2005/09/21 - 2005/09/28
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2005年9月下旬に参加した、6泊8日のギリシャツアーの旅行記の第5弾。5日目はオリンピアの町を出発してミケーネへ。ミケーネ遺跡を観光した後、コリントスで少し休憩して再びアテネへ。
ミケーネは、シュリーマンによって発掘されるまで神話の中だけの存在と考えられていた国家。その「神話」こそが、シュリーマンを考古学の道へと誘ったトロイ戦争の話である。スパルタ王妃ヘレンがトロイの王子パリスに誘惑されてトロイへ渡ったのがきっかけで、スパルタ王を弟に持つミケーネ王のアガメムノンがギリシャの連合軍の兵を挙げ、10年も続いたというトロイ戦争。国の威信とはいえ、ミケーネの兵士にしてみれば、「何で俺たちが戦わなきゃならんのだ?」と考えそうなシチュエーション。そんなミケーネの兵士に思いをはせながら(嘘)、ミケーネの遺跡を訪れてみました。
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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オリンピアから、途中休憩も入れながら約3時間のバスでの移動で、私達はミケーネに到着。ミケーネの城塞は小高い丘の上に築かれており、外的からの攻撃に備えていたことが窺える。
私達も丘に登って遺跡を見てまわる事に。 -
ハインリヒ・シュリーマンが1876年にミケーネ遺跡を発掘する以前から、この地に何らかの遺跡があることは知られていたらしい。でも、至る所に古代遺跡があるギリシャにおいて、存在は知っていても放置されたままの遺跡も多く、ミケーネの遺跡も当初は放置されたままだったのだとか。シュリーマンによる発掘作業の結果、「実はここがミケーネ王国の跡だった」ということが判明した時は、もともと遺跡があることを知っていた人達は、さぞビックリしたんだろうね。
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ミケーネ遺跡の見せ場の1つ、獅子の門。ここが遺跡の入り口に当たる。門の上の三角形の石に2頭の獅子の彫刻が施されている。ここは、多くの人が写真を撮っていた。
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獅子の門を抜けて、すぐ右側の山の斜面下に見える円形墓地A。この内部にシュリーマンが発掘した6つの竪穴式墳墓があり、ここから有名な「アガメムノンのマスク」をはじめ、数々の財宝が発見された。ここもまたミケーネ遺跡の見せ場。
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同じく円形墳墓A。ここで出土された財宝の数々は、アテネ国立考古学博物館で見ることができる(国立考古学博物館は本旅行記の「その6〜RETURN TO ATHENS」で登場します)。
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円形墳墓Aを過ぎ、更に丘を登る。後ろを振り向くと、斜面を降りた所にも遺跡があるのがわかる。
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王宮跡へと続く坂道を上る。
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メガロンと呼ばれる王宮広間の跡に来た。とはいっても、山の上に建てられたこともあってか、あまり規模の大きさは感じなかったのが正直な感想。
写真は浴室跡で、伝説ではアガメムノンが妻のクリュタイムネストラによって殺害された場所らしい。浴槽の回りには建物の天井を支えていた4本の柱の跡が残っている。 -
旦那を殺すなんてクリュタイムネストラは怖い妻だな、なーんて思うかもしれないが、もともとアガメムノンは、絶世の美女とされるクリュタイムネストラを前の旦那タンタロスを殺して奪っているので、どっちもどっちである。
それにしても、ずいぶん高いところまで上ってきたなあ。 -
ちなみに、タンタロスはアガメムノンのいとこ、クリュタイムネストラはトロイ戦争の引き金にもなったヘレンと双子の姉妹、そしてヘレンはアガメムノンの弟メネラオスの妻と、親族同士でドロドロの愛憎劇を繰り広げていたのである。
ところで、王宮の跡から見える山。名前は知らないけど、おおかた日本だったら、「・・・富士」とか名前が付きそうだよね。 -
私が訪れた9月下旬には、この花が遺跡の周辺で咲いているのが目立った。残念ながら、植物の名前にはめっぽう弱いため、この花が何の花なのかよく分からない。
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王宮跡を望む。
その向こうにアルゴス平野が広がる。 -
王宮を抜け、山の斜面を反対側へ下っていく。
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「地球の歩き方 ギリシャ」に載っている遺跡の地図によると、職人の作業場らしい。
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ミケーネ遺跡の東の端には貯水池があって、そこから地下排水トンネルがある。実はこれがそのトンネルなのかどうかはよく分からないのだが、その場所にあるトンネルであることは間違いない。ちょっと中へ入っていくとすぐに真っ暗闇になったので、みんな入ってはすぐに諦めて出てきていた。
乾燥小雨のギリシャの地で高台に築いているので、水の確保にはさぞ気を遣っただろう。
・・・うむむ、ここまでは自分の写っている写真を載せるのは極力避けようと思っていたのだが、ここを撮った写真で代わりの写真がなかったので、仕方なく載せた。 -
同じく遺跡の東端に位置する出陣の門(裏門)より外を撮影。現在、門には鉄柵が設けられており、この門を通り抜けることはできない。
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遺跡北側の城壁に沿って入口へと戻ることに。
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前の写真の撮影位置から後ろを見ると、北門がある。
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遺跡の向こうにオリーブが生い茂る丘が広がる。
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とりあえず、ミケーネの遺跡をざっと1周してバスに戻ることに。この後は少し離れたアトレウスの宝庫へ。
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ミケーネ遺跡から数100m程離れたところにあるアトレウスの宝庫。ミケーネの建築技術の高さが伺える陵墓。
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中に入ってみる。中は円錐状に石が積み上げられている。
それにしても、随分、びっしりと石が積まれているなあ・・・、隙間らしい隙間が見えない。 -
ミケーネ遺跡に残っていた円形墳墓は竪穴式のものだが、アトレウスの宝庫は竪穴式墳墓より後の時代のもので、「蜂の巣型墳墓」と呼ばれる。
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竪穴式墳墓より後の時代とはいえ、アトレウスの宝庫は3000年ほども前のものだという。それだけの年数を経ても、これだけしっかりと形を留めているのだから、それだけミケーネの建築技術が優れていたといえる。
それにしても本当に精緻に作られているなあ。。。 -
出入り口から上を見上げたところ。
この入り口も、上からの重力を分散させるために高度な技術で石を積んでいるのだとか。 -
ミケーネの遺跡を訪れた後、私達は遺跡から近い(車で10分ほどだったかな?)所に位置するレストランで昼食を摂る。
建物はリニューアルされているが、レストラン自体は昔からあったようで、中には多くの著名人の来店時の写真が飾られていた。 -
レストランで食べたスタッフドトマト。
トマトの中をくり抜き、中にご飯をつめて、オーブンで焼いたもの。 -
ミケーネを出発した僕達は、バスでアテネを目指す。
途中、本土とペロポネソス半島をつなぐ町、コリントスで休憩。
写真のコリントス運河は、全長6343m、幅23mで、エーゲ海側のサロニコス湾とコリンティアコス湾とを結んでおり、この6.3km程度の幅でペロポネソス半島は本土とかろうじてつながり、文字通り「半島」になったわけだ。 -
ちょうど船が運河を通ってきた。このたかだか6.3km程度の運河を使うことで、航路が400km以上も短縮されるのだが、何しろ幅が狭いため、大型船は通行できない。
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