1997/05 - 1997/06
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buchijoyceさん
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Bangor
ハワースからリードに出て、マンチェスターに行こうとマンチェスター行きの来るのを待っていた。隣のホームにマンチェスター ○○行きが止まっている。出発も早い。しかし各停のようだ。おもしろがって乗ってしまう。電車は郊外の野原のような地域を走っている。車掌が来たので、マンチェスターからチェスターへ行きたいんだというと、この電車はチェスター行きが泊るマンチェスターにはいかない。次の駅で降りて乗り換えていくようにと教えてくれた。次の駅で下りてみたが、上下二つのホームしかない。どこで乗り換えるんだろう。しばらく次の電車を待ってみたが、一向に電車も来ない。駅は無人。困ったな。通りに出て、やっと見つけた人に聞いてみた。外に出て、少し歩いて違う駅から乗るのだった。やれやれ。
余計な時間を食ってしまったが、どうやらチェスターに着いた。チェスターの町を歩く。ここで泊る予定だったが、電車に乗ってウェールズを目指した。ウェールズに入ると、窓外の景色は今までとは違って、岩のごつごつが目立つようになった。カーナボンまでは無理かな、ジャぁボンゴールで下りよう。てなことでバンゴール2泊することにした。
夕暮れ迫る町をひとまわりしてきた。明日はボーマリスに行ってこよう。そうしてもう一度この町を歩こう。
ウェールズには来たいと思っていた。ウェールズ語を見たり聞いたりしたいと思っていたからである。映画「わが谷は緑なりき」もウェールズを題材にした映画であった。また、
中学生の英語の教科書にドーデの「Last Lesson」やウェールズや日本が併合した韓国の言語戦争、自分達の母語を奪われた人々の苦悩が載っていた。
1536年、ヘンリ−8世の時、ウェールズは合同法により、イングランドと合併した。イングランドへの同化政策で、ウェールズ語の使用は禁じられ、学校でウェールズ語を話した者はお仕置きを受けなければならなかった。使ったものは首に「W N」(Wales Not)と書かれた板をかけなければならなかった。罰は他にもあった。
ウェールズの人々はパブでLand of Fathersの歌を歌った。この歌はウェールズの国家になり、今でも歌われている。教科書には譜面も載っていた。
O land of my fathers, O land of my love,
Dear mother of minstrels who kindle and move,
And hero on hero, who at honour's proud call,
For freedom their lifeblood let fall.
(chorus)
Wales! Wales! O but my heart is with you!
And long as the sea your bulwark shall be,
To Cymru my heart shall be true.
ホテルの食事で思い出したこと。大豆の煮たものが毎度出た。ちょっと甘めの煮物だ。人々はそれをたくさんさらに盛って食べていた。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
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