1962/12 - 1962/12
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ソフィさん
中学で机を並べた連中が、自分たちの経験を後世に残そうと、文集作りを始めた。
それがきっかけで、私も思い出を綴る。
1942年ごろ11歳
小学校6年生の暮れになると、そろそろ進学先を決めなければならない。
そのころ、金沢の町の中にあった私の小学校(材木町小学校)では、クラスの半分ほどが中等教育を受けるために、中学校か商業や工業などの実業学校に進学し、残りは二年制の高等小学校に入った。
進学先は、本人の気持ちよりも、主に親の意思と先生の推薦で、決まったように思う。
私の父は、私に富山県立砺波中学校の受験を勧めた。
この学校は父の母校であり、私の将来の社会基盤を、故郷小矢部市にさせようと考えたものらしい。
いずれ我が家の引越しを、視野に入れていたとも考えられる。
あるいは、日本が戦場になることを予測したのかも知れない。
しかし私以外に市外の学校を希望するものは皆無で、担任の上野先生は驚かれたらしい。
早速家まで来て、父の翻意を促された。
母も、私を手放すことに、内心反対していた。
砺波中学校には、下宿しなければ通学できなかったのだった。
結果は、石川県立金沢第一中学校(金沢一中)を、受験することになった。
私のクラスで、40人あまりの中から、中学校希望は10人ほどで、一中、二中、三中と振り分けられる。
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