2007/10/20 - 2007/10/20
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yukibxさん
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前旅行記ではラリューヌ山ハイキングのことを書いたが、登山電車の出発駅から1キロ奥に入ったところにその農家があった。
ガイドは、17世紀に建てられたこの農家の住居でどんな生活がされていたか語ってくれ、その内容に深く感動してしまった。それは自分が今いる家の中での話だし、当時の家具、壁、床板、天井、ベッドなどがそのまま残っているので、400年前以来の家族、手伝いの人々の息使いを感じたからだと思う。
当時の子供は、比較的裕福な家庭でも10才から農家の仕事を手伝い、普通の家庭では8才から働いたらしい。そして、この子供達が夜、台所で暖をとっている間に寝込んでしまって、大人達は彼らをベッドに運ぶのが常だったという。子供用のベッドがいくつもあるわけではなく、かれらは6人位でひとつのベッドで寝ていた。
そういえば、グリムの童話だって5,6人の子供達がひとつのベッドで寝ている挿し絵があったことを思い出す。
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その家の名前は、オルテイロピッツ(Ortillopitz)。バスク語の発音しにくい名前だ。
サン・イニャス村の登山電車駅から1キロ、田舎道を歩く。標識があるのでわかりやすい。
入ると夫婦だろうか、中年の人ふたりがバスク名物、唐辛子をきれいにしていた。
オルテイロピッツの家の案内は10分後だという。8月末から10月末までは一日3回しか見学できない。運が良かった。 -
門をくぐると右に受付兼お土産コーナーがあった。
バスクシードルと唐辛子などが売られている。唐辛子は
まるで蝋でできているように光沢がある。 -
家の中はこのように構成されています。
サイトより。
http://www.ortillopitz.com/entrez.html -
早速、説明が始まった。
この家の床面積は600平米。3階建。一番上は屋根裏。2階が
住居に使われている。1階はバスクがルーツのリンゴ酒、日本でもちょっとはやったシードル貯蔵室、動物小屋。
写真はロリオとよばれる軒下。地面は石がきれいに敷かれていた。ということはこの家の主が裕福だった証拠だという。
ここでは屋根が雨を妨げるし、建物が風から守ってくれるので、悪天候の時でもさまざまな作業ができた、という。 -
家の扉の右上にドライフラワーが飾ってある。
迷信深いバスクの人は、この花を太陽の花とよんでいる。
あざみの一種だが、この花が家や家族を守ってくれるという
ことらしい。 -
家の中に入る。石の家はちょっと湿気を感じた。入り口から続いている部屋にシードルが積まれていた。
一般にシードルはノルマンデイーがルーツと思われているが、実はバスクが始めなのだ。
17世紀だったか、鱈漁で大勢の漁師が数ヶ月も海にでるのが
毎年のことだったが、この時、栄養補給という意味でも皆、シードルを飲んだのだ。一人一日2リットルのシードルを飲んだという。
これをみて、ノルマンデイーの漁師もこれをまねしてシードルを作り始めた、という説明だ。 -
帰りに売店で一本買った。750ml,4ユーロ。
ここの家の畑でつくっている。7種類のリンゴを
絞って、発酵させてつくる。魚にも肉にもあうよ、と
案内人がいっていた。
ノルマンデイーのシードルに比較して、りんごの味がより
残っている。色は濃くて、金色をしている。アルコール度は
6度。 -
こんな可愛いラベル。
手作りで、量産していないから、数はあまりない。 -
樫の木の階段をのぼり、2階を見学する。
まず、台所兼居間。まあ、見かけは台所だ。この背のおおきな長いすは竈(かまど)と向かい合っている。これはかまどの
暖かい空気が後ろに行かないようにしているのだ。
暖房というものはなく、冬の寒さを忘れさせる暖がとれるのは、かまどのみだった。だから、家族も使用人(農作)も夜はここに集まった。長いすに座れるのは3人位。あとは床に直にすわったのだろう、きっと。 -
ここで食事もした。
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赤い円で囲んだのが、かまどだ。
そうそう、2階の下は馬小屋兼牛、羊小屋となっている。動物たちがくれる暖かい空気も貴重な暖房だった。 -
かまど。床面積600米のこの家を暖めるには小さすぎる。
家族も使用人も夜この台所に集まったのが納得できる。
それにしても彼らはどんな話をしたんだろう。 -
かまどの横に、この焦げた石が置いてあった。
これはかまどの奥にある石だそうだ。
昔、傷んだ家を壊して、家をつくりかえる時、かまどの石は
必ず保存した。なぜなら、新しい家になっても、元の家と同じように火がもやされ、生活が続けられるよう、という祈り
を意味したという。だからかまどの石は生命のシンボルなのだ。
こういうことって、日本の農家にも他の形にあるのでは
と思う。 -
台所の横に部屋が幾つかあった。
台所のすぐ横は、家長の寝室。当時のベッド。 -
家長が死ぬと、蜜蝋のろうそくに火をともした。
養蜂は欠かせなく、蜜を始めさまざまなものを蜂がつくってくれる。だから家長が死ぬと、その報告を蜂にした。でないと蜂がどこかに飛んでいってしまって、戻らないから、と
いう説明になぜか納得してしまう。 -
表紙に書いたように、このベッドで子供達が数人眠る。
まだ10才にもならないのに一日中働くのだから、例え
狭くてもぐっすり眠ったことだろう。 -
全てのベッドの脚は、とても高い。これはやはり人々の知恵で寒い空気は下、暖かい空気は上にのぼる、というので
できるだけ寒くないように脚を高くした、という説明だった。
でもベッドから落っこちたら、さぞ痛いだろうな。 -
さらに階段を上って、屋根裏に。ここでは沢山の唐辛子が吊るさがり干されていた。秋がシーズンなんだろう。丁度、日本での干し柿のように。
屋根裏はだだっ広かった。天井もほぼ当時のままだそうだ。 -
絵になるような赤い唐辛子。バスクの唐辛子はそんなに辛くない。
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窓から顔をだすとこんなものが見えた。方杖というみたいだけれど、確かではない。この形はこの家独特のもので、これは1660年、家を建てた人のサイン。
石の土台は1540年。
この頃は、木材を数年かけて乾かすので、家を建てようと決心してから実際に建つまで10年ほどかけるのが普通だった。
すべての準備作業が整ったのち、家の建築そのものには1年位しか必要なかった。 -
屋根裏部屋の窓から見た景色。前にある畑はこの家のもので
いまだに耕されている。
シードル用のいろいろな種類のリンゴの木からなる果樹園を見たかったが、この窓からは見えなかった。 -
家の裏側。
約1時間半にわたる見学だったが、説明が詳しくてとても面白かった。メモをしなかったので記憶で書いたけれど、沢山のことを忘れているに違いないから、残念。
ラリューヌ山へのハイキングもあって、この後、さすがに疲れてしまい、まっすぐペンションに帰った。 -
帰り道、渡り鳥が頭の上を通っていった。鳴き声が大きいのでびっくりした。
スペインを通ってアフリカに向かうのだろう。青い鳩といわれるパロンブだろうか。 -
交通手段。
田舎の交通の不便なところに位置しているため、
車が一番便利だが、サン・ジャン・ド・リューズから
連絡バスがでている。下記、問い合わせ電話番号。
因みに開館は4月1日から10月28日まで。
Liaison Bus
De St. Jean de Luz
Départ halte routière
"Le Basque Bondissant"
Tél.: 05 59 26 30 74
Tél.: 05 59 26 25 87
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この旅行記へのコメント (2)
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- スキピオさん 2007/11/04 09:29:36
- シードルについて
- 初めまして、スキピオと申します。
シードルのバスク起源のお話、初めて知りました。
また、灯台や、mascaret のこと(mascaret という単語と初対面)、ボルドーのトラム(ボルドー・サイトで)などなど興味深く読ませていただきました。
僕にとってボルドー体験は、トゥールーズへ行くときの乗り換え数時間でしたので、オペラ座と聖堂見学くらいしかありません。
これからもアキテーヌからの通信楽しみにしております。
- yukibxさん からの返信 2007/11/06 06:36:19
- RE: シードルについて
- スキピオさん、こんにちわ。
メッセージをありがとうございました。
バスクのシードルのことは、私もバスクにゆくまで知りませんでした。
住めば都というように、私もボルドー界隈に住んでいらい、数年たち、
段々愛着心を持つようになっています。
すこしづつ歴史の方も勉強してゆきたいのですが、もともと怠け者、
なかなか難しいです。
そこをゆくと、どうやらフランス語堪能のご様子のスキピオさんは
コメントがしっかりとしていて、読みがいがあります。
これからも楽しみにしています。宜しくお願いします。
yukibx
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