2007/06/23 - 2007/06/23
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のださん
東京23区で一番高い山と言われている愛宕山に控えているのが愛宕神社です。
防災の神様として、徳川家康の時代に創建されました。
6月23、24日は千日詣りと言って、この日に参拝すると千日分のご利益があるということなので、本日参拝します。
聞いたところによると、京都の千日詣りは、7月31日夜から8月1日早朝にかけて参拝するということですが、東京でも同様(23日夜から24日朝にかけて)なのかどうかは知りません。
まあ細かいことは気にしないようにします。
愛宕神社の最寄り駅はいくつかあって、裏を返せば中途半端な場所にあるということです。
バスでも行けます。
JRの浜松町駅や新橋駅から歩いてという手もありますが、このくそ暑い中、JRの駅から歩いてというのは私にとって自殺行為かもしれません。
今回私は都営三田線御成門駅から行くことにします。
ちなみに、御成門というのは増上寺の門の一つで、徳川将軍が増上寺に参詣する際に正門ではなくこの門を通ったことから、「将軍様が御成りになる門」ということで名付けられました。
近くには青松寺もあるので、そちらにも寄ります。
曹洞宗江戸三ヶ寺の一つです。
この寺には爆弾(肉弾)三勇士の墓があるということなので、お参りします。
三勇士というのは、上海事変において突破口を開くために敵陣に爆弾を抱えて突っ込んで自らも爆死した兵士三人のことで、美談になりました。
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いつも通りだらだら過ごしてしまい、御成門駅に着いたときにはすでに10時。
私の感覚では余裕で30℃は超えています。
どうでもいいですが東京タワーが見えます。
ここから青松寺に向かいます。 -
東京慈恵会医科大学が見えます。
どの建物がそうなのかわかりませんが、こちらの慈恵看護専門学校は、看護教育発祥の地だそうです。 -
青松寺山門に到着。
入り口では四天王の仏像が迎えてくださいます。
開基は太田道灌だそうです。 -
「消災地蔵尊」だそうです。
説明がないのでわからないが、愛宕神社と何か関係があるのでしょうか? -
その消災地蔵尊の後ろに控えておられるのが「法輪大観音」。
仏教の教えが広まるようにとの願いがこめられているそうです。 -
「鐘楼堂」。
梵鐘は勝手に撞いてはいけません。 -
そして本堂。
本尊は釈迦三尊です。
三勇士のお墓にお参りしたいと申し出たところ、もう一般には公開していないという返事です。 -
山門と本堂の間に位置する「中雀門」。
立派な構えです。
青松寺を後にします。 -
愛宕神社方面に向かっていると、掲示があります。
何と、エレベーターで上がれるようです。
しかし、暑さにはめちゃくちゃ弱い私ですが、せっかくだから参道を通りたいので、正門まで進むことにします。 -
正門に着きました。
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すげえ急勾配!
40度あるそうです。
素直にエレベーターを使えば良かったかな?
史実ではないそうですが、曲垣平九郎という人が徳川家光のために馬でこの石段を上り下りし、梅の枝を折って献上した、という講談が残っています。
そこから「出世の石段」と呼ばれています。
86段あり、男坂と言うそうです。
他にも女坂などがありますが、私はこの男坂を登っていきたいと思います。
ちなみに、参道の真ん中は神様の道なので、通ってはいけません。 -
やっと上がった!
ただでさえ汗だくなのに、もう止まりません。
下では静かだったのに、上ではさすがに賑やかです。 -
通例、6月30日と12月31日が大祓いですが、愛宕神社では千日詣りのときに夏越しの大祓いをするということで、茅ノ輪が飾られてあります。
これをくぐることで厄払いとするわけですね。
愛宕神社に来なかった人は、是非30日に大祓いをしておきましょう。 -
茅ノ輪をくぐった後にある「招き石」。
なでることによって福を身につけます。 -
そして本殿。
千日分のご利益があることを願います。 -
今日はほおづき市なので、社務所周りをほおづきが埋め尽くしています。
この愛宕神社は、ほおづき市発祥の地だそうです。
私は今日は買いません。
余裕があれば、買ってからお祓いをしてもらうと良いと思います。
ちなみに、社務所はセコムを導入しているみたいですね。
だからどうした? って感じですか? -
児盤水(小判水)だそうです。
平将門の乱の際、源経基がここで水垢離をとって愛宕様に祈願して神のご加護により乱を鎮圧した、という説明があります。
将門の乱を鎮めたのは確か藤原秀郷ですが、源経基は直接には手を下していないがここで神頼みをしたということで名前が残っているのでしょう。
清和源氏の祖と言われている人物ですが、誰を祖とするかは難しいところで、清和天皇、陽成天皇などの名前も挙がっており、私にはよくわかりません。
陽成源氏だとイメージが悪いから清和源氏と呼ぶようになったとの話も聞いたことがあります。 -
参道を上がってきてまず目に付く位置にあるのが、「桜田烈士愛宕山遺蹟碑」。
井伊直弼を斬る前、水戸藩士17名+薩摩藩士1名がここに結集したという話が残っています。
ここから桜田門までは結構歩くと思いますが、神頼みするのに神社であればどこでも良いというわけではなく、どうしてもこの神社が良かったのでしょうか?
雪の中大変だったと思います。
18名のうち天寿を全うしたのは2名のみで、後は闘死、自刃、自首後死罪、などです。 -
桜田烈士愛宕山遺蹟碑の裏には狂歌の碑があります。
この付近のことを詠んだ歌が刻まれているようです。 -
ほとんど読めませんが、「東京警視第二方面第一分署警部巡査戦死之碑」。
西南戦争での戦死者を祀った碑だそうです。
説明も何もないので、事前に知っておかないと素通りしてしまいます。 -
「起倒流拳法碑」。
明からこの国に起倒流拳法が伝わったことを記念してその末弟たちが建てたそうです。
よく見ると中国風の模様が刻まれていますね。
この神社で最古の碑ということです。
この一派は、講道館柔道に大きな影響を与えたそうです。 -
曲垣平九郎手折りの梅の木が残っています。
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神社の裏のほうに回ってみます。
田崎真也ワインサロン?
このビルの3Fにあるそうです。
そう言えば、この辺りに田崎さんプロデュースの店があると聞きました。
ワイン好きであれば寄ってみるのも良いと思います。
まあワイン云々抜きにしてもね。 -
愛宕山を下りていきます。
いくつか寺院がありますが、今日は「栄閑院」、通称「猿寺」へ参拝します。
行政上は虎ノ門に入るのかな? -
福禄寿が迎えてくれます。
猿塚、とありますが、開山直後の寛永のころ、寺に逃げ込んだ猿回しの盗賊が、住職により改心し、猿を置いて諸国を行脚したことから、この寺は「猿寺」と呼ばれるようになりました。 -
その隣には水子地蔵です。
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本堂。
浄土宗です。
今日は施餓鬼会と呼ばれる法要が行われています。
餓鬼たちに食物を施して供養した功徳により救われるという行事です。 -
本堂の裏手に、都指定史跡の「杉田玄白の墓」があります。
港区で唯一の都指定史跡だという話も聞きました。
難しい字の墓標ですが、「九幸杉田先生之墓」と読むそうです。
九幸というのは号ですね。
なぜここに杉田玄白の墓があるのかは知りません。
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