2006/11/18 - 2006/11/18
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muy_bienさん
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ぶらっと、小江戸、川越を訪ねました。
中院、喜多院、川越城本丸御殿、
時の鐘、蔵造りの街並、菓子屋横丁に行ってきました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 私鉄
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閑静なたたずまいをみせる天台宗の寺。830年(天長7)慈覚大師円仁により創建。
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紅葉にはまだ早いようです。
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中院
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中院
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東照宮。
徳川家康の遺骸を久能山から日光に移葬する途中喜多院に4日間とう留して、天海僧正が大法要を営んだ因縁で寛永10年(1633年)に創建。 -
喜多院
平安時代の創建とされ、慶長4年(1599年)に27世を継いだ天海が家康の厚い信頼をえたところから大いに栄える。寛永15年(1638年)の火災後の再建時には、江戸城内の家光誕生の間や、春日の局化粧の間が喜多院の書院、客殿おtして移築された。
拝観料は400円でした。同じ境内にある五百羅漢にも入ることができます。 -
少し色づき始めてます。
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五百羅漢
喜多院の境内にあり、天明2年(1782年)から約50年かけて作られたといわれている。全部で538体あります。 -
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お昼を過ぎ、お腹がすいたので、喜多院をでたところの和菓子やで、焼き団子を食べる。5個入りで367円。おいしかった。
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川越城本丸御殿
川越城は関東管領の扇谷上杉持朝が、古河公方に対抗するため、家臣の太田道真、道灌父子に命じて長禄元年(1457年)築城。その後、江戸時代になると幕府の重職を占める大名が配置された。
本丸御殿は、嘉永元年(1848年)に時の藩主松平斉典が造営したもので、当初16棟、1025坪(約3388m2)の規模を誇った。現在は玄関、広間部分と移築復元さえた家老詰所を残すのみであるが、日本国内でも御殿建築が現存する例は極めて少なく貴重である。 -
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家老詰所
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家老詰所の中
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家老詰所の中
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お昼を食べることに。
初音屋でたべました。 -
お昼を食べることに。
初音屋でたべました -
お昼の献立
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本日の日替わり。竜田焼きでした。
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天丼
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食事を終え、時の鐘へ。
毎日6時、12時、15時、18時に正確な時を告げている。 -
菓子屋横丁へ。
紫芋あんのたい焼きを発見。
食べてみた。 -
菓子屋横丁で、大きなふ菓子発見。
どうやら、有名のようで、他でも
いくつか見つけた。 -
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蔵造りの街並。
江戸の面影が。 -
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