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1974年2月。<br /><br />約3年間住み慣れた、パリでの生活に飽き足らずにパリを飛び出した。<br />オランダ、ベルギー、ドイツ、オーストリア、イタリア、ギリシャ、トルコ、イランを横断して、マシャッドからバスでアフガニスタンのヘラートに入った。<br /><br />パリを出てからもう1ヶ月は経っていた。<br /><br />当時のアフガニスタンはまだ王制で、最近のような騒ぎのない平和な国だった。<br /><br />ヘラートにバスから降り立った時、一瞬、「江戸時代の宿場町に来たのか?」っと錯覚するほどであった。<br />降り立った辺りは夕方で、薄暗く完全な静寂が支配していた。<br />踏みしめている道は土の道で、あたりを見まわせば両側には松の木並木が並んでいた。<br />そこを馬車が「シャン・シャン・シャン♪」と鈴を鳴らしながら通りすぎていくのだった。<br />乗ってきたバスが去ってしまえば、文明の利器はどこにも見いだせない世界だった。<br />もちろん街灯などは無い。<br />月明かりのみだ!<br />青白い月光に映える松の木々と土の道。<br /><br />たどり着いた旅籠で、編んだ縄と木のベッドに寝ていても聞こえるのは、近づいては遠ざかる馬車の音色「シャン、シャン、シャン♪」のみ。<br /><br />ヘラートは、また古代シルクロードの香りが強いところだった。<br />村はずれにあった崩れたお寺の青いタイル(トルコイシ・ブルー)を見たときは、「これは1000年くらい前のものがそのまま放置されているのではないか?」とさえ思ったものだ。<br />その傍らに三蔵法師が立っていてもおかしくは無いシーンであった。<br />ヘラートはアレキサンダー大王やジンギスカンやチムールなどの歴史上の英雄が行き来したシルクロードの最古級の町である。<br />そんな古都も70年代はヒッピーロードの要衝だったのである。<br /><br />それからバスで、タリバーンで有名なカンダハルを経由してカブールに入り、カブールでは1ヶ月近く住み着いた。<br /><br />当時のカブールはヒッピーたちの天国だった。<br />1ドルだせば馬を1日借りられ、カブールの丘を馬で1日中駆け巡られた。<br />1ドルだせば、当時の1流ホテルのレストランで、ビフテキをおなか一杯食べられた。<br />安い宿に泊まっていれば、1日1ドルで生活が楽しめたので、多くの欧米人と日本人の若者が一杯、カブールに「沈没」していた。<br /><br />「ヒッピー華やかりし時代」で、どのバックパッカー宿もサイケデリックな模様を書きなぐった食堂で、ロックとドラッグと酒に浸って騒いでいた。<br />特にアメリカの若者たちが多かった。<br />「マリワナ、グラース、ハッシシ、ダイナマイト」などの言葉が日常的に飛び交っていて、様々な国々の若者たちが車座になって色んな情報交換をしている最中に回ってくるのでした。<br /><br />大抵の日本人の若者は、ここらでマリワナとはお別れになるのだが、逆に中毒になってしまう輩がいたものだ。<br />欧米人たちは煙無法地帯だったアフガニスタンでも飽き足らないのか?しつこくパキスタンやインドでも煙に浸っていた。<br /><br />アフガニスタンのように、自由に手に入るところでは、日本人はどうしても体力的に小さいので、身体が受け付けなくなる。<br />それでもやるヒトはやるので、日本まで持ち込んだりするバカが時々出てくるのだ。<br />(当時からヨーロッパの一部の国では大麻は合法となっていた半面トルコやイランのイスラム圏では重罪だった)<br /><br />1974年のアフガンは全くのヒッピー天国&情報交換&観光地であった。<br />古き良き時代だ。<br /><br />このときにバーミヤンのあの大きな磨崖仏を見ておかなかったのは一生の不覚でした。<br />(なお、この時代のアリヤンは写真嫌いな時代で、写真が殆ど残っておらず、最近たった1枚だけでてきたので掲載します。メガネの人は自称、仏教僧侶で旅行中の人だった。)<br />

ユーラシア横断2: 「ヒッピーたちの天国だった」 アフガニスタン

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1974/02 - 1974/02

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アリヤン

アリヤンさん

1974年2月。

約3年間住み慣れた、パリでの生活に飽き足らずにパリを飛び出した。
オランダ、ベルギー、ドイツ、オーストリア、イタリア、ギリシャ、トルコ、イランを横断して、マシャッドからバスでアフガニスタンのヘラートに入った。

パリを出てからもう1ヶ月は経っていた。

当時のアフガニスタンはまだ王制で、最近のような騒ぎのない平和な国だった。

ヘラートにバスから降り立った時、一瞬、「江戸時代の宿場町に来たのか?」っと錯覚するほどであった。
降り立った辺りは夕方で、薄暗く完全な静寂が支配していた。
踏みしめている道は土の道で、あたりを見まわせば両側には松の木並木が並んでいた。
そこを馬車が「シャン・シャン・シャン♪」と鈴を鳴らしながら通りすぎていくのだった。
乗ってきたバスが去ってしまえば、文明の利器はどこにも見いだせない世界だった。
もちろん街灯などは無い。
月明かりのみだ!
青白い月光に映える松の木々と土の道。

たどり着いた旅籠で、編んだ縄と木のベッドに寝ていても聞こえるのは、近づいては遠ざかる馬車の音色「シャン、シャン、シャン♪」のみ。

ヘラートは、また古代シルクロードの香りが強いところだった。
村はずれにあった崩れたお寺の青いタイル(トルコイシ・ブルー)を見たときは、「これは1000年くらい前のものがそのまま放置されているのではないか?」とさえ思ったものだ。
その傍らに三蔵法師が立っていてもおかしくは無いシーンであった。
ヘラートはアレキサンダー大王やジンギスカンやチムールなどの歴史上の英雄が行き来したシルクロードの最古級の町である。
そんな古都も70年代はヒッピーロードの要衝だったのである。

それからバスで、タリバーンで有名なカンダハルを経由してカブールに入り、カブールでは1ヶ月近く住み着いた。

当時のカブールはヒッピーたちの天国だった。
1ドルだせば馬を1日借りられ、カブールの丘を馬で1日中駆け巡られた。
1ドルだせば、当時の1流ホテルのレストランで、ビフテキをおなか一杯食べられた。
安い宿に泊まっていれば、1日1ドルで生活が楽しめたので、多くの欧米人と日本人の若者が一杯、カブールに「沈没」していた。

「ヒッピー華やかりし時代」で、どのバックパッカー宿もサイケデリックな模様を書きなぐった食堂で、ロックとドラッグと酒に浸って騒いでいた。
特にアメリカの若者たちが多かった。
「マリワナ、グラース、ハッシシ、ダイナマイト」などの言葉が日常的に飛び交っていて、様々な国々の若者たちが車座になって色んな情報交換をしている最中に回ってくるのでした。

大抵の日本人の若者は、ここらでマリワナとはお別れになるのだが、逆に中毒になってしまう輩がいたものだ。
欧米人たちは煙無法地帯だったアフガニスタンでも飽き足らないのか?しつこくパキスタンやインドでも煙に浸っていた。

アフガニスタンのように、自由に手に入るところでは、日本人はどうしても体力的に小さいので、身体が受け付けなくなる。
それでもやるヒトはやるので、日本まで持ち込んだりするバカが時々出てくるのだ。
(当時からヨーロッパの一部の国では大麻は合法となっていた半面トルコやイランのイスラム圏では重罪だった)

1974年のアフガンは全くのヒッピー天国&情報交換&観光地であった。
古き良き時代だ。

このときにバーミヤンのあの大きな磨崖仏を見ておかなかったのは一生の不覚でした。
(なお、この時代のアリヤンは写真嫌いな時代で、写真が殆ど残っておらず、最近たった1枚だけでてきたので掲載します。メガネの人は自称、仏教僧侶で旅行中の人だった。)

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  • パリを出てからアフガニスタンにやってくるまで、若者特有の「明日に対する心配は全く無かった」。<br /><br />イタリアのブランディジからインドのデリーまで、世界中の若者であふれていた、と言っても過言ではなかったのだ。<br /><br />つまりおおざっぱに言えば、ヒッピー・パック旅行?みたいなもので、何らの前知識も無くても、デリーまでは行き着いてしまうのです。<br />若者同志、気の合う連中さえ見つければ、しかもその連中がこのヒッピーロードのリピーターであれば、なおさら便利なのだ。<br /><br />リピーターでなくとも、ロンリープラネット片手のパッカーと仲良くなれば良いのだ。<br />連中は安い交通機関、安い旅館、安い食べ物屋、訪問地の見所、若者の集まるところなど、、、良く知っており、そうした連中の後についていけば、衣食住ともに安くユーラシア大陸横断旅行ができる、っという具合なのだった。<br /><br />勿論、旅の道づれを選ぶのは、心の良いヤツか否を見抜く当事者の心眼力によります。<br /><br />ここカブールでは骨董品屋にイギリスの古式銃が売られていた。<br />旅の道連れとなったヒロユキ君が「本物の古式銃(火打ち式短銃)が入手できれば、日本で何十万円にでも売れる!」と言った。<br />もう一人のヒロフミ君も一緒になって毎日のように骨董品屋通いをして、古式銃の目利きと値段の相場観をみがいた。<br />そして何とか3丁仕入れて、カブール博物館のお墨付きをもらって、武器ではなくて美術品として日本に持ち帰った。<br />確かに「バーミンガム1860年の火打ち式短銃」で、後日、東京では1丁10万円で売れたのだった。<br /><br />そんなバカなことに熱中したアフガニスタンであった。

    イチオシ

    パリを出てからアフガニスタンにやってくるまで、若者特有の「明日に対する心配は全く無かった」。

    イタリアのブランディジからインドのデリーまで、世界中の若者であふれていた、と言っても過言ではなかったのだ。

    つまりおおざっぱに言えば、ヒッピー・パック旅行?みたいなもので、何らの前知識も無くても、デリーまでは行き着いてしまうのです。
    若者同志、気の合う連中さえ見つければ、しかもその連中がこのヒッピーロードのリピーターであれば、なおさら便利なのだ。

    リピーターでなくとも、ロンリープラネット片手のパッカーと仲良くなれば良いのだ。
    連中は安い交通機関、安い旅館、安い食べ物屋、訪問地の見所、若者の集まるところなど、、、良く知っており、そうした連中の後についていけば、衣食住ともに安くユーラシア大陸横断旅行ができる、っという具合なのだった。

    勿論、旅の道づれを選ぶのは、心の良いヤツか否を見抜く当事者の心眼力によります。

    ここカブールでは骨董品屋にイギリスの古式銃が売られていた。
    旅の道連れとなったヒロユキ君が「本物の古式銃(火打ち式短銃)が入手できれば、日本で何十万円にでも売れる!」と言った。
    もう一人のヒロフミ君も一緒になって毎日のように骨董品屋通いをして、古式銃の目利きと値段の相場観をみがいた。
    そして何とか3丁仕入れて、カブール博物館のお墨付きをもらって、武器ではなくて美術品として日本に持ち帰った。
    確かに「バーミンガム1860年の火打ち式短銃」で、後日、東京では1丁10万円で売れたのだった。

    そんなバカなことに熱中したアフガニスタンであった。

  • 当時のユーラシア大陸横断ルート。<br />別名、ヒッピー・ロード。<br /><br />このルートで出会った旅行人種で多かった順ランキング。<br /><br />1.アメリカ人<br />2.日本人<br />3.西欧人(イギリス人が多かった)<br /><br />最近はアメリカ人のB・Pの姿がめっきり減ったようです。<br />ドル安と、現地人たちの対アメリカ嫌悪感がアメリカの若者たちの旅立ちを邪魔しているのだろうか?<br />つまり、旅先では、アメリカ人は危険と隣り合わせなのか?<br />アメリカ人のアジアでの旅行者激減の理由は何なのだろうか?<br />日本人の若者も減少傾向だ。<br />(学生よりも最近はニートたちの数が増えたようだが)<br /><br />当方はお仕事退役後はバックパッカーに戻り夫婦でユーラシア大陸横断・往復などを楽しんでいる。さらに現在はサイクリングに目覚め、ユーラシア横断サイクリングを夢見ている。

    当時のユーラシア大陸横断ルート。
    別名、ヒッピー・ロード。

    このルートで出会った旅行人種で多かった順ランキング。

    1.アメリカ人
    2.日本人
    3.西欧人(イギリス人が多かった)

    最近はアメリカ人のB・Pの姿がめっきり減ったようです。
    ドル安と、現地人たちの対アメリカ嫌悪感がアメリカの若者たちの旅立ちを邪魔しているのだろうか?
    つまり、旅先では、アメリカ人は危険と隣り合わせなのか?
    アメリカ人のアジアでの旅行者激減の理由は何なのだろうか?
    日本人の若者も減少傾向だ。
    (学生よりも最近はニートたちの数が増えたようだが)

    当方はお仕事退役後はバックパッカーに戻り夫婦でユーラシア大陸横断・往復などを楽しんでいる。さらに現在はサイクリングに目覚め、ユーラシア横断サイクリングを夢見ている。

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