢山あります。途中に有名な Chautauqua Institute と言う高級住宅地が湖の中央部にあり、中に入るのも有料です。何故なら、夏は内部で無料の野外コンサートや劇の公演があるからです。私も知人に招待されて何度か行ったことがありますし、悪友とは夜、壁をよじ登って只で忍び込んだ懐かしい思い出もあります。ジェームズタウンはルーシー・ショーで有名なルシル・ボールの生まれ育った所で、記念の博物館があるので行ったのですが、残念ながら日曜日で5時に着いたらちょうど閉まったところでした。

AFSという留学組織のいい所は、サポートがしっかりしているのと、月に1回位、同地区の世界中の留学生同士が集まって交流できることです。ある日曜日にいつものようにみんなで集まり、車で40〜50分の Cattaraugus という所へ連れて行かれました。体育館でバスケットをしている連中を見ているとみんな中国人に見えて、こんなところにチャイナタウンがあるのかなと思っていました。ところが、しばらくするとインディアンの酋長みたいな人がやって来て挨拶するのです。やっと気が付きました。ニューヨーク州のこんなところにもインディアン保護地区があったのでした。

この最後の夜は、翌朝にそなえて、バッファロー市内で夕食をして空港近くのモーテルに泊まるだけの予定です。ところが、市内に着いて車でレストランを探す頃は9時近くになり、日曜日なので店が開いてないのです。適当にダウンタウンを車でうろちょろしてもレストランが開いていません。意外と、車から見るとバッファローのダウンタウンも危険そうには見えませんでしたが。それはともかく、食べる所がないので、仕方なく空港近くのモーテルに先にチェックインして、レストランを探すと近くに一軒だけ空いていました。Denny's です。確か、ファミリーレストランです。最後の最後にまずいファミリーレストランになってしまいました。どうせならサンドイッチが無難だと皆に勧め、まぁ食べれないことはなかったです。ところが、よせばいいのに長男はこんな店でステーキを頼んだのです。案の定、まずそうなステーキが来ました。どうも、ちゃんと焼かずにレンジで暖めただけのようなステーキでした。味見したら、ぬるいステーキでした。長男もこんなのなら焼き具合を聞かないでチーンで何分か聞いてくれと、今頃になって怒っていました。だから言ったのに!私の経験では、アメリカでも10ドル以上のちゃんとしたステーキハウスのシンプルな塩・こしょうのステーキはおいしいです。

ここで、居酒屋でバイトをしている長男が、働いているウェートレスを見て、何か緊張感がなくていい加減そうに働いていて楽そうだと感心していました。アメリカに慣れている私にはわかりませんが、そうなのかもしれません。今回の旅行で再発見したことは、SさんとMさんにも指摘されたのですが、アメリカ人は悪いサービスに慣れているせいか意外と我慢強く、運転中もクラクションなんかはまず鳴らさないということです。この値段だったら、この位のサービスで仕方がないと悟っているのかもしれません。日本のサービスは確かに世界一かもしれませんが、そのせいで日本人は甘やかされ過ぎてスポイルされているのかもしれません。「お客様は神様です!」とか。日本の医療は崩壊しつつありますが、その一因はそんな過剰サービスに慣れた患者が医療を普通のサービス業と勘違いし始めたせいかもしれません。先進国で世界一安い医療費で、世界一贅沢な医療を求めても無理です。まるで、ビジネスホテルで高級ホテルのサービスを要求するようなものです。

こうして無事に今回のツアーは終了しました。もちろん、バッファローからはシカゴのオヘア空港経由で成田行きでした。今回は家族旅行を兼ねていたので、飛行機代、ホテル代、レンタカー代、食事代等をどんぶり勘定で7人で割り勘した計算で他人の3人からは実費で払ってもらいました。そして、サービス料として少しだけ払ってもらいました。わずかですが、記念すべきカノヤ・トラベルメディカの初収入です。ずい分、経費がかかっていますが。私なりのいつものペースの旅行でしたが、普通の古き良きアメリカ人も紹介できたし、食べ物も私が厳選したので、SさんもMさんも娘の友達も概ね満足してもらえたようです。成功と言ってよいでしょう。
            終わり


長い文章を最後まで、有難うございます。こんな私の紀行文をもっと読みたい方は http://www.kanoya-travelmedica.com を見て下さい。このような北米旅行を一緒にしたい人を募集しています。詳しくは同じく上記のサイトを参照してください。

旅行好きを仕事にするため、「空飛ぶドクター」を目指しています。そんな私が「海外旅行時の健康管理」に関する本を4月21日から出しました。悠飛社(03-5327-6052)坂本泰樹。「機内にお医者さんはいませんか?」空飛ぶドクターの海外旅行と健康管理。



同行者
家族旅行
交通手段
レンタカー
航空会社
ユナイテッド航空
  • ナイアガラの滝、霧の乙女号

    ナイアガラの滝、霧の乙女号

  • ナイアガラの滝、カナダ側から

    ナイアガラの滝、カナダ側から

  • ナイアガラの滝、アメリカ側から

    ナイアガラの滝、アメリカ側から

  • ナイアガラの滝、アメリカ側から

    ナイアガラの滝、アメリカ側から

  • ナイアガラの滝、アメリカ側から

    ナイアガラの滝、アメリカ側から

  • NY州西部の田舎、ウェストフィールド<br />私の高校留学時のホストファミリーの家で、今は記念の家としてホテルとして保存されている。

    NY州西部の田舎、ウェストフィールド
    私の高校留学時のホストファミリーの家で、今は記念の家としてホテルとして保存されている。

  • 留学時にお世話になったロス夫人の家の前で

    留学時にお世話になったロス夫人の家の前で

  • ロス夫人の息子、ブドウ畑にて

    ロス夫人の息子、ブドウ畑にて

  • 留学時の親友のジェリー夫妻と

    留学時の親友のジェリー夫妻と

  • ペンシルバニア州のジェーン叔母さんの孫と

    ペンシルバニア州のジェーン叔母さんの孫と

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