イースター島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
【期間】2001年7月19日〜2001年7月30日<br /><br />【略号】日本航空(JL) キャセイ・パシフィック航空(CX)カンタス航空(QF) ランチリ航空(LA)  ランペルー航空(LP)ヘリクスコ (HC) ヴァリグ・ブラジル航空(RG) ブリティシュ・エアウエィズ(BA)  成田(NRT) ソウル(ICN) 香港(HKG)オークランド(AKL) ブエノスアイレス (BUE)サンチャゴ(SCN)イースター島(IPC) リマ (LIM)クスコ(CZU) アグアスカリエンテス(AC) リオデジャネイロ(GIG)ロンドン(LHR)<br /><br />【行程】 <br />7/19 (木)  JL731 成田10:00&#8212;13:30x. ICN <br />         CX411 ICN 15:40&#8212;18:20x.HKG<br />         CX107 HKG 20:25&#8212;11:10+1AKL<br />7/20 (金)  QF115 AKL 16:15&#8212;12:45x.BUE<br />         LA460 BUE 14:15&#8212;15:30 SCL<br />7/21(土)LA831 SCL 08:45&#8212;12:45 IPC<br />7/23(月)LA834 IPC11:30&#8212;18:10 SCL<br />          LA600 SCL23:40&#8212;02:45+1x.LIM<br />7/24 (火)LP025 LIM06:00&#8212;07:15x. CUZ<br />HC CUZ 08:30&#8212;08:55 AC<br />7/25 (水)   HC AC 15:30&#8212;15:55 CUZ<br />7/26 (木)LP034 CUZ 12:25&#8212;13:40x.LIM<br />7/27 (金)RG8845 LIM 01:05&#8212;09:25 GIG<br />7/28 (土)BA264 GIG17:40&#8212;11:00+1.xLHR<br />7/29 (日)BA005 LHR13:25&#8212;09:10+1NRT<br /><br />【費用】<br />?	(SEL&#8211;NRT/HND&#8212;SPK&#8212;HND/NRT) ---ICN<br />Y:class/RT  @ JL 海外発AWARDの復路<br />?	One World Explorer 4大陸@2,438,300KRW<br />?	LIMA---CUZCO  LA事前割引US$140/RT<br />? CUZCO---Aguas Carientes HELI.CUSCO事前往復割引 US$170/RT<br />? LHR &#8211; NRT &#8211;(--LHR)  JL海外発AWARD<br /> <br /><br /><br />【宿泊費】 <br />Santiago / Hotel Japon  @US$45<br />Easter Is / Hotel OTAI  @US$60 x3<br />Machupichu Sanctualy Lodge @US$326<br />Cusco/ El Quijote @US21<br />Riodejaneiro / Hotel San Marco @US$38<br /><br /><br />ある朝、住み慣れた我家の壁の沁みをうつらうつら眺めていたとき、ふと 思い立った。<br />「そうだ、世界一周航空券を使って、遠い国にある世界遺産を視てこよう!」と。<br /> 私は世界一周はこれで3度目だ。 この航空券は、地球の裏側にある遠い国まで一筆書きで旅していけるのだが、各駅停車で連鎖しあう異文化のリングを愉しむには、1回の休暇では足りなく、ピンポイントで行ってこいの目的にしか使いこなせなかった。<br />「そうだ関野吉晴みたいに、途中で1回帰ってくればいいじゃないか!」と、その時、気がついたのである。かくして「夏休み」と「GW」の2つの期間に分けて、私は永年温めていたグレート・ジャーニーに出かけることにした。<br /><br />話は6年前の大晦日、あの不思議な木彫に出会った事から話さねばならない。 前夜、東京を発って、テアナウ行きへの便を待っていたNZのオークランド空港・国内線ターミナルでの事だった。<br /> 冷やかしで覗いた [Treasure of Oceania]という美術品店のショーウインドの奥に、“彼”はいた。 <br />それはルーツを我々と同じ、モンゴロイドに持つ、マオリの人々が作った木彫の人形だった。<br />以前、ロトルアでマオリの伝統舞踊を観に行ったとき、村の大事な儀礼をおこなう家の軒先に組み込まれていた人形だった。「あれはテコテコといって、私達の村のお守りなのです」とマオリの青年から教えて貰った。 <br />その人形に私は一発で魅せられた。 太古の木、カウリから彫られた、その人形は村の古老のような表情をして、首には細長い翡翠が彼の武勲を示すかのごとく身に付けられていた。精緻に彫られた身体中の刺青は、まるでギュスターブ.モローが描いた「サロメ」の裸身に纏われたペイズリー文様のようで、瞳には鮮やかなPURAの貝の螺鈿が張られていた。<br /><br />John Collinsというマオリの職人の手になるその人形の値段を訊くと、それは、とても土産気分では買える金額ではなかった。オークランド博物館にも展示されている作家と知り、そういう場所におさまるべき品と手に入れるのを分不相応と諦めた。<br /> <br /><br />それから1週間して南島でのトレッキングからオークランドに戻ってきた。 持っている予約クラスの空きが前日まで取れなくて(350日前からクローズされている狭き門ではあるのだが、この年は例年以上に厳しかった)、しょうがなく、正規運賃を払う覚悟でいた。国際線ターミナルに移動する前にもう1度、あの木彫に会いたくなって、相変わらずひと気のない、その店をたずねた。<br /><br />「彼」はショーケースの奥で、私が戻ってくるのを100年前から知っているような表情で出迎えてくれた。「このテコテコは貴方を敵から守ってくれる、、」ロトルアで聴いた、あの言葉が思いかえされた。  「もう行かなければ、、」 衝動買いの最後の誘惑を断ち切り、私は永遠のサヨナラを言ってから、国際線行きのシャトルバスに飛び乗った。<br />チェックイン・カウンターで待ち受けていたのは、思わぬ言葉だった「お客様のMクラスをビジネス・クラスにアップグレードしてお乗り出来るように致しました」 彼だ! 彼がしてくれたのだ、、 思い込みの激しい私は、そう直感して、返すようにシャトルバスであの店のある国内線ターミナルに戻った。 <br />正規運賃に充てるはずだったお金は、私が清水を飛び降りるには充分だった。 かくして彼は、かつて先人達が辿ったグレート・ジャーニーを逆行するルートで日本に来ることになった。<br /> <br />日本に帰ってから彼は無言のまま、私の想像力を刺激し続けた。この不思議な表情を創造した人々はどこから来たのだろう? 私達の悟性(エートス)と遠い過去でどこか結ばれているのではないだろうか? そんな思いがいつしか遠い遠い、その島へのグレート・ジャーニーへと私を掻き立て行った。<br /><br />こうして私は世界一周航空券のほかに、4種類もの航空券を準備して、世界一周旅行の前半の目的地である、IPCと3コードを持つその島へと旅立った。<br /> <br /><br />Isla de Pascua :パスクワ島 現在チリ領である、その島はスペイン名の頭文字をとってIPCという空港コードを持つ。しかし初めて、この島にやってきたのはポリネシア人だった。紀元4-5世紀頃、彼らは、果てしない海原を天空儀も大洋帆も無い筏船で旅して来て、その島に出会ったのだった。<br /><br />宇宙のような太平洋を漂流して、辿り着いた、この島に、彼らはとても感動したに違いない。そこには森も水も豊富で、太平洋を流浪の民からすれば、その島は、母なる自然からの大きな贈り物とさえ感じたのだったのでは、なかっただろうか? <br /><br />それで、彼らはこの島をポリネシア語で<br />「ラパヌイ:輝く大地」と名づけた。 <br />それから1200年の時が流れた。今度はオランダ人がもっと大きな船で現れて、この島を未開の島として「発見」した。その日がキリスト教の復活祭にあたったので、それ以降は我々に最も馴染みの深い、「イースター島」と呼ばれようになった。<br /><br />&#9755; 成田--仁川--ランタオ島 19 July<br />朝8:00 JALのGlobal Club のチェックイ<br />カウンターでソウル発の特典航空券と世界一周航空券を出しながら、カウンター嬢の言葉に思案した。 「本日はどちらまで、、」 「えーと、サンチアゴまで、、」ICNのタッグを握っていたカウンター嬢は、狐につままれた表情をしている。長い説明をしても、彼女の顔からは、その疑問が消えないようでいた、、、「なんでまっすぐに行かないの?」 結局、荷物のスルーは間をとってオークランドまでにした。<br />インチョン着 13:30 キャセイがストライキだったので、計画していた便が運行中止になり、ヒヤヒヤで 15:40の代替便に乗り換える。<br />香港着18:20  AKL便は思いがけずビジネス・クラスにアップグレード。世界屈指のCXラウンジの豪奢な個室でシャワーを浴びてから、飲茶とワンタンメンで束の間の香港気分を味わう。<br /><br />&#9755; 香港--オークランド--ブエノスアイレス&#8212;<br />サンチアゴ    20&#8212;21 July<br />香港発 20:25 翌日オークランド11:10着<br />この路線は7ヶ月前に飛んだばかりだが、今度は真冬の南半球、空港にいたマオリたちの服装がフリースなどを着込んでいると、アラスカ人かと見間違う。こうして、見ると、やっぱりおんなじモンゴロイドなんだなあ、、と実感する。<br /> オークランド16:15 ブエノスアイレス着同日12:45 日付変更線を超えて、昨日への旅をした。<br />(これってタイムトリップ?)ブエノスアイレス発 14:15  サンチアゴ着 15:30 <br />ここまでよくもまあ、ディレィせずに乗り継いで到着したもんだ、と「旅の女神」に感謝する。それにつけても何回、飯 食ったけ?<br /> <br />&#9755; サンチアゴの雲丹         20 July<br /> この町で楽しみにしていたのが、雲丹!<br />そのため何回も機内食をパスしていたのだが、、<br />(ウソです!)空港で翌朝のフライトの確認や手配をしているうちに有名な海鮮市場は閉まってしまった。Lonely Planetご推薦のチリ料理店で夕食を取る。先ずはブドウから作られる蒸留酒ピスコとレモンジュースに卵白身をシェイクしたピスコ・サワーで喉を潤し、魚介の冷菜、伊勢海老のリゾットを食した。流しの似画絵描きが来たので、旅先の酔狂に描いて貰ったら、随分と疑い深い男が、そこには描かれていた。自分とはこう見える男なのだろう、己を知るとは難しいものだ。<br /> <br /><br />&#9755; サンチアゴ--イースター島    21 July<br /> 今回使用した航空券はOne Worldグループに属する航空会社の路線を使ってのExplorerという世界一周航空券だ。 このOne Worldにラン・チリ航空が加盟した当初はタヒチのパペーテからイースター島に飛べるので、旅の知恵者には熱狂された特典だったが、その後、規則が変更されて、サンチアゴからの往復のみがイースター島入り出来るルートになった。 初めて乗るラン・チリ航空(LA)は機材、乗務員、地上サービス共に洗練されていて、Web Siteからの予約・各種割引など、第一級の航空会社と感心した。<br />サンチアゴ発 8:45 イースター島 12:45 着<br />飛行機が島に近づくと、まず島を一周旋回してくれて、乗客を喜ばせてくれる。 思わず双眼鏡を出して、どこにモアイが?と捜すうちに、NASAがアポロ宇宙船の緊急着陸用に無償でこしらえた長さ3300mもの上等な滑走路に飛行機は滑り込んだ。<br />大陸から戻ってきた家族の出迎えだろう、島民の半分はきているんじゃないか?という程の賑わいだった。その混雑の中、Web Siteで予約したホテルが私のネームプレートを持って向かえに来ていた時にはさすがにほっとした。<br />ホテルに着き、滞在中のアクティビティを宿の女主人と相談して、手配して貰った。 このホテルは島の唯一の集落のハンガロア村にあり、 すぐそばに波止場がありました。ダイビング・ショップを訪ねると、午後のツアーから帰ってきたダイバー達が機材を洗っているところだった。<br /><br />そそるなあ、太平洋の一番遠い島でのダイビング (お魚たちは純朴だろうなあ、、)それから、Taxiで、島で一番高いラノカウ山に行った。海抜240mの山頂にはストーンヘッジのような祭祀所が残っていた。遮るものも無い頂きなので、突風が吹けば目の前の大海原に吸い込まれそうだ。 <br /><br />かつて 島には複数の部族があり、誰が支配権を持つか、内戦による惨禍を避ける為に考えられたのが「鳥人儀礼」だった。春にアホウ鳥の群れが産卵のため、島から300m離れて切り立って聳える岩礁に飛んで来る。 毎年,部族から選ばれた若者達は祭祀所からまっ逆様に山を駆けて行き,激しい海流や襲い来る鮫をも恐れず、遠い岩礁まで泳いでいき、岩礁を登って、産み落としたばかりの玉子をこの祭殿まで持ち帰えって来て、奉げ物とした。そして<br />1番目に持ち帰った者の部族が、その年の生存優位権を握ったという。  真青な海を見詰めながら、生きるとはなんと苛酷であったか?と、感じた。<br /> <br /><br />一回、村に帰っていったTaxi(ある時は自家用車)が待ち合わせの場所に戻って来た。島内に10台も無いので、観光客のいる時は大忙しだ。 夕刻になり 村から唯一歩いて行けるアフ・コテリクのモアイ群に地図を頼りに歩いて行った。着いた時、すでに、夕陽は落ち始めて、辺りにはもう誰も居なかった。高さ8mもあるモアイはすでにシルエットとなって、私の前に聳えていた。 <br /> モアイと2人だけで、真っ赤に染まる太平洋を見詰めた。 物凄い夕陽だった。 「私は君と繋がっているんだよ」 シャイなモアイが暗闇で、そう云っているようにさえ思えた。 ぼーとして気がつくと真っ暗だった。電柱の無い道を、1時間もかけてホテルに帰った。成田を発って、58時間経っていた。 <br />「ここに来て良かっただろう」テコテコの「彼」が その夜、夢の中に出てきて、そう云った。<br /><br /><br />&#9755; イースター島    22--23 July<br />翌日 ツアーのワゴンが来て、小グループで島を時計反対に周遊した。サンチャゴから来たチリ人夫婦、ブエノスアイレスから女教師、リオからの親子連れ、、皆、僕に訊いてきた。 <br />「Where are you come from ?」 <br />「Japan」と答えると、私は思わぬ敬意を受けた。それは「タダノ」という九州にあるクレーン・メーカーが何の見返りも無く、無償で、この島のモアイの保存・復元に功績を残していたからだ。<br /><br />ララノク山に入ると、切り出されて運ばれなかった未完のモアイ達に出会える。 その数はモアイ倒し戦争を経た今日では海岸に立つモアイの数を遥かに超える程だ。「どうやってモアイは運ばれたのか?」「何故モアイは倒されたのか?」「この島に住んでいた人は何処から来て、そして、どこに去って行ったのか?」遥か北洋の島から旅してきた私の問いかけにも、その倒されたモアイ達はただ無言で目の前の太平洋を視つめているばかりだった。<br />土に埋もれるこれらのモアイに、「明るい無常観」というような達観したものを感じました。言語矛盾でしょうが、そんな不思議な感動がここイースター島に来て旅人が感じるオーラのように思えた。<br /> <br /><br /> 翌日 島の教会で日曜の礼拝に参加した。カソリックの聖歌も見事に「ポリネシアのゴスペル」に変容され、異邦人をも温かく招いてくれた。ゴーギャンが聖書の挿絵を描いたらこうなるのかな?というカラフルな祝祭と祈りだった。<br />町で「ロゼッタストーン」のような木片を見つけた。それは、かつてこの島で使われたロンゴ・ロンゴという象形文字が刻まれた板だった。しかし、その文字の意味は未だ解明されていないという。<br /> <br /><br />&#9755; イースター島--サンチアゴ   23 July<br />イースター島 11:30発 18:10サンチャゴ着<br />日系寿司屋で夕食。ここで訊いたアルマス広場近くの老舗でコンチャ・イ・トロの名醸ワインを発見。市内の酒屋ではこの種のプレミアムワインは入手困難らしい。サンチャゴ空港に戻り、23:40 発<br /> <br /><br />&#9755; サンチアゴ--リマ--クスコ<br />--アグアスカリエンテス   24 July<br />リマ着02:45着 06:00発 クスコ着07:15<br />HeliCuzco08:30アグアスカリエンテス8:55着<br />イースター島を前日の昼に発って、翌日の朝にはマチュピチュに辿り着いた。今回の旅程中、一番きわどい乗り継ぎに無事成功した。シンドカッタけど、最後のヘリコプターで、インカ街道をコンドルの如く見下ろし、たった25分でマチュピチュに着いたのは痛快だった。(アウトバゴンという観光列車だと8時間もかかる)鉄道では寄れない様々なインカ遺跡を周遊しながら飛ぶこの航路は、お勧めです。<br /> <br />&#9755; マチュピチュ・サンクチャリィロッジ   <br /> シンプソン・オリエント急行グループの経営になる贅沢なロッジに泊まる。自分の部屋から、世界遺産が見晴らせる至福。調度品も洗練を極めつつ、エコツーリズムへの配慮も完璧なホテル。マチュピチュでは宿泊施設はここだけで、それ以外は麓のアグエスカリエンテスから朝10時、夕方5時のバスで通勤することになる。夕刻には各部屋にカナッペとシャンパンが届けられる。マチュピチュが静けさを取り戻し、ワイナピチュの頂が赤く染まるのをテラスで美酒を傾けながら陶然と眺められる。<br /> <br /><br />&#9755; ワイナピチュ登攀      25 July<br />朝5時起床、6時の開門で一番に遺跡に入る。 <br />誰もいない山道をワイナピチュの頂きを目指して登る。身体から汗が滝のように流れてくる。急な勾配の稜線を1時間半かけて頂上に登る。頂上といっても切り立った岩が乗っかっているだけで、踏み外せば、谷底にまっさかさまだ。ここからから眺めるマチュピチュは神々しかった。<br /> <br />&#9755; アグアスカリエンテスの露天風呂   25 July<br />地名はスペイン語で熱い水。 つまり温泉が出るのだ。 登山で流した汗を落としたくて訪ねた。川のせせらぎを眺めながらの露天風呂は最高だった。<br />一風呂浴びて、ピスコサワーを飲んだ。 甘露甘露 3:30アグエスカリエンテス発3:55 クスコ着 高度障害も先に低いマチュピチュで1泊する順序のお陰で起こらなかった。 Websiteで見つけた民宿に泊まる。骨董屋でフォークロアなイコンを買う。夕刻アルマス広場の老舗のEl Trucoにて夕食 <br /> <br /><br />&#9755; クスコ--リマ--リオデジャネイロ   26  July<br />午前中エルドラドの贅を尽くした教会郡に感嘆する。その裏の迫害の歴史。 布教の光と影を感じる。<br />12:25 クスコ発 13:40 リマ着<br />太平洋に突き出た店Costa Verdeにて雲丹、伊勢海老を飽食。骨董屋で19世紀の聖母像を入手する。深夜、バリグ機でリオ・デ・ジャネイロに飛ぶ。<br /><br />&#9755; リオ・デ・ジャネイロ  27   July<br /> <br />リオ・デ・ジャネイロ着09:25 10年ぶりのリオ。 心が浮き立つ。空港に降り立ちブラジル人が喋っているだけで、音楽に聴こえてくる!なんて柔らかい音色だろう。それから空港のビュッフェで昼食 野菜が旨い!生き生きとしている!アンデスを越えて、アマゾンの大河に潤されると、野菜はこうも違うものか? また人生の悦楽家の国はその食べ方や料理も華やかだ。ここはわずか1000円でシュラスコ料理から、にぎり寿司!フルーツ、デザートで豪華盛り沢山。私の空港食堂の番付ではCDGに昔あったマキシムを抜いて一等賞になった!<br /> <br /><br />16:00イパネマの宿に着く。夕刻あの「イパネマの娘」の曲が産まれたグロッタ・デ・イパネマで夕食。 残念ながら僕のイパネマの娘とは遭遇できず。姉妹店のビニシウスでボサノバのライブを愉しむ。リオの夜は終わらない。深夜 プラッタフォルマ1にてサンバショーを観る。前にも来たが、相変わらず黒人の司会者の、客への盛り上げ方が上手い。遊び疲れてホテルに戻ったのは深夜4時を回っていた。<br /> <br /><br />&#9755; リオデジャネイロ--ロンドン--成田   28-30 July<br />翌朝、周遊バスで コルコバードの丘、マラカラン・スタジアムを見学した。20万人を収容するサッカーの聖地 その周りの巨大なスラム街から、とてつもないハングリー精神を高揚させて、戦士たちはワールド・カップに出陣していくのだと知った。<br />リオ・デ・ジャネイロ発17:40 大西洋を横断してロンドン着翌日11:00 そのまま東京行きに乗り換えて13:25発 翌朝09:10 成田着 帰りは11993マイル、空中に3日間もいた長旅だった!<br />帰宅すると、「彼」がいた。達観した顔を見て古老だと思っていたが、鳥人儀礼に挑んだ若者はこんな顔をしていたかも知れないと、その時、気が付いた。<br />          (世界遺産一周紀行 第一部)<br />

遥かなるラパヌイ - モンゴロイドが辿った二つの足跡を旅して –

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2001/07/19 - 2001/07/30

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bloom3476

bloom3476さん

【期間】2001年7月19日〜2001年7月30日

【略号】日本航空(JL) キャセイ・パシフィック航空(CX)カンタス航空(QF) ランチリ航空(LA)  ランペルー航空(LP)ヘリクスコ (HC) ヴァリグ・ブラジル航空(RG) ブリティシュ・エアウエィズ(BA) 成田(NRT) ソウル(ICN) 香港(HKG)オークランド(AKL) ブエノスアイレス (BUE)サンチャゴ(SCN)イースター島(IPC) リマ (LIM)クスコ(CZU) アグアスカリエンテス(AC) リオデジャネイロ(GIG)ロンドン(LHR)

【行程】 
7/19 (木) JL731 成田10:00—13:30x. ICN
CX411 ICN 15:40—18:20x.HKG
CX107 HKG 20:25—11:10+1AKL
7/20 (金) QF115 AKL 16:15—12:45x.BUE
LA460 BUE 14:15—15:30 SCL
7/21(土)LA831 SCL 08:45—12:45 IPC
7/23(月)LA834 IPC11:30—18:10 SCL
LA600 SCL23:40—02:45+1x.LIM
7/24 (火)LP025 LIM06:00—07:15x. CUZ
HC CUZ 08:30—08:55 AC
7/25 (水) HC AC 15:30—15:55 CUZ
7/26 (木)LP034 CUZ 12:25—13:40x.LIM
7/27 (金)RG8845 LIM 01:05—09:25 GIG
7/28 (土)BA264 GIG17:40—11:00+1.xLHR
7/29 (日)BA005 LHR13:25—09:10+1NRT

【費用】
? (SEL–NRT/HND—SPK—HND/NRT) ---ICN
Y:class/RT @ JL 海外発AWARDの復路
? One World Explorer 4大陸@2,438,300KRW
? LIMA---CUZCO LA事前割引US$140/RT
? CUZCO---Aguas Carientes HELI.CUSCO事前往復割引 US$170/RT
? LHR – NRT –(--LHR) JL海外発AWARD



【宿泊費】 
Santiago / Hotel Japon  @US$45
Easter Is / Hotel OTAI @US$60 x3
Machupichu Sanctualy Lodge @US$326
Cusco/ El Quijote @US21
Riodejaneiro / Hotel San Marco @US$38


ある朝、住み慣れた我家の壁の沁みをうつらうつら眺めていたとき、ふと 思い立った。
「そうだ、世界一周航空券を使って、遠い国にある世界遺産を視てこよう!」と。
 私は世界一周はこれで3度目だ。 この航空券は、地球の裏側にある遠い国まで一筆書きで旅していけるのだが、各駅停車で連鎖しあう異文化のリングを愉しむには、1回の休暇では足りなく、ピンポイントで行ってこいの目的にしか使いこなせなかった。
「そうだ関野吉晴みたいに、途中で1回帰ってくればいいじゃないか!」と、その時、気がついたのである。かくして「夏休み」と「GW」の2つの期間に分けて、私は永年温めていたグレート・ジャーニーに出かけることにした。

話は6年前の大晦日、あの不思議な木彫に出会った事から話さねばならない。 前夜、東京を発って、テアナウ行きへの便を待っていたNZのオークランド空港・国内線ターミナルでの事だった。
 冷やかしで覗いた [Treasure of Oceania]という美術品店のショーウインドの奥に、“彼”はいた。 
それはルーツを我々と同じ、モンゴロイドに持つ、マオリの人々が作った木彫の人形だった。
以前、ロトルアでマオリの伝統舞踊を観に行ったとき、村の大事な儀礼をおこなう家の軒先に組み込まれていた人形だった。「あれはテコテコといって、私達の村のお守りなのです」とマオリの青年から教えて貰った。 
その人形に私は一発で魅せられた。 太古の木、カウリから彫られた、その人形は村の古老のような表情をして、首には細長い翡翠が彼の武勲を示すかのごとく身に付けられていた。精緻に彫られた身体中の刺青は、まるでギュスターブ.モローが描いた「サロメ」の裸身に纏われたペイズリー文様のようで、瞳には鮮やかなPURAの貝の螺鈿が張られていた。

John Collinsというマオリの職人の手になるその人形の値段を訊くと、それは、とても土産気分では買える金額ではなかった。オークランド博物館にも展示されている作家と知り、そういう場所におさまるべき品と手に入れるのを分不相応と諦めた。


それから1週間して南島でのトレッキングからオークランドに戻ってきた。 持っている予約クラスの空きが前日まで取れなくて(350日前からクローズされている狭き門ではあるのだが、この年は例年以上に厳しかった)、しょうがなく、正規運賃を払う覚悟でいた。国際線ターミナルに移動する前にもう1度、あの木彫に会いたくなって、相変わらずひと気のない、その店をたずねた。

「彼」はショーケースの奥で、私が戻ってくるのを100年前から知っているような表情で出迎えてくれた。「このテコテコは貴方を敵から守ってくれる、、」ロトルアで聴いた、あの言葉が思いかえされた。  「もう行かなければ、、」 衝動買いの最後の誘惑を断ち切り、私は永遠のサヨナラを言ってから、国際線行きのシャトルバスに飛び乗った。
チェックイン・カウンターで待ち受けていたのは、思わぬ言葉だった「お客様のMクラスをビジネス・クラスにアップグレードしてお乗り出来るように致しました」 彼だ! 彼がしてくれたのだ、、 思い込みの激しい私は、そう直感して、返すようにシャトルバスであの店のある国内線ターミナルに戻った。 
正規運賃に充てるはずだったお金は、私が清水を飛び降りるには充分だった。 かくして彼は、かつて先人達が辿ったグレート・ジャーニーを逆行するルートで日本に来ることになった。
 
日本に帰ってから彼は無言のまま、私の想像力を刺激し続けた。この不思議な表情を創造した人々はどこから来たのだろう? 私達の悟性(エートス)と遠い過去でどこか結ばれているのではないだろうか? そんな思いがいつしか遠い遠い、その島へのグレート・ジャーニーへと私を掻き立て行った。

こうして私は世界一周航空券のほかに、4種類もの航空券を準備して、世界一周旅行の前半の目的地である、IPCと3コードを持つその島へと旅立った。


Isla de Pascua :パスクワ島 現在チリ領である、その島はスペイン名の頭文字をとってIPCという空港コードを持つ。しかし初めて、この島にやってきたのはポリネシア人だった。紀元4-5世紀頃、彼らは、果てしない海原を天空儀も大洋帆も無い筏船で旅して来て、その島に出会ったのだった。

宇宙のような太平洋を漂流して、辿り着いた、この島に、彼らはとても感動したに違いない。そこには森も水も豊富で、太平洋を流浪の民からすれば、その島は、母なる自然からの大きな贈り物とさえ感じたのだったのでは、なかっただろうか? 

それで、彼らはこの島をポリネシア語で
「ラパヌイ:輝く大地」と名づけた。 
それから1200年の時が流れた。今度はオランダ人がもっと大きな船で現れて、この島を未開の島として「発見」した。その日がキリスト教の復活祭にあたったので、それ以降は我々に最も馴染みの深い、「イースター島」と呼ばれようになった。

☛ 成田--仁川--ランタオ島 19 July
朝8:00 JALのGlobal Club のチェックイ
カウンターでソウル発の特典航空券と世界一周航空券を出しながら、カウンター嬢の言葉に思案した。 「本日はどちらまで、、」 「えーと、サンチアゴまで、、」ICNのタッグを握っていたカウンター嬢は、狐につままれた表情をしている。長い説明をしても、彼女の顔からは、その疑問が消えないようでいた、、、「なんでまっすぐに行かないの?」 結局、荷物のスルーは間をとってオークランドまでにした。
インチョン着 13:30 キャセイがストライキだったので、計画していた便が運行中止になり、ヒヤヒヤで 15:40の代替便に乗り換える。
香港着18:20  AKL便は思いがけずビジネス・クラスにアップグレード。世界屈指のCXラウンジの豪奢な個室でシャワーを浴びてから、飲茶とワンタンメンで束の間の香港気分を味わう。

☛ 香港--オークランド--ブエノスアイレス—
サンチアゴ    20—21 July
香港発 20:25 翌日オークランド11:10着
この路線は7ヶ月前に飛んだばかりだが、今度は真冬の南半球、空港にいたマオリたちの服装がフリースなどを着込んでいると、アラスカ人かと見間違う。こうして、見ると、やっぱりおんなじモンゴロイドなんだなあ、、と実感する。
 オークランド16:15 ブエノスアイレス着同日12:45 日付変更線を超えて、昨日への旅をした。
(これってタイムトリップ?)ブエノスアイレス発 14:15 サンチアゴ着 15:30 
ここまでよくもまあ、ディレィせずに乗り継いで到着したもんだ、と「旅の女神」に感謝する。それにつけても何回、飯 食ったけ?

☛ サンチアゴの雲丹         20 July
 この町で楽しみにしていたのが、雲丹!
そのため何回も機内食をパスしていたのだが、、
(ウソです!)空港で翌朝のフライトの確認や手配をしているうちに有名な海鮮市場は閉まってしまった。Lonely Planetご推薦のチリ料理店で夕食を取る。先ずはブドウから作られる蒸留酒ピスコとレモンジュースに卵白身をシェイクしたピスコ・サワーで喉を潤し、魚介の冷菜、伊勢海老のリゾットを食した。流しの似画絵描きが来たので、旅先の酔狂に描いて貰ったら、随分と疑い深い男が、そこには描かれていた。自分とはこう見える男なのだろう、己を知るとは難しいものだ。


☛ サンチアゴ--イースター島 21 July
 今回使用した航空券はOne Worldグループに属する航空会社の路線を使ってのExplorerという世界一周航空券だ。 このOne Worldにラン・チリ航空が加盟した当初はタヒチのパペーテからイースター島に飛べるので、旅の知恵者には熱狂された特典だったが、その後、規則が変更されて、サンチアゴからの往復のみがイースター島入り出来るルートになった。 初めて乗るラン・チリ航空(LA)は機材、乗務員、地上サービス共に洗練されていて、Web Siteからの予約・各種割引など、第一級の航空会社と感心した。
サンチアゴ発 8:45 イースター島 12:45 着
飛行機が島に近づくと、まず島を一周旋回してくれて、乗客を喜ばせてくれる。 思わず双眼鏡を出して、どこにモアイが?と捜すうちに、NASAがアポロ宇宙船の緊急着陸用に無償でこしらえた長さ3300mもの上等な滑走路に飛行機は滑り込んだ。
大陸から戻ってきた家族の出迎えだろう、島民の半分はきているんじゃないか?という程の賑わいだった。その混雑の中、Web Siteで予約したホテルが私のネームプレートを持って向かえに来ていた時にはさすがにほっとした。
ホテルに着き、滞在中のアクティビティを宿の女主人と相談して、手配して貰った。 このホテルは島の唯一の集落のハンガロア村にあり、 すぐそばに波止場がありました。ダイビング・ショップを訪ねると、午後のツアーから帰ってきたダイバー達が機材を洗っているところだった。

そそるなあ、太平洋の一番遠い島でのダイビング (お魚たちは純朴だろうなあ、、)それから、Taxiで、島で一番高いラノカウ山に行った。海抜240mの山頂にはストーンヘッジのような祭祀所が残っていた。遮るものも無い頂きなので、突風が吹けば目の前の大海原に吸い込まれそうだ。 

かつて 島には複数の部族があり、誰が支配権を持つか、内戦による惨禍を避ける為に考えられたのが「鳥人儀礼」だった。春にアホウ鳥の群れが産卵のため、島から300m離れて切り立って聳える岩礁に飛んで来る。 毎年,部族から選ばれた若者達は祭祀所からまっ逆様に山を駆けて行き,激しい海流や襲い来る鮫をも恐れず、遠い岩礁まで泳いでいき、岩礁を登って、産み落としたばかりの玉子をこの祭殿まで持ち帰えって来て、奉げ物とした。そして
1番目に持ち帰った者の部族が、その年の生存優位権を握ったという。  真青な海を見詰めながら、生きるとはなんと苛酷であったか?と、感じた。


一回、村に帰っていったTaxi(ある時は自家用車)が待ち合わせの場所に戻って来た。島内に10台も無いので、観光客のいる時は大忙しだ。 夕刻になり 村から唯一歩いて行けるアフ・コテリクのモアイ群に地図を頼りに歩いて行った。着いた時、すでに、夕陽は落ち始めて、辺りにはもう誰も居なかった。高さ8mもあるモアイはすでにシルエットとなって、私の前に聳えていた。 
 モアイと2人だけで、真っ赤に染まる太平洋を見詰めた。 物凄い夕陽だった。 「私は君と繋がっているんだよ」 シャイなモアイが暗闇で、そう云っているようにさえ思えた。 ぼーとして気がつくと真っ暗だった。電柱の無い道を、1時間もかけてホテルに帰った。成田を発って、58時間経っていた。 
「ここに来て良かっただろう」テコテコの「彼」が その夜、夢の中に出てきて、そう云った。


☛ イースター島   22--23 July
翌日 ツアーのワゴンが来て、小グループで島を時計反対に周遊した。サンチャゴから来たチリ人夫婦、ブエノスアイレスから女教師、リオからの親子連れ、、皆、僕に訊いてきた。 
「Where are you come from ?」 
「Japan」と答えると、私は思わぬ敬意を受けた。それは「タダノ」という九州にあるクレーン・メーカーが何の見返りも無く、無償で、この島のモアイの保存・復元に功績を残していたからだ。

ララノク山に入ると、切り出されて運ばれなかった未完のモアイ達に出会える。 その数はモアイ倒し戦争を経た今日では海岸に立つモアイの数を遥かに超える程だ。「どうやってモアイは運ばれたのか?」「何故モアイは倒されたのか?」「この島に住んでいた人は何処から来て、そして、どこに去って行ったのか?」遥か北洋の島から旅してきた私の問いかけにも、その倒されたモアイ達はただ無言で目の前の太平洋を視つめているばかりだった。
土に埋もれるこれらのモアイに、「明るい無常観」というような達観したものを感じました。言語矛盾でしょうが、そんな不思議な感動がここイースター島に来て旅人が感じるオーラのように思えた。


 翌日 島の教会で日曜の礼拝に参加した。カソリックの聖歌も見事に「ポリネシアのゴスペル」に変容され、異邦人をも温かく招いてくれた。ゴーギャンが聖書の挿絵を描いたらこうなるのかな?というカラフルな祝祭と祈りだった。
町で「ロゼッタストーン」のような木片を見つけた。それは、かつてこの島で使われたロンゴ・ロンゴという象形文字が刻まれた板だった。しかし、その文字の意味は未だ解明されていないという。


☛ イースター島--サンチアゴ 23 July
イースター島 11:30発 18:10サンチャゴ着
日系寿司屋で夕食。ここで訊いたアルマス広場近くの老舗でコンチャ・イ・トロの名醸ワインを発見。市内の酒屋ではこの種のプレミアムワインは入手困難らしい。サンチャゴ空港に戻り、23:40 発


☛ サンチアゴ--リマ--クスコ
--アグアスカリエンテス 24 July
リマ着02:45着 06:00発 クスコ着07:15
HeliCuzco08:30アグアスカリエンテス8:55着
イースター島を前日の昼に発って、翌日の朝にはマチュピチュに辿り着いた。今回の旅程中、一番きわどい乗り継ぎに無事成功した。シンドカッタけど、最後のヘリコプターで、インカ街道をコンドルの如く見下ろし、たった25分でマチュピチュに着いたのは痛快だった。(アウトバゴンという観光列車だと8時間もかかる)鉄道では寄れない様々なインカ遺跡を周遊しながら飛ぶこの航路は、お勧めです。

☛ マチュピチュ・サンクチャリィロッジ
 シンプソン・オリエント急行グループの経営になる贅沢なロッジに泊まる。自分の部屋から、世界遺産が見晴らせる至福。調度品も洗練を極めつつ、エコツーリズムへの配慮も完璧なホテル。マチュピチュでは宿泊施設はここだけで、それ以外は麓のアグエスカリエンテスから朝10時、夕方5時のバスで通勤することになる。夕刻には各部屋にカナッペとシャンパンが届けられる。マチュピチュが静けさを取り戻し、ワイナピチュの頂が赤く染まるのをテラスで美酒を傾けながら陶然と眺められる。


☛ ワイナピチュ登攀      25 July
朝5時起床、6時の開門で一番に遺跡に入る。 
誰もいない山道をワイナピチュの頂きを目指して登る。身体から汗が滝のように流れてくる。急な勾配の稜線を1時間半かけて頂上に登る。頂上といっても切り立った岩が乗っかっているだけで、踏み外せば、谷底にまっさかさまだ。ここからから眺めるマチュピチュは神々しかった。

☛ アグアスカリエンテスの露天風呂 25 July
地名はスペイン語で熱い水。 つまり温泉が出るのだ。 登山で流した汗を落としたくて訪ねた。川のせせらぎを眺めながらの露天風呂は最高だった。
一風呂浴びて、ピスコサワーを飲んだ。 甘露甘露 3:30アグエスカリエンテス発3:55 クスコ着 高度障害も先に低いマチュピチュで1泊する順序のお陰で起こらなかった。 Websiteで見つけた民宿に泊まる。骨董屋でフォークロアなイコンを買う。夕刻アルマス広場の老舗のEl Trucoにて夕食 


☛ クスコ--リマ--リオデジャネイロ 26 July
午前中エルドラドの贅を尽くした教会郡に感嘆する。その裏の迫害の歴史。 布教の光と影を感じる。
12:25 クスコ発 13:40 リマ着
太平洋に突き出た店Costa Verdeにて雲丹、伊勢海老を飽食。骨董屋で19世紀の聖母像を入手する。深夜、バリグ機でリオ・デ・ジャネイロに飛ぶ。

☛ リオ・デ・ジャネイロ  27 July

リオ・デ・ジャネイロ着09:25 10年ぶりのリオ。 心が浮き立つ。空港に降り立ちブラジル人が喋っているだけで、音楽に聴こえてくる!なんて柔らかい音色だろう。それから空港のビュッフェで昼食 野菜が旨い!生き生きとしている!アンデスを越えて、アマゾンの大河に潤されると、野菜はこうも違うものか? また人生の悦楽家の国はその食べ方や料理も華やかだ。ここはわずか1000円でシュラスコ料理から、にぎり寿司!フルーツ、デザートで豪華盛り沢山。私の空港食堂の番付ではCDGに昔あったマキシムを抜いて一等賞になった!


16:00イパネマの宿に着く。夕刻あの「イパネマの娘」の曲が産まれたグロッタ・デ・イパネマで夕食。 残念ながら僕のイパネマの娘とは遭遇できず。姉妹店のビニシウスでボサノバのライブを愉しむ。リオの夜は終わらない。深夜 プラッタフォルマ1にてサンバショーを観る。前にも来たが、相変わらず黒人の司会者の、客への盛り上げ方が上手い。遊び疲れてホテルに戻ったのは深夜4時を回っていた。


☛ リオデジャネイロ--ロンドン--成田 28-30 July
翌朝、周遊バスで コルコバードの丘、マラカラン・スタジアムを見学した。20万人を収容するサッカーの聖地 その周りの巨大なスラム街から、とてつもないハングリー精神を高揚させて、戦士たちはワールド・カップに出陣していくのだと知った。
リオ・デ・ジャネイロ発17:40 大西洋を横断してロンドン着翌日11:00 そのまま東京行きに乗り換えて13:25発 翌朝09:10 成田着 帰りは11993マイル、空中に3日間もいた長旅だった!
帰宅すると、「彼」がいた。達観した顔を見て古老だと思っていたが、鳥人儀礼に挑んだ若者はこんな顔をしていたかも知れないと、その時、気が付いた。
          (世界遺産一周紀行 第一部)

同行者
一人旅
航空会社
ラタム チリ

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