1974/02 - 1974/02
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アリヤンさん
1974年2月。
ワタクシはイスタンブール発、テヘラン行きの国際列車に乗っていた。
「トランス・アジア・エクスプレス」である。
当時の列車は、蒸気機関車であった。
黒い煙を吐きながらの、都合7泊8日の旅だった。
季節は冬、行く先は雪がちであった。
ある車両には、雪かきのための兵士が一杯乗っており、雪が深くなる箇所では、兵隊たちがスコップ片手に降りてゆき、雪かきをしながら汽車はゆっくりと進んだのだった。
それゆえに、長い汽車の旅となった。
トルコ全土の地図を見て、イラン寄りの内陸部に大きな湖がある。
名前はヴァン湖(現地ではワンと発音されていた)。
地図上では、鉄道線は湖の西側で途切れ、湖上に点線が引かれており、東側の町からまた鉄道線が現れる。
つまり、列車ごと船に乗り、湖を渡るのだった。
当方はワゴンの中で寝ていて、いつ湖に入ったのか知らなかった。
「ゴオーン・ゴオーン・ゴオーン」という、ディーゼルエンジンの音で目が覚めた。
ワゴンの外は真っ暗だった。
列車は止まっており、暗闇の中で身を起こしたワタクシには自分がどこに居るのか?にわかには理解が出来なかった。
あわててワゴンの外に出てみた。
初め、「どうも何か乗り物の中に汽車は入っている」と分かった。
列車を降りてしばらくしてから、そこがどうも船の中であることが分かった。
明るさに惹かれて。デッキに出てみた。
外は雪を頂く山々に囲まれた、なんと、大きな湖の上だったのだ!
これにはさすが驚いた。
この湖上の写真が、ユーラシア大陸横断中、トルコでの唯一の証しとなっている。
トルコでは、今でもこのようなルートで走っているのだろうか?
もう一度乗ってみたいものだ。
*最近の研究では、今も同じルートで3泊4日の旅となっているようだ。
蒸気機関車ではなくディーゼル機関車になっている。
イスタンブール⇒テヘラン、「トランス・アジア・エクスプレス」の時刻・運賃表は;
http://www.tcdd.gov.tr/tcdding/ortadogu_ing.html
*さらに最近の実体験では(2012年9月ころ)この「トランス・アジア・エクスプレス」はアンカラ⇒テヘランとなっている。
⇒http://4travel.jp/travelogue/10742198
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- 鉄道
-
イスタンブールのブルーモスク。
イスタンブールには、アテネから船でエーゲ海を渡って、マルマラ海を通って、やってきた。
最安船底エコノミークラスには、世界中のバックパッカーが一杯乗っていたので、友達を作るのには困らなかった。
イスタンブールに着いても、物知りパッカーに付いて行けば、なんとかなった。
「写真なんぞは要らない、なんでも目に焼き付けるのだ」、とイキがっていたので、当時の写真が極端に少ない。
よって、当時の絵葉書に出てきてもらいます。 -
その後、イスタンブールには数回訪問している。
お仕事で行ったのだが、初めての74年の時ほどのインパクトは味わえなかった。
仕事では、イスタンブールの東、20kmほどの小さな町にあった、イタリアの中型トラックメーカー、「イヴェコ」のイタリア・トルコ合弁会社の製造ラインを訪れて、ある部品納入の契約を結んだこともあった。
その後お仕事退役後、夫婦で訪れたが、もう観光をして回るほどの興味はなかった。
現代の「トランス・アジア・エクスプレス」にもう一度乗ってみたい!
という興味本位でイスタンブールを再訪した。
しかしその国際列車は今やイスタンブールからは出ていなくて、アンカラから出ていた。 -
これは「なんとか宮殿」。
トプカピ宮殿に行ったことは、比較的よく覚えている。
当時、世界一大きなダイヤモンドの付いた「王の杖」があったように記憶している。
トプカピ宮殿に忍び込んで、そのダイヤモンドを盗む怪盗の映画を日本で見たことがある。(後日それはダイヤモンドではなくてエメラルドであったことが判明)
それで、トプカピには一度行ってみたかった。 -
これはシュレイマニア・モスク。
覚えている事、その2.
ブルー・モスクからガラタ橋を渡った。
釣りをしている人が多かった。
橋を渡りきると、何やら怪しげな一角があった。
港町の色街だった。
ベリーダンスのような衣装を着た、踊り子風の女たちが、鉄格子の向こうから妖艶な笑みを浮かべながら、手招きをしており、男達が鉄格子に手を添えて、じっと物欲しげに女たちを見詰めていた。
異様な雰囲気が漂っていた。
気持ちが悪くなって、その場を離れたのを、よく覚えている。 -
HOTEL GUNGOR。
当時、このゲスト・ハウスに泊まっていた。
30年くらい前、仕事でサウジアラビアのジェッダ行きの途中、アテネの空港トランジットで夜明かしをしていた。
その時、日本人のバック・パッカー・カップルに出あった。
イスタンブールから来た、と云うので、どうやってアテネまでやって来たか、で話しが盛り上がった。
ワタクシの45年前と変わらぬルート(船でイスタンブール⇒アテネ)であったのだ。
イスタンブールで泊まったホテルはどこかを、試しに聞いてみた。
「グンゴール!」に泊まった、と言う。
驚いたことに、このホテル・グンゴールは今だにバック・パッカー向けの宿として存在していたのだった。
74年のイスタンブール訪問時にワタクシもこのグンゴールに泊まっていたのだった。
*後日知ったことだが、沢木耕太郎氏の「深夜特急」にこのホテルがヒッピー人気の宿として出ていた。 -
今度、イスタンブールを訪れる機会があったら、このホテル・グンゴールに寄ってみようと思う。
(もう泊まりはしないと思う) -
イスタンブールの何処で、どのようにしてテヘラン行きの寝台列車に乗ったのか?
さっぱり覚えていない。
兎に角、アメリカかヨーロッパのパッカーとお友達になれば、物知りが、ノウハウを教えてくれるし、連れて行ってくれるのだった。
よってガイド・ブックが無くても、何ら不自由が無かった。
当時テヘランまでの国際バスは、3泊4日でテヘランに着いたようだ。
汽車よりも速かった。
それでバスを選んだバックパッカーも多かった。
蒸気機関車は遅い。
7泊8日かかった。
ましてや、途中「列車丸ごとフェリー乗り込み」のオマケまで付いているなんて、全く知らなかった。
無知ほど「怖いもの知らず」であった。 -
イスタンブール⇒イラン・テヘラン
7泊8日の寝台列車コンパートメント内にて。
パンをかじっているのは、このとき同室になった、カワカカミ君で、現在はメキシコ在住だ。
奥が当時のワタクシです。
写した時期は、トルコ側だったか?イラン側だったか? 記憶は確かではない。
このコンパートメントでヒヤリとなった事件があった。
イラン側の入国管理で係官が乗り込んできた。
同室のイポー出身のマレーシア人が係官が乗り込んでくる直前までハッシシ(大麻)を吸っていたのだ。
このマレーシア人は中国系で本人の話からすると相当の不良外人だった。
西ドイツのハンブルグでタムロしていて、不法滞在+大麻売買+ドラッグ売買を繰り返し、ドラッグをエサにしてヨーロッパの若い女性を食い物にしていたのだった。(こうしたことは当人が自慢げに話をしていた)
そしてついに西ドイツ当局から国外追放となり、自国であるマレーシアに向けて帰国中だったのだ。
ハッシシ(大麻)はイタリアのブランディジあたりから周辺のヒッピーたちが吸っていて、結構身近にあった。
ワタクシや普通の日本人の若者には「危険なドラッグ」だという認識があったので、手は出さなかった。
でもその匂いや吸い方などは見て知っていた。
イランではこうした薬物に手を出して見つかれば、「即死刑!」だと知っていたので、そのマレー人がコンパートメントの中で吸うのを「困ったものだ!」と見ていた。
そこに入国管理官たちがやって来たのだ!
中国系マレー人はさすが場なれしていて落ち着いていた。
係官が近づいて来ると分かった時点で窓を全開にして煙と匂いを追いやった。
ワレワレもその作業には協力した。
果たして、イランの入国管理官は我らがコンパートメントに入って来た!
管理官は日本人には優しく荷物検査も軽く終わった。
そのマレー人にはとても厳しく、リュックをひっくり返して荷物検査をした。
彼はそれまで吸っていた大麻をどこに隠したかって?
彼は係官が入って来た瞬間に大麻の塊を手に握って立ち上がりじっとしていたのだった。
さすがの係官たちも手の中に大麻があるなんて気が付かなかった様子で、彼らはそれ以上の調査はあきらめたのだった。
こうした調査の間じゅう、ワタクシとカワカミ君は息をのんで固まっていたのだった。 -
ユーラシア横断旅行に出る前に、パリで購入した地図だけは今も大事にとってある。
トルコの部分を切り取ると、今回の湖がどこにあるか良く分かる。
(地図中、黒い点線は鉄道路、ワン湖はイラン国境寄りにある。線路の行く先に湖があるので、避けるのはメンドウだとばかりにフェリーにそのまま乗せて白い点線のように湖を横切るのだ)
ワレワレ日本人の感覚からすれば、
「汽車が湖上を走る」
なんて、奇想天外な現象である。
*このトランス・アジア・エクスプレス(Trans-Asia Express)は今も走っており、現在もワン湖の上をフェリーに乗り込んでいるらしい。(荷物車両のみだけど)
(2012年1月17日現在)
ワン湖周辺拡大図⇒http://www.geocities.jp/skfdc390/LakeVan.jpg -
1974年当時、異様な雰囲気だったイスタンブールのガラタ橋近くの色町近くに、飲食で有名な場所(名前は失念しました)があった。
後年、仕事時代のトルコ訪問時、取引先の人に連れられて、そこへ行った。
確かに海鮮料理がうまく、白濁する地酒はうまかった。
(レバノンのアラック、ギリシャのウーゾのように水を加えると白濁するスピリッツのこと)
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この旅行記へのコメント (1)
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- ノスタルジアさん 2020/03/23 08:13:49
- 初めまして、ノスタルジアと申します。
- 旅行記読んで感動しております。というのも私も1975年1月にホテルグンゴーに宿泊しているからです。
青年は荒野をめざす Vol.42 アテネ~トルコ 飛んでイスタンブール
https://4travel.jp/travelogue/10998139
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