1976/03 - 1976/03
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片瀬貴文さん
1976年3月0日
このあたりで、生活の現状に戻ろう。
空港の倉庫に眠っていた日本からの引越し荷物は、ようやく引き取ることが出来た。
トランクひとつの中身だけの不自由な生活から、一ヶ月ぶりに開放されたわけだ。
これで生活の基盤は、ほぼ固まった、めでたし、めでたし。
もっとも1968年家族連れでパリに引っ越したときは、荷物は船便で送ったのだが、手に入れるまで四ヶ月かかった。
「五月革命」で、マルセーユ港に荷物が止まったからである。
だが税関との交渉のために、飛行場に何回往復しただろうか。
最初税関の答えは、
「荷物が多いので正式の手続きをとってほしい」
だった。
「正式とは?」
と問い直したところ、申請書を書いて来いという。
税関はその申請書をもって、財務省に伺いを立てる。
「OKが出るまで通常六ヶ月はかかります」
と、信じられない答えだった。
「私は商売のために、ザイールに来たのではない」
「この国に尽くそうと、やってきたのだ」
などと、いくら言っても通じない。
私の派遣にあたり、両国で交わした契約条件の写しを持って行っても、
「われわれの権限では通せない」
の一点張りで、らちがあかない。
何はともかく、引越し荷物は免税で通関させるように、両国間の協定で決まっている。
だが、食糧難を見越してのたくさんのインスタント食品や、ソフトテニス普及のためのラケット40本、ボール20ダースなど、荷物の重量は800キロにも達しているので、商売とみなされてもやむを得ないかもしれない。
非常食は、部下の家族まで考えながら、三週間分用意している。
しかしわれわれは、建前としてはザイール政府の要望に応えて、日本政府か派遣された。
建前から見れば、われわれはザイール政府のお客さんなのである。
とはいっても、もう少しさかのぼれば、日本政府が無理にザイール政府に招聘を求めた面もある。
諸外国はザイールの利権を求めて、援助合戦を繰り広げている。
このように建前と実態とが合わないことは、今回のわれわれの場合に限らず、一般の世間ではかなり普通のことだ。
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