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昨日JR京浜東北線に乗り、大森駅に停車したとき、ホームにこのような標柱があるのを発見しました。<br />「日本考古学発祥の地」<br />私の場合、この駅は通過するばかりで、降りることはめったにありませんので、まじまじと見たのも初めてです。<br />上にはブロンズ製の土器像が載っています。<br />大森貝塚出土の土器を2倍程度に拡大したものだそうです。<br />そう、大森で連想するものと言えば、大森貝塚に他なりません。<br />1877年6月17日、つまり今から130年前、モース博士は横浜港に降り立ちました。<br />サンフランシスコを発って17日後のことです(意外と早い?)。<br />翌18日は博士の誕生日。<br />そして19日、横浜停車場(現在の桜木町駅)から新橋までの汽車の途中、大森停車場を発ってすぐ、白い貝殻が散らばっているのを発見しました。<br />横浜停車場を発ってから44分後だそうですが、現在京浜東北線の桜木町駅−大森駅間は約25分ということで、当時としては意外と健闘しているのではないでしょうか?<br />大森停車場ができたのが前年だそうで、停車場を出発した直後のスピードだったことも発見に影響しているかもしれません。<br />しかし、モース博士が貝塚を訪れるのは、それから3ヶ月後のことです。<br />縄文時代の名は、モース博士が、貝塚から出てきた土器を&quot;cord marked pottery&quot;と表現したことに由来します。<br /><br />大森貝塚の碑が建っていますが、実は、貝塚碑は2つあります。<br />現在の大田区側(大田区山王1丁目)と品川区側(品川区大井6丁目)です。<br />大森は大田区の地名ですが、一般に貝塚跡と言われているのは品川区側のほうです。<br />大森貝塚と名付けられたのは、大森駅の近くでイメージを持ちやすいから、という話を聞いたことがあります。<br />品川区は、モース博士の出身地であるメイン州ポートランド市と姉妹都市関係にあります。<br />それに対抗したのかどうかは知りませんが、大田区立郷土博物館は、モース博士が第3代館長を勤めたピーボディー・エセックス博物館と姉妹館提携を結んでいます。<br />ちなみに、大田区の「大田」は大森の「大」と蒲田の「田」が組み合わさってできたので「おおたく」は「大田区」だと憶えておけば、「太田区」と間違うことはありません。<br /><br />ということで、本日は大森貝塚跡とその近くにある品川歴史館を訪れる&quot;自転車&quot;での旅にでかけます。<br />自転車で行ける距離ですので。<br />品川歴史館では、「浮世絵 品川めぐり」という企画展が開催されており、本日最終日です。<br />こちらの所蔵で有名、かどうかは知らないが、三代歌川広重の「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」という絵がありまして、鉄道開通の前年に描かれた予想図みたいなものですが、それも生で観られるかもしれないということで、楽しみです。<br />江戸時代前までは、「うきよ」は「憂き世」であり、辛い世の中でしたが、江戸時代という平和な世が訪れて、浮き浮きした楽しい世になったから、「浮世」と呼ばれるようになりました。<br />同時に「浮世」は最先端や現代風という意味も持つようになり、つまり「浮世絵」というものは、今風の絵とでも言ったところでしょうか。<br />浮世絵と言えば私なんかは歌川広重を思い出しますが、初代広重は、安藤家に生まれ、本名である重右衛門と師匠である歌川豊広から一字ずつとって「広重」と名乗るようになりました。<br />浮世絵師の系統で最大派閥「歌川派」があり、広重も歌川豊国に入門しようとしたが弟子がいっぱいで断られ、歌川豊広に入門した、という話が残っています。<br />「安藤広重」と名乗ったのは三代広重で、それが原因で初代まで安藤広重とも呼ばれますが、姓と号を単純につなげるというのは明治になってからの文化であり、初代広重のころはやはり「歌川広重」と呼ばなければならないと思われます(今の中高生はどう習っているのでしょうか?)。<br /><br />前置きが随分長くなりましたが、スタートします。<br />今日も暑くなりそうです。

太古に思いを馳せて

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2007/05/27 - 2007/05/27

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のだ

のださん

昨日JR京浜東北線に乗り、大森駅に停車したとき、ホームにこのような標柱があるのを発見しました。
「日本考古学発祥の地」
私の場合、この駅は通過するばかりで、降りることはめったにありませんので、まじまじと見たのも初めてです。
上にはブロンズ製の土器像が載っています。
大森貝塚出土の土器を2倍程度に拡大したものだそうです。
そう、大森で連想するものと言えば、大森貝塚に他なりません。
1877年6月17日、つまり今から130年前、モース博士は横浜港に降り立ちました。
サンフランシスコを発って17日後のことです(意外と早い?)。
翌18日は博士の誕生日。
そして19日、横浜停車場(現在の桜木町駅)から新橋までの汽車の途中、大森停車場を発ってすぐ、白い貝殻が散らばっているのを発見しました。
横浜停車場を発ってから44分後だそうですが、現在京浜東北線の桜木町駅−大森駅間は約25分ということで、当時としては意外と健闘しているのではないでしょうか?
大森停車場ができたのが前年だそうで、停車場を出発した直後のスピードだったことも発見に影響しているかもしれません。
しかし、モース博士が貝塚を訪れるのは、それから3ヶ月後のことです。
縄文時代の名は、モース博士が、貝塚から出てきた土器を"cord marked pottery"と表現したことに由来します。

大森貝塚の碑が建っていますが、実は、貝塚碑は2つあります。
現在の大田区側(大田区山王1丁目)と品川区側(品川区大井6丁目)です。
大森は大田区の地名ですが、一般に貝塚跡と言われているのは品川区側のほうです。
大森貝塚と名付けられたのは、大森駅の近くでイメージを持ちやすいから、という話を聞いたことがあります。
品川区は、モース博士の出身地であるメイン州ポートランド市と姉妹都市関係にあります。
それに対抗したのかどうかは知りませんが、大田区立郷土博物館は、モース博士が第3代館長を勤めたピーボディー・エセックス博物館と姉妹館提携を結んでいます。
ちなみに、大田区の「大田」は大森の「大」と蒲田の「田」が組み合わさってできたので「おおたく」は「大田区」だと憶えておけば、「太田区」と間違うことはありません。

ということで、本日は大森貝塚跡とその近くにある品川歴史館を訪れる"自転車"での旅にでかけます。
自転車で行ける距離ですので。
品川歴史館では、「浮世絵 品川めぐり」という企画展が開催されており、本日最終日です。
こちらの所蔵で有名、かどうかは知らないが、三代歌川広重の「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」という絵がありまして、鉄道開通の前年に描かれた予想図みたいなものですが、それも生で観られるかもしれないということで、楽しみです。
江戸時代前までは、「うきよ」は「憂き世」であり、辛い世の中でしたが、江戸時代という平和な世が訪れて、浮き浮きした楽しい世になったから、「浮世」と呼ばれるようになりました。
同時に「浮世」は最先端や現代風という意味も持つようになり、つまり「浮世絵」というものは、今風の絵とでも言ったところでしょうか。
浮世絵と言えば私なんかは歌川広重を思い出しますが、初代広重は、安藤家に生まれ、本名である重右衛門と師匠である歌川豊広から一字ずつとって「広重」と名乗るようになりました。
浮世絵師の系統で最大派閥「歌川派」があり、広重も歌川豊国に入門しようとしたが弟子がいっぱいで断られ、歌川豊広に入門した、という話が残っています。
「安藤広重」と名乗ったのは三代広重で、それが原因で初代まで安藤広重とも呼ばれますが、姓と号を単純につなげるというのは明治になってからの文化であり、初代広重のころはやはり「歌川広重」と呼ばなければならないと思われます(今の中高生はどう習っているのでしょうか?)。

前置きが随分長くなりましたが、スタートします。
今日も暑くなりそうです。

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  • 9時半に出発したが、すでにかなりの暑さです。<br />線路沿いを北上し、池上通という通りに出ます。<br />大森駅を過ぎ、NTTデータビルの脇に、「大森貝墟碑」への入り口があります。<br />大田区側は「貝墟碑」、品川区側は「貝塚碑」と表現されます。<br />随分ひっそりとしているな。<br />一応矢印で示していますけど、見過ごしてしまうこともあるかもしれない。

    9時半に出発したが、すでにかなりの暑さです。
    線路沿いを北上し、池上通という通りに出ます。
    大森駅を過ぎ、NTTデータビルの脇に、「大森貝墟碑」への入り口があります。
    大田区側は「貝墟碑」、品川区側は「貝塚碑」と表現されます。
    随分ひっそりとしているな。
    一応矢印で示していますけど、見過ごしてしまうこともあるかもしれない。

  • 線路脇まで下りていくと、貝墟碑が建っています。<br />モース博士とともに発掘調査をした学生として、佐々木忠次郎という人物がいます。<br />考古学の道には進まず、理学博士となります。<br />日本の国蝶であるオオムラサキの学名&quot;Sasakia charonda Hewitson&quot;は、佐々木博士の功績に敬意を表してつけられたものです。<br />品川区側の貝塚碑は、本山彦一氏が発起人となって建てられ、佐々木博士も賛同人として名を連ねていますが、翌年、こちらの貝墟碑が佐々木博士の手によって建立されました。<br />以降、どちらがモース博士による発掘場所か、論争が続きました。<br />鉄道の拡張工事により、どちらからも貝塚が発見されたとは思いますが、現在では、モース博士の発掘場所は品川区側でほぼ間違いないとされています。<br />それでは、一部で言われているように、佐々木博士が名誉欲を満たすためにどうしても自分の名前を第一に刻みたかったから貝墟碑が建てられたのでしょうか?<br />モース博士らが貝墟碑側を発掘していないとも言い切れず、今となっては知る由もありません。<br />これに関しては、今後も研究は続くでしょう。

    線路脇まで下りていくと、貝墟碑が建っています。
    モース博士とともに発掘調査をした学生として、佐々木忠次郎という人物がいます。
    考古学の道には進まず、理学博士となります。
    日本の国蝶であるオオムラサキの学名"Sasakia charonda Hewitson"は、佐々木博士の功績に敬意を表してつけられたものです。
    品川区側の貝塚碑は、本山彦一氏が発起人となって建てられ、佐々木博士も賛同人として名を連ねていますが、翌年、こちらの貝墟碑が佐々木博士の手によって建立されました。
    以降、どちらがモース博士による発掘場所か、論争が続きました。
    鉄道の拡張工事により、どちらからも貝塚が発見されたとは思いますが、現在では、モース博士の発掘場所は品川区側でほぼ間違いないとされています。
    それでは、一部で言われているように、佐々木博士が名誉欲を満たすためにどうしても自分の名前を第一に刻みたかったから貝墟碑が建てられたのでしょうか?
    モース博士らが貝墟碑側を発掘していないとも言い切れず、今となっては知る由もありません。
    これに関しては、今後も研究は続くでしょう。

  • 貝墟碑から300m弱ほど北上し、品川区に入ります。<br />品川区立大森貝塚遺跡庭園に到着。<br />入れる時間は決まっているようです。<br />結構立派な造りのようです。<br />貝墟碑側とは大違いだ。

    貝墟碑から300m弱ほど北上し、品川区に入ります。
    品川区立大森貝塚遺跡庭園に到着。
    入れる時間は決まっているようです。
    結構立派な造りのようです。
    貝墟碑側とは大違いだ。

  • 敷地は結構広いです。<br />広場では、約30分毎に地面から霧が発生します。<br />幻想的な雰囲気を醸し出させるためだそうですが、ちょっと違うような気がする・・・

    敷地は結構広いです。
    広場では、約30分毎に地面から霧が発生します。
    幻想的な雰囲気を醸し出させるためだそうですが、ちょっと違うような気がする・・・

  • この方の銅像は外せません。<br />ご存知、エドワード・シルベスター・モース博士。<br />1877年当時39歳です。<br />銅像はえらく老けて見えますが、高齢のころのお姿を描いたのでしょうか?<br /><br />そばには、品川区とポートランド市の姉妹都市提携の記念碑があります。

    この方の銅像は外せません。
    ご存知、エドワード・シルベスター・モース博士。
    1877年当時39歳です。
    銅像はえらく老けて見えますが、高齢のころのお姿を描いたのでしょうか?

    そばには、品川区とポートランド市の姉妹都市提携の記念碑があります。

  • 大森貝塚から発掘された貝層が残っています。

    大森貝塚から発掘された貝層が残っています。

  • 実際に出土した本物の貝殻を触ることができます。

    実際に出土した本物の貝殻を触ることができます。

  • こちらが「大森貝塚碑」です。<br />京浜東北線・東海道線が通る線路の脇にあります。<br />先ほどの貝墟碑も線路脇ですが、両碑の扱いには極端に差があります。<br />こちらは庭園が造られているくらいですので、こちらしか知らなくても無理はありません。<br />碑面には「佐々木忠次郎」の名もあります。<br /><br />ちなみに私は電車から見た(見えた)ことはありませんので、今度見てみようと思います。

    こちらが「大森貝塚碑」です。
    京浜東北線・東海道線が通る線路の脇にあります。
    先ほどの貝墟碑も線路脇ですが、両碑の扱いには極端に差があります。
    こちらは庭園が造られているくらいですので、こちらしか知らなくても無理はありません。
    碑面には「佐々木忠次郎」の名もあります。

    ちなみに私は電車から見た(見えた)ことはありませんので、今度見てみようと思います。

  • こちらがトイレ。<br />入ってはいませんが、なかなかきれいそうな感じがします。<br />縄文土器をモチーフにして造られたそうです。

    こちらがトイレ。
    入ってはいませんが、なかなかきれいそうな感じがします。
    縄文土器をモチーフにして造られたそうです。

  • 庭園を後にし、さらに北上、品川歴史館まで。<br />大森駅から歩けばどのくらいかかるかは知りませんが、結構距離はあるような気がします。<br />もう11時です。<br /><br />入場料は100円とお安くなっています。

    庭園を後にし、さらに北上、品川歴史館まで。
    大森駅から歩けばどのくらいかかるかは知りませんが、結構距離はあるような気がします。
    もう11時です。

    入場料は100円とお安くなっています。

  • 常設展のみ撮影可能です。<br />30分毎に、スクリーンに6分間浮世絵が映し出されます。<br />品川の歴史ですので、江戸時代中心と言ったところでしょうか?<br />入り口には、「傍示杭」といって、宿や村の境を示す杭が立っています。<br /><br />もらえる資料も充実していますので、後で復習するのに便利です。<br />展示点数はそれほど多くない気がしますが、100円ですし、この安さで楽しめれば十分ですね。

    常設展のみ撮影可能です。
    30分毎に、スクリーンに6分間浮世絵が映し出されます。
    品川の歴史ですので、江戸時代中心と言ったところでしょうか?
    入り口には、「傍示杭」といって、宿や村の境を示す杭が立っています。

    もらえる資料も充実していますので、後で復習するのに便利です。
    展示点数はそれほど多くない気がしますが、100円ですし、この安さで楽しめれば十分ですね。

  • 年表を見ると、大森貝塚は約3,500年前のものだそうです。

    年表を見ると、大森貝塚は約3,500年前のものだそうです。

  • 肥後熊本藩細川家が下屋敷として幕府から拝領した「戸越屋敷」の模型があります。<br />鷹狩りなどに使われていたようです。<br />現在は戸越公園ですね。<br />東急大井町線の戸越公園駅というところがありまして、私が大井町線沿いに住んでいたころ、ゆたか図書館という図書館に行くために極たまに降りたことがありますが、戸越公園自体には行ったことがありません。<br />今でもこの駅では大井町寄りの2両のドアは開かないようですね、などという話はどうでもいいですか?

    肥後熊本藩細川家が下屋敷として幕府から拝領した「戸越屋敷」の模型があります。
    鷹狩りなどに使われていたようです。
    現在は戸越公園ですね。
    東急大井町線の戸越公園駅というところがありまして、私が大井町線沿いに住んでいたころ、ゆたか図書館という図書館に行くために極たまに降りたことがありますが、戸越公園自体には行ったことがありません。
    今でもこの駅では大井町寄りの2両のドアは開かないようですね、などという話はどうでもいいですか?

  • 品川宿本陣模型。<br />本陣とは、大名や公家が宿泊や休憩をした施設のことですね。<br />品川宿本陣は、現在は聖蹟公園です。<br />明治天皇が休息したことから聖蹟と名付けられたそうです。

    品川宿本陣模型。
    本陣とは、大名や公家が宿泊や休憩をした施設のことですね。
    品川宿本陣は、現在は聖蹟公園です。
    明治天皇が休息したことから聖蹟と名付けられたそうです。

  • 「紅絵は、墨一色で摺った絵に紅で彩色したもので、浮世絵版画の一種」という説明があります。<br />その紅絵を売る行商を、当時の錦絵から再現した模型だそうです。<br /><br />この姿で江戸中を歩き回ったので、大いに流行したそうです。

    「紅絵は、墨一色で摺った絵に紅で彩色したもので、浮世絵版画の一種」という説明があります。
    その紅絵を売る行商を、当時の錦絵から再現した模型だそうです。

    この姿で江戸中を歩き回ったので、大いに流行したそうです。

  • 企画展も良かったなあ。<br />初代・二代・三代の広重の作品が多かったです。<br />浮世絵にはまりそうです。<br />今年はちょっと観る機会が増えるかもしれない。<br /><br />立派な庭園もあります。<br />庭園だけに無料で入ることもできるそうです。

    企画展も良かったなあ。
    初代・二代・三代の広重の作品が多かったです。
    浮世絵にはまりそうです。
    今年はちょっと観る機会が増えるかもしれない。

    立派な庭園もあります。
    庭園だけに無料で入ることもできるそうです。

  • 水琴窟があります。<br />こちらはぶっ壊れているのでしょうか?<br />館内に仕組みを説明した機械が置いてあるので、そちらで音を聴くことができます。

    水琴窟があります。
    こちらはぶっ壊れているのでしょうか?
    館内に仕組みを説明した機械が置いてあるので、そちらで音を聴くことができます。

  • 竪穴住居跡を復元したものです。<br />品川歴史館を建設するときに住居跡が多数発掘され、それをこちらに復元しているとのことです。

    竪穴住居跡を復元したものです。
    品川歴史館を建設するときに住居跡が多数発掘され、それをこちらに復元しているとのことです。

  • 小川も流れる雰囲気の良い庭園です。<br /><br />もう13時です。<br />帰ります。

    小川も流れる雰囲気の良い庭園です。

    もう13時です。
    帰ります。

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