2007/09/22 - 2007/09/22
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pianoさん
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残暑厳しき折、皆様方におかれましては旅行道(って何よ?)に邁進されている事と存じます、ちなみに私めは何時もながらダラダラと怠惰な日々を無為に過ごし、旅行道から逸れる事著しく求道者からはエセ旅人と罵られ悔し涙に暮れる今日この頃です。
今回の原チャでゴーの訪問先ですが、全国レベルに於いて知名度の低さを誇る(度重なる暴言の数々、県民の皆様ご免なさい…。)岡山の古刹にあって、唯一彼の有名な逸話によってその名を知られる宝福寺です。
その逸話とは、宝福寺に入った幼い日の雪舟が、絵ばかり好んで経を読もうとしないので、寺の僧は雪舟を仏堂の柱にしばりつけてしまいました。しかし床に落ちた涙を足の親指につけ、床にねずみを描いたところ、僧はその見事さに感心し、雪舟が絵を描くことを許しました。
そう、室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖とも称えられる雪舟縁の寺、宝福寺、遙か古、私がまだ紅顔の美少年(自分で言うなよ)だった頃、友人と吉備路を散策した際に立ち寄ってから幾年、月日は流れ
紅顔の美少年も厚顔無恥のおやじに成り下がり甚だ切ない思いではありますが、あの頃の輝ける青春時代(何処が輝けるのか甚だ疑問?)に思いを馳せ、今日も行く行く明日も行く、ブラック・ホース2号は今日も快調に驀進するのでありました。
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本日晴天にして、木陰にそよぐ風に心なしか秋の訪れを感じるものの、日差しは一向に衰える気配を見せず
、原チャに跨り180号線をひたすら西へ西へと草木もなびくと疾走する間にヘルメットの内は汗が滴り、流れ出した汗は高梁川に流れ込み見る見る間に水位は上昇、附近の住民は自主避難を余儀なくされ、科学者もその怪奇現象の原因解明に乗り出すなど…。嘘です。
総社市の西に位置するこの古刹は雪舟の逸話以外に紅葉の名所でも名高く、今は一面緑に覆われ残暑厳しき折にも関わらずここだけは爽やかな雰囲気に包まれております。 -
紅葉は朱に染まる頃も好きですが、清々しい緑の頃も捨てたものでは無いです、辺りは清々しい空気が漂い一足先に秋の訪れを感じさせます、な〜んて言ってますが、ヘルメットの内側は汗が満ちあふれ,危うく窒息死するところでした,なむなむ,ああ,早く秋が来んものかな〜。
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室町時代中期に寄進された梵鐘で,凡そ550年りの長きに亘って時を告げ続けてきた名鐘でございます。
長い年月を経てそれはそれは何とも言えぬ色合いを醸し出しており、大きな時の流れのみが作り出せる色合いではないのでしょうか。
ウププ、何時になく真面目な文章、似合わね〜な〜!! -
宝福寺は創建の年代は不明であるが天台宗の僧・日輪によって開かれたとされ、元来は天台宗の寺院であった。鎌倉時代の貞永元年(1232年)に備中国真壁(現在の総社市真壁)出身の禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められた。
当時の天皇であった四条天皇は病気となっていた。鈍庵が天皇の病気平癒のために祈祷を行ったところ、壇前に客星が落ち、天皇の病気は平癒したという。星が落ちた場所に井戸を掘り「千尺井」と名付けた。これが山号「井山」の由来となった。その後、寺院は天皇の勅願寺となり発展した。一時は塔頭・学院55、末寺300寺を数えるほどの巨刹となり隆盛を誇った。
戦国時代に起こった備中兵乱のため、天正3年(1575年)には三重塔を残し伽藍のことごとくを戦火により失った。その後、江戸時代に至るまでの間は荒廃していたが、江戸時代初期に復興され、再び山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・経蔵の禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺となった。本堂にあたる仏殿(別名・法堂〔はっとう〕)は享保12年(1727年)に再建されている。
とな。
一地方の禅寺としては余りにも大きな巨刹だったことがうかがえます、今なお境内は広大で、過去に参拝者が迷宮とも言える境内に彷徨い、行方知らずとなった事が数知れず、彼の彷徨い人達は誰知らぬ深い闇の中でひっそりと生活しているとの事です。 -
深い緑が青空に映えて見るものの心を奪います、かく言う私めも余りの感激に魂を奪われ、オロオロ慌てふためいていたところ、心優しい烏天狗が天空を彷徨っていた私めの魂を捕らえ、返しにやって来てくれました、「うかうかしているからこのような事になるのじゃ、以後気をつけるように。」と一言苦言を呈し、青空に飛び去って行きました。(嘘)
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境内には多くの紅葉の樹が枝を伸ばし、晩秋の頃には辺り一面燃えるような紅に染まり、その美しさは見るものの心を洗うことでしょう、ところで、荒みきった私めの心は黒く汚れきっており、先日意を決し川でジャブジャブと心の洗濯をしていたところ、つい誤って心を川に流してしまいました、余りの出来事にただオロオロとしていたところ、川底から河童が現れ、スイスイと滑るように水面を泳ぐと私めの心を片手に帰ってきました。「うかうかとしているから彼の様なことになるのじゃ、以後気をつけるように。」と一言苦言を呈し、川底に消えてしまいました。
最近、狐狸妖怪の類にお世話になることが多く困ったものです。 -
境内に水草の生い茂った池がありました、ふと眺めていると一匹の河童が水草の間からヌッと顔を出すではありませんか、ようよう見れば先日私めの心を救ってくれた親切な河童様。「その節は、大変お世話になり、お礼の申しようも御座いません。」とお礼方々、近況報告を交わしました。この池は底に大きな洞穴があり近くの高梁川と繋がっており、時折こうやって気晴らしに寺にお邪魔しているとのこと、この世には不思議なことがあるものです。
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室町時代、備中国赤浜(現在の総社市赤浜)に生まれた雪舟は、少年時代ここで修行を行った。幼少より絵が上手であった雪舟のエピソードとして鼠の絵の話が残されている。
絵を描くことが好きであった雪舟少年は修行もそこそこに絵ばかり描いていた。修行に身を入れさせようと禅師は雪舟を柱に縛り付けて反省を促した。夕刻、様子を見に来た禅師は逃げようとする一匹の鼠を見つけ捕まえようとしたが動かなかった。よく見るとそれは雪舟が流した涙を足の親指で描いたものであったという。それ以来、禅師は雪舟の絵を咎めなくなったといわれている。
とな。
ゲッ、日本昔話まんまじゃん、砂に書いたラブレターならぬ涙で描いた鼠か〜?とは言え、涙で水墨画が描けるはずもなく、もし本当なら雪舟様は墨汁の如き涙を流したことに、ああ、雪舟様あなたもしや狐狸妖怪の類かい? -
雪舟、1420年(応永27年)−1506年(永正3年))は号で、15世紀後半室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖とも称えられる。日本の水墨画を一変させた。
諱は「等楊(とうよう)」、若くは「拙宗(せっしゅう)」と号した。 備中国に生まれ、京都・相国寺に入ってから周防国に移る。その後遣明使に随行して中国(明)に渡って中国の水墨画を学んだ。
作品は数多く、中国風の山水画だけでなく人物画や花鳥画もよくした。大胆な構図と力強い筆線は非常に個性的な画風を作り。
現存する作品のうち6点が国宝に指定されており、日本の画家のなかでも別格の評価を受けているといえる。このため、花鳥図屏風などに「伝雪舟筆」される作品は大変多い。
とな。
ななな〜んと,齢86歳の長寿,信長が桶狭間の合戦を前に「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり…。」と舞った時を遡ること遙か古に,驚くべき長寿,やはり雪舟=狐狸妖怪説が頭をよぎります。 -
雪舟の閉じこめられた倉…嘘です,何げに変わった建物だったので気まぐれにシャッターを押してしまいました。我ながらいい加減な性格だと常日頃より呆れていますが,殆ど資料も何も手にすることなく行き当たりばったりの鉄砲玉,行く先はその日の気分次第,岡山の風来坊とは俺っちのことでい。(ん〜,何力んでんのか甚だ不可思議なおやじ,くわばらくわばら…。)
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雪舟碑です、何か文字が刻みこんでいるのかと目を凝らしてみましたが、文字らしきものは皆無、何故にかようなものをここに建てたのか全くもって謎です。そう言えば「2001年宇宙の旅」出てくるモノリスに似ています、ムムム、狐狸妖怪説から宇宙人説に鞍替えか〜?
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三重塔ですよ〜,国の重要文化財に指定されてます。
総高18.47m。寺伝によれば弘長2年(1262年)鎌倉幕府の執権・北条時頼が寄進して建立したといわれていた。しかし、昭和42年(1967年)に行った解体修理の際、永和2年(1376年)の墨書銘が発見され、実際にはもう少し時代が下った南北朝時代の建築であることが確認された。岡山県下では2番目に古い三重塔である。
とな。
何時もの如く,悪口雑言の数々さぞや県民の皆様,怒髪天を衝き状態ではないかと内心ヒヤヒヤしております,闇夜は背後に気をつけて,って少しは言動に気をつければよいのでしょうが,生来の天の邪鬼,なかなか困ったちゃんです。
ではでは,次回は久々の東南アジアの片隅彷徨い旅をお届けいたしたいと思います。
では,良い旅を。
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この旅行記へのコメント (8)
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- めーてる隊長さん 2007/10/28 11:37:09
- はじめまして
- 私の旅行記を覗いてくださって、ありがとうございます。
潜りと原チャがご趣味なんですね♪
楽しそうな旅行記を拝見させていただきました。
高梁川に沿った風景は何故かしらユッタリ癒されます。
来年、島根へ出陣の予定なんですよ♪
旅行記、溯ってゆっくり拝見させていただきますね。
では、また。
- pianoさん からの返信 2007/11/07 11:25:48
- 潜りと原チャ
- と映画と読書…、好きなものは多けれど1日24時間で出来ることは余りにも少なく困ってしまってワンワンワワンです。
ようよう暑い夏が過ぎたと思ったら、既に吐く息が白くなる有様、原チャ乗りにとって長く辛い冬が間近に迫ってます、オーマイ・ガット!!
では、良い旅を。
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- 浅山 (あさやん)さん 2007/10/03 09:58:25
- ほんまいろいろ
- ほんまいろいろの旅日記
国内外問わず
いけるのは
まさに天国。。爆
かくありたい
希望と夢をこめて
傑作 ポチ
- pianoさん からの返信 2007/10/14 19:53:56
- 旅あっての
- 我が人生、何てカッコいいものじゃないんすけれどね、我が家の財務大臣は外遊、内遊と遊びまわる外務大臣に相当お怒りの様子、このままだと罷免される恐れもあり、しばらくは原チャで近所周りの散策といたします。
何て言いつつ旅行の雑誌に目がいってしまうこの私、パブロフの犬みたいなもんです、旅と聞けばワンワン吠えちゃってますよ〜。
では良い旅を。
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- 野宿さん 2007/10/02 19:48:55
- 横着
- コメント コメント コメント
何処に在るんですか?
- pianoさん からの返信 2007/10/14 19:47:32
- はいはい
- 横着ですよ〜、ずぼら教の教祖兼横着教の教祖ですから、ハイ、って開き直ってもしゃ〜ないか、ご免…。
では、良い旅を。
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- だいちゃんさん 2007/09/27 15:58:40
- 未だ、暑いですからねぇ・・・
- 自然の風が「エアコン」の”原チャ”でゴー♪
お彼岸も過ぎたというのに、未だこう暑いと・・・できるだけ早く「復旧」して、続きを書いて下さいな!
- pianoさん からの返信 2007/10/14 19:45:40
- 返事が遅れて
- ご免なさ〜い、ずぼらの国からずぼらを広めにきたずぼら教の教祖みたいな奴なんで、平にご容赦を…。
何て、お返事が遅れているうちに、ようよう秋到来、原チャで風を切って走るのにはベストシーズンですよ、と言ってるうちにすぐに冬が来て穴倉に籠っちゃうんですけどね、寒いの嫌いだから…。
では、良い旅を。
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