2007/04/04 - 2007/04/05
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夕陽丘(ゆうひがおか)は古来より夕日が美しいことで知られている。
藤原定家らと「新古今和歌集」を編纂した鎌倉時代の歌人・藤原家隆(1158−1237年)が,「夕陽庵(せきようあん)」という庵を建て,移り住んだ頃から夕陽丘と呼ばれるようになったとのこと。1237年に四天王寺に出家した藤原家隆は、夕陽丘より見える(現在は見えないが)「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、その彼方にある極楽へいくことを望み歌を詠んだ。
契りあれば なにわの里に やどりきて 波の入日を 拝みつるかな
上町台地の代表的な坂・口縄坂からは海は見えないもののビルの間に沈む真っ赤な夕日を見ることができた。
口縄とは蛇のことで、道の起伏が「蛇(くちなわ)」に似ているところから、この名が付けられたと伝えられる。代表作「夫婦善哉」で知られる織田 作之助(おだ さくのすけ、1913−1947年)は天王寺区上汐町で生まれ育ち何度も歩いた口縄坂を「 木の都 」に描き、文章の一部が文学碑に記されている。
口縄坂は 寒々と木が枯れて
白い風が走っていた。
私は石段を降りて行きながら
もうこの坂を登り降りすること
も当分あるまいと思った。
青春の回想の甘きは終わり 新しい
現実が私に向き直って来た様に
思われた。
風は 木の梢にはげしく 突っ掛っていた。
織田 作之助の作品には、大阪庶民の人情や自分が生まれ育った街への愛着がにじみ出ている。口縄坂沿いには夕陽丘高等女学校があり、織田 作之助は女学生に淡い恋心を抱いていた。好きな女学生とすれ違うかもしれないと心をときめかしながら何度も口縄坂を上り下りしたことだろう。口縄坂は織田 作之助の作品も育てた。
口縄坂の途中には1602年開創の「善龍寺(ぜんりゅうじ)」があり、桜がきれいに咲いていた。寺の説明板によると、
「口とぢて蛇坂を下りけり」
という句を芭蕉が詠んでいるとのこと。
夕陽丘を訪れた人は誰もが夕日の美しさに感嘆したことだろう。
(写真は口縄坂から見る夕日)
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