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<<2006お祭りシリーズ>><br />米原の湯谷神社祭礼に行われる子供歌舞伎(狂言)を見に行きました。<br />米原の曳山祭は、江戸時代の明和年間(1764〜72年)に、長浜の曳山祭を見習って始まったと言われています。<br />古来「山を見るなら長浜、芸を見るなら米原」などと言われているそうですが、見物はほとんどが地元の人で、じっくりと楽しむことが出来ます。<br /><br />今年は、寿山(南町)がお休みで、旭山(北町)、松翁山(中町)の2輌の曳山、狂言子供歌舞伎が披露されました。<br /><br />

米原曳山まつり

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2006/10/07 - 2006/10/08

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morino296

morino296さん

<<2006お祭りシリーズ>>
米原の湯谷神社祭礼に行われる子供歌舞伎(狂言)を見に行きました。
米原の曳山祭は、江戸時代の明和年間(1764〜72年)に、長浜の曳山祭を見習って始まったと言われています。
古来「山を見るなら長浜、芸を見るなら米原」などと言われているそうですが、見物はほとんどが地元の人で、じっくりと楽しむことが出来ます。

今年は、寿山(南町)がお休みで、旭山(北町)、松翁山(中町)の2輌の曳山、狂言子供歌舞伎が披露されました。

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  • 湯谷神社は、JR米原駅東口から徒歩5、6分の太尾山の麗にあります。現在の拝殿は天保4年(1833)の造営。<br /><br />社伝によると、出雲国の人が諸国巡業の途中、この地の人に地面を穿たせたところ、温泉が湧き出し、この温泉につかると諸病はたちまち直ったそうです。<br />また、荒地であったこの地を開き、稲の種をまいたところ、大豊作になったことに感謝して祠をつくり、大己貴命他2柱の神様をお祭したのが始まりだそうです。しかし、温泉は、ある人が馬を湯坪にいれて洗ったために涸れてしまい、そのお湯は有馬温泉へ移ってしまったといわれています。

    湯谷神社は、JR米原駅東口から徒歩5、6分の太尾山の麗にあります。現在の拝殿は天保4年(1833)の造営。

    社伝によると、出雲国の人が諸国巡業の途中、この地の人に地面を穿たせたところ、温泉が湧き出し、この温泉につかると諸病はたちまち直ったそうです。
    また、荒地であったこの地を開き、稲の種をまいたところ、大豊作になったことに感謝して祠をつくり、大己貴命他2柱の神様をお祭したのが始まりだそうです。しかし、温泉は、ある人が馬を湯坪にいれて洗ったために涸れてしまい、そのお湯は有馬温泉へ移ってしまったといわれています。

  • 宵宮(初日)の曳山巡行は、自町で曳山を巡行しながら狂言子供歌舞伎を披露します。<br /><br />松翁山(中町) 「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」<br /><あらすじ><br />源氏の武将熊谷次郎直実は、平敦盛と一騎打ちとなりその若者の首を切る。<br />舞台は、その数日後、一の谷の熊谷の陣屋に二人の女性が訪れる。<br />初陣の我が子の安否を心配する敦盛の母・藤の局と同じく初陣した熊谷の子・小次郎を気遣う相模である。<br />二人は共に16歳の若者であり、それが故に起こった悲劇と称して「嫩(どん)軍記」となる。

    宵宮(初日)の曳山巡行は、自町で曳山を巡行しながら狂言子供歌舞伎を披露します。

    松翁山(中町) 「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」
    <あらすじ>
    源氏の武将熊谷次郎直実は、平敦盛と一騎打ちとなりその若者の首を切る。
    舞台は、その数日後、一の谷の熊谷の陣屋に二人の女性が訪れる。
    初陣の我が子の安否を心配する敦盛の母・藤の局と同じく初陣した熊谷の子・小次郎を気遣う相模である。
    二人は共に16歳の若者であり、それが故に起こった悲劇と称して「嫩(どん)軍記」となる。

  • 熊谷に我が子を討たれたと知り、仇討ちと斬りつける<br />藤の局に戦いの様子を物語る熊谷。<br />やがて、義経が現れ首実検となるが、実は敦盛の身代わりとなった小次郎の首である。<br />驚きと悲しみの中で、我が子の首を敦盛として藤の局に見せる相模のさわりも涙をさそう。<br />やがて、石屋の父親に身を替えた平宗清が、義経に正体を見破られる。<br />義経が三歳の折に「伏見の里」にて常盤御前と兄達親子4人が助けられた。その面影は目先に残り、見覚えのある額のほくろと指摘され、驚く宗清。<br />それ故に、義経がその時の恩返しに敦盛を助け、宗清に預けるように計らい「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札にこめられた義経の心を汲み取り、我が子の命を犠牲とする熊谷は戦乱の世の無常を感じ、出家して行脚の旅に出る。<br />「十六年は一昔 夢だ 夢だ」は語りつがれる名句である。

    熊谷に我が子を討たれたと知り、仇討ちと斬りつける
    藤の局に戦いの様子を物語る熊谷。
    やがて、義経が現れ首実検となるが、実は敦盛の身代わりとなった小次郎の首である。
    驚きと悲しみの中で、我が子の首を敦盛として藤の局に見せる相模のさわりも涙をさそう。
    やがて、石屋の父親に身を替えた平宗清が、義経に正体を見破られる。
    義経が三歳の折に「伏見の里」にて常盤御前と兄達親子4人が助けられた。その面影は目先に残り、見覚えのある額のほくろと指摘され、驚く宗清。
    それ故に、義経がその時の恩返しに敦盛を助け、宗清に預けるように計らい「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札にこめられた義経の心を汲み取り、我が子の命を犠牲とする熊谷は戦乱の世の無常を感じ、出家して行脚の旅に出る。
    「十六年は一昔 夢だ 夢だ」は語りつがれる名句である。

  • 大役を終えて、役者が勢揃いして挨拶します。

    大役を終えて、役者が勢揃いして挨拶します。

  • 役者は世話方に担がれて引き上げます。

    役者は世話方に担がれて引き上げます。

  • 宵宮(初日)には、JRの鉄道線路を跨ぐ橋を渡り、駅の西側まで曳山を巡行させます。<br />

    宵宮(初日)には、JRの鉄道線路を跨ぐ橋を渡り、駅の西側まで曳山を巡行させます。

  • 子供たちも加わり、ロープを曳きます。<br />地元のTV局も取材に来ています。

    子供たちも加わり、ロープを曳きます。
    地元のTV局も取材に来ています。

  • 三番叟

    三番叟

  • 旭山(北町)<br />絵本太功記 十段目 尼ケ崎閑居の場<br />(江戸幕府の干渉により、登場人物の名前を変えてあります。明智→武智、織田信長→小田春長、羽柴秀吉→真柴久吉、加藤清正→加藤正清)<br /><br /><あらすじ><br />武智光秀の母皐月は、嫁の操とともに、主君小田春長を討ったことで謀反人となった子を持ち夫を持つ身となったことを歎き、尼崎の閑居に逼塞している。<br />光秀の子息の十次郎は、許婚の初菊と祝言の杯をかわし、討ち死に覚悟で出陣する。<br />

    旭山(北町)
    絵本太功記 十段目 尼ケ崎閑居の場
    (江戸幕府の干渉により、登場人物の名前を変えてあります。明智→武智、織田信長→小田春長、羽柴秀吉→真柴久吉、加藤清正→加藤正清)

    <あらすじ>
    武智光秀の母皐月は、嫁の操とともに、主君小田春長を討ったことで謀反人となった子を持ち夫を持つ身となったことを歎き、尼崎の閑居に逼塞している。
    光秀の子息の十次郎は、許婚の初菊と祝言の杯をかわし、討ち死に覚悟で出陣する。

  • 一方、閑居に一夜の宿を求めた旅の僧が真柴久吉であることを知り、後をつけて来た光秀が襖越しに竹槍で突いたところ、誤って母の皐月を突いてしまう。<br />皐月は、主君春長を殺した天罰だ光秀を諫めるが、秀光は聞き入れようとしない。<br />やがて、配下の作兵衛が見方の戦況を伝え、その後、手傷を負った十次郎が敗軍を伝えに帰還し死んでいく。<br />そこへ久吉と加藤正清が現れ、秀光と戦場「天王山」での再会を約して分かれるのであった。<br />

    一方、閑居に一夜の宿を求めた旅の僧が真柴久吉であることを知り、後をつけて来た光秀が襖越しに竹槍で突いたところ、誤って母の皐月を突いてしまう。
    皐月は、主君春長を殺した天罰だ光秀を諫めるが、秀光は聞き入れようとしない。
    やがて、配下の作兵衛が見方の戦況を伝え、その後、手傷を負った十次郎が敗軍を伝えに帰還し死んでいく。
    そこへ久吉と加藤正清が現れ、秀光と戦場「天王山」での再会を約して分かれるのであった。

  • 役者が勢揃いして挨拶します。<br />どの子も、無事終えて、ほっとしています。

    役者が勢揃いして挨拶します。
    どの子も、無事終えて、ほっとしています。

  • 披露を終えた役者は世話方に担がれて引き上げます。

    披露を終えた役者は世話方に担がれて引き上げます。

  • 駅の西側で狂言を披露した後、再び西側へ戻り、夜8時半頃から、湯谷神社まで曳き上げます。<br />これを「登り山」と言い、本楽(2日目)に神前で狂言を奉納するために、急坂をシャギリに合わせ威勢良く登ります。<br />若衆、世話方が一体となるこの光景は、米原曳山祭ならではの勇壮なものです。

    駅の西側で狂言を披露した後、再び西側へ戻り、夜8時半頃から、湯谷神社まで曳き上げます。
    これを「登り山」と言い、本楽(2日目)に神前で狂言を奉納するために、急坂をシャギリに合わせ威勢良く登ります。
    若衆、世話方が一体となるこの光景は、米原曳山祭ならではの勇壮なものです。

  • 舞台の上では、舞台方が床を踏み鳴らし、曳き手の呼吸を合わせます。<br />神社に登った曳山は、翌日まで一晩置かれます。

    舞台の上では、舞台方が床を踏み鳴らし、曳き手の呼吸を合わせます。
    神社に登った曳山は、翌日まで一晩置かれます。

  • 今回は彦根で宿を取りましたが、翌朝 虹が掛かっていました。(小高い丘の上は彦根城です)<br /><br />8日は掛川へ移動するためあまり時間がなかったのですが、役者渡御を見に行きました。

    今回は彦根で宿を取りましたが、翌朝 虹が掛かっていました。(小高い丘の上は彦根城です)

    8日は掛川へ移動するためあまり時間がなかったのですが、役者渡御を見に行きました。

  • 9時から神社では神事が執り行われます。

    9時から神社では神事が執り行われます。

  • 旭山(左)<br />(間口2.8m、奥行5.4m、高さ6.3m)<br />舞台は切妻造で両側に千鳥破風をつけ、棟端の鬼板枠内に「旭」の金文字。<br />宝暦十年(1760)に長浜神戸町の曳山として作られたものが後に米原に移されたもの。<br /><br />松翁山(右)<br />(間口2.8m、奥行5.0m、高さ5.9m)<br />舞台は向唐破風造で両側に千鳥破風をつけ、正面唐破風上には金箔押の獅子頭が付く。<br />建造年代は不明だが、伝承では江戸末期に長浜の翁山を模して製作したといわれる。

    旭山(左)
    (間口2.8m、奥行5.4m、高さ6.3m)
    舞台は切妻造で両側に千鳥破風をつけ、棟端の鬼板枠内に「旭」の金文字。
    宝暦十年(1760)に長浜神戸町の曳山として作られたものが後に米原に移されたもの。

    松翁山(右)
    (間口2.8m、奥行5.0m、高さ5.9m)
    舞台は向唐破風造で両側に千鳥破風をつけ、正面唐破風上には金箔押の獅子頭が付く。
    建造年代は不明だが、伝承では江戸末期に長浜の翁山を模して製作したといわれる。

  • 役者渡御<br />本楽(2日目)の9時頃から、役者宿より衣装、カツラを身に着けた子供役者が湯谷神社に向かって町内を渡御します。<br />渡御には、世話方、総代、若連中など町内ほとんどの男性が羽織袴の正装で参加します。<br />渡御の行列を横切ることは堅く禁じられています。<br /><br />この後は、午後に神前奉納狂言を披露し、各町内を巡行し、狂言子供歌舞伎が披露されます。

    役者渡御
    本楽(2日目)の9時頃から、役者宿より衣装、カツラを身に着けた子供役者が湯谷神社に向かって町内を渡御します。
    渡御には、世話方、総代、若連中など町内ほとんどの男性が羽織袴の正装で参加します。
    渡御の行列を横切ることは堅く禁じられています。

    この後は、午後に神前奉納狂言を披露し、各町内を巡行し、狂言子供歌舞伎が披露されます。

  • 渡御の途中、床机に座り一休みします。

    渡御の途中、床机に座り一休みします。

  • 約1時間掛けて、神社まで行きます。<br /><br />昨年(2005)は、土砂降りの雨の中で、初めて子供歌舞伎を見せてもらいましたが、今年も、曳山祭保存会の方から、パンフレットを送っていただいたので、見に行きました。<br />幼稚園から小学生の男子によって、約1時間も演じられる歌舞伎には、よくこれだけの台詞や所作を覚えられるものだと、ただただ感心させられます。<br /><br />これだけ伝統あるお祭りを後世に伝えるのは相当なご苦労があると改めて感じました。<br />

    約1時間掛けて、神社まで行きます。

    昨年(2005)は、土砂降りの雨の中で、初めて子供歌舞伎を見せてもらいましたが、今年も、曳山祭保存会の方から、パンフレットを送っていただいたので、見に行きました。
    幼稚園から小学生の男子によって、約1時間も演じられる歌舞伎には、よくこれだけの台詞や所作を覚えられるものだと、ただただ感心させられます。

    これだけ伝統あるお祭りを後世に伝えるのは相当なご苦労があると改めて感じました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 前日光さん 2007/09/05 23:08:41
    子供歌舞伎
    全国各地に、子供歌舞伎ってあるんですね。
    子どもたちもよく所作を覚え、またそれを教えるおとながいて・・・

    こういう社会の中で育つ子供って、きっとよいことと悪いことの
    区別がつくようになるんじゃないか・・・なんて思っちゃいますが。

    湯谷神社ですか。
    私の好きな大己貴神(大国主命)が祀られているのですね。
    いつか行ってみたい神社です(^o^)

    morino296

    morino296さん からの返信 2007/09/05 23:57:45
    RE: 子供歌舞伎
    前日光さん

    早速ご覧頂き、有難うございます。
    4travelを始める前の旅行記をUPしてみました。
    (HPでは6年前から作成していましたので、数は多いのですが)

    米原の子供歌舞伎は、本当に地元の方々の努力で、代々受け継がれていて、頭が下がります。
    こんなに素晴らしい伝統あるお祭りは、もっと多くの人に見ていただきたいものです。

    今年も、米原曳山保存会の方から、お祭りのパンフレットが送られてきました。有難いものです。

    機会がありましたら、お出掛けください。

    この後、昨年の鹿沼のお祭りもUPしましたので、またご覧になってください。

    morino296

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