2007/09/12 - 2007/09/29
78位(同エリア109件中)
くにやんさん
07年3月フランクフルト経由でモンテネグロ訪問時、陸路でアルバニアを訪問。その時に知り合ったアルバニア人大学生(スイス在住だが実家はモンテネグロのウルティン)から聞いた9月のアルバニアコーストは落ち着けてのんびりできるという一言を思い出しロンドン経由(急に思いついたので特典航空券が取得しやすいブリテッシュエアウェイズに搭乗したため)で今回は地方を中心に、デュレシィ・ヴローラ・サランダ・ブトリント・ジロカストラ・ベラート・シェンジンニへ、およそ二週間あまりの旅行でした。
ブトリントで知り合ったベルギー人夫妻とは、ベラートでまた再会し、数少ない隠れアルバニアフリークに遭遇し、とても親切なアルバニアの人々になにか昭和の時代の良き日を垣間見た印象の二度目のアルバニア訪問でした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ
-
9月12日曇り ロンドン
ヒースロー空港からガトウィック空港近くのGainsboroughLodgeまではナショナルエクスプレスで1時間30分。料金19£。(JCB決済)サウスターミナルからはCheckercarsでタクシーを予約。かなりの混雑模様で1時間後名前を呼ばれ乗車。タクシー代7£。ホテルはこじんまりしたB&B
。翌日のシャトルバスを11時に予約し、備え付けの紅茶を二杯飲みシャワーを浴び就寝。
ホテル代45£。(JCB決済)
9月13日曇り ロンドン
8時朝食。オレンジジュース、フルーツ、パン、ベーコンエッグ(焼きトマト付き)コーヒー。シンプルだがおいしい!
ノースターミナルで出発までの約5時間BAのキャリアラウンジで昼食を摂りながら時間潰し。 -
9月13日20時リナス空港着。アルバニアはイギリスとの時差1時間(1時間戻る)。入国係官は日本人だとわかると、コンニチハ、サヨウナラと日本語を披露。数年前ブルガリアのソフィア空港でもアナタハコトオウシュウヲシッテイマスカ?と日本語で話され驚いた記憶が甦る。入国料10ユーロを現金で支払い到着ゲートへ。
黄色のビブスを付けた空港御用達のタクシードライバーに声を掛けられ市内行きのバスに乗るのをやめてベンツのタクシーへ。料金はメーター制と定額料金の選択制。定額制は昼間25、夜間30ユーロ。持参した昨年発行のサンデータイムス社からでているガイドブックには20ユーロと書いてあったが、値上がりしたらしい?定額制に賭けたが一応動いていたメーターは何故か22€。
まあ、ありがちな話!
20時40分Krja Hotelへ到着。
1泊37ユーロで連泊。今回はIn Your Pocketから見つけたアルバニアホリデーズで事前予約(VISA決済でメールで送られてきたクーポンを自身のPCからプリントアウトし持参)したが、オフシーズンでしたのでフリーでも問題ないような気配。3月訪問時は全て飛び込み。 -
9月14日 ティラナ 晴れ
7時30分朝食。コンチネンタルスタイルで私はミックスジュースにハム、チーズ、ゆで卵、パン、果物、コーヒーを頂きました。
朝食後現地通貨レクを手に入れるため銀行へ。シティバンク郵貯カードの出番。しかし提携先銀行が見つからずにマザーテレサスクウェアーにあるティラナ大学まで来てしまう。今年はマザーテレサ没後10周年ということでティラナ市内の主だった建物には懸垂幕が掲げられていました。25000レク(約35000円)をアメリカンバンクで引き降ろす。歩いてると歓迎ブッシュ大統領と記している横断幕が見える。8月にアルバニアを訪問したときのニュースを見たが、こちらは凄い歓迎振りだったようだ。日本ではあまり取り上げられていなかったような気がするけど。 -
9月14日 ティラナ 晴れ
少し早い昼食。アルバニアローカルフーズ(チキン炭焼き、ヨーグルト、パン付き)とティラナビール(アルバニアには歴史が古いコルチャビール等がありますが、1960年創立のティラナビールは私と同い年なので親近感が?)とともに頂く。360レク(約500円)場所はセンターから西方面。食堂の真横がポグラディック(マケドニア国境オフドリ湖に接する町)行きのミニバスの停車場らしい。3月訪問時、この停車場がわからず、この近くのDoro Hotelからタクシーで三時間かけて行ったことが思い出される。帰りはミニバスで300レクだったが、行きのタクシーはなんと70ユーロの散財。路線バスも含めて特にミニバスの停車場は判りにくい。ホテルのスタッフに聞いても知らないようでタクシー運転手か通りすがりの人に取り敢えず聞いてみるのが賢明。
ティラナ最終日なので、国立歴史博物館(300レク)、国立美術館(100レク)を再訪。今回も時間のせいか貸切状態。 -
9月15日 ティラナ 晴れ
10時チェックアウト。徒歩15分でアルバニア鉄道ティラナ駅へ。デュレシィ行きは1時間30分後。しかしこの路線が一番本数が多く。1時間で着く筈。今年の三月訪問時、ここからシュコダルまで乗車経験あり。料金は確か160レク(アルバニア鉄道のHPでは120レクと表記)乗車時間3時間30分(しかし途中で原因不明の故障で4時間30分)日本の鉄道と比較すると車両は驚くほど古く、速度もかなり遅い。時間に余裕のある場合は記念に乗車するのも楽しいが、短期間で時間に追われる場合は避けたほうが良いのかも?更に本数もあまり多くはない。 -
9月15日 ティラナ 晴れ
アルバニア鉄道車両。
初めて乗車した時は多少の驚き?シートもドアもリタ
イア寸前のようなものが現役バリバリ!一般の乗客の
ような少年の売り子さんもいてほのぼのとした印象。
子供の頃乗っていた夕張鉄道を思い出す。 -
9月15日 ティラナ 晴れ
鉄道駅左側すぐにある路線バスターミナル。めずらしく行き先が記されていて、男の人(実際は車掌?)が行き先を叫んでいるのでわかりやすい。行き先を確認して荷物を車体の荷物スペースに入れてもらい乗車。
車掌が社内を回ってきて運賃を集める。行き先を告げると100レクだという。デュレシィまでは距離でいうと38キロ。因みに鉄道料金は50レク。1レク(約1.4円)
11時15分到着。バスターミナルと鉄道駅が隣接しており賑わっている様子。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
海岸通りのホテル群。日差しが強くかなり暑い。
同じアドリア海でもモンテネグロやクロアチア、スロベニア、イタリアよりも海があまり青くない印象?
9月の前半に行った沖縄の先島諸島の方が青々としていた気もするが、それはそれとしてホテルを目指す。宿泊先は海沿いではなく。センター付近。距離感が掴めずタクシーに乗る。あっという間に到着。
タクシー料金300レク。ティラナ迄一往復半できるなとシビアに考えながら強引に早めにチェックイン。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
Nais Hotel 1泊30ユーロ。(アルバニアホリデーズクーポン)ホテルのスタッフはとても親切でお勧めのレストランや観光スポットのアドバイス等を人が替わっても同じように対応してくれた。
名前の通りナイスなホテル?
*アルバニアのホテル
私は基本として三ツ星クラスのホテルを中心に泊まりますが、何故か、夕方4時から5時位迄部屋の電気が停電?(あるいは決まりごとか?)する場合が多い。場所によってはシャワーもお湯が出ない時間帯があったようなケースも遭遇。
まあ日本のようになんでもありすぎる生活に慣れていると逆に私のような年代には懐かしいような新鮮さが感じられるのですが。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
観光ポイント誘導ボード
宿泊したホテルからは主だった観光ポイントは徒歩圏でありました。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
町のラウンドマークの都市壁の塔部分。もっとも古い部分は5世紀後半から6世紀前半に造られたそう。全部で120ヘクタールの面積を壁で覆っていたとの話でした。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
Zogu ? King (国王ゾグ?世)の別荘跡
アルバニアは1928年〜1939年まで立憲君主国の時代があったそう。民主化以降の選挙でゾグ元国王の息子か孫が選挙に出馬し話題になった記憶があるような。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
警察の警備エリア
政治的な配慮もあるようで国王ゾグ1世の別荘跡は現在厳重な警備で見学することはできません。
親切そうな警察官でしたので一応お願いしましたが当然ダメでした。
数日後、アルバニアの書店で国王ゾグ1世の写真集を購入。社会主義以前のティラナの町並みの貴重な写真もありとても興味深い書籍です。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
アルバニアといえばブンカ(トーチカ)一説には80万以上設置されているという話。海沿い、山腹等あらゆる場所にある。大型のものもあり、倉庫やトイレ、逢引の場所等現在はいろいろな使われ方をされているものがあるが大半は朽ち果てたまま。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
ローマ時代の円形劇場跡
イタリアラッツィオ大学と共同で発掘修復作業をしているようです。時間が遅かったせいで残念ながら施設の見学は出来ませんでした。 -
9月15日 デュレシィ 晴れ
考古学博物館
ガイドブックには開館9時30分〜12時30分及び17時〜19時30分入館料:外国人200レク:アルバニア人100レク
18時に着くと実際の午後の開館時間は18時30分。受付でまだ見学できるかと聞くと。「照明が落ちているから明日来て見たほうが良いですよ」と云われたが明日は次の町に朝早くでかけるからと言うと、入館料はいらないから急いで見てくださいとありがたい対応。
しかし、照明が落ちてる中での展示物はともかくキャプションが読めなくてじっくり見るのは断念。あきらめてガイドブックを購入。The ancient population of
Durresi 500レク Durresi 10€ your key to シリーズのヴローラ、サランダ、ベラート、ジロカストラ各500レク。アルバニア語と英語併記のガイドブック。日本ではアルバニアの旅行ガイド本がないので貴重かも。しかしこの後残りの都市を探すもどの書店でもメジャー?な観光地以外の地方都市は見つからず。 -
9月16日ヴローラ 晴れ
7時朝食。こちらもコンチネンタルスタイル。フルーツジュースにミルク、甘いパンと丸パンにチーズが2種。
そしてオーダー式のエスプレッソ。少し淋しいけどおいしく頂きました。
9時15分チェックアウト。バスターミナルまでは歩ける距離だと確認済で徒歩で向かう。たくさんのバスが並んでいるがヴローラ行きが見つからない。近くにいたおじさんに聞くが、私の発音が悪かったのか「イタリアには行かないよ?」ボローニャと聞き間違えたようだ。
隣にいた若者が、このバスに乗って次のターミナルで乗り換えると早く着けるよとアドバイスをしてくれた。10分後で下車。料金100レク。地名不明?若者はバスの来る場所まで連れて行ってくれて、近くにいる売店の少年にヴローラ行きが来たら教えてあげるようにと依頼?(アルバニア語はわからないが身振りを見て推測)15分後そこから乗車、料金300レク。12時25分到着(乗車時間2時間20分)デュレシィから115?。 -
9月16日 ヴローラ 晴れ
ムラディモスク
思ったより大きな町。少し雑然とした印象。今夜から連泊のHotel Pavarisa迄歩きはじめる。デュレシィと違い道路はところどころ凹凸がありコロコロキャリーバゲッジを引っ張り難い。ホテルはSkele(PORT)の近くの筈だが地図には載っていないので少し不安?たぶん新しいホテルなのか、地図にも載らないほどの小さなホテルか?
近くのカフェにいる親切そうなおじさんに聞いてみる。「すぐ近くだよ、ほらあそこ」と言いながら指差す。ホテルはロータリーを渡ってすぐ目の前にあった。御礼を言ってホテルへ向かってまた歩き出す。
今日も暑い! -
9月16日 ヴローラ 晴れ
Hotel Pavarsia 1泊30€(アルバニアホリデーズクーポン)
13時チェックイン。レセプションの少年が、日本人が珍しいのか?「ああ、日本人だ!」アルバニアでは東洋人が少ないせいなのか、まずたいていは中国人に間違われる。一時期中国と蜜月時代があったことも関係があるのかもしれない?予断だが、私もアルバニアに興味を持ち始めたのも国連の中国加盟のきっかけになた「アルバニア案」と言う言葉を聴いてこの当時未知の謎の国に長い間親しみを覚えたからである。
部屋は210号室(3階)バルコニー付きのダブルのシングルユースで眺めの良い美室。 -
9月16日 ヴローラ 晴れ
201号室からの眺望
*アルバニアのホテル
私は高級ホテル(五つ星や四つ星)にはめったには泊まりませんし、高層のホテルもあまり好きではありませんので実際は違うかもしれませんが、低層のホテルにはたいていリフトはついていなく、アメニティグッズもハブラシや東南アジアホテルにありがちなオリジナルのネーミング入りプラスティック製シャンプーやリンスはほとんどみかけません。良くて塩ビ製のシャンプーか石鹸が多かったと思います。
因みにこのホテルと前出のナイスホテルにはリフトがありました。ついでに3月に泊まったシュコダルのホテルは五階の部屋に宿泊しましたがリフトはあるのですが何故か?トマソン状態で動かないリフトを恨めしく見ながら下がり上がりしたのを思い出しました。 -
9月16日 ヴローラ 晴れ
独立記念モニュメント
1912年11月28日アルバニアはこのヴローラで独立を勝ち取ったそうです。 -
9月16日 ヴローラ 晴れ
独立記念博物館
宿泊先ホテルの真裏、徒歩3分。
オスマン帝国下の1912年11月28日コソボのリーダー、ハッサン・プリシュティナを始めとするアルバニアの指導者が集結。帝国の国会議員であったイスマイル・ケマルが初代首相に選出される。
しかし、バルカン戦争の終結でオスマン帝国軍が撤退したことにより、セルビア、モンテネグロ、ギリシャ各国はアルバニアの領土を巡って敵対することに。
当時の独立当時のアルバニアは部族間の対立などがあり国家としての意思統一が計れず1913年のロンドン条約によって列強諸国によって国境線の引きなおしが行われ、セルビアのコソボ、モンテネグロのウルティン、マケドニのストルガ等ににアルバニア人がそのまま近隣諸国に取り残されたのが今の民族紛争の原因なのかも知れない。 -
9月16日 ヴローラ 晴れ
独立記念博物館正面
開館:9時〜12時及び17時〜20時(夏期間)
16時〜19時(上記以外)
入館料:100レク
持参ガイドブック情報
しかしまたもや入り口を見ると17時30分で閉館の文字が。入り口の脇のそばで管理者らしきおじさんが友人らしき男性とチェスに興じている。見学したいのですがよろしいですか?と聞いてみたが、英語が通じない(私の下手な英語が原因かと思ったが英語自体が話せないそうだ。アルバニアは地理的状況からイタリア語や南部ではギリシャ語を話す人が多く、英語を話せる人も多い。バスやカフェで言葉が通じないときには必ずといっていいくらいに近くの見ず知らずの人が助け舟を出して通訳してくれる。本当に親切な人が多い) -
9月16日 ヴローラ 晴れ
独立記念博物館全景
英語が通じないのがわかったので必死に日本語でどうしても見たいと訴えかけると、チェスを途中で止めてくれて中に入れてくれることに。入館料を払おうとするといらないと手振りで言う。お礼を言って中に入る。パンフレットもくれたので一人で見るつもりでいたのだがどうやら案内してくれることに。「ここは初代首相が使った部屋と机と椅子」なんだ英語はなせるじゃないと言うと、簡単な決まり文句だけという。
外からチャスの相手が少し不満そうに、「彼は英語が離せないからと」英語で私に説明?そして身振りでコーヒーを飲みに行こうと誘われる。すぐそばのカフェで私はエスプレッソ、おじさんたちはミネラルウォーターを注文。アルバニア語と英語と日本語を交えて途中ゼスチャーも交えながら持っていたデジカメの金額等の話でや日本の知っている企業名シリーズで盛り上がる。私が払おうとするのを制してご馳走までになる。
通りから若い女性が歩いてきたのを呼び止めてなにやら会話。女性は大学生で英語を流暢に話しご案内しますと言ってくれる。知り合いなのかわからないがまたもや親切さに大感激するも申し訳ないと思い丁重にお礼を言って申し出を辞退する。三人に改めて御礼を言い別れる。 -
9月17日 ヴローラ 晴れ
歴史博物館
7時朝食。場所は中二階。こちらもコンチネンタルスタイル。給仕のおばさんがアルバニア語でミルク入りの入れたてのコーヒを運んでくれた。
2日間ホテルで夕食を取ったがここのムール貝が何ヶ所で食したムール貝が一番美味しかった。何故か値段も安くて。レストランは朝食場所とは違い一階にあり入り口から一度外にでることになる。
歴史博物館は入場料100レク。二階建てではあるが展示スペースは一階フロアのみ。開館時間:9時〜14時及び
19時〜21時(夏期)17時〜19時(冬季)
最初の部屋は新石器時代と青銅器時代の収集物
もうひとつの部屋はローマ時代の石碑や石に彫られた初期キリスト教の聖像を中心に展示。
博物館の場所は独立記念モニュメントから北東側へ徒歩10分位。 -
9月17日 ヴローラ 晴れ
民族学博物館全景
開館時間:平日のみ9時〜14時
入館料:寸志程度?(実際は払おうとしましたが要らないという手振りでした)
場所は歴史博物館から通りを挟んですぐでしたが、少し奥まった所にあり中々探すことが出来なくうろちょろしていたら犬に吠えられ、その犬の飼い主が出てきて「何のようですか?」と聞かれ、民族学博物館は?と聞くと笑いながら「隣だよ!」と教えてくれ中から管理人のあばさんまで呼んで来てくれました。 -
9月17日 ヴローラ 晴れ
民族学博物館内壁掛け刺繍
管理人のおばさんは残念ながらアルバニア語オンリーでしたしパンフレットの類もありませんでしたので詳しくは解りませんでしたが、たくさんの部屋の合鍵を持ちながら次から次えと案内?(部屋を空けてくれました)電気はなく、窓がない部屋は暗くそこではロウソクを付けてくれましたので感謝しながら見学できました。
ガイドブックの説明によると
この建物はラベリアという愛国者クラブの家であったそうでプリズレン同盟が鎮圧された19世紀の後半にアルバニア民族主義者の運動が文化的なものへと政治的要求が変わっていった。そして愛国的なクラブはアルバニアのあらゆる町で設立され他のオスマン帝国のアルバニア人の多いかなりの町でも、そしてイスタンブールも含めて(当時アルバニア人のコミュニティがたくさんあった)文化的視点から民族運動が高揚した。 -
9月17日 ヴローラ 晴れ
民族学博物館正面入り口
親切なおばさん(照れ屋さんのようで花を弄りながら
うつむいてしまいました。
丁寧にお礼を言って握手をして建物を後にしました。 -
9月18日 ヴローラ 晴れ
8時チェックアウト。2日分の部屋付けにした夕食代の清算計1800レク(約2500円VISAカードで清算)
1日目:デカンタで白ワイン、トマトサラダ、ペンネアラビアータ、エスプレッソ
2日目:ティラナビール2本、ムール貝、シーフードリゾット
8時30分のサランダ行きのバスに間に合うように急ぎ歩きをするが、昨日から少し誇りっぽいなと感じていたら散水車が登場したらしく凹部分が水だらけで歩き難いがなんとか8時20分に到着。汗を拭きながら立ち止まっていると知らないおじさんが「サランダ行きはここには停まらないよ!あそこ辺りに停まるよ」と道路の反対側を指差す。ありがとうとお礼を言って急いで左右を見ながら渡る。そうすると「タクシー?」とドライバーが営業。いいえバスで行きますからと言うと、次のサランダ行きは10時だと親切に教えてくれた。
8時30分〜の標識はどういう意味なのかを考えてもムダだと考え、目の前のカフェへ。エスプレッソとミネラルウォーターを注文。100レク(約140円)バスが来るまで暫し読書タイム。 -
9月18日 ヴローラ 晴れ
サランダ行きのバス
エスプレッソを飲んでいると黄色いバスが登場。しかし時間は9時47分。心配になり行き先を見るとサランダ。急いで、読みかけの本をショルダーバックに入れバスに乗り込む。何故か9時49分出発。サランダ迄は500レク。今までのバス搭乗で最高金額。距離も遠いし意味もなく納得。バスはまっすぐ私が歩いてきた道を通りなんと二日宿泊したホテルの真横を通り過ぎた。
ななんとホテルを通るとは予想外であった。アルバニア(東欧全般そうみたいですが?)は停留所という概念がないようで手を上げると基本的にどこでもバスは停まり、ここで降りますといえば基本的にどこでも降ろしてくれるみたいです。しかし、前にも書きましたが特にミニバスのターミナルを探すのが一苦労です。
誰か、路線バスとミニバスのターミナルマップを作成すると喜ばれると思いますが?まあ、アルバニアの人にはあまり必要ないかもしれませんね? -
9月18日 ロゴラ 晴れ
ロゴラ国立山岳公園案内板
険しい細い山岳道路を右に左に曲がながら一時間後に着いたのはロゴラ国立山岳公園。ここで30分の休憩タイムです。食堂で軽食をとる人やトイレに行く人、あるいは少し歩いて絶景ポイントから写真を撮る人など様々です。 -
9月18日 ロゴラ 晴れ
国立山岳公園休憩所の手洗い用ロバモニュメント
小用を終えた後手洗いはロバの口からの水です。
飲むことも出来ます。
この辺りの標高は1050?あり最も高い山頂は2000?クラスとのことです。ヴローラからサランダまでは約150?
中間辺りにヒマラがあります。今でこそ小さなリゾート地として有名になりましたがほんの5,6年前まではゴーストタウンで住民の多くは1990年初頭に国境が開放されて移住したギリシャの人々が大半のようです。
ヒマラでもバックパッカーの若者が何人も降りました。 -
9月18日 ロゴラ 晴れ
ロゴラ国立山岳公園休憩所付近
相変らずの険しい道路を順調に走るバスが予告もなく突然停車した。時間は午後1時40分。ドアが開き乗客が次々に降りだす。また休憩かなと思って外を見ると後続の車も全て停車中?周りを見ると後ろにいる女の子以外全員車外へ。私も遅ればせながらバスから降り、前方の方を覗き込むと、5台先で車が正面衝突。幸い双方とも怪我はないようでベンツのドライバーが携帯で警察かどこかに連絡をしている様子。事故直前といった状態であたりは大混乱?しかし誰も慌てたりはせずに仕方がないなといった風で近くのカフェに入ったり、水を買いにいったり超自然体。これが日本であったら大顰蹙ものだったりするのだろうか?狭い一本道なので完全に道路は封鎖されどちらへも進めない。
結局2時間後警察車両とレッカー車が来て、道路は復旧。 -
9月18日 サランダ 晴れ
サランダセンターのMAP
午後4時38分サランダ到着。事故遭遇のため途中の休憩も含めて7時間弱バスに乗る羽目に。あまり普段バスにはのらないが一番長く乗ったのはマケドニアのオフリドからブルガリアのソフィアまでの10時間に次ぐけど、まあ今回は実車時間は4時間30分だからそうでもないか?
今夜の宿泊先はMario Hotel 今回も地図には載っていないので疲労困憊でタクシーへ直行。ホテル名を告げるがドライバーは知らないホテルということで他のドライバーに聞いたみたいで「ノープロブレム!」車でもそれほどの距離ではなく料金地方料金の300レク。
中心部からは少し離れているがロケーションは良さそう? -
9月18日 サランダ 晴れ
Mario Hotel 1泊17ユーロで3連泊(アルバニアンホリデーズクーポン)
チェックインしようとするが人の良さそうなおばさんは英語を解せず私の顔を見るなり少し驚いた表情で何か叫びながら誰かを呼びに行った。しばらくすると長身の主人らしき人物が登場。「日本からですか、随分遠いところから、三連泊ですね。朝食は7時以降ならお好きな時間にどうぞ。この時期当ホテルは朝食以外は営業しておりませんが、夕食はこちらから歩いて20?の所に美味しいレストランがございます」アルバニア人にしては少し調子が良すぎると感じてしまった私でありました。 -
9月18日 サランダ 晴れ
ホテル205号室から眺めたコルフ島(ギリシャ)
渡された鍵を持ちドア式のリフトに乗り205号室へ。
眺めは良い部屋ではあった。しかし、オフシーズンということもあり他には誰も宿泊客はいないようで、残念ながらテレビ、冷蔵庫、エアコンのコンセントは抜かれた状態で自分で冷蔵庫を手前に引きずり出して入れ直し、エアコンのコンセントも椅子に上がってセッティング完了!まあ、1泊17ユーロ(当時のレートは1ユーロ=157円)ということは2669円(朝食込み料金)ですから!
何故か納得!! -
9月18日 サランダ 晴れ
レストランパラダイスクラブから望むコルフ島
チェックインの時に説明されたレストランに向かう。確かにホテルから20?の距離。これ位近くだと不便は感じない。しかし、閉まっている。明かりも消えている。一度ホテルに戻り何時から開くのかまた、今日は休みなのかを確認しようと思ったが、肝心の主人は不在でおばちゃんは身振りでわからないと言う。仕方ないのでセンターの方に向かって歩き出す。この時期観光客はあまりいないようで、しばらく歩いていても人ともすれ違わない。30分位?歩きシーサイドにあるパラダイスクラブというレストランへ入る。ここは観光客が来る店のようでウエィターはほとんど全員英語が話せる。 -
9月18日 サランダ 晴れ
ムール貝
店によって一口にムール貝といってもかなり調理方法が違うようで、ここのは貝ひとつひとつにチーズと香辛料がコーティングされていて少し味が濃いように感じられた。個人的にはヴローラで食べたシンプルな味付けがおいしいと思いますが。 -
9月18日 サランダ 晴れ
エビのリゾット
この他にグラスワイン(白)、シーフードサラダ、フルーツ(ブドウ)、エスプレッソを注文。フルーツは注文していなかったが観光地ではよくあること? 計2800レク(約3900円)日本なら安いのだろうが、アルバニアでは少し高い部類かな?観光地のロケーションも良いレストランで従業員の応対も良いので強引に納得する。
暗い夜道をノラ犬に吠えながらホテルへ向かう途中何故か、距離20?のレストランは煌煌とライトが点いていた。 -
9月19日 サランダ 晴れ
サランダ近郊線のバス停留所
7時30分朝食。やはり宿泊客は私一人の様子。
パンにチーズ、ハムを挟んでワッフルを焼くような大きなトースターで焼く。飲み物は、コーヒーかティーパックのハーブティ。
食事後、タクシーを呼ぶか歩くか検討するが、歩きを選択し、またノラ犬に吠えられながらセンターへ30分後到着。アルバニアで初めて見るバス停留所(この後観光地ベラートでも全く同じデザインの停留所を発見)1時間に1本の間隔でブトリント行きはある様子。まだ時間があるのでカフェに入る。女の子に、コーラとミネラルウォーターを注文するが通じない?またもや隣にた男性が通訳?してくれ無事オーダー完了120レク。その男性が、「日本人は英語が話せるんだ?」と聞くので一応学校で習うけど、会話は苦手だと答えた。さらに「我々は中国人と日本人の区別がつかない?」とも
暫く雑談しているうちにバスが来た。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
ブトリント国立公園入り口
10時少し前ブトリント行きのバスが到着。私のほかにも外国人の観光客が何人か乗車。少し混んでいるので一番前の空いてる席へ、よろしいですかと聞くと「どうぞお座りください」とおじいちゃんが英語で答える。アルバニアの人は前列の方を好むようで、中後部席が空いていても、前席の二人掛けのシートに見知らぬ人がいても必ずと言っていい程その席に座るシーンが多かった?確かに最前列の席は車窓が一望で気持ちが良かった。30分後ブトリント国立公園に到着ここが終着点。バス料金100レク。世界遺産でも危機遺産の認定だけあって少し古色蒼然といいいましょうか修復保存が大変なような印象が?あのvodafoneがスポンサーになって援助しているようだ。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
紀元前4世紀の治療の神アスクレピュウスのための聖域と奥が紀元前3世紀のローマ式の劇場
バスから降りてチケット売り場へ。入場料は700レク。後ろに同じバスに乗っていた青年が声を掛けてきた。「僕は英語のガイドだけどいかがですか?」いくらと聞き返すと「300レクです」じゃあお願いします。彼はサランダに住んでいて毎日バスに乗ってフリーの客に声をかけてガイドをしているらしい。後ろから何組かの観光客が来て、青年は営業をかけて総勢6名のグループが出来上がった。ベルギー人の熟年夫妻。イギリス人の妻とアルバニア人の夫の若夫婦、長身のオランダ人男性と日本人の私。1時間30分のコースらしい。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
6世紀前半のキリスト教の救済を意味するモザイク床の洗礼堂
私も含めて、みんなガイドの説明を聞きながらデジカメで写真を撮りまくる。ベルギー人夫妻の奥様はニコンの一眼レフでカメラマン張りの大活躍。
長身のオランダ人とはお隣の国なので、オランダ語で盛んに話しながら話し続ける。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
6世紀の初期キリスト教教会のバシリカ風の建物壁部分
ガイドの青年は時折私に解りますか?と親切に声を掛けてくれる。若夫婦は二人でガイド君そっちのけでラブラブだし、ベネルクス連合(ルクセンブルクはいないけど)は話し込んでいるし、こんな時って東洋人は孤独なのかなと、ふと漱石の「倫敦塔」を思い出す感傷的な私。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
リーフレットの表紙にも使われている代表的な文様
ガイドの青年が時折説明の途中で、ベルギーの奥様が鋭い質問を連発し、何故か皆で話し合う場面もあり、日本史には絶対の自信のある私も会話に参加できない!世界史をもっと勉強するべきだった。英語ももっとね!今更遅いかもしれないけど? -
9月19日 ブトリント 晴れ
6世紀初期キリスト教教会の巨大なバシリカ風の建物全景といつのまにかチームリーダーのベルギー奥様
一人で感傷に浸っていると、アルバニア若旦那がシャッターを押してほしいとのリクエスト。正気に戻り万国共通の「ハイ、チーズ!」と言いつつ私も何枚か単独写真をお返しに撮ってもらう。二人はイギリスで知り合ったそうでつい最近までロンドンに住んでいたそうだ。若旦那は英語が流暢で、携帯が何度も鳴りビジネスモードでその都度話していたので、アルバニア若手IT経営者かも知れない? -
9月19日 ブトリント 晴れ
有名らしいライオンゲート
中世に何度か作り直しをしたらしい?
長身のオランダの男性はソフトプログラマーで遅い夏休みを取り東欧を巡っているらしい。どうでも良いが私も含めてみんな日本製のデジタルカメラを持っていた。例えるなら写真部の撮影会の乗りである。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
ブトリント湖と古城
全てのガイドが終了し、ギャラリーを見学したあとチームリーダーの発案で皆で食事をしようということになった。若夫婦はサランダへすぐ戻らないといけないと言うことで我々に挨拶をしてバス停留所の方へ。
「ガイドコースの中に食事も組み込んで商売をした方が儲かるわよ?」とチームリーダーは青年にアドバイスをしながら送り出した。チームリーダーを中心とする我々はレストランに向かった。観光バスで来ている団体客でかなり賑わっている。ホテルも併設しているらしくバックパッカーの二人組みがホテルの方に行った。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
1930年に再建された中世のヴェネティア風古城にある博物館標識とアルバニア国旗
オーダーを取りにウエィターが来た。おとなしいベルギー夫はグリークサラダ、チームリーダーとプログラマーはポロネーゼパスタ、私はオレンジジュースとトマトサラダ。案外皆質素な昼食なんだと意味もなく感心する。プログラマーが食後にエスプレッソを注文。後は炭酸入りのミネラルウォーターが2本。
計2500レクをリーダーの発案でダッチカウント(プログラーマーが言うと面白いのになーとつまらないことを一瞬考える私)夫妻は結婚25周年記念で紺碧のイオニア海のアルバニアに魅了されて旅行にきたそうである。リピーターのようである。以前私がベルギーに2週間ほど行ったことがあるというといろいろと話し出してきた。ブリュッセルでレストランメニューのデリバリーサービスをしているらしい。20年目になるがここ数年は競合が出てきて大変らしい。 -
9月19日 ブトリント 晴れ
1930年に再建された中世のヴェネティア風古城にある博物館の案内板
チームリーダーは話し続ける。「彼は家で留守番をしている娘が心配で早く帰りたっがってるのよ。もう大人なんだから大丈夫よ!」そして宿泊している部屋数8室のプライベートビーチもあり、小船もある海辺のホテルにこのままづっと滞在しても良いと話し続けた。私にどこのホテルに泊まってるのと聞いたが、ホテル名を告げても「知らないわ?どんなホテル?」私としては説明が…そうすると、オランダ人のプログラマーが昨日までいたジロカストラのリーフレットを見せてくれて「素晴らしい町だからぜひ行って見る様に勧めてくれた」そう明後日はジロカストラだ。
それから3時30分のバスに乗り、夫妻は近くのビーチに寄るということで途中で降り、私もホテルの前で「降ります」と叫んで、オランダプログロマーと握手をして別れた。 -
9月19日 サランダ 晴れ
Hotel NERTILIのサイン
19時。さすがにトマトサラダとオレンジジュースだけの昼食ではお腹が空き、この時間なら20?のまるでホテル付随のようなレストランは営業しているだろうと思い、出かけてみる。主人らしき男がいて「うちは20時からの営業だから」とつれない返事。隣のホテルに泊まっているのか?と何やら意味ありげな顔付き?
嫌な予感がしたのであっさり軌道修正。昨日のパラダイスクラブまでは少し遠いので、ホテルの併設レストランを探して見ることに。この辺りはリーゾートホテル街で海辺や少し小高い丘のあたりにも無数のホテルが点在している。海側にあったブルーのサイン管に引き込まれてそのレストランに入ってみることにした。宿泊先のホテルからは徒歩で10分位の距離。また今日もノラ犬に吠えながら。 -
9月19日 サランダ 晴れ
なすの香草焼き
ここも客は誰もいない。白い調理服と、帽子を被った若い女性が3人とホテルのスタッフらしい私服の女性が1人皆でテレビを見て笑っている。
私を見るなり、少し驚いた表情で何か話している。
私は、宿泊客じゃないけどレストランで食事をしたいけどよろしいですかと聞いたがやはり通じない?
いつの間にか大丈夫かと期待を寄せた私服の女性はいなくなり、白装束の三人に囲まれた。結局身振り手振りでアピールし、私が食事をしたいということは理解してもらえた。飲み物は何とか通じたが、魚料理の名前が判らず、調理場に連れて行かれて魚を見せられてそこで選んで注文。後のオーダーも英語と日本語で必死に説明するが中々伝わらない。そうするとひとりの女の子がおもむろにメニューを持ってきた。
これだけ苦労したのにあるなら最初からと思ったが彼女らは作るのが専門だから仕方がないかとあきらめる。しかもメニューは英語も表記してあるじゃないの! -
9月19日サランダ 晴れ
ムール貝(こちらのお店はフライスタイル)
おもいきりお腹が空いていたので白ワイン(ハーフボトル)ナスの香草焼き、ムール貝、白身の焼き魚、エビのリゾット、リンゴとバナナのデザートにエスプレッソにミネラルウォーターを注文。途中で、年配のウエィターがどこからか出てきて(最初からいてくれると非常に有難かったのですが?)。最後に何かデザートが食べたいと言うと期待を裏切り、英語を理解していないようで、一度いなくなり、手に携帯電話を持っていてその電話を私に渡した。??と一瞬驚いたが電話の向こうから「お手伝いします」とのお言葉!
とりあえず挨拶をして、何かデザートが食べたい。果物かケーキでもというと電話を代われと電話の主から指示、今度はウエィターと話をしまた私に電話をパス。「ケーキはない。果物も、今日はリンゴとバナナしかないそうだ。それでみいいかな?」当然私はそれでお願いしますと言うとまた電話をウエィターへ。 -
9月19日 サランダ 晴れ
白身の焼き魚
5分後シナモンがふりかかったデザートが登場。見ず知らずの電話の主の善意を感じながら感謝しながら頂きました。 -
9月19日 サランダ 晴れ
エビのリゾット
これだけ食べてチェックをしてもらうとなんと2550レク(約3500円)昨日のパラダイスクラブと比較しても各段に安い印象(注文には手間どったっが?)しかも美味しい。白装束の若い美人の調理人の顔を見ていたから余計にそう思えるのかもしれないが…
3000レク払いおつりは電話間接オーダー方式を実行してくれた努力に感謝しチップで渡しました。 -
9月19日 サランダ 晴れ
間接オーダーシステムで食べれたフルーツパレット
私は果物でいちばんリンゴが大好きで夜必ず1個食べて寝ます。旅行の時はマーケットに行って購入し冷蔵庫に入れておきます。これだけ食べて安いと思いましたが、今回のホテル代は1泊17ユーロ(約2700円)は改めて破格の安さと再認識。一応三つ☆アルバニアのお勧めリゾートガイドブックにも掲載されている。オンシーズンのホテルレストランが営業している時に再チャレンジ? -
9月20日 サランダ 晴れ
サランダフェリーターミナル 手前はアルバニア海軍の小型船
7時30分朝食。明日のジロカストラ行きのバスターミナルの場所と時間確認のためにセンターへ徒歩で向かう。2日前降車した場所とほぼ同じところ。8時15分〜12時迄に何本かでているようだ。看板の隣を見るとギリシャ行き専門の旅行代理店がある。念のために中にいる男性に確認してみる。主人の話によると、始発は6時〜昼過ぎまであるという。やはり看板の時間はあまりあてにならないらしい?主人の娘さんはティラナ大学の学生で現在はティラナに住んでいるらしい。もう一人の娘さんはギリシャで勤めているそう。ブトリントに行った?と聞くので、昨日行ってとても感動して今日はサランダ市内を見学しようかなと考えていると答えると。「それならコルフ島に行って見るといいよ、高速船なら30分で着くし、夜には戻れるから」とアドバイスをしてくれた。お礼に京都のポストカードを渡して教えてもらったフェリーターミナルへ向かう。 -
9月20日 サランダ 晴れ
サランダ⇔コルフ島乗船チケット
10分後到着。最初間違って出国事務所に入ってしまうと、少し離れている乗船チケット売り場を指差してあそこでチケットを買うように係官に指示される。「出国するのか?」と聞くので「夕方の便で戻ります」往復チケットは27,88ユーロ。30ユーロ払うと2,50ユーロのお釣り。再び出国事務所で手続き。女性の係官が日本人だと判ると「ビザ持っている?」私が「日本人は必要なんですか?」「じゃ。少し待ってて」と係官。暫くすると奥の部屋から戻り「私はっきり覚えていなかったのごめんなさい。必要ないわ」との言葉で一安心。10時出発で帰りは18時30分。待合室はギリシャに働きに行く人や、私のような旅行者。低い船体の高速船はいかにもスピードがでそうな船だ。
先日乗った石垣島から竹富島への感覚。パスポートは必要だけど。 -
9月20日 サランダ 晴れ
サランダ出国ゲート
パスポートにスタンプを押される。今回も後ろのページに?長方形の線の中に船の絵とSARANDEの文字。飛行機の場合は飛行機の絵、陸路の場合は車の絵が押される日付とともに。不思議なのは必ず前のページではなく後ろから押すことだ。3月に知り合ったスイスの大学生(モンテネグロのウルティンが実家のアルバニア人大学生)のパスポートもやはり後ろから沢山の入出国のスタンプが。彼もなぜアルバニアはこのスタイルなのかわからないっと言っていった
夏に行ったラオスでトランジットでハノイに寄った時に唯一後ろのページに押されたくらいだ。他の社会主義の国でもそんなことはなかったような気がするのだが? -
9月20日 コルフ島(ギリシャ)
コルフフェリーターミナルに着いたアルバニアの高速船(手前)とギリシャの豪華客船(奥)
コルフ島の事前情報は全くなかったために人が歩いていく方について行く。たった30分で町の雰囲気は違ったものに。随分小奇麗で建物が立派に見えるのは何故だろう?アルバニアはよくヨーロッパの最貧国と例えられるが、確かにインフラはあまり整備されていないがアルバニアが置かれている地理的環境と歩んできた歴史を考えると、これからのアルバニアの未来に期待が持てる。いまの素朴な優しさを持ち続けて… -
9月20日 コルフ島 晴れ
ギリシャコルフ島入出国事務所
アルバニアとギリシャの時差はマイナス1時間。
出国ゲートを出るとレンタカーと旅行代理店のカウンターが並んでいる。当初レンターカーを借りようと国際運転免許書も持参したが、先日の交通事故を目撃したのが気になり徒歩で数時間散策してサランダに戻ることにする。暫く歩くとフェリーターミナルのゲートを出ると要塞が見えてきた。 -
9月20日 コルフ島 晴れ
ギリシャコルフ島フェリーターミナル付近道路標識
標識に沿って左側方向を歩き続けると要塞が見えてきた。まずはそこまで行って見ることに。ツアーの観光バスやレンタカーが何台も通り過ぎる。全く知らなかった島だったけどそれなりに有名な観光地なんだろうなと暑い日差しの中を歩き続ける。 -
9月20日 コルフ島 晴れ
新要塞ネオブルリオ
要塞までは街路を通って少し遠回りをしながら散策。カフェには大半が観光客のような人たちが語らっている。新要塞・ネオフルリオへ到着。入場料は3ユーロ。新要塞ということは旧要塞も近くにあるのだろうと思いながら見学をする。何枚かを写真を撮りながら、通りすがりの観光客にお願いして自身の写真も数枚押さえる。
改めて考える。今でこそ問題なく往来できる状況下だが、冷戦時代はいったいどんな関係だったのだろうかと。サランダのホテルで見るテレビは圧倒的にギリシャのテレビ局の番組の方が多くまた内容もどちらかというと軟派なプログラムが流されていて、当時も恐らくアルバニア側でも見る気になれば西側の情報が流れていたと考えられるのだが? -
9月20日 コルフ島 晴れ
新要塞ネオブルリオから旧市街を望む。奥の塔は聖スピリドン教会か?
要塞を見学後、喉が渇いたので売店でレモン炭酸とミネラルウォーターを購入。2ユーロ。時計を見るとまだ3時間以上帰りの船の時間はある。早めの便があれば何故かサランダに戻りたいという衝動にかられる?
3月に初めて経験したティラナやポグラデックは寂びた印象が強くかなりのカルチャーショックを感じたが、今となってはまるで昭和の40年代前後を彷彿とさせる何か懐かしくて落ち着く気持ちの方が強いのだ。 -
9月20日 コルフ島 晴れ
ギリシャコルフ島アルバニア行き出国ゲートと免税店
カフェで読書をしていざ帰国?何故かアルバニア行きの出国ゲートはイタリア行きのメインゲートとは場所が違い。写真の通り、免税店の奥まった場所。何回も往来をする地元の人には分るのだろうが旅行者には分りづらい場所。私もパスポートコントローラは事務所の外側にあると言われたのを聞き間違い、この狭い隔離された場所を探すのに少し手間取ってしまった。
商売道具を買ったのか、大きな樽を運ぶ老夫婦や朝の高速船で見かけたアメリカ人のカップルも係官に案内されながらこの場所にやってきた。 -
9月20日 サランダ洋上 晴れ
漁船風カーフェリーの船内
帰りの船を見て少し驚いた。来た時と違い漁船タイプの船でしかも車を2台収納するカーフェリータイプ。といっても日本では想像できない無理やり押し込めの収納方式。レンタカーだとかなり心配になるけど?更に驚いたのは乗船してから船員(と言っても一般客と見分け出来ず)が女性だけにサランダと書いているビニール袋を配っている。最初記念グッズを女性だけに配っているのかと勝手な想像をしていたが…
途中から船が揺れだし、船酔いをしたことがない私も気分は最悪の状態に。恐らく顔色も悪かったのだろう目を閉じて我慢をしていて暫くして横を見ると私にもサランダと書いたビニール袋が用意されていた。1時間10分後サランダにようやく到着。行きはヨイヨイ帰りはコワイのまんま。
再入国の入国料は1ユーロ。 -
9月20日 サランダ 晴れ
ティラナビール
漁船風カーフェリーから解放されたが強烈な船酔いと腹痛に襲われトイレに行きたくなる。日本と違い、アルバニアはデパートや公衆トイレはなく大きめのカフェを探すことに。我慢の限界の間際になんとかもぐりこむ。ウエィターに場所を聞き危機一髪。トイレだけ借りて出るのも失礼と思い。ピーチジュースを注文。 120レク。ホテルまでかなり距離はあったが車に乗ると吐きそうなので歩いて戻ることに。昨日夕食を摂ったレストランの目の前を通る。 -
9月20日 サランダ 晴れ
野菜スープ
一瞬通り過ぎようと思ったが、昼から飲み物しか口にしていないこととホテルから歩いて20?のレストランも当てにならないことを考慮し取りあえずレストランの方へ向かう。今日も他に客はいない。若いウエィターがきて無事に注文を終える。 -
9月20日 サランダ 晴れ
トマトサラダ
注文したあと読みかけの本を読もうとするが少し店内は暗いことと、お腹がゴロゴロいうのでもう一度トイレへ駆け込む。ショルダーの中から下剤を3錠水なしで飲み込む。サランダ最後の夕食はティラナビール、トマトサラダ、野菜スープ、リゾットパスタ計650レク
(約900円)質素な晩餐になってしまった。 -
9月20日 サランダ 晴れ
パスタリゾット(素スパゲティ)
ホテルへの帰り道。本日は3匹のノラ犬に吠えられご帰還。かなりの披露困憊の一日が終わった。 -
9月21日 サランダ 晴れ
アルバニア青バイ(日本製:ホンダ)
7時朝食。7時30分チェックアウト。徒歩でバスターミナルへ。8時10分到着。しかし、15分発?のジロカストラ行きのバスは現れず。仕方ないので向かいのカフェで待つことに。エスプレッソ50レク。9時を過ぎても登場する気配なし。行き先はティラナのみ。
地図を念のために見るとティラナへ行く道はジロカストラを通ることに気づく。荷物を隣の人に見てくれるように頼んでからバスに向かう。近くの若者に聞いてみる。若者は運転手に確認してくれてから「大丈夫ティラナに停まるって」車掌だと思って聞いた若者はそうではなく通りすがりの人であった。慌てて荷物をカフェに取りに行きバスに乗り込む。
9時30分乗車。11時に到着する迄すぐ後ろの席の老人が延々と演説をし出し、それに対して周りの人たちが応酬し一大ディベート大会に。内容は良く分らなかったが何か政治的なお話だった模様。議論好きなアルバニア人に感心!バス料金200レク。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
モスクとジロカストラ城
ジロカストラはアルバニアに2つしかない世界遺産(博物館都市)の町として有名ですがもうひとつ第二次世界大戦以降のアルバニアの指導者であったエンベル・ホッジャの生まれた町です。生家が1990年までは彼の博物館になっていましたが現在は民族学博物館として生まれ変わっています。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
ジロカストラの町並み(世界遺産−博物館都市)
ホテルまではタクシーで向かう。石畳の坂道を登って伊行く。途中で荷物をもった地元の客を相乗りで乗せる。暫くするともう一人の地元の人が手を上げるが、運転手は他の車にしてくれと言う仕草で断り、不思議な組み合わせで先に地元の人が降りる。料金は200レク
やや暫くして今夜の宿泊先へ到着。料金は400レク。観光客と地元の人が料金が別立てなのはよくあることだがこのような感じで同乗して経験すると少し複雑な気持ち? -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
Hotelkotoniプレート (1泊25ユーロ アルバニアホリデーズクーポン)
タクシーを降りるとホテルの入り口の目の前で主人らしき男性が出迎えてくれる。昔の古い民家がそのままゲストハウスになっている。部屋は5部屋のみ。2階の部屋へ通される。設備は古いが最低限のものは冷蔵庫以外は揃っている。一番のポイントは眺望が良いことと古城に近いことだ。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
Hotel kotoni
荷解きをしシャワーを浴びてから早速出かける。主人のアドバイス通り真っ直ぐ行って左方向へ。思った以上に急勾配の石畳の坂道はハードだった。15分後入り口へ。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
ジロカストラ城守衛のおじさん
入り口には制服を着た守衛のおじさんが立っていて「どこからきたの?」と私に微笑みながら質問する。日本から来ましたと答えると少し驚いた表情で手招きして案内してくれた。入場料は200レクだという。大きな札しかないと言うと、事務所の人間を呼んでくるから見学していなさいと言って奥のほうにゆっくり歩いて行く。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
1階兵器博物館の大砲コーナー
城塞の建物の1、2階は兵器博物館になっていて大砲や戦車やドイツ軍と戦った当時のパルチザンの闘いの歴史が数多く展示されている。2階に上がると男性のガイドが観光客に説明をしている。暫くして女性のスタッフがお釣りの800レクを持ってやってきた。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
展示されているアメリカ空軍T33偵察機。1969年に国立博物館からこの城塞に移されたらしい?
「遠くからいらっしゃったのね。サランダから日帰り観光?」と女性が尋ねる。サランダには3泊して今日はコトニホテルに泊まると言うと、「コトニは素敵な所でしょう」と嬉しそうにまた尋ねられる。眺めがとても良いですねと答える。「良いたびを続けてくださいね」「ありがとうございます」と挨拶をして見学を続ける。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
クロックタワー
建物を出てクロックタワーに向かう。反対側から観光客の団体と遭遇する。ガイドが見所を説明しているようだ。こういうときは一人旅はハンデがやはりある。
気ままなのは楽だが、キャプションが英語でない場合とリーフレットがない場合は内容が全く分らない場合もあり、勝手に推測するしかない。ガイドがいれば解決するが一人相手のガイドは残念ながらあまりいないようだ。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
アルバニア地酒ラキ
昼食は眺望の良いレストラン「ファンタジア」でこちらも何故か貸切状態。主人らしき若い男性がやってきた。取りあえずラキとミネラルウォーターとサラダを注文する。そしてローカルフードを食べたいと言うと Qifqi(ハンバーグのような料理)を勧めてくれる。隣町のベラート産尾のワインも美味しいということでメルローのフルボトルも注文。お酒はイケルほうなので楽勝で1本は空けれたが、ラキはなかなか手ごわい感じ。最後にエスプレッソを飲んで計1870レク(約2600円) -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
ジロカストラローカルフーズQifqi
(ハンバーグの様な肉料理とピラフに似たライス)
帰りに食料品店でミネラルウォーター、メロン、ぶどう、バナナ、桃、リンゴを購入。ワインで少し酔って今いましたが計400レク(約560円)一度ホテルヘ戻る。 -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
ミックスサラダと付き物のパン -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
ベラート産メルローワインフルボトル -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
食料品店で購入した果物とミネラルウォーター -
9月21日 ジロカストラ 晴れ
ゲストハウス室内からの夜景
軽い睡眠のつもりが何故か爆睡であっという間に夜に。酔いが廻ったようで外出は取りやめ部屋で果物で夕食とすることに。食事後もう一度シャワーに入りアルバニアの人気テレビ番組TopチャンネルのFiksの再放送を見ながら眠ってしまう。 -
9月22日 ジロカストラ 晴れ
ベラート行きバスターミナル付近
7時30分ダイニングルームで朝食、コーヒー、目玉焼きとパンと自家製のジャムにチーズ。シンプルだけどとても美味しい朝食でした。コーヒーは以前マケドニアで飲んだトルコ式コーヒーでした。因みに朝食は主人自らの調理した物のようでした。これからベラートに行くと言うと「バスターミナル迄はタクシーで行ったほうが無難だよ」とアドバイスをしてくれる。さすがの私もこの長い下り坂の石畳を毛頭歩くつもりはなくタクシーを呼んでもらうことに。するとその時にタクシーは300レクだからとの説明。来たときは400レクだったのにと一瞬思ったが今更考えても仕方がない。
10分後タクシーに乗り、ベラート行きのバスターミナルで降りる。バスが来るまでカフェでエスプレッソを飲みながら時間を潰す。100レクをユーロで支払いをしたが1ユーロは123レク換算なのでレク払いの方が少し得になるのかな? -
9月22日 ジロカストラ 晴れ
ベラート行きバス昼食休憩(レストラン併設のガソリ
ンスタンドにて)
9時30分ベラート行きのバスが到着。今回で一番新しそうできれいなバスだ。料金は600レク。新しいからやはり少し高いのかな?バスは順調に走り続ける。11時30分レストラン併設のスタンドで30分の昼食休憩。パスタを注文しようとするが今日は出来ない?ということでビールとトマトサラダ計400レク。少し高いのかな?昼食が終わり出発。車窓を見ながらこの当たりはアルバニア特有のブンカ(トーチカ)が暫く見あたらない代わりに石油の採掘(ボーリング)機が幾つも並んでいる。アルバニアにも石油が出るとは少し意外な気がした。 -
9月22日 ベラート 晴れ
部屋からの眺望。センター付近とキングスモスク
14時30分ベラート到着。街は落ち着いた印象。ベランダで見たバス停留所がある。この街もおそらく観光地として有名なのだろう。本日から連泊するHotel Desaretへタクシーで移動。地方料金の300レク。思ったより近い。おまけにベラート要塞までも至近距離。民族学博物館は徒歩2分。こちらで購入したガイドブックにも大きく広告が出ている。こちらにはResidenca Desaretと表記されている。若い主人らしき男性が荷物を運んでくれる。2階の街が見渡せる眺望の良い部屋。大きなバルコニーもついている。1階はレストラン。便利そうなホテルで一安心。 -
9月22日 ベラート 晴れ
Hotel desaret誘導看板
荷解きの後シャワーを浴び、早速城塞へ向かう。
ホテルから石畳の道路を曲がろうとしたとき「あっつ!ハロー!」と思わす叫んでしまった。数日前サランダで一緒に食事をしたチームリーダーことベルギー人夫妻ともう一組の欧米系のカップルだ。夫妻も先程サランダからこちらに入ったということで、今日はセンター付近のホテルに宿泊するらしい。私はすぐ近くのホテルだというと。前回同様、「どんなホテル?」と聞き、ホテル名を告げるとまた「知らないわ?」と言った。暫く雑談をして挨拶をして別れた。 -
9月22日 ベラート 晴れ
Hotel Desaret 全景
(1泊15ユーロ×連泊アルバニアンホリーデーズクーポン)
後でわかったことだが私が内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」を呼んでいたら、何を読んでいるのと?と聞かれたので日本の有名なクリスチャンの本だと言うと。僕もクリスチャンなんだと言う話になり。てっきりカトリック信者だと思い聞いたら否プロテスタントという。アルバニアはムスリムが7割キリスト教系が3割位というが、その中でもプロテスタント系は3,000人?位しかいなく少数だという。私が他の宗派の人とうまく言っているのですかと不躾な質問をしてしまったが彼は「旧ユーゴと違い、同じアルバニア人ですから宗派が違ってもみんな仲良く暮らしていますよ」と笑いながら答えてくれた。確かにこの街もモスクと教会が混在している。 -
9月22日 ベラート 晴れ
ベラート城塞に向かう石畳の道路
ベラート城塞の入場は無料。入り口の前に手製の土産を並べて売っている男女が一組。城塞の中には教会と博物館が点在してある。 -
9月22日 ベラート 晴れ
ベラート要塞 地元少年
展望ポイントへ向かう。出会い頭に地元の少年とぶつかりそうになる。
ハローと言うとハローとの返答。シャッターを押してもらう。お礼に君のも一枚撮ると言うと喜んでボーズを取ってくれる。撮った写真を再生して見せてあげると笑いながらまた喜んでくれた。 -
9月22日 ベラート 晴れ
山側斜面のマンゲレム地区住宅群
城塞からの帰り道ベルギー人夫妻のご主人とまた遭遇し軽い挨拶をしてから近くの食料品店でミックスヨーグルト、ピーチジュース、ミネラルウォーターを購入。150レク。このベラートは通常1001個の窓の町と呼ばれているそうで、特にマンゲレム地区とゴリカ地区は壮観だ。 -
9月22日 ベラート 晴れ
市内を荷物運びするロバ君たち
アルバニアのあらゆる町で今でも、ロバや馬が現役の荷物運びで働いている。それは地方でよく見られる光景だが、ティラナでも何度か見かけたことがある。もっと地方に行くと、家畜の牛がペットのように散歩をしている姿も時折見ることができる。ほんとにのどかな国である。 -
9月22日 ベラート 晴れ
マルガリータ・テュテュラニの胸像
ベラートの高名な家族の出身で反ファシストのレジスタンス運動家。父はゾーグ1世政権下の大臣。19歳の1943年にカバージャ近くの村で将来有望なライターの弟と共に銃殺された。 -
9月22日 ベラート 晴れ
オスム川に架かるゴリカ橋
ベラートは第一次世界大戦後三カ国に侵略された。
オーストリア・ハンガリー帝国が降伏した1914年後半から1916年までははギリシャ、そして1918年から1920年まではイタリアの支配下に置かれる。そして1943年にムッソリーニが降伏し共産主義者と愛国主義者の協力で生まれ変わる。しかし協力関係は後に共産主義者のリーダーによって批判されることになる。 -
9月22日 ベラート 晴れ
17世紀から町の歴史を見守り続けているゴリカ橋の説明看板
そして1944年10月エンベル・ホッジャの下臨時政府がこのベラートに置かれた。
アルバニアは連合国による解放ではなく自力で侵略者を駆逐した数少ない国である。 -
9月22日 ベラート 晴れ
ホテル内レストラン サッカーアルバニアナショナルチーム公認ミネラルウォーターとラキ酒と岩波文庫
ホテルで夕食を。白い色のラキとチキンの丸焼きを注文。その後地元産のシャルドネのフルボトル。計2270レク。主人の話続き。彼は30歳で英語の教師兼声楽家の妻がおり五代前からこの土地に住んでいるらしい。先週まで仕事でイタリアにいたらしく、そこで覚えた賛美歌を歌ってくれた。このホテルには韓国人が気に入ってよく泊まってくれるそうで日本人はめずらしいと言う。他にはオーストラリア、アルゼンチンからもよく来ると言う。町の社交場のようなところでレストランには昼夜問わずにお客で賑わっていた。 -
9月22日 ベラート 晴れ
地鳥丸焼きとポテトフライ及びヨーグルト添え
この町はアルバニアの中ではワイナリーの一大産地のようでどこのレストランでも良質の手頃(かなり安い)が飲むことができる。旅行会社ではワイナリーを巡るティスティングのツアーもたくさんあるようだ。 -
9月22日 ベラート 晴れ
ホテル部屋バルコニーに椅子を持ち出しベラート産
Cobo ワイン シャルドネ
飲み残したワインと残ったフライドポテトを部屋に持ち帰り、バルコニーで読書。天気が良いのでついでにTシャツと下着を洗濯しハンガーに吊るす。数時間であっという間に渇き取り込む。至福の時間が流れる。 -
9月22日 ベラート 晴れ
ホテル室内からのベラート市内夜景と月
夜になると近くのモスクからコーランが流れ出し、一瞬ここがヨーロッパなのか中東なのか少し不思議な感覚に襲われる。アルアニアに来て10日目の夜である。 -
9月23日 ベラート 晴れ
民族学博物館全景
8時朝食。トルコ式コーヒー、パン、ジャム、チーズ
地理的に近いせいかジロカストラで食べたメニューと似ている。
ホテルから歩いてすぐの民族学博物館へ向かう。入館料は200レク。中から眼鏡をかけた女性が出てきて英語と、イタリア語でガイドが出来ますが、どちらがよろしいですか?と私に訊ねる。日本語と言いたいところだが当然英語でと答える。 -
9月23日 ベラート 晴れ
民族学博物館案内板
建物はヴローラで見学した博物館といくつか似ている部分もあってあの時に疑問に思ったことなども少し払拭できとても楽しかった。例えばゲスト用の男性の部屋には目線には窓がないが2階に近い部分には小さな小窓がありそこからその男性を見定めるようなことに使われていたらしい。おそらく親が決めた結婚相手を事前に確認しておきたいと気持ちに配慮してできた構図なのかもしれない。他には自家製チーズを作る道具等の調理器具なども展示されている。記念にガイドブックはないかと聞いたが、専門的なものしかないということで建物を後にした。 -
9月23日 ベラート 晴れ
ホテル近くの住宅街に咲いている花々
ベラートでは何故か街角にバナナ売りが多く。バスターミナル付近の通りや、宿泊しているホテルの石畳の小道にも椅子に座ってダンボールの中にバナナを置いている姿を幾度も見かけた。 -
9月23日 ベラート 晴れ
断崖に聳え立つ、聖ミハエル教会
13世紀に建てられた聖ミハエル教会。ここからゴリカ川を奥のゴリカ地区の家並みを臨むことが出来る。 -
9月23日 ベラート 晴れ
野菜スープ
夕食メニュー、ミネラルウォーター、ベジタルスープ、ヨーグルト、ナスのオリーブ炒め、ビーフステーキ計850レク(約1200円)。部屋に戻りユーロテレビをチェック。自民党新総裁のニュースが取り上げられていた。 -
9月23日 ベラート 晴れ
ローカル料理のビーフステーキ(薄い牛肉を何枚も重ねて間にチーズが挟んでいる)奥の料理はナスのオリーブ炒め -
9月23日 ベラート 晴れ
アルバニアのヨーグルト(サワークリームに近い) -
9月24日 ベラート 晴れ
レデンモスクとバスターミナルと市内バス停留所
朝食を断り、7時にチェックアウト。バスターミナルまで徒歩。7時30分ティラナ行きのバスに乗車。料金300レク。道路状況は良く快適に走行。10時20分ティラナ到着。近くの男性にレジャ行きのバスターミナルの場所を聞く。×××から出るからそこまでタクシーで行くといいよとまた親切にアドバイスをしてくれ近くにいたタクシードライバーを呼び説明してくれる。トランクに荷物を入れ乗り込む。中心部に近づいて来くる。バスが到着したのは中心部から南西エリアのようだ。国立歴史博物館が見えてきた。タクシー料金500レク。 -
9月24日 ティラナ 晴れ
アルバニア鉄道ティラナ駅の東側にあるシュコドラ行きのバスターミナル
バスはアルバニア鉄道ティラナ駅を右に入り中小路に入る。何台かのバスが停車している。シュコドラ行きのバスだ。事前に地図でシュコダルの手前にレジャがあるのを確認していたが念のために、若い車掌にレジャに停まるかを確認する。問題なし。11時出発。料金は150レク。バスは珍しく新車でエアコンも利きすぎるくらいで途中何人かがエアコンを調整するよう車掌に文句を言う。12時30分到着。小さなバスターミナル。ティラナ行きのミニバスとタクシーが数台停車している。残念ながら、シェンジンニ行きのミニバスは見つからないのでタクシードライバーにホテルの名前を告げる。 -
9月24日 シェンジンニ 晴れ
Hotel Ermiri Palace(1泊25ユーロ×3連泊アルバニアンホリーデーズクーポン)
10分もかからずにホテルに到着。料金はティラナ市内と同じで500レク。近くても一応隣町扱いか?
チェックインするが、予想に反し、レセプションの女性は英語が通じない。仕方ないのでホテルクーポンを見せ今日から3連泊することを伝える。2階の107号室へ案内される。リゾートホテルらしく部屋は広く、バルコニーもあり眺望も素晴らしい。荷解きをしてからホテルのレストランで昼食を。 -
9月24日 シェンジンニ 晴れ
ホテルのシーサイドレストラン全景
時刻は13時30分。オフシーズンなのか中途半端な時間だからか人影はなし。結局、レセプションにいた女性スタッフが注文を取りに来る。 -
9月24日 シェンジンニ 晴れ
グリークサラダ
ローカルビールはなくアムスビール(ティラナも含め輸入ビール銘柄ではアルバニア国内ではシェアが多いようだ?)とグリークサラダ、魚介スープ、白身焼き魚、エスプレッソにミネラルウォーター計1790レク(約2500円)それぞれの料理の量が多く残念ながら少しずつ残してしまった。 -
9月24日 シェンジンニ 晴れ
魚介スープ(少し煮詰まって味噌汁風?)
精算をしてボンヤリしていると他の女性のスタッフが来て申し訳なさそうに「手違いがありあなたの部屋は明日から予約が入っている客室でした。申し訳ございませんが、明日から他の部屋に移動していただきたいのですか?」一瞬どうりで立派過ぎる部屋だと思っていたので「分りました。それでは今すぐに移りましょう」と私は部屋に戻った。英語を話すスタッフも荷解きをした荷物を半分運び出す作業を手伝ってくれる。 -
9月24日 シェンジンニ 晴れ
白身焼き魚トマト添え
新しい部屋は1階上にある122号室。やはり先ほどの部屋とは違い、バルコニーはなく小さなベランダに建物の角部分の部屋なので視界もあまりよくはない!まあ、部屋は寝るくらいの時間だけだからと自分自身に言い聞かせる。 -
9月24日 シェンジンニ 晴れ
ホテル内カフェバー 大口グラスワイン白と今回大活躍のガイドブック(Albania Gillian Gloyer:The Sunday Times)
あきらめてテレビを見ようとするが電源が入らない。おまけにトイレの水も流れない。レセプションに戻りチェックしてもらうとメカニックスタッフがこのフロアの電源をオフにしていたらしい。
19時30分夕食。グラス白ワイン2杯、シーフードリゾッド、フルーツパレット、テイクアウト用にアイスクリームとアップルジュース計1820レク(約2550円) -
9月25日 レジャ 晴れ
スカンデルベグ墓碑
8時朝食。ホットミルク、パン、チーズ、リンゴジャム、バター、ハチミツ。パンが暖めていないのがマイナスポイント?口内炎用にハチミツは部屋に持ち帰り。昼間でロビーでぼんやりし、12時30分タクシーを呼んでもらいレジャ市内へ。タクシー代500レク。スカンデルベグ墓碑へ。手元のガイドブックには毎日08:00〜19:00まで開館。外国人200レク、アルバニア人100レクと記されているが何故か閉まっている。施設の反対側に警察署があり外にいた人の良さそうな警官に聞いてみるが「私には何故今日閉館なのかわからない?」とのご返事。 -
9月25日 レジャ 晴れ
スカンデルベグ墓標とアルバニア国旗(元々スカンデルベグの家紋)
15世紀以来のアルバニアの民族英雄。オスマン軍と戦い連戦連勝をしたが熱病で1468年1月死去。この町の聖ニコラス大聖堂に葬られた。彼は裕福な領主のカストリア家の末子、ジェルジ・カストリオティとして生まれ人質としてイスタンブールでイスラム教育と軍事訓練を受けオスマン軍の将校となった彼は多くの戦いで功績を受けギリシャのアレクサンダー大王にちなんでイスカンデルという名を受けベイの称号を受けアルバニアではスカンデルベグと呼ばれた。1443年にイスラムの信仰を捨て、12000人の兵士を率いてオスマン軍と戦う。カストリオティ家の拠点であるクルヤ(ティラナで泊まったホテル名と同じ。クルヤ出身のオナーホテルのようだった)に城塞を築き独立を求め果敢に戦い続けた。 -
9月25日 レジャ 晴れ
レジャ城塞手前の山中に群れをなす羊たち
スカンデルベグ墓碑の見学を諦め、レジャ城塞へ向かう。しかし、頂上までの整備された通路は発見できず、急勾配の獣道を進む羽目に。汗を拭きながら必死に登る。途中で鶏や羊の群れに遭遇する。羊は驚いて一目散に退散する。30分後頂上へどうにか到着。 -
9月25日 レジャ 晴れ
レジャ城塞看板
二箇所に城門があったが鍵がどちらにもかかっていて中には入れない。問合せ先(町の管理部門)の電話番号が表記されているが連絡したら中にはいれるのだろうか?当然入場料は無料である。余程の城マニアではないとここまでは登って来ないように思われたが? -
9月 25日 レジャ 晴れ
レジャ城塞
なんと向かいから一組のカップルが登場。ハローと挨拶したら「ハロー」と答え、何事もなかったように城塞を下り始めた。羊の飼い主かもしれないが少し驚いてしまった。喉がカラカラでショルダーバックにミネラルウォーターを入れ忘れたのを悔やむ。 -
9月25日 レジャ 晴れ
レジャ城塞から望むレジャの町並み
しかし頂上から眺める景色は美しかった。
左手のほうはアドリア海でその海の向こうはイタリアである。今回もいくつかの城塞を踏破したがこのレジャの城塞が一番の強敵であった。 -
9月25日 レジャ 晴れ
レジャデリュニ川ほとりのカフェの大学生とウエィタ
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ゆっくりと坂道を下りスカンデルベグ墓碑に戻るがやはり閉まったまま。近くのカフェへ入る。炭酸が飲みたくなりコーラを注文する。少年のようなウエィターが「ペプシそれとも××?」コカコーラはないようなのでペプシを注文。暫くしてエスプレッソを追加注文。チェックをしてもらうと、少年が「あちらのお客さんが払ってくれましたけど」少年と少し話し込んで日本から来たこととアルバニアは二回目でとてもみんな親切で楽しい旅行だよという話をその二人の青年に話したようで見ず知らずの旅行者をもてなしてくれたらしい。二人はこの町に住む大学生の19歳で真ん中の青年が英語が流暢で少年もイタリア語の方が得意と言いながら英語も話した。残念ながら左端のアルベルトという青年は英語が苦手らしく微笑み担当だ。一時間ぐらい雑談をした後お礼を言い握手をして別れる。 -
9月25日 シェンジンニ 晴れ
ホテルレストラン イタリアビールペロニ
街頭に並んでいたアイスクリーム屋でアイスクリームを買い立ち食い。20レク。途中の食料品店でバナナ2本、ぶどう2房、リンゴ2個、フルーツヨーグルト4個、フルーツジュース2個購入。計400レク。
バスターミナルに戻りタクシーを捜すが、担当のドライバーが見つからずに他の車に乗車。料金500レク。
17時30分ホテル着。 -
9月25日 シェンジンニ 晴れ
ホテルレストラン 魚介スープ、スパゲッティボロネーゼ、トマトとモッツアレラチーズサラダ
19時30分レストランで夕食。見馴れない老カップルの先客あり。間違って通され部屋はおそらくこのカップルの部屋だったのだろう。
男性の私服姿のウエィターが注文を取りにやってくる。ローカルビールというとイタリアのビールとアムスしかないというのでペロニを注文。魚介スープ(今日は煮詰まっていない)、スパゲッティボロネーゼ、トマトとモッツレラチーズサラダ、エスプレッソで計1120レク(約1570円)。 -
9月25日 シェンジンニ 晴れ
ホテルレストラン エスプレッソ(アルバニアでメジャーなロリカフェ)
カフェでの四人での会話を思い出す。マザー・テレサとスカンデルベグの二人はこの国の英雄です。しかしエンベル・ホッジジャが率いた時代の印象がイラクのフセインや北朝鮮のキム・イルソンのような国の独裁者と重なり、他の国からは残念ながらあまりわが国は良い印象を持たれていないみたいですよと冷静に分析してみたのは英語を巧み話す中央に座っている学生だ。確かにロンドンでもアルバニアに旅行に行くと言うと「危なくないですかと多くの人に聞かれた」実際はこのとおりほとんどの人が親切で全く問題がない。彼は卒業したら官僚になりアルバニアをすばらしい国にしたいと力強く話してくれた。こういう少年がいる国は未来があると漠然と思った。 -
9月26日 シェンジンニ 曇りのち雨
シェンジンニビーチに釣りに出かける地元の老人
8時10分朝食。今日は昨日のメニューに+ゆで卵。
生憎の空模様。テレビの天気予報でも雨との情報。
天気がよければシュコダルに足を延ばすか、再度スカンデルベグの墓碑再アタックかで悩んだが雨足が激しくなったのでホテルで読書日に決定! -
9月26日 シェンジンニ 曇りのち雨
シェンジンニリゾートホテル群
10時〜12時まで1階のカフェでエスプレッソ(70レク)を飲みながら読み終わった本を再読。部屋に戻りシャワーを浴びレストランに戻に昼食。グラス白ワイン、スパゲッティカルボナーラ、レモンスープ計700レク(980円)カフェで再度エスプレッソを飲みながら読書の続き。夕食は胃の調子が悪いため、冷蔵庫に入れていたバナナ、ぶどう、チェリージュース、フルーツヨーグルトで代用。アルバニア最後の夜が終わる。 -
9月27日 シェンジンニ 曇り
ホテル朝食メニュー
8時15分最後の朝食。天気予報は曇りのち雨との情報。
ロンドン行きの時間は20時30分。一度ティラナへ行き時間を潰してからバスで空港まで行くか、空港で見やお土産を買いながら時間を潰し、キャリアラウンジがあれば嬉しいが(入国時、暗くて確認できなかったが?なければ辛い。10時間近く待ち続けるのは?) -
9月27日 シェンジンニ 曇り
ホテルレセプションスタッフ
レセプションでタクシーを呼んでもらう。
10分後タクシーが到着。悩んだ末、空港へ。海を見ると虹がでている。虹を見るのは何年振りだろう。今日はラッキーデーか? -
9月27日 リナス(マザー・テレサ空港)に向かう途中
奥はクルヤ山(スカンデルベグの故郷)
ドライバーは初日に乗った男。空港まで30ユーロで行ってもらうことに。ドライバーは満面の笑みで喜び表現する。10時10分空港に到着。ドライバーはサンキューを3度言ってくれた。 -
9月27日 リナス 曇り
マザー・テレサ空港小型サイン
地名はリナスですが、ティラナ国際空港から現在は愛称のマザー・テレサ空港の呼び名の方が使われているみたいですが? -
9月27日 リナス 曇り
空港大型サイン
この空港には13社の航空会社が乗り入れています。日本から最短のルートはアリタリア航空で行くイタリア経由かトルコ航空で行くイスタンブール経由かと思われます。私の場合は特典航空券で制約がありましたのでブリテイッシュ・エアウエィズでかなり遠回りをしましたが、更に神戸空港のようにコンパクトな空港で残念ながら、ビジネスラウンジやビジネスを乗ってもキャリアラウンジなるものはありませんでしたので私のようにここで××時間も時間を費やすのは得策ではありません。 -
9月27日 リナス 曇り
空港建物全景
この新しいターミナルはタクシードライバーの説によると2003年の国際投資家による入札の末ドイツチームが落札し、2005年の4月23日にオープンしたそうであります? -
9月27日 リナス 曇り
空港に出来たばかりのマザー・テレサモニュメント
記憶が間違いでないならティラナに着いた日くらいのテレビニュースでサリ・ベリシャ首相がこの新しいモニュメントの落成式に出席している映像が流れていたと思います。アルバニア国内ではシュコダル市内にマザーのモニュメントがあります。当然マケドニアのスコピエとストルガにもありましたが、このようなデフォルメしたモニュメントを見たのは初めてです。 -
9月27日 リナス 曇り
空港内Amcブース(携帯電話会社/ドコモとアライアンス)
1階の出国ゲート近くに携帯電話国内会社のAmc(通信のみでメールサービスはドコモの場合利用できません)と日本では撤退しましたがボーダーフォンがブースでの展開プロモーションをしていました。その2社の間に入国者待合用のスペースがあります。地元の人がたくさん、帰国する家族等を待ちわびる姿がありました。 -
9月27日 リナス 曇り
アルバニアでもメジャーなボーダーフォンのブース
日本では最盛期から比べるとテレビスポットは激減しましたがアルバニアでやはりこの2社のテレビスポットはかなりの露出度でした。食品やトイレタリー、車の広告も多いですが私立大学のテレビスポット広告もよく見かけました。 -
9月27日 リナス 曇り
空港内航空各社カウンター
この辺りには何故かレストスペースがほとんどなく。1階にあるカフェ(2店舗あります。2店舗を二往復しました?)で時間を潰すか小さな土産物屋に入るかです。因みに出入り口付近(建物の外)にもカフェがありそちらの方が賑わっていました。(料金が安いのかも知れません?) -
9月27日 リナス 曇り
空港1階カフェ
こちらのカフェではエスプレッソ2杯(140レク×2)
ミルクティー1杯(ホットミルクにティーパック入り140レク)。反対側のカカフェではサンドイッチ1皿(200レク)ミルクティー2杯(140レク×2)を頂く。
土産物店では書籍関係(特にアルバニアのガイドブックや地図、歴史書)が充実しております。それとアルバニア映画のDVD(60年代前後に作られた第二次世界大戦中のパルチザン運動もの)も数本タイトル買いしました。 -
9月27〜28日 ロンドンガトウィック 曇り
The Gatwick White House(booking comで予約47£)全景
搭乗ゲートの手前には免税店とブックストア、カフェレストランがありました。適切な時間(2時間位前?)にきてこちらで待ち時間を過ごす方が賢明のように思われます。
使用機体の到着遅れでロンドンには深夜到着。
翌日午後便で無事(29日)成田に到着。次回はアルバニアアルプスの北部山岳地帯へと気持ちは揺れ動いています。
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この旅行記へのコメント (2)
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- リータさん 2009/09/18 20:33:43
- はじめまして
- 興味深くアルバニア周遊の旅行記を拝見しました。
私も先日アルバニアに行ってきました。
…と言っても、モンテネグロのウルチーニから、
車で近くの町まで日帰りで行っただけなのですが、
ただ貧しい、暗い印象を受けました。
ビーチなど人がたくさんいて、海水浴に来てるのに、
その人たちの表情が暗かった気がするんです。
くにやんさんの旅行記で、私の行った町が、レジャとシェンジンニと読む町だったのだということを知りました。
ちょっと探検に行っただけで、ガイドブックなどまるで見ずに行ったもんで、
帰ってきてからくにやんさんの旅行記で色々勉強させていただいてます。
一応見所もあったんだな…なんて今になって後悔してます。
食べ物も色々召し上がったんですね。
ムール貝のフリッターは初めて見ました。
モンテネグロの私が滞在した町は、ウルティンと読むのでしょうか。
ウルチーニというのは、イタリア語読みなんですね、きっと。
またお邪魔させていただきます。
リータ
- くにやんさん からの返信 2009/09/19 11:05:46
- こんにちは。
- リータさま
ご覧頂きありがとうございます。
私には”ウルティン”と聞こえるのですが?”ウルティニ”のほうが正確のようです。私は親切なスイス国籍の実家が”ウルティン”のアルバニア人の大学生の案内で旧市街の町並みを数時間案内してもらい、モスクの中にも入れて頂きました。
何代も前からこの地に住んでるらしく、久し振りにジュネーブの大学の休暇で故郷に帰省したタイミングのようで、すれ違う度に挨拶されていましたので、想像するには小さな旧市街では名士のご子息のような青年でした。
私もモンテネグロのいくつかの町を訪ねてみました。
その時の記録を、しばらく更新していないブログに記しています。ご興味がございましたらご覧ください。
http://skanderbeg.blog.ocn.ne.jp/blog/cat10016845/index.html
リータさんの旅行記も拝見したいと思います。
それでは。
くにやん
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