2007/06/22 - 2007/06/22
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井上@打浦橋@上海さん
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川底下村は、以前は爨底下村と言っていたそうです。
それが1958年、地名を簡略化しようという運動のもと、「爨」を「川」に変えさせられたそうです。
しかし、やはり地元の人にとっては、この「爨」は捨てがたかったんでしょうね、この村を歩き回ってますと、もう、この「爨」の字だらけです。
なぜ、「爨」なのかという話は、後に回しまして、まずは、この字「爨」に関して、ウンチクをば・・・・って、勿論、検索して調べ上げた、ことですけどね・・・。
私の作った画像をご覧ください。
29画の複雑な字です。「興」と「林」と「大」と「火」で成り立ってる字です。ただし、冠部分は「興」とはチト違います。「同」の部分のロが左にくっついています。だから29画なんです。離れてますと30画になってしまいます。
この字を出すには、総画数の29画から探し出すか、「すいさん」と打ち込んで出てくる「炊爨」から取り出すかです。
訓読みは「かまど」で、音読みは「サン」です。かまどそのものの意味以外に、炊事ごと全般を言う意味もあるようで、「おさん」とか「さんすけ」の「さん」は、正確には、この「爨」らしいです。
さて、では、なぜ爨底下村なる名が付いたのか・・・・
中国での「爨」の意味も、1つは火を使う炊事全般、もう1つは「かまど」そのものらしいんですが、姓にも使われていたらしいです。
この村の成り立ちは明時代に山西から移住して来た人達によるものなんですが、当時、山の上には軍事拠点がありまして、その名が、爨里安口だったそうです。その底に移住民が集まって出来た村なので、爨底下という呼び名になったとか・・・・。
そして、この村に住む人達は、ほとんどが「韓」という姓らしいです。それは「爨」ってのが、火とか煮るとか焼くとか熱いイメージが強いので、それに反する意味合いを込めて、「寒」と同じ読み(ハン)の「韓」を名乗り始めたと言うことらしいです。
-
これが川底下村の案内図です。
私が記憶を頼りに作ったものですので、間違いがあるかもしれません。
ご覧のように、村落は、北側の山と南側の山の間にあります。
家屋は北側斜面に大部分があります。そして南向きに建てられています。
メインストリートは入場口から左(西)に向かって、気持ち上り勾配になっていまして、村落を抜けて、一線天までは、勾配がいくらかきつくなって行きます。
こう見ますと、大昔は、ここには川が流れていたのかも知れません。そして今でも大雨が降りますと、川のようになるのかも知れません。となりすと、「川底」という名でも、おかしくはないのかも知れません。 -
入場料は20元です。
入場口から6・7分歩きますと、この石碑が現れます。
大きな石に「爨」と刻み込まれています。
その向こうに、私が乗ってきました929支路バスが待機しています。
このバスは、10時半ごろ、苹果園に向かい出発するのかも知れません。
ただ今、10時7分です。 -
大きな宣伝看板がありました。
やはり大きく「爨底下」と書かれてますね。脇には「清涼一夏」となっています。海抜650mの位置にありますので夏は多少涼しいんでしょう。
上には「伝承古村歴史文脈・建設特色文化名村」と書かれています。
下には「品山中甘泉、當田間瓜果、聞枝頭蝉鳴、住百年老屋」書かれています。 -
気持ち登り勾配の道を西へ行きます。
道は石を敷き詰めた造りです。 -
吉祥客桟と言う看板が掛かっています。
旅館のようです。 -
壁には、薄っすらと、昔のスローガンが残っています。
大学解放軍と毛主席の字が確認できます。
河西旅店という看板が掛かっていますので、これも旅館なんでしょう。 -
ここは食堂なのかも知れません。
壁に韓氏家族二十代の名が書かれています。
順番は、どっちからなのか・・・・右上の「玉」が初代だとしますと、順に思・孟・文・守(?)・宏・懐・連・自・万・暁・広・景・明・巨・茂・福・?(欠けていて読めない)・義・永となています。
初代の兄弟姉妹の名は、韓玉○、韓玉□、韓玉△、韓玉●、韓玉■だったんでしょう。
この家が、だいたい村落の西端にあります。コレを抜けますと、道の両脇には家が見えなくなります。
ただ今、10時19分です。 -
もう、民家はありません。
道は舗装されていますが、勾配は幾分きつくなります。 -
道路右下の平地は段々畑になっています。
平地と言っても、西へ向かって、少しずつレベルを上げていきます。 -
私が道を上がっていく間に、脇を通り抜けていったバスが、向こうに止まっています。
となると、あのあたりが一線天なのか・・・・。 -
ああ、ここが一線天なんでしょう。
ただ今、10時37分です。
村落を抜けてから18分ですね。 -
一線天とは、こういうことだったんですね。
見上げると、空が線にしか見えない・・・こういうことなんですね。
もともと、ココには裂け目が会って、道として使われていたのか・・・。
全く、何もない所を掘り抜いて行ったのか・・・。
やぁ、やはり最初から小さな裂け目があったのかもしれません。
そして、それを切り開いていった・・・コレでしょうね。 -
チョイと先に行きましたら、こんなものがありました。
大きな洞窟は、なにかの置き場になっていたのかも知れません。 -
奥まで行き、一線天を抜け、更に先に行き、また、戻ってきました。
そうしましたら、一線天の入り口付近で、先ほどの団体観光客が記念写真を撮っていました。
あの赤い横断幕が気にかかります。 -
どうも共産党員達のようです。
横断幕には「紀念建党86周年 永葆共産党員先進性」と書かれています。
ふつう、ここまではバスでは来れないところを、なんとか押し切ってバスで来たのかもしれません。
なんせ、共産党の偉い党員さん達ですから・・・・。
しかし賑やかな人達でした。 -
村落に戻りました。
見晴らしのいいところを目指すために、北側の山へ行く道を上がって行きます。
この道を行けば五道廟や、一番見晴らしが良さそうな関帝廟に行けるんでしょう。 -
途中にありました民家のカマドです。
-
更に行きましたら、突き当たりになりました。
そして、道は左右二つに分かれます。
右へ行けば、関帝廟へ行けるんでしょう。
突き当たりの壁には、また赤い文字でスローガンが書かれています。
「用毛沢東思想武装我們的頭脳」となっていました。 -
右方向へ行き、更に上がっていきます。
またまた「爨」の文字が・・・。
ここは、隆鑫客桟と言う旅館ですね。
洗操間と衛生間があるとなっています。
シャワーとトイレということです。 -
右側向こうに関帝廟が見えてきました。
山の中腹、平坦部分にポツンとあります。
一旦、右の道を下がって行きます。 -
右側に見えてきましたのが石甬居なんでしょう。
でも、今は工事中でした。 -
工事材の運搬は、馬なんですね。
石を運んでるんでしょうか・・・。 -
どうも、馬の仕事は壊した瓦礫を運ぶことのようです。
馬の両脇には大きな籐籠がぶら下がっています。 -
ここはなんでしょうか・・・
炭焼き場なんでしょうか。 -
関帝廟が近づいてきました。
-
関帝廟にたどり着きました。
中のお堂には関羽像が祭られていました。 -
関帝廟を出て村落を撮りました。
右が北で、左が南、向こうが西・・・・こう見ますと、周り全て山に囲まれているのが実感できます。 -
降りる前に、もう一度、関帝廟を遠景で撮りました。
向こうが、北側に続く、更に高い嶺です。 -
階段を下ります。
-
もうスグ下のメインストリートに出ます。
その手前の民家です。 -
民家に入り込みました。
四合院風の建物です。
中庭があり、三方は建物に囲まれています。 -
北側の棟は中国書法芸術館となっています。
-
南側の山の展望台まで行きました。
そこからの、川底下村です。 -
位置をかえて、もう1枚。
-
山道を西へ行き、西の斜面を写しました。
急な斜面に段々畑が造られています。 -
西の高いところから少し下り、撮りました。
-
もう、ほとんど、下の道路のレベルまで下りてきました。
この付近の風景は、もう、農家と言う感じです。
北側の民家には、それは感じられませんでしたが・・・。 -
これは、なんでしょうか・・・・
自然石をくりぬいて作ったもののようですが、野菜とか衣服の洗い場なんでしょうね。
ただ今、12時6分です。
さて、そろそろ昼飯にしますか。 -
腹が減ったと言うより、のどが渇いています。
早朝ジョギングをして汗を流し、川底下村では歩き回り、北側、南側2つの展望台まで上がりましたので、とにかくつめたービールが飲みたい。
食堂は、いくつかありますが、冷えたビールは、どこからか買ってくるシステムらしいです。そして、一人では、まず量が多すぎて、食べ切れない・・・いや、それを無理してでも食ってしまう。じゃあ、ビールとパンかお菓子でイイやと思い、この売店に入り込みました。 -
ビールをまず1本、注文。燕京ビールはギンギンに冷えてました。それが3元です。普通、こういう観光地では、もっと吹っかけて来るんですが、3元とは泣けてきます。店の中でラッパ飲みしてましたら、椅子に、どうぞと来ました。そして扇風機も私に当ててくれました。もう、こうなると腰を落ち着けて、飲むかということになり、更にビールを、もう1本と、恐怖の酒・56度の二鍋頭の小瓶とピーナッツも追加。そして、あとで、コレを作ってくれやと、カップ麺も買いました。
これが、私が飲み食いしました、モノどもです。
燕京ビール2本・6元・・・・瓶の周りに付いた汗で冷え加減が分かるでしょう。
二鍋頭小瓶・3元、ピーナッツ1袋・2元、
康師傅の香辣牛肉面・5元・・・・・しめて16元です。 -
そして、この女性が店の店主と言いますか店番です。親がやってる店なんでしょう。
写真撮って、イイかいと聞きましたら、どうぞと言うことで、1枚。
いい子でしたね。上海にも行ったことあるそうです。上海の女性は、凄いでしょう、って言いましたら、確かにそうだけど、皆さん仕事もばっちりやる、その点、北京の女性は「ルアン」ですって・・・・ルアンは乱なのか・・・つまり、ズボラってことなのか・・・。彼女のお父さんは版画家だそうです。作品集をチラッと見せてもらいました。お父さんの版画の師匠は、今、日本で教えてるとか・・・。門頭溝区の中心地のマンションを2年前に3000元/?で買ったけど、今は5000元/?になってるとか・・・まあ、なんだかんだ20分以上腰を落ち着け、イロイロお話させていただきました。 -
さて、見るべきところは、大体周ったし、冷たいビールでのどを潤し、いい気分にもなってるんで、あとはブラブラ・・・リュウダリュウダです。
「爨」の石碑のところへ行きましたら、その前で共産党員達が記念写真を撮っています。 -
先ほど通ったメインストリートを西へ、またぶらつきます。
悦来客桟の看板の脇にいるのは、お婆さん、娘さん、お孫さんなんでしょうか。
石積みの道並みがイイですね。 -
向こうにいるのは、地元の若者です。
右は売店でして、ここで最初に、案内図・3元とペットボトルの水・2元を買いました。 -
北側の山へ上がる道の入り口部には、年季の入った木があります。
根元が低い石垣で保護されています。
その木の向こうの壁には白地に黒文字で「爨」が大きく描かれています。 -
四合院っぽい建物の中庭では食事が出来るんでしょう。
ここにも「爨」の字があります。
赤地に金文字です。 -
ここには大きな円テーブルが3つも置いてありますが、誰もいません。もう1時近いので、皆さん、食事を終えたのか・・、それにしても寂しい。客で一杯になることがあるんでしょうか。土日には、そういうこともあるのかもしれません。
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ここでは欧米人の観光客とガイドが食事をしています。
ビールの空き瓶3本が確認できますので3本以上は飲んだんでしょう。 -
ここでは、階段を上がり、入り口の門をくぐると、そこに「爨」があるという配置です。
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更に西へ行きます。
赤シャツのおじさんは、地元の人なんでしょう。
道は石を敷き詰めたもので、西へ向かって、気持ち登り勾配になっています。
道には数台車が駐車していますが、自家用車なんでしょう。
帰りに利用した白タクも、地元の人の自家用車だったんでしょう。 -
石積み技術をジックリご覧ください。
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こちらの一番上の石は、今にも落ちそうですが、絶対落ちないのかも・・・
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こちらの家の奥の壁には、なにやら、わけのワカラン絵が・・・
なんでしょうか、あの絵は・・・・・。
そうです、コレを撮ったときには、気付かなかったんです・・・この字が「爨」であることを・・・・・。 -
トリミングして拡大したのがコレです。
どうですか、正に「爨」でしょう。
さて、これで「川底下村は爨(かまど)の底の下なのか・・・・」は終わりです。
川底下村の印象は、まず「爨」ですね。そして石積みの街並み、四合院の家、素朴な人達、静かな人達、商売っ気が薄い観光地、山間の村落・・・・こういったとろこです。ああそれとビールが冷えていて旨かったことと、観光地価格でない安さ・3元だったことです。
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この旅行記へのコメント (5)
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- 城壁フェチさん 2007/07/10 19:58:45
- お初です!
- 何度も当方のつまらぬブログにお出で戴き有り難うございます。私も連休に平遙に行くにあたり、色々ブログを物色している内に、他のサイトで゙川底下村″に突き当たりチョッと興味があった所でした。カマドの字の解析やこの写真の絵!川底下村を象徴していてとても良いですね!私が行った張壁村の広さと似たような感じかと思われます。中国は行きたい所ばかりなので、中々川底下村までは辿りつけそうも無かったので、井上@打浦橋@上海さんのブログで行った気になれて良かったです!
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/07/11 07:25:56
- 川底は爨底に戻るかも
- 城壁フェチさん、どうも。
平遙に行かれるとか・・・・
では、旅行記期待しております。
あの川底ですが、地元の人は、やはり、爨のほうに愛着持ってるようで、
いずれは爨に戻るかも知れません。
道路標識なんかには、川底でなくて、爨底になっていました。
「川」は3画、「爨」は29画・・・・川の字は簡単ですが、やはり重みがない。
中国語での読み方も違うので、
(川はchuanで、爨はcuanだったかな・・・?)
まず、いずれ爨に戻すのかと見ています。
-
- バカボンさん 2007/06/27 13:40:47
- 堪能しました
- 川底下村の事を知ったのは3年くらい前です。
それからずっと行きたいと思っていましたが機会がありませんでした。
今回たっぷりと見せていただきました。
これで行かずにすみます。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/06/28 12:07:30
- まあ、そういわずに、いつか行かれてください
- バカボンさん、どうも。
まあまあ、そうおっしゃらずに、
いつか行かれてください。
苹果園からの929支路バスですと、
10元ですが、旧街道を通るので、2時間半掛かってしまいますが、
ミニバスというかワゴンですと、料金高いですが、
109号線を行くので、1時間チョイらしいです。
でも、最近は、高いこと言ってくるそうです。
私のときも、最初は100元、次に80元、最後は50元でした。
満杯になるまで出発しないだろうし、
満杯になったら窮屈そうだったので、路線バスにしてしまいましたが・・。
- 鸚鵡さん からの返信 2011/05/07 10:47:34
- RE: 懐かしい、川底下。
- またまた鸚鵡です。
井上さんの掲示板を拝見していたら、川底下の記事を見つけました。
ここは私にとってもとても懐かしいところです。
1994年頃ですか、知り合いのアメリカ人で中国史が専門のエール大学の教授(女性)から電話で、「面白いところがあるよ。最近、北京の大学の教授が話題にしてる、いって見たら」、というので地図で探し探ししながら、途中、何度も道を尋ねながら一人で運転してようやくたどり着きました。
当時、もちろんバスは通っていませんでした。
途中の道は車が一台通るのがやっと。雨上がりで、道と川が一緒になり、
その細流と道が交差したり、離れたりして、時折、リスが道を走ります。
村は全く観光地化されておらず、人の姿もまばらです。
村人に質問したら、村の書記を紹介してくれ、この人にいろいろ教えて
もらいました。こんな村が北京市内にあることを知りませんでした。
その後、何回も知り合いを連れていき、北京の朝日新聞の記者に話したら
大きな記事になりました。
今はバスが通ってるのですね。
門頭溝区は随分、車で「探検」しました。大好きな場所です。
病気で死んでしまった配偶者(中国人)とも、ドライブしました。
石炭を掘ってる「穴」を覗いたり、初春に山一面に咲く梅の色を楽しんだり、遺跡を訪ねたり、一人で簡単な舟(2艘の小型の舟をちょうど大型のゲタのようにして、櫂でこぐのです)でやっている「鵜飼」を「発見」したり、またその人が捕った川魚を出す道端の食堂で食事したり、もう忘れてしまったことがたくさんありますが、車の運転を最初からしていたので、自由に行動でき、未知の世界を知ることができました。
門頭溝の鵜飼は、この人の話によるとあのあたりではそのころすでに一人だけということでしたが、北京から唐山へ行く途中で、10艘ほどの鵜飼集団を見つけました。こういう漁法は江南や南の地方では珍しくありませんが、北方は川も少なく、今では珍しくなっているでしょう。
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