2003/09/09 - 2003/09/25
324位(同エリア554件中)
rojinさん
- rojinさんTOP
- 旅行記44冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 164,000アクセス
- フォロワー7人
英語の全く通じない国がバルカン半島にあり、それがブルガリアだと人伝てに聞いて、興味が湧き、旅行計画を練っているうちに、
ブルガリアは交通機関が大変不便で、列車の本数も少ない上に、
バスでの移動が3時間から6時間もかかってしまうことが分かった。
そこで、ブルガリアは比較的まとまった地域に絞って1週間ぐらい
旅行して、その後、同じバルカン半島にあるクロアチアのザグレブとドブロヴニクを巡ることに決めました。
こんなスケジュールです。
1日目 ブルガリアの首都ソフィアにウイーンから飛ぶ。宿泊
2日目 ソフィアからカザンラクへバスで移動して3泊
3日目 シプカ僧院とバラ博物館へバスで行く。
4日目 歴史博物館とトラキア人の墓へ行く。
5日目 カザンラクからガヴロヴォ経由ヴェリコ・タルノヴォという 古都へバスで移動。2泊
6日目 古都ヴェリコ・タルノヴォを散策
7日目 列車でブルガリア大平原を移動し、ソフィアへと戻る。
8日目 ソフィアの街を散策。
9日目 ウイーン経由でクロアチアの首都ザグレブへ飛ぶ。
10日目 ザグレブで街中を散策。
11日目 リエカへバスと列車で移動。
12日目 リエカから夜出発の大型フェリーでドブロヴニクへ クリージング移動。
13日目 ドブロヴニクで滞在、観光。
14日目 ドブロヴニクで街中散策。
15日目 ドブロヴニクから再びザグレブへ飛ぶ。
16日目 ザグレブからウイーン経由で大阪へ向かう。
17日目 帰国。
ブルガリア語については三修社/会話集のテープを別売りで買い求め、毎日、聞いて準備しました。
ブルガリアとクロアチアで話されている言語は、同じ南スラヴ系だから似ているとはいえ、イントネーションやアクセントの位置が違うので、全く別の言語のような気がしました。
実際に喋った片言ブルガリア語の例です:
すみません! <イズミネーテ!>
どこで両替できるの? <カデ モガリダexchange ?>
有難う! <ブラゴダリャ!>
今晩は! <ドバルヴェーチェル!>
グランドホテルまで行きたい。<イスカム ダ オテイダ ド グランド ホテル。>
名前はコオノ <カーズヴァーム セ こ・お・の>
ユーロで払えるの? <モガリダ プラチャ ス エフロー?>
すみません! <イズミネーテ!>
カザンラク行きのバスはどれ? <ザ カザンラック
コイ アフトブス?>
書いてくれませんか? <モジェリダ ミ ナピシエ?>
切符一枚下さい。 <ダイテミ モーリャ エデイン ビレッ>
銀行はどこ? <カデエ ボーバンコ?>
ここが銀行ですか? <トウック ボーバンコ?>
写真撮っていい? <モガリダ スニマム?>
ーーはい。 < ダー>
有難う! < ブラゴダリャ!>
さようなら! <ドヴィジダネ!>
実際に喋った片言クロアチア語の例です:
お早う! <ドブロ ユートロ!>
コンチワ! <ドバラダン!>
こんばんわ! <ドブロ ヴェーチェ!>
有難う ! <フヴァーラ!>
要りません。 <ネ フヴァーラ>
お願いします。 <モーリン>
ちょっと すみません! <サマ モーロ!>
はい、そうです。 <ダー>
いいえ < ネ >
美味しかった! < ドブロ!>
さようなら! <ドヴィジェーニャ!>
これ幾ら? <コリコ コシェタ?>
以下省略
(持参カメラは70mm?210mm一眼レフ)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船
- 航空会社
- オーストリア航空
-
ウイーンで乗り継ぎ、ブルガリアの首都ソフィアに到着したのは深夜。 既に11時半を過ぎていました。空港内でT/Cを現地通貨に両替しようと思ったのですが、両替所が見当たりません。近くにいた警備の係員に尋ねてみました。
” イズミネーテ! カデ モガリダ EXCHANGE ?”
( すみません! どこで両替できるの ? )
すると、「 外に出たらあるよ。」と身振りで教えてくれた。
” ブラゴダリャ !” ( 有難う!)
最初に喋ったブルガリア語がスムーズに通じたのです!
出口の扉が開いて一歩踏み出したら、屈強そうな顔の男達がぐるりと取り巻いて、「 タクシー、タクシー 」と呼びかけてきたが、
無視して両替所の表示EXCHAGEを探そうとしたのですが、見当たらない。 困ったなあ、とその時 <OK TAKCI >という看板が目に飛び込んできた。 そうだ、先ずここでタクシーを頼んでおこう!
ガイドブックに”OKタクシーなら安心できる”と書いてあったのだ。
こんな経緯で、うかつにも、手元のT/Cを現地通貨に両替せずに、タクシーに乗ってしまったのです。
<OK TAKCI>の受付嬢とのやりとりです:
ドーヴル ヴェチェル!(今晩は!)
イスカム ダ ポセテヤ グランドホテル.
( Grand Hotel に行きたい )
モーガリダ Euro?( ユーロで支払い出来る?)
ーー” ダー、ダー”( はい、いいですよ )
やれやれ、これで両替しないでも大丈夫と一安心。
(あとから考えると、この彼女の発言を信用したのが失敗のもと。)
彼女が無線で運転手に連絡し、さあ、こっちですよ、
と先導してタクシー乗り場へ誘導してくれた。安堵感一杯の気持ちでタクシーに乗り込んだ。
15分ほどで無事ホテルに到着したので、運転手に20ユーロ紙幣を渡すと、釣り銭が無い、と言う身振り。
ホテルのドアーマンがいたので、Exchange、Please。と頼んでも駄目! ああー困った。どうしよう?
すると、運転手が皺くちゃの10レヴァ紙幣と幾らかのコインを差し出すので、仕方ない、よく計算できないがーOK、と言ってしまった。深夜だし
どうしようもなかった。・・・・ 多分ボラれたのだろう。
翌朝、ホテルの受付で、支払いはドルのT/Cでいいか聞くと、駄目だという。
そこで 手持ちのT/Cを現地通貨レヴァに両替しようと市内の銀行を探し歩くハメになってしまった。 銀行探しも苦労したが、結果はどこもダメ。
ホテルに再び戻って、銀行が駄目だったから、街の両替所を教えて、と頼んで、やっと手持ちのユーロを現地通貨にすることができたのです。 いやー本当に両替には苦労しました。空港で両替所に足を運ぶべきだったのです。
その日の午後、次の目的地カザンラクへ長距離バスで移動したのですが、このバス探しでまた、大変なトラブルに遭遇しました。
バスターミナルへ行くと 大きな広場にバスが何十台も無秩序に停まっている。 切符売り場も小さなプレハブ小屋が数十軒
並んでいて、キリル文字のブルガリア語の看板がかかっているが、読めない。
カザンラク行きのバス切符はどこの売り場なんだ?
やっと探し当てた売り場で、発車時刻(1日3本)を聞き出し、切符を入手できたのですが、今度はどのバスに乗ればいいののか?バス停表示など無いのだから困ってしまう。
バス広場は凄い人だかりで喧騒の渦。目的の乗るべきバスを探すのに大苦労。 駐車中のバスの行き先を見て回ったが、どのバスにも<KAZANRAK>の文字が無い。 出発の12時が迫ってきた。
運転手に聞いた方が早いと思って、
” ザ カザンラク? ”( カザンラクへ行く?)と質問したが、皆の返事が
「 He。」( ノー )だった。
停車中の運転手に次々と聞きまわり、やっと4人目の運転手が、親切にも、バスから降りて、カザンラク行きバスは、あそこの店の向こう側から出るよ、と身振りで教えてくれた。 いやー 本当に助かった! 広場の真ん中にあるレストランの向こう側にもバスターミナルがあるんだ、とは気がつかなかった! やっとカザンラク行きのバスを見つけることができてホットしました。
旧社会主義国の公共交通機関がこれほど立ち遅れているとは知らなかった!
ホテルなどの所在地周辺は官庁や教会・公園などがあり、通りも比較的整備されているのに・・・バスターミナルがこんなにも酷い所とは!
こんな苦労のすえ、やっと次の目的地カザンラクへ向かうことが出来たという次第です。
*写真はソフィアの中心地、ホテル街の風景。 -
ソフィアの街(写真)へは、旅の7日目にヴェリコ・タルノヴォから列車に乗って、再び戻ってきましたが・・・・・ その街中散策の様子は省略して、スケッチだけ次に掲載しておきます。
-
ソフィアの中心街をスケッチをしたりして散策です。
-
ソフィアの教会もスケッチ
-
さて、見つけるのに大苦労したカザンラク行きバスは、満員の乗客を乗せて3時間半疾駆、トイレ休憩なしで終点のカザンラクに到着。 カザンラク・ホテル(@47$)へはタクシーで向かいました。5分で到着です。
チェックインは暗記してきたブルガリア語でやってみたら、簡単に通じました。
ドバルデン! カーズヴァーム セ こおの。(こんにちは!名前は、こおの )
オト ヤポニヤ。(日本からきました)
ーパスポルタ ビイ モリャ(パスポートをお願いします)
エト ザポヴィアダイテ ( はい、これです。どうぞ )
写真はカザンラクで泊まったホテル正面です。
ところが、またホテルでトラブルが発生!
ホテルの支払いがVISAカードでは駄目だということが分かったのです。
手持ちのレヴァ通貨は少ない。どうしよう?
すると、フロントの女性が ”銀行でユーロかドルの現金ならレヴァ通貨に両替できますよ” と教えてくれた上に、居合わせたボーイさんに、”このお客さんに同行して両替手続きをやってやって”、と言ってくれたのです。
このボーイさんのお陰で、近くの銀行で複雑な両替手続きを無事済ますことが出来て、本当に助かった!
お礼として、日本から持参した扇子を差し上げたら
大変喜んでくれました。 -
宿泊したカザンラク・ホテル周辺です。
-
カザンラクでは、3泊して<バラ博物館>を見学したり、近くのシプカ村にある<シプカ僧院>や世界遺産の<トラキア人の墓>などを見て回る予定をたてました。
まずは、バスターミナルに足を運んで次の移動バスの時刻表とバス停の確認をしておくことにする。英語が通じないので全部、暗記してきたブルガリア語でやったが、なんとか通じたので一安心しました。
こんな具合です。
まず駅前のキオスクの女性に声をかけた。
イスカムダポセテア ガブロヴォ。イーマリ ラスピサニエ?
( ガブロヴォへ行きたいんですが、時刻表はある?)
ーーフ ガブロヴォ アブトガラタ
( ガブロヴォ行きのバスターミナルにあるわ )
カデ エ アブトガラ ( そのバスターミナルはどこ? )
ーーあっちよ、と身振りで教えてくれた。
ブラゴダリャ!
( 有難う! )
駅前広場の端っこに、古くて暗い建物が見えた。
行ってみると、その中にバスターミナルの切符売場があった。
イズミネテ!( すみません! )
イーマリ ラスピサニエ ダ ガブロヴォ?
( ガブロヴォ行きの時刻表がありますか? )
すると、窓口の女性が、紙にペンでーー6:50 9:00 9:10 12:00 15:00--
と書いてくれた。
カデ アフトブス?( バス停はどこ? )
ーーエデイン ( 1番 )と言って、指を一本たてる。
ダー ラズブラフ。( ああ、わかった )
ブラゴダリャ! ( 有難う! )
一番のバス停に足を運んでみると、そこに行き先の名前が表示されており、その中に<GABROBO>(実際にはキリル文字)の文字があった。
これで大丈夫と、一安心。
あとはのんびり街中の散策をして過ごしました。
果物屋さん(写真)、靴屋さん、パン屋さん、ミニ・スーパーなどに立ち寄り、ブルガリア語での買い物を楽しみました。 -
この写真が、広い駅前広場の光景で、一番端っこにバス切符売り場がありました。外国人には全く分かりません。
ブルガリアは、本当に移動するのに苦労します。 -
翌日, 路線バスで30分ほどの近郊の村<シプカ>へ行くことにしました。
ここには重要な歴史があります。
ブルガリアがトルコによる500年に及ぶ支配から独立したのは、160年前のことでしたが、その時、このシプカ峠でロシアが参戦してトルコを打ち破ったことが、ブルガリア独立の契機になったということです。
そこでブルガリア政府が、ロシアの戦死者の遺骨をここシプカ村に埋葬し慰霊すべく、壮大な<シプカ僧院>(写真)を建設したのです。 -
立派なロシア風のシプカ僧院です。
ツアー・バスでやってきたヨーロッパ系外国人観光客も見かけました。 -
シプカ僧院からの帰路、村道のベンチでスケッチしていると、老人がやってきて話しかけてきたので、
スケッチブックを見せると、「うん、うん」と頷く。
ブルガリア語で
モジェリダ スニマム?( 写真撮ってもいい? )
と聞くとポーズをとったので・・パチリ。 偶然の出会いです。
ブラゴダリャ!( 有難う!) -
学校から帰る途中らしい少女たちにも写真を撮らせてもらいましたが、みんな素朴で笑顔がいいですね。
-
ある少年などは、見知らぬ東洋人からブルガリア語で話しかけられたので、緊張して直立不動!
-
これを見ていた地元の老人が、
ーーオットー ヤポーニア?
「 日本から来たの? 」と話しかけてきた。
外見から日本人と分かるのでしょうか?
ダー。アッスム ヤポーネッツ。
( はい、日本人です )
モジェリダ スニマム?( 写真を撮らせて? )
と頼むと、
「 あの教会をバックに撮って 」と注文をつけてくる。
シプカ村での出会いは楽しい思い出になりました。 -
シブカ村にてスケッチ。
帰りのバス路線の途中に<バラ博物館>があるので、途中下車しようと思って、バスの女性車掌にブルガリア語で話しかけて頼んだら、
彼女が、首を横に大きく振って、
” Da ! Da ! ” ( 分かった! 分かった!)
ブルガリアでは、YESの時は首を横に振り、NOの時は縦に頷く、と本に書いてあったが、確かにその通りだった。
ところが、突然、天候が急変して夕立のようなドシャブリの雨が降ってきた為か、車掌はバラ博物館でストップさせるのを忘れてしまい、バスは通過して通り過ぎてしまった!
すると、後ろの座席に居た男性が、わざわざ席を立って車掌に注意してくれた。 バスが急停車! 乗客の荷物から杏がゴロゴロ車内に転がってしまったが、車掌は杏より小生の方を見て、早く降りろ、という合図。
小生は、転がった杏を踏まないように注意してバスから降りたのです。
とんだハプニングでしたが、無事にバラ博物館に入ることができました。
しかし、客は一人も居ません。小生だけ。
バラ博物館は地下の穴蔵のような場所にあって、見物するのに5分とかかりません。 バラの名産地KAZANLAKの不思議な体験でした。 -
翌日、先ず歴史博物館に歩いていく。
ここはブルガリアの歴史を知る絶好の場所だ。1300年頃は第二次ブルガリア帝国の繁栄を謳歌していたが、トルコに敗れた後、500年もの間、トルコの支配下にあって苦難の道を歩む。
露土戦争を契機にトルコからの独立を果たしたが、第二次世界戦争で敗戦国となり、ソ連傘下の共産党独裁政権が誕生。
その後、ソ連邦の崩壊と同時に、ブルガリアも市場経済の国として現在に到っている。 そんな波瀾万丈の歴史が展示されていた。
歴史博物館を後にして、次に向かった先は世界遺産にも指定されている<古代人・トラキア人の墓>。 そこを訪ねようと、静かな郊外の道を歩いていた時のことです。 2匹の犬を連れた老人に出会いました。
片言のブルガリア語で、「すみません! トラキアはこっちの方ですか?」と尋ねると、
”Da,Da.”( そうだよ ) 首を横に振りながら言う。
” 日本人かい ? ” と聞いてきたので、今度はこっちが首を横に振って
「 Da.日本から来た。トラキアへ行きたいんですが 」
” そうか、自分はあそこのマンションの3階に住んでいるんだ。トラキアへ 案内してあげよう ”
「 有難う ! あなたの写真を撮らせて? 」
”Da,Da.”( いいよ ) と横に首を振る。 -
トラキア人の墓へ行く途中、近くに民族博物館があり、<トラキア人の墓>と一体運営(=Complexと表示)されている場所なので、先ほどの老人とはここで別れました。、ここの館に入り一服。
<トラキア人の墓>は、ここから500m離れた丘の上にあるという。
館長らしき人物の写真も撮らせて貰いました。 -
丘にある階段を登っていくと、<トラキア人の墓>に漸く到着。
地下への入口があり、そこを入ると切符売り場と売店がありました。
何故か電気は暗くしてある。
受付の女性に、カメラのフラッシュは駄目、と言われた。 -
不思議な古代人の墓を見学した後、丘の階段を下りて街の通りに出たところです。
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人気のない通りを歩いてホテルに戻る途中、出会った少女達です。、皆明るい雰囲気でカメラに顔を向けてくれます。
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カザンラクで泊まったホテルの部屋からのスケッチです。
-
カザンラクの街を散策中にスケッチしたもの。
-
カザンラクでの楽しい滞在を終えて次の目的地ヴェリコ・タルノヴォへ長距離バスで移動した時のことです。
思いもかけないハプニングが起きました。
2000m級のバルカン山脈を越える道で交通事故が発生したのです。 バスは山道で4時間もストップしてしまい、不安と苦労の末やっと中継地ガブロヴォへたどり着きました。
時間に余裕がないので、すぐ次の目的地(宿泊地)ヴェリコ・タルノヴォを目指してバスを乗り継ぎました。
ヴェリコ・タルノヴォは、かつて第二次ブルガリア帝国の首都であったところ。トルコの侵略によって500年間も支配され続け、独立したのは、先述のシプカ峠での露土戦争のあとだったのです。
終点のバス停から予約したホテルまで5kmの道のりをタクシーで行くことになりました。
タクシーは、崖上に密集したヴェリコ・タルノヴォの中心街を抜けて、川沿いまで下り、橋を渡って再び山道を登る。走ること15分。ホテルの玄関前に着きました。
予約済みのホテル名は、アルバナシ・パレスホテル。ここは旧共産党最高幹部が夏に別荘として使っていたところで、今は豪壮絢爛たるホテルとなっています。街とは谷川を挟んだ向かい側の山に建っていました。
写真はそのホテル入口です。 -
広いベランダへ出てみると、はるか向こうにヴェリコ・タルノヴォの街並みが望見できました。( 写真 )
このホテルは全く贅沢三昧に造られており、大理石のバス・トイレに巨大なツインベッド、巨大なデスクに鏡、応接セット等々、最高級ホテルに相応しい設備だったのです。
共産党独裁時代の権力者の凄まじさを実感しました。
今までの人生で最高の贅沢感を味わった瞬間です。
夕食の時間にレストランに行くと、誰もいない。
*冷たい野菜スープ
*サラダの盛り合わせ
*サーモンのフライ
*フルーツ
*ビール(ブルガリア産)
を注文したら、量が多すぎて半分も残してしまう。料金は日本円に換算すると、1000円位だから、極めて安かった。 -
ベランダからのスケッチです。
-
豪華ホテルは広大な敷地にあるので、外側の道路(スケッチ)まで歩くのに時間がかかります。
-
ホテルの所在地アルバナシ村にも歴史的逸話が残っています。
それは・・・支配統治者であったトルコ人スルタンが、自分の義理の息子にアルバナシ村を領地として与えたところ、その息子が住民から取り立てる税金をゼロにした政策を採った為、蓄財が容易になって富裕層が生まれたのだそうです。
現在でも古いレンガ造りの大きな屋敷が、いくつも残されており
歴史的文化財に指定され、観光客が訪れています。
小生もその一軒を見学したのですが、隣の古家がスケッチの対象として興味が湧いたので、小雨の中、立ったまま描き、彩色までしてしまいました。 -
ヴェリコ・タルノヴォは第二次ブルガリア帝国時代の首都でしたが、その豪華な宮殿もトルコ軍によって徹底的に破壊尽くされてしまい、 現在は広い丘の上に城跡のみ残っていました。
小雨の中、観光客がゆっくり歩きまわっていました。
入場料金はブルガリア人は2レヴァ、外国人は倍の4レヴァ。 -
その後ヴェリコ・タルノヴォの旧市街まではタクシーで行き、街角でスケッチをしていると、突然一人の青年が話しかけてきた。
”これから何処へいくの ?”
「国立美術館」と答えると、
”自分が案内してあげるよ” と言うので、
一緒に街の崖下へ下りていくと、川辺に立派な美術館がありました。
一枚写真を撮らせて貰い、「有難う!」と握手して別れようとしたら、手にもっていた袋から数冊の本を取り出して、”買ってくれないか”と突然言い出したのには驚いた。
「 駄目、いらない!」とキッパリ断って美術館に入ってしまう。 旅先では何が起こるか分からない! -
こんな楽しいハプニングもありました!
ある土産物屋さんのウィンドウを覗いていたら、店主と思われる女性が、ブルガリア語で、
”こんにちわ!どうぞ!”と呼びかけてきた。
「チョット見ていいですか?」と聞くと、
”勿論、どうぞ”
その店にあった細工人形をお土産に買い求め、
「 いくら? 」
と聞いたら、今度は英語で”Twenty two Leva."
こちらが「22レヴァ」とブルガリア語で言い直すと、
”ブルガリア語が上手ですね”とニッコリ笑う。
「ほんの 少しだけね 」「さようなら! 」
と店を出ようとしたら、
彼女が ”ARIGATO!”と日本語を喋ったのだ!
びっくりして「 日本語がうまいですね 」と言うと、
机の引き出しから1冊の本を取り出して、”これで勉強したわ”、と言う。
なんと、なんと、それは私が日本で毎日勉強した本と同じものだった! 人生は偶然の重なりなんですね!
彼女によると、最近、日本からの団体ツアー客が増えてきたので
日本語を勉強中とのこと。(英語の会話)
彼女から”どんな日本語を覚えたらいい?”と聞かれたので、
① 信用できる店です ②いらしゃいませ ③ どうぞ
の三つを教えてやったら大変喜んでくれた。
ーーーー
愉しい数々の思い出を後にして、ヴェリコ・タルノヴォから再びソフィアへ列車で戻りました。
ブルガリア大平原を車窓から眺めることが出来たのも、愉しい思い出となりました。 -
======= ここからは旅の後半<クロアチア>編。
早朝、ホテルをチェックアウトして空港へ向かい、ウイーン経由でクロアチアの首都ザグレブへ飛びました。
ザグレブ空港の出口を一歩踏み出した途端、ガラリと雰囲気が変わったと思いました。 ソフィア空港は暗い雰囲気だったのに、ここザグレブ空港は、清潔で・明るい照明・ゆったりした配置等々、何もかもブルガリアとは違うのです。
怖そうな男たちも居ないし、表示板にはクロアチア語と英語が併記されているので見やすい。
空港から市内へ向かうバスも快適です。バスターミナルは市内には入らず、郊外にありました。
旧市街へはトラム6番で行けるとガイドブックに書いてあったが、面倒なのでタクシーで予約済みホテルへ向かった。
ところが、ここで思わぬトラブルが発生!
タクシーが中心地の広場へ入れないのです。乗り入れ禁止とか。
やむなくタクシーを降り、荷物を引っ張ってホテルを探しまわるハメになってしまった。 予約済のホテルはペンション・ホテルだったが、近所の店で聞いても誰も知らない。 次々と店を変えて聞きまわる。本当に困ってしまった。ガイドブックから切り取ったペンションの地図と名前、住所を見せても、みんな首をかしげるばかり。
と、ある青年が、”番地の番号が通りの建物に表示されているから、”とアドバイスしてくれた。 それを目安に商店街の建物をずーと歩きながら見ていくと、目的地の14番地を書いた小さなアーケイドがあった。
そのアーケイドのある路地を入っていくと奥の方に、目指すペンション・ホテルがあったのだ。やっと辿り着くことが出来てホっとした! その時には、汗びっしょり。
ザグレブ到着の出鼻を挫かれた思いだった。
写真はザグレブ市内の市場です。 -
ザグレブ市内の道路に立って交通整理にあたる警官。
-
ザグレブは緑豊な街でした。
翌日、散策している途中、とても風情ある風景に出会ったので
腰を降ろして、ゆっくりスケッチを楽しみました。
すると日本製ニコンの一眼レフを首からぶら下げた青年が、
突然スケッチをしている小生の背中ごしに、
”Wonderful! Beautiful!”と声をかけてきた。
同じニコン製カメラを小生も首に下げていたのでお互い
笑顔で挨拶を交わす。
聞いてみると、ユーゴスラビアからきた報道記者らしい。
偶然の出会いは面白いものだな、と思いました。 -
豊かな緑の中に住宅街がひろがるザグレブ
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閑静な街には人も少ない
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街角でトウモロコシを焼いて売っていたので買って食べた。ついでに写真を撮らせてもらう。
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探すのに大汗かいたペンション・ホテルはレストランの3階。(写真)
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宿の入口は賑やかな商店街、路面電車も通っている。
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ザグレブの市電
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ザグレブの劇場
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-
ザグレブの街は情緒ある<緑の古都>だが、洒落た車も見かけた。豊かな都会なのだろう。
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散策中に出会った子供たち
-
ザグレブ中央駅前の広場でスケッチしたものです。
じつは、この鉄道駅では大変な目に会ってしまったのです。
ガイドブックには次の目的地リエカへの移動にはバスが便利、と書いてあったのですが、列車の一等車のほうが楽ではないか、と思いつき、中央駅の切符売場へ行き、リエカ行き列車の有無と
切符購入の是非を尋ねると(英語)簡単にOK、
ということで明日の特急12:05発リエカ行き一等切符を
事前購入したのでした。
翌日、中央駅の待合室で電光掲示板を見ながら列車の到着を待ち、到着ホームも1番線と確認したのですが、
念のためと思って、やってきた制帽姿の駅員さんに尋ねたら、
Da,da, こっちだよ、と向こうを右に曲がった所のautobus
だよ、と言う(英語)ではないか!
え!? 1番線じゃないの?
半信半疑になり、大急ぎで切符売り場の窓口へ飛んで行って
聞くと、" here. " 指を一本立てて、 "Jednu, one "
と繰り返す。 「 Here? 」ーー ” Yes、Here. ”
一番線出発は間違いないのか!
もう一度待合室の電光掲示板を見ると、なんと2番線の kolv 3
という表示に突然代わっていたのだ!
kolv 3 の意味が分からなかったが、2番線には誰もいない!
バス乗り場へと必死で走った。
すると3台のバスが停車中で乗客はすでに乗っている。
乗車口に女性車掌が立っていたので、鉄道切符を見せて
「 First class, which autobus ? 」
” どれでもいいわよ ”
1台目と2台目のバスは満席だったので、一番後ろのバスに
に乗り込みやっと席に座ることが出来た!
こんなトラブルが起こるとは!全く想定外のことだった!
(あとで調べたら、Kolodvor(駅)という単語の省略がKolvだったのだ!)
1時間位経ったころ、バスが鉄道駅の前で停まった。すると乗客がみんな
降りだした。なんだリエカ行きの旅行者でなく地元の人達なのか、と思って自分は席に座っていると、運転手が席までやってきて、降りろ、降りろと手で合図をする。 ” For Rijeka ?” と聞くと、指であっちの駅だ!
驚いて、慌てて荷物をまとめてバスから降りて駅のホームに行くと、
駅員がバスの乗客を列車に誘導して、ほとんど乗客達は列車の中に乗ったらしく、ホームには小生しか居ない。
” For Rijeka ?” と聞くと、 Da,da。(そうだ、そうだ) 早く乗れという合図。 ” First class, wchich ? " -- 一番うしろだ!という返事。
そっちへ走ろうとすると、これに乗って後ろへ移れ! 早く! と急き立てられた。 本当に間一髪でリエカ行きの列車に乗れた。
最後尾の一等車の辿り着いてほっとしたのでした。 -
思いがけないハプニングの連続で、大苦労の末、漸くザグレブからアドリア海の港町リエカまでバスと鉄道で移動したのですが、そこからフェリーに乗船して船中泊し、ドブロヴニクに向かうことに。
リエカの街はイタリアのヴェネチアに近い場所にあり、かってハプスブルク家の支配下にあった時代には、皇帝の別荘もあった由。フェリーの船上から眺めると、そんなリエカの街の一端が伺えました。(写真) -
フェリーから眺めたリエカの街
-
夕暮れのリエカ港です。
-
大型フェリーは<マルコ・ポーロ>という名前の船で
ヤドローニイヤ社が運行している。
船室の代金は日本の旅行社を通じて予約しておいたが、切符は現地のヤドローニイヤ社で受け取る手筈になっていたので、場所を聞きまわりやっと乗船切符を入手できました。 料金はツイン個室(海側)の一人使用で147ユーロ。
夕食は船内のレストランで摂ったが、100Kn=1600円 -
アドリア海のクルージング、9月21日なのに真夏並みの暑さでした。
-
ドブロヴニクには午後3時頃フェリーが着きました。ここドブロヴニクで3連泊したホテルはHotel Presidentで、1泊1万円なのに超豪華ホテル。
世界遺産に登録されている旧市街地区からバスで15分ほど、離れてはいるが、海岸の段丘に沿って建てられているので、どの部屋のベランダも開放感があり、目の下にはパラソルが開き、海岸に直接降りられる。
エレベーターが垂直ではなく斜めに動く。
部屋は広くてデラックス。(私がこれまでヨーロッパ各地のホテルで泊まった数は2007年8月までに100を超えるが、このHotel Presidentはお勧めNo.1だ) -
写真はホテルの食堂テラスからの光景です。
朝食の時、最初の皿を食べ終えて、コーヒーを取りに席を空けたら、ウェイトレスが間違えて後片付けをしているので、
ーC'ekaite malo.(ちょっと待って)とクロアチア語で止めさせた。 日本人がクロアチア語を喋ったので驚いた様子でした。 -
ホテルの下にあるビーチ
-
-
シャワーで汗を流してから、早速、旧市街へ歩いて向かうことにする。
途中で朝市場が開かれていたので、バナナとオレンジを買い込んだ。
ーDobro jutoro! ( お早う! )
Molim, daite mi ovo banana i orenge.
( このバナナとオレンジをください )
Koliko kosta? (いくら?)
ぺらぺらとクロアチア語で言ってくれるが、分からない。
ーEvo izvoite. ( はい、どうぞ )
と適当に硬貨を差し出すと、お釣りを寄越した。
旧市街の城塞まで歩いて40分ぐらいかかった。 -
ドブロヴニクは中世には自由都市国家として繁栄したと聞いている。
旧市街は要塞の中にある。
教会や修道院、宮殿などの建物もあるが、一般の庶民もその細い路地の中で生活している有様が、散策中に見られて興味深かった。 -
要塞の入り口にはクロアチアの国旗が風にひらめいています。
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観光客も昼間は溢れるほどいました。
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要塞の上の歩道をぐるりと一周すると、真っ青な海面が眼下に見えます。
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要塞の歩道から旧市街へは狭い路地の階段で繋がっています。
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路地の奥にあったパン屋さんで焼きたてのパンを買ったら、”Japanese?”と聞いてきた。
「Da,iz Japana.」とクロアチア語で答えると、
”I am chinese."同じ東洋人として親しみが湧いたのかもしれない。
観光客の飛び交う言葉の殆どが英語、独語、仏語、伊語ばかりだから・・・ -
旧市街から歩いてホテルに戻りましたが、途中の路上で地元の子供たちが遊んでいます。
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住宅街の坂道を登っていくと、子供が自転車に乗って遊んでいる傍らで、母親が幼子をあやしていた。
ー Dobar dan!
Hoc'ete li da slikati Vas?
写真撮らせて、とクロアチア語で話かけると、OK。
写真を送るから住所を書いて、続けて頼む。
ーHoc'ete li da pisati Vas adressa?
この光景を見ていた近所の親父が顔を出して、ドブロヴニクの地図をくれて、”今いる場所はここだ”と
地図上で教えてくれた。
ーHvala! (ありがとう)Dovijenia!(さようなら)
温かい庶民の素顔に触れた一瞬であった。
クロアチアでの滞在は、ここドブロヴニクとザグレブの2都市だけでしたが、
流石に観光の街、本当に多くの思い出を残してくれました。
おわり
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