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前編クロアチア写真紀行1、2の続編である。取上げる都市は?中世の城壁が残る港町サダール旧市街 ?世界遺産の聖ヤコブ大聖堂を誇るアドリア海沿岸部中央のシベニク である。<br />その他アドリア海の著名な観光地は、周囲を城壁で防備した小島のトロギール、世界遺産のディオクレティアヌス宮殿があり、アドリア海沿岸最大の都市スプリットであるが、これらは編を分けて第4編にまとめ後日アップロードする予定。<br /><br /> 今回もまず順次写真をアップロードし、あとでこれら写真の解説を加えていきますので時々覗いてください。

クロアチア写真紀行 3 アドリア海沿岸都市編

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2005/05 - 2005/05

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seidouさん

前編クロアチア写真紀行1、2の続編である。取上げる都市は?中世の城壁が残る港町サダール旧市街 ?世界遺産の聖ヤコブ大聖堂を誇るアドリア海沿岸部中央のシベニク である。
その他アドリア海の著名な観光地は、周囲を城壁で防備した小島のトロギール、世界遺産のディオクレティアヌス宮殿があり、アドリア海沿岸最大の都市スプリットであるが、これらは編を分けて第4編にまとめ後日アップロードする予定。

 今回もまず順次写真をアップロードし、あとでこれら写真の解説を加えていきますので時々覗いてください。

  • サダールの城壁と正門<br /><br />サダールの歴史は古く、東ローマ、ビザンチン、ハンガリー、イタリーと支配者が変遷し、そのたびに種々の文明がもたらされた、かってのダルマチアの首都。<br />サダールの旧市街が観光の中心で、ここは海側に突き出た小半島、といっても長さが約900m、幅が広いところで500mくらいの長方形をした街である。中世にこの半島周囲をぐるりと城壁で取り囲んでいたというが、今は部分的に残っているのみ。旧城壁内にはローマ時代からの遺跡もあり、この堂々たる正門はローマ神殿風のスタイルを残している。ヴェニツィア時代に敵対関係に入ったトルコとレバント海戦で勝利したヴェネツィアがその戦勝祝いに従来の門を増改築したもの。中央に守護神聖マルコの象徴である羽を持つ獅子像レリーフがあり、市の紋章も見られる。これだけの装飾を施した門は他の沿岸都市には見られない立派なものである。<br /> 門の左手奥に大学図書館、大学院が並び、前には旧港があり、ボートが多数係留されて、いまはアドリア海海洋レジャー基地である。

    サダールの城壁と正門

    サダールの歴史は古く、東ローマ、ビザンチン、ハンガリー、イタリーと支配者が変遷し、そのたびに種々の文明がもたらされた、かってのダルマチアの首都。
    サダールの旧市街が観光の中心で、ここは海側に突き出た小半島、といっても長さが約900m、幅が広いところで500mくらいの長方形をした街である。中世にこの半島周囲をぐるりと城壁で取り囲んでいたというが、今は部分的に残っているのみ。旧城壁内にはローマ時代からの遺跡もあり、この堂々たる正門はローマ神殿風のスタイルを残している。ヴェニツィア時代に敵対関係に入ったトルコとレバント海戦で勝利したヴェネツィアがその戦勝祝いに従来の門を増改築したもの。中央に守護神聖マルコの象徴である羽を持つ獅子像レリーフがあり、市の紋章も見られる。これだけの装飾を施した門は他の沿岸都市には見られない立派なものである。
     門の左手奥に大学図書館、大学院が並び、前には旧港があり、ボートが多数係留されて、いまはアドリア海海洋レジャー基地である。

  • 旧市街城壁と新船着場<br /><br />旧市街のは半島の海側周回道路を隔てて城壁でで囲まれているが、その周回道路の東側が駐車場になっていて、せまくて観光客車で満杯に近い状況。写真右が残された城壁で東側から南の正門までつながっている。北〜西側は取り払われ、広々とした埠頭になってフェリーボートや大型船の発着所になっている。

    旧市街城壁と新船着場

    旧市街のは半島の海側周回道路を隔てて城壁でで囲まれているが、その周回道路の東側が駐車場になっていて、せまくて観光客車で満杯に近い状況。写真右が残された城壁で東側から南の正門までつながっている。北〜西側は取り払われ、広々とした埠頭になってフェリーボートや大型船の発着所になっている。

  • サダール新市街との間の水路を渡る歩道橋<br /><br />旧市街は小半島ゆえ3方を海で囲まれているが東側はすぐ本土の新市街である。その間は水路か運河のような間隔なので、ここに多数の船が係留され、船便の基地になっている

    サダール新市街との間の水路を渡る歩道橋

    旧市街は小半島ゆえ3方を海で囲まれているが東側はすぐ本土の新市街である。その間は水路か運河のような間隔なので、ここに多数の船が係留され、船便の基地になっている

  • サダール港フェリー岸壁<br /><br />旧市街半島の北側突端に造成された新しいフェリーボート発着埠頭。

    サダール港フェリー岸壁

    旧市街半島の北側突端に造成された新しいフェリーボート発着埠頭。

  • 整備された港湾岸壁<br /><br />半島南西部に広大な船着場、埠頭岸壁が造成されていたが、当日は1隻も停泊船はなく。釣り人がのんびり糸を垂れていた。日本ならこんな良い場所なら大勢の釣り人が押しかけるところだが、贅沢な場所である。

    整備された港湾岸壁

    半島南西部に広大な船着場、埠頭岸壁が造成されていたが、当日は1隻も停泊船はなく。釣り人がのんびり糸を垂れていた。日本ならこんな良い場所なら大勢の釣り人が押しかけるところだが、贅沢な場所である。

  • 旧市街の繁華街シロカ通り<br /><br />メイン道路だけに両側のビルはコンクリート造が多いが、柱などは大理石張りで装飾され、路面も石灰岩で敷き詰められて、なかなか品がある通り。

    旧市街の繁華街シロカ通り

    メイン道路だけに両側のビルはコンクリート造が多いが、柱などは大理石張りで装飾され、路面も石灰岩で敷き詰められて、なかなか品がある通り。

  • 正門どおりを歩くサダール大学生<br /><br />サダールはクロアチアで最古の大学設立(1396年)下街で、伝統ある大学に国内から優秀な学生が集まる。今お昼時、賑やかに、笑顔の女子学生団が町を闊歩する。

    正門どおりを歩くサダール大学生

    サダールはクロアチアで最古の大学設立(1396年)下街で、伝統ある大学に国内から優秀な学生が集まる。今お昼時、賑やかに、笑顔の女子学生団が町を闊歩する。

  • 旧マリア教会現宗教博物館<br /><br />聖ドナド教会の対面にある。ファサードはルネッサンス様式の、のっぺりとした、半円、4分の1円形のパラペット立ち上げられ、内部は中世の聖具等が展示されている。また隣の施設は旧ローマ時代からの遺跡発掘品や中世の生活具などを展示する歴史博物館となっている。

    旧マリア教会現宗教博物館

    聖ドナド教会の対面にある。ファサードはルネッサンス様式の、のっぺりとした、半円、4分の1円形のパラペット立ち上げられ、内部は中世の聖具等が展示されている。また隣の施設は旧ローマ時代からの遺跡発掘品や中世の生活具などを展示する歴史博物館となっている。

  • ストシャ大聖堂と聖ドナト教会<br /><br /> 正門からまっすぐ道を進むと広場に出る。ここが中世旧市外の中心で聖ドナド教会とその後ろにあるストシャ大聖堂、対面シロカ通り側に旧マリア教会(現考古学博物館)がある。<br /> 聖ドナド教会はそのファサードが円形中央にクーポラをのせており、9世紀にドナド司教が建立したもの。その特異な外見が古さを感じさせ、サダール旧市街のシンボルの一つになっている。<br /> また内部は上階と地上階の二つの礼拝堂をもつ複合教会の方式で、貴族階級と一般庶民層との階級差別があったことが伺える。<br /> この教会の北側にはローマ時代のフォロロマーノ、市場跡が基石として残っていた。

    ストシャ大聖堂と聖ドナト教会

     正門からまっすぐ道を進むと広場に出る。ここが中世旧市外の中心で聖ドナド教会とその後ろにあるストシャ大聖堂、対面シロカ通り側に旧マリア教会(現考古学博物館)がある。
     聖ドナド教会はそのファサードが円形中央にクーポラをのせており、9世紀にドナド司教が建立したもの。その特異な外見が古さを感じさせ、サダール旧市街のシンボルの一つになっている。
     また内部は上階と地上階の二つの礼拝堂をもつ複合教会の方式で、貴族階級と一般庶民層との階級差別があったことが伺える。
     この教会の北側にはローマ時代のフォロロマーノ、市場跡が基石として残っていた。

  • 聖ミカエル教会

    聖ミカエル教会

  • サダール:ナロドニ広場の時計塔<br /><br />シロカ通りを南下してナロドニ広場に至る。ここに旧市庁舎など、中世の行政中心があった。今は市民憩いの場でありテントのカフェには観光客があふれていた。ロマネスク様式の旧参議会館の上にバロック風の新しい時計塔が立っていた。

    サダール:ナロドニ広場の時計塔

    シロカ通りを南下してナロドニ広場に至る。ここに旧市庁舎など、中世の行政中心があった。今は市民憩いの場でありテントのカフェには観光客があふれていた。ロマネスク様式の旧参議会館の上にバロック風の新しい時計塔が立っていた。

  • 聖ミカエル教会内部身廊、祭壇

    聖ミカエル教会内部身廊、祭壇

  • サダール城址公園

    サダール城址公園

  • 旧港船溜りと城壁(内部は大学構内)

    旧港船溜りと城壁(内部は大学構内)

  • 旧港そばのレストランFosa<br />

    旧港そばのレストランFosa

  • レストランFosaの蛸料理

    レストランFosaの蛸料理

  • シベニク遠望<br /><br />高速道路を飛ばしてシベニクに向かう途中、シベニクの湾のようなクルカ川河口を一望するポイントに下車。シベニクの海岸と大聖堂周辺を遠望。なかなかの景観である。

    シベニク遠望

    高速道路を飛ばしてシベニクに向かう途中、シベニクの湾のようなクルカ川河口を一望するポイントに下車。シベニクの海岸と大聖堂周辺を遠望。なかなかの景観である。

  • 聖アンナ要塞とシベニック海岸<br /><br />さらにシベニクに近づいた地点からシベニクの山上の聖アンナ要塞と生みに向かって立ち並ぶ家々と港の景観を俯瞰する。シベニクが実に地形に恵まれているのがわかる。

    聖アンナ要塞とシベニック海岸

    さらにシベニクに近づいた地点からシベニクの山上の聖アンナ要塞と生みに向かって立ち並ぶ家々と港の景観を俯瞰する。シベニクが実に地形に恵まれているのがわかる。

  • シベニク市街と教会<br /><br />シベニクには世界遺産のヤコブ大聖堂の他に旧市街には、聖クルシェヴァン教会、聖イヴァン教会、キリスト昇天教会、聖フランシスコ教会、聖霊教会など多くの教会が集中してあり、敬虔な宗教都市の印象が深い。

    シベニク市街と教会

    シベニクには世界遺産のヤコブ大聖堂の他に旧市街には、聖クルシェヴァン教会、聖イヴァン教会、キリスト昇天教会、聖フランシスコ教会、聖霊教会など多くの教会が集中してあり、敬虔な宗教都市の印象が深い。

  • シベニク港埠頭

    シベニク港埠頭

  • シベニク船着場と聖ヤコブ大聖堂<br /><br />シベニク港の船着場から、聖ヤコブ大聖堂の白い塔が光って見える。海から戻る船人たちの名印であり守神でもあったのだろう。

    シベニク船着場と聖ヤコブ大聖堂

    シベニク港の船着場から、聖ヤコブ大聖堂の白い塔が光って見える。海から戻る船人たちの名印であり守神でもあったのだろう。

  • 世界遺産聖ヤコブ大聖堂<br /><br />大聖堂は、港通りからのぼった、踊り場から見るのが全貌を捉えるポイント。外見はルネッサンス様式で、身廊屋根のトンネルボールトスタイル、後方の巨大なクーポラは、フィレンチェのドーモと同じような8角形型でその下に翼廊がつけられているのがやっと見える。

    世界遺産聖ヤコブ大聖堂

    大聖堂は、港通りからのぼった、踊り場から見るのが全貌を捉えるポイント。外見はルネッサンス様式で、身廊屋根のトンネルボールトスタイル、後方の巨大なクーポラは、フィレンチェのドーモと同じような8角形型でその下に翼廊がつけられているのがやっと見える。

  • 聖ヤコブ大聖堂正面ファサード<br /><br />2000年にユネスコの世界遺産に登録されたルネッサンス様式の大聖堂で、このファサード上部を見れば一目瞭然であるが、実は内部のゴシック様式とるルネッサンス様式との融合がその変遷を示しながらも見事に調和した名堂であり、世界遺産の特色としてあげられるのである。<br /> この聖堂の成り立ちをしらべて見たが、種々の資料要約すると、15世紀半ばにそれまであったゴシック様式の教会を、改装することになって、アドリア海対岸イタリアの港町アンコーナの教会(フランチェスコ・デル・スカーレ教会)建築で著名な建築家ジョルジョ・オルシーを呼び寄せて委嘱した。当時イタリアではゴシック建築からルネッサンス様式が台頭してきた時期であり、彼の設計は大聖堂を拡大するに身廊と後陣を広げ丸天井を載せ、外回りの装飾に、教会に貢献した市民の頭像などを配置する計画であった。建設途中で彼が死去し(1475年)代わってトスカーナの巨匠ニッコロ・デイ・ジョバンニ・フィオレンチーノ(フィレンチェのニッコロ)が造営指揮をとった。ニッコロは、サンタ・マリア・ディ・フィラーリ教会などのゴシック建設建築でも有名だが、ここではルネッサンス様式で建築を継続し、丸天井、聖ミカエル、聖ヤコブ、せいマルコ像など外部の彫刻、屋根とファサード上部を完成させたが、以前からのゴシック様式との見事な融合に成功した。その彼も1505年に死去したので、その後は彼の跡を継いだヴェネツィアのヴァロトールと地元のマイスター集団が完成にこぎつけ、献堂は1555年であったから、この改装は焼く110年かかったことになる。<br /> ファサードを見てみよう、ファサード上部中央がバラ窓の四角の壁面の上に半円形の破風があり、これが身廊の天井部の形状を表現し、両側の4分の1円形の破風が側廊天井の形を表現している。以上のように天井部をルネッサンス様式に改造しファサード下部の入り口部分は以前からのゴシック様式を保持している。

    聖ヤコブ大聖堂正面ファサード

    2000年にユネスコの世界遺産に登録されたルネッサンス様式の大聖堂で、このファサード上部を見れば一目瞭然であるが、実は内部のゴシック様式とるルネッサンス様式との融合がその変遷を示しながらも見事に調和した名堂であり、世界遺産の特色としてあげられるのである。
     この聖堂の成り立ちをしらべて見たが、種々の資料要約すると、15世紀半ばにそれまであったゴシック様式の教会を、改装することになって、アドリア海対岸イタリアの港町アンコーナの教会(フランチェスコ・デル・スカーレ教会)建築で著名な建築家ジョルジョ・オルシーを呼び寄せて委嘱した。当時イタリアではゴシック建築からルネッサンス様式が台頭してきた時期であり、彼の設計は大聖堂を拡大するに身廊と後陣を広げ丸天井を載せ、外回りの装飾に、教会に貢献した市民の頭像などを配置する計画であった。建設途中で彼が死去し(1475年)代わってトスカーナの巨匠ニッコロ・デイ・ジョバンニ・フィオレンチーノ(フィレンチェのニッコロ)が造営指揮をとった。ニッコロは、サンタ・マリア・ディ・フィラーリ教会などのゴシック建設建築でも有名だが、ここではルネッサンス様式で建築を継続し、丸天井、聖ミカエル、聖ヤコブ、せいマルコ像など外部の彫刻、屋根とファサード上部を完成させたが、以前からのゴシック様式との見事な融合に成功した。その彼も1505年に死去したので、その後は彼の跡を継いだヴェネツィアのヴァロトールと地元のマイスター集団が完成にこぎつけ、献堂は1555年であったから、この改装は焼く110年かかったことになる。
     ファサードを見てみよう、ファサード上部中央がバラ窓の四角の壁面の上に半円形の破風があり、これが身廊の天井部の形状を表現し、両側の4分の1円形の破風が側廊天井の形を表現している。以上のように天井部をルネッサンス様式に改造しファサード下部の入り口部分は以前からのゴシック様式を保持している。

  • 聖ヤコブ大聖堂正面入口<br /><br /> ファサードのうちでゴシック様式が継承された部分である。写真を拡大して見ると、入り口の枠のピクチャーレスキューな装飾は葉っぱや二重の装飾ベルトコラムそして12使徒の像を並べ、アーチ中央にはキリストのブスト(胸像)を置くといった伝統的な手法が見られる。

    聖ヤコブ大聖堂正面入口

     ファサードのうちでゴシック様式が継承された部分である。写真を拡大して見ると、入り口の枠のピクチャーレスキューな装飾は葉っぱや二重の装飾ベルトコラムそして12使徒の像を並べ、アーチ中央にはキリストのブスト(胸像)を置くといった伝統的な手法が見られる。

  • 聖ヤコブ大聖堂内部身廊<br /><br />内部に入って眺めると、高い天井は半円形のアーチが連続して続く所謂トンネルヴォールトですっきりしている。ルネッサンス様式の理念は「最も合理的な建築空間こそ美しい」ということに尽きる。したがって装飾過多なゴシック様式の尖頭アーチに代えて、古代建築と同じ簡素で軽快な円形アーチと直線で形作っている。建設費も安く、時間的にも短縮化できる点で歓迎された様式といえる。

    聖ヤコブ大聖堂内部身廊

    内部に入って眺めると、高い天井は半円形のアーチが連続して続く所謂トンネルヴォールトですっきりしている。ルネッサンス様式の理念は「最も合理的な建築空間こそ美しい」ということに尽きる。したがって装飾過多なゴシック様式の尖頭アーチに代えて、古代建築と同じ簡素で軽快な円形アーチと直線で形作っている。建設費も安く、時間的にも短縮化できる点で歓迎された様式といえる。

  • 聖ヤコブ大聖堂主祭壇

    聖ヤコブ大聖堂主祭壇

  • 聖ヤコブ大聖堂側廊アーケードとルネッサンス様式天井<br /><br />側廊の柱とアーチが作るアーケードとトリフォリュムはゴシック様式で、その上に積み上げた高窓壁はとンネルヴォールトを載せるための窓は小さくしてがっしりしたルネッサンス様式構造となっている。

    聖ヤコブ大聖堂側廊アーケードとルネッサンス様式天井

    側廊の柱とアーチが作るアーケードとトリフォリュムはゴシック様式で、その上に積み上げた高窓壁はとンネルヴォールトを載せるための窓は小さくしてがっしりしたルネッサンス様式構造となっている。

  • 聖ヤコブ大聖堂側廊歳暮マリア像の祭壇

    聖ヤコブ大聖堂側廊歳暮マリア像の祭壇

  • 聖ヤコブ大聖堂側廊のキリスト十字架像の祭壇<br /><br />北側廊の礼拝所の聖十字祭壇に祭られたキリスト十字架木彫像は、15世紀ダルマチアのゴシック彫刻巨匠ジョウルジョ・ペトロヴィック作。祭壇飾りはバロック様式。

    聖ヤコブ大聖堂側廊のキリスト十字架像の祭壇

    北側廊の礼拝所の聖十字祭壇に祭られたキリスト十字架木彫像は、15世紀ダルマチアのゴシック彫刻巨匠ジョウルジョ・ペトロヴィック作。祭壇飾りはバロック様式。

  • 聖ヤコブ大聖堂の地価礼拝室洗礼盤

    聖ヤコブ大聖堂の地価礼拝室洗礼盤

  • 大聖堂外壁面の人面レリーフ装飾<br /><br />最初の建築を引き受けた巨匠ジョルジョ・オルシーニは教会に貢献した市民の功績を教会とともに残すべく、外壁と洗礼堂を71個の小さな人面を含むさまざまな石像で飾った。しかめ面や笑い顔、瞑想面などそれぞれ表情に変化をつけてあり、日本で言えば五百羅漢像のようなものか。こういう装飾の例は見たことがなく、興味深いものであった。

    大聖堂外壁面の人面レリーフ装飾

    最初の建築を引き受けた巨匠ジョルジョ・オルシーニは教会に貢献した市民の功績を教会とともに残すべく、外壁と洗礼堂を71個の小さな人面を含むさまざまな石像で飾った。しかめ面や笑い顔、瞑想面などそれぞれ表情に変化をつけてあり、日本で言えば五百羅漢像のようなものか。こういう装飾の例は見たことがなく、興味深いものであった。

  • シベニク大理石張り歩道の小路<br /><br />市庁舎周辺の旧市街の街路は大理石(石灰岩)で敷き詰められ、長年の人通りで表面が磨かれた鏡のように光っており、日中の人通りの少ない静かな商店街に靴音だけが高く響く。

    シベニク大理石張り歩道の小路

    市庁舎周辺の旧市街の街路は大理石(石灰岩)で敷き詰められ、長年の人通りで表面が磨かれた鏡のように光っており、日中の人通りの少ない静かな商店街に靴音だけが高く響く。

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