2006/04 - 2006/04
88位(同エリア100件中)
みーままさん
ヨルダン3番目の世界遺産、ウム・アル・ラサスからマダバ、ネボ山の教会の床に描かれた、モザイク画を見て廻った。
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アンマンから車で荒涼とし何処まで続くのかと思う砂漠の中の農耕地を左右に見ながら、1時間少々走っていくと、突然大きな大きな瓦礫の山の廃墟が目に飛び込んでくる。
建物が地震で崩れてそのままに成っている状態だ。入り口は小さな看板に”ウム・アル・ラサス“と書いてあるだけ。ここが2004年に登録されたヨルダン3番目の世界遺産
ウム・アル・ラサスだ。
ウム・アル・ラサスは中世期初期のナバテア発祥の中心地でローマ、ビザンチンを経てイスラムの世界に組み込まれた町だ。 -
矩形の城壁に囲まれた遺跡からは四つの教会が見つかっているがその中の一つ「聖テスファン」教会からは1986年に殆ど原型を損傷していないモザイクの床が発見されている。
この、モザイク画が世界遺産に登録されている。
モザイクは中央に葡萄の木の渦巻き模様からなる長方形の周りにはパレスチナからトランスアンマンに至るエルサレムを初めとする12の古代都市が描かれ、他の場所からはアレキサンドリアを含むデルタ地帯の12都市も描かれているものも発見されている。 -
砂漠の中で魚や船、魚を獲っている図柄、漁師の図柄は何とも不可思議なものだ。
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瓦礫の中に粗末な掘っ立て小屋で囲まれている世界遺産!
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ウム・アル・ラサスに行く途中の道端、畑の中にはヨルダンの国花である“ブラック・アイリス”が其処此処に沢山咲いている。国花と言っても子供は花を摘むし、畑を耕す時耕運機では掘り起こすし、持って帰るし・・・毎年同じ場所には咲かないようだ。漆黒の花はとても綺麗だ!もっと大事に保護をすれば良いのにな〜〜と強く感じた。
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マダバ
ウム・アル・ラサスより車で3〜40分程走るとマダバの町(アンマンから南に30k)に着くマダバは余り大きくない町だが聖書に記されたメドバを起源とする此の町は、教会が多い町である。教会内にはビザンチン帝国、ウマイヤ朝時代のモザイク画が沢山残されている。ビザンチン帝国支配化の時代には
モザイク職人養成所も有った様だ。今もイタリア、アメリカの調査隊により
ローマ時代の遺跡が発掘されている -
聖ジョージ教会
町中にありギリシャ正教の教会で此処の床には6世紀のパレスチナの地図が
描かれており、大分損傷が酷いがナイル川、エルサレム、ベツレヘム、死海
等が描かれているのが良く判る。入場料は1JD(160円) -
処女教会
マダバで最初に発掘された教会。モザイクが民家から出てきた。確かに教会の上に
現在の町並みが建っている様で一段低くなっている。
此処のモザイクは綺麗に残り、狩猟の様子や動物植物等が良く判る。
此処で買った入場券で次の殉教者教会も見られるので大切に! -
処女教会のモザイク
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殉教者教会
此の教会も6世紀ごろ建った教会だが破損が酷く建物はないが床のモザイクは
綺麗に残っている。黄色い石が多く使われているようで、全体に黄色みを帯びて
見える。余り訪れる人も無く、静かにユックリ鑑賞でき、親切な入り口に居る
おじさんがモザイクの直ぐ近くまで連れて行ってくれ、説明をしてくれる。
ワインの壷や葡萄、ざくろ、植物等がはっきり見ることが出来る。 -
ネボ山
マダバより西に十数キロ離れた、標高800メートルの所にモーゼ終焉の地とされる
ネボ山がある。小さな教会が有り1933年から聖地のフランチェスコ会派の修道士達が発掘を行っており、現在も調査、修復活動が行われている。 -
教会内。
ここの床から沢山のモザイク画が発掘されている。
毛布を敷きその下は貴重なモザイク画・・
今でもミサなどが行われている -
はっきりとした狩猟、動物、植物が描かれ、色あせる事無く今も美しいモザイク画
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博物館内
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モーゼがエジプト王の迫害を逃れ、ヘブライ人を率いて“脱エジプト”を敢行した。話の中でモーゼは率いてきた民とネボ山に登り、ネボ山からパレスチナへ向かう様促し、それを山頂から見守ったという。確かに此処からは死海をへて肥沃なパレスチナが窺い知れる。
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