2006/11/24 - 2006/11/27
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satoshi.sさん
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ドライブ旅行のテーマ
1、歩きたい街尾道
2、古寺めぐり(時間の関係で済法寺、千光寺のみ)
尾道は、海運業で財をなした人々が菩提寺として寺社を次々に建立したため狭い山の手に25の寺社が並ぶ
3、文学のこみち散策
千光寺山山頂から千光寺に通る約1kmの遊歩道に林芙美子、志賀直哉、正岡子規など尾道ゆかりの文学者の作品の一節が刻まれた25の文学碑が立てられている
4、しまなみ海道ドライブ
しまなみ海道は尾道から四国今治を結ぶ海の道の愛称でその間に浮かぶ6つの島を工法の異なる11の橋で結ぶ。花と緑の島「向島」、村上水軍発祥の地「因島」、文化の薫る「生口島」、大山祗神社のある「大三島」、数々の眺望が堪能できる「伯方島」、来島海峡に映える「大島」などの島には、独自の歴史や文化がある。
5、今治城、松山城、宇和島城、高知城観光(時間、天気の関係で松山城、宇和島城のみ)
6、龍河洞、猿田洞探索(天気の関係で龍河洞のみ)
7、グルメ(はま、中平)、温泉(道後、黒潮本陣)を楽しむ
本因坊秀策は桑原輪三と母カメの次男として、文政12年(1829年)に尾道市因島外浦町に生まれました。幼名を虎次郎といい、3、4歳の時、碁石をやればすぐに泣き止み、黒白を並べて遊んだといわれます。母に囲碁を教えられたのが5歳で、6歳のときには近郷に敵が無く、7歳のとき三原城主浅野公と対局してその棋力を認められ、竹原の宝泉寺住職葆真和尚に師事しました。その技の巧妙さに人々は驚き神童といいました。9歳の冬に浅野公のすすめにより江戸へ行き、本因坊家に入り本因坊丈和の弟子になりました。11歳で初段の免許を得て翌年帰国、浅野公より5人扶持を賜り、15歳で4段の免許を得、名を秀策と改めました。17歳のときには12人扶持に増禄され、18歳の時大阪で幻庵因硯と対局し、世に言う「耳赤の妙手」で有名です。20歳で第14世本因坊跡目になり、丈和の娘花と結婚しました。
21歳で御城碁に初出仕しましたが、この時から13年間御城碁において19連勝で負けることがありませんでした。しかし、34歳という若さで他界してしまいました。
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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