2007/10/20 - 2007/10/20
990位(同エリア1071件中)
のださん
松濤にある美術館、渋谷区立松濤美術館と戸栗美術館を訪問します。
松濤美術館では「Great Ukiyoe Masters」と称して、ミネアポリス美術館のコレクションを鑑賞できるということで、この機会に。
保存状態が極めて良好だそうで、要するに海外流出した作品の里帰りを楽しめる、といった感じでしょうか?
今年開館20周年の戸栗美術館は2回目の訪問です。
ゴールデンウィークに、足利にある栗田美術館に行きましたが、その前に陶磁器に慣れておこうと思って、戸栗美術館で見学しておきました。
現在は「からくさ−中島誠之助コレクション−」という展示で、中島誠之助氏のコレクションを楽しめます。
さて、松濤と言えば、思い出されるのが、あの忌まわしいシエスパの事故です。
私が松濤を訪れて2ヶ月経たない時期での事故で、テレビでの映像を見て戦慄が走りました。
別に野次馬根性で何かを見たいというのもありませんが、あれから4ヶ月経った今、復旧作業が進んでいることを願うばかりです。
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まずは午前中のおまけ。
上野毛の五島美術館で「国宝 紫式部日記絵巻」が特別展示されているということで、長蛇の列ができると聞いていたので10時の開館前の9:55に来てみると、別に大して並んでもいないな。
しかも9:55に開館したぞ!
いや、こちらは助かるが、それって良いのでしょうか?
まあいいや。
予想に反してゆったり鑑賞できて良かった。
紫式部日記絵巻以外の作品も見応えありです。 -
普段は乗らない、半蔵門線直通東急田園都市線で渋谷まで。
知りませんでしたが、いつの間にか二子玉川〜渋谷間が田園都市線になっていたのですね。
昔、というか私の学生時代は、確か新玉川線と呼んでいて、二子玉川から下りを田園都市線と呼んでいたはずですが、統合されちゃったのか。
まあ私にはメリットもデメリットも全くありません。
そんな話はどうでもよくて、渋谷に着いて、よくわからん出口を道玄坂方面に出ました。
当然109には全く興味はないが、松濤に行くにはここを右に進んで東急文化村方面へ。
今回はちょっと寄り道して、左の道玄坂を上っていきます。 -
東京新詩社跡。
今は跡形もありませんが、かつてここに与謝野鉄幹が東京新詩社を立ち上げました。
1901年(明治34年)、麹町から渋谷へ移り住んだ鉄幹は晶子と結婚し、「みだれ髪」を刊行。
3年後に千駄ヶ谷に移転しますが、それまでの期間、ということでよいのでしょうか?
麹町から越してきた理由は、静かな環境を求めてのことだそうですが、鉄幹の先妻・滝野の実家からの仕送りが途絶え、麹町には住めなくなったから、という説が有力だそうです。 -
さらに道玄坂を上っていって、発見しました。
「与謝野晶子歌碑」。
晶子自身の筆跡で、こう詠ってあります:
「母遠うて瞳したしき西の山 相模か知らず雨雲かかる」
堺から単身上京してきたので、実家の母親を思って詠んだ歌だそうです。 -
傍らには「道玄坂道供養碑」。
説明板もないので、何の供養なのかわかりません。 -
道玄坂の「由来碑」も。
これはちょっと読みにくいですが、そばにある道標によると、
「江戸時代以来、和田義盛の後裔大和田太郎道玄が、この坂に出没して山賊夜盗の如く振舞ったとの伝説がありました。しかし本来の道玄坂の語源は、道玄庵という庵があったことに由来すると考えられます。」
だそうです。
当然この手の由来には異説がありますが、ここではこのような説明だということです。 -
坂を戻って(下って)、しぶや百軒店入り口。
関東大震災後の復興計画で造られた街並みだそうで、実はホテル街にもなっていますが、気にせず進んでいきます。
千代田稲荷神社を目指します。 -
実は道がよくわからないが、適当に進みます。
運良く途中で案内板を見つけたので、見ておきます。
千代田稲荷は、宮益坂にあったのをこちらに移転させたそうです。
宮益坂は、駅から東側に上っていく坂。
道玄坂は、駅から西側に上っていく坂。
このことからもわかるように、渋谷というのはその名の通り谷の形状をしているということですね。
地下鉄銀座線の渋谷駅が地上にあるのは、そういうことです。
銀座線は比較的浅いのでしょう。
半蔵門線(田園都市線)渋谷駅は地下です。
ちょっと関係ない話でしたね。 -
そしてホテル街に鎮座する千代田稲荷。
太田道潅が江戸城を築城した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請してきたのがその始まりだそうです。
江戸城拡張に伴い渋谷宮益に移転、さらに関東大震災後にこちらに移転。 -
ホテル街を抜けて、松濤入り口の交差点。
こちらは普通のビジネスホテルである渋谷シティホテルの「RAIZ」でランチを摂ることにします。
前回もこちらで食べて、なかなか良かったと思ったので。 -
カウンターに座ると、交差点を見下ろす形です。
交差点は、確か松濤郵便局前とかいう名前です。
交差点を挟んで対角線上は東急文化村。 -
メインはいくつかのメニューから選ぶ形で、今回は真鯛と海老のソテーとかいうやつを注文。
ぷりぷりしていておいしいです。
これにライス、サラダバー、デザート、コーヒーまたは紅茶がついて1,050円。
お得だと私は思っています。 -
食べ終わって、まずは松濤美術館に向かいます。
シエスパのビルが見えます。
前回はこの道を、向こう側からこちらに歩いてきましたが、こんなビルがあったなんて気にも留めませんでした。
私が今持っている地図には、しっかりとシエスパが載っています。
ビルがきれいだから、もう復活したの?と思ったが、爆発があったのは実はこのビルの裏手だったようで、今も幕が張られ、警備員が常駐してます。 -
松濤に一歩足を踏み入れると、閑静な住宅街で、同じ渋谷だとは思えないくらいです。
だからというわけではないが松濤美術館は結構遠いですが、到着しました。
展示数が多いのには驚き。
また、勝手にマイナーな美術館だと思っていましたが、客はかなり多いです。
美術館の立地としては適しているのでしょうね。
今日は前期ですが、前後期は1点を除いて総入れ替えだということで、後期にまた来ても良いと思わせてくれます。 -
松濤美術館を出て、鍋島松濤公園へ。
紀伊徳川家の下屋敷があったところで、鍋島家に払い下げられました。
明治9年に「松濤園」という茶園を開いて「松濤」の銘柄で茶を売り出しました。
その後茶園が廃止されてからは、湧水池を中心とする一画が児童遊園として整備されます。
昭和7年に東京市に寄贈され、現在は渋谷区の管轄です。 -
眺めていると和んできます。
地域住民の憩いの場だというのがよくわかります。 -
水車は実際に回っています。
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池にはアヒルもいて、亀もいて、コイが跳ね上がります。
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そして、旧鍋島藩屋敷跡地に建っているという戸栗美術館。
ここの庭には、24ポンドカノン砲が置いてあります。
日本で最初に造られた現存するただ1門の鉄製大砲、だそうです。
鍋島藩は長崎を警護していたこともあり、軍事技術力は随一のものでした。
上野戦争で活躍したアームストロング砲も鍋島藩のものですね。 -
もう帰る時間です。
松濤郵便局前交差点へ戻ってきました。
静寂な松濤を去り、また雑踏の中へ紛れ込みます。
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