2001/06/01 - 2001/06/04
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秘湯マニアさん
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21世紀最初の年。文子50才。僕の方は54才。もう直ぐ結婚30周年を迎える年になってしまった。結婚10年でハワイに行って以来、5周年ごとに海外旅行と決めていたが家の購入など費用面のほか休暇を取るのが難しい立場になってしまい20周年が上高地、25周年が能登一周になってしまった。漸く費用にも休暇にも目処が付き海外旅行を再開したのが3年前のニュージーランド。カナダの予定が急遽変わってしまったのだがとても良いところだった。本来なら30周年は秋になるのだが、7月以降は忙しさが倍加しそうで休暇も取りにくくなりそうだし、スイスに行くなら5月末から6月初めの時期が最高の条件なので、思い切って行くことにした。
6月1日(金)天候:晴れ
旅行の申し込みをしたのが4月29日。この段階で5月中に出発するツアーはほぼ満員だった。6月出発になると2万円値上がりするのだが止むを得ない。過去にスイスは2回行っているが1回目は6月の出発だった。10年前の1回目は北極上空を飛びアンカレッジで乗り継ぎアムステルダムへ出、更にフランクフルトに到着するまで25時間を要した。前回は14時間に短縮されたが早朝の出発だったため成田で前泊しなければならなかった。
それに比べると今回は遅い出発。成田集合が11時半なので家を通勤時間に出て、ロマンスカーで新宿へ。新宿では成田エキスプレスへの乗り換え時間が10分しかなく急ぎ足になったが9時40分新宿発の成田エキスプレス13号に乗ることができた。大きな荷物は事前に成田に送ってしまったので、文子はリュックタイプのバック一つ、僕もいつも機内に持ち込むバック一つである。6月の平日だというのに車内は満席。日本が不景気だというのは本当なのだろうか。成田エキスプレス13号は11時に空港に到着する。出発は全日空NH209便なので全日空Bカウンターでチェックイン手続き。今回のツアーには添乗員が付くので、その人が手続きをする。JTBワールドの工藤さん。
今回は訪問する国が3カ国なのでドイツマルク、スイスフラン、フランスフランをそれぞれ2万円づつ両替する。機内持ち込み手荷物の検査を受けて出国手続きなどしていると、出発2時間前に集合とは言ってもあまり時間がない。飛行機はジャンボ。今回の席は我々のツアー全員4人掛けの席だった。エコノミークラスの席は狭い。もうちょっと運賃を上げても良いからもう少し広い席にしてくれれば良いのに。飛行機が全日空だと飛行機の中も日本の延長のよう。ノースウエストなんかだと機内から英語の世界になるのと大違いだ。今回のコースは新潟上空からロシア領に入りシベリアを横断してヨーロッパに出るコース。それでもフランクフルトまで約12時間かかる。機内で軽食のあと映画の上映に入るのでニュージーランドの時と同じようにひたすら寝て行く。
飛行機の画面にフライトマップと速度、高度、時間が表示されるので少しは退屈さが紛れる。フランクフルトに2時間ほどのところで今度は夕食のサービス。フランクフルト到着は日本時間で2日深夜の1時45分。ドイツ、スイス、フランスは同じ時差で日本の7時間遅れとなるので現地時間では18時45分。ドイツ、フランスは水が悪いと工藤さんに脅かされ、空港内の小さな売店で水を仕入れる。小銭で釣り銭を貰い、明日のピローピップの用意をした。今夜の宿、アストロンホテルにはバスで10分位で到着。
ホテルに入って部屋割りと翌朝の注意事項。僕たちの部屋は1階の157号室だった。
日本時間では深夜なので直ぐに熟睡。しかし、翌朝は早く目覚めてしまった。時差の関係もあるが年とともに目覚めが早くなっている。
6月2日(土)天候:雨時々曇り
このツアーは値段が安い代わりに、ホテルはBグレード、朝食はコンチネンタル、となっていたので、この日の朝食も期待していなかったが案に相違してバイキングスタイルだった。ハムやベーコン、サラダに煎り卵もある。しかしBグレードホテルなのでコーヒーサービスはなく、ポットのコーヒーを自分で入れる。荷支度をして7時半に出発。今回の旅行のために、いつもの機内持ち込み用バックよりも小さなバックを買っておいたので、サイフ、パスポート、カメラなど必要最小限のものだけを持ち歩くようにする。今朝の天気は小雨。バスは今日からTGVに乗る6月6日まで同じバス。ドイツ人の運転手さんも我々と一緒にローザンヌまで同行する。バスは小一時間でライン河クルーズの出発点リューデスハイム(Rudesheim)に到着する。船の出発まで若干の時間があるので街の散策。といっても小さな街なのでさして歩くこともないが、欧州の田舎街らしい小さな教会や花で飾られた出窓などが日本とは違う風情を感じさせてくれる。丁度、この街を散策している時は雨も小降りだった。船着場の近くの土産物屋でライン河クルーズの名所旧跡等の案内地図を売っており、日本語版もあるというので早速購入する。
10年前にウィーンを訪れた時、ドナウ河の川幅の広さと美しい流れに感動したが、この街を流れるライン河も川幅はとても広い。雨の影響もあってか清流ではなく、どちらかというと力強さを感じる流れだった。クルーズの船も結構大きく、見た目では東京湾のレストラン船シンフォニー程の大きさがある。船は自由席なので早めに乗船。結局、我々のグループで前の方の席を確保した。デッキにも椅子があるが今日のような雨天では濡れてしまう。船は9時15分に出発。対岸にあるBingenなど小さな街を各駅停車のように止まりながらゆっくりと河を下る。ラインの川幅の広さというのはこの大きな船が楽々とすれ違いできるほど。下流からは貨物船が荷物を満載してやってくる。内陸にありながらラインの流域はライン河が運河の役割を果たしている。船の中に座っていると黒人の若い女性が注文を取りにやってくる。コーヒーを注文すると小型のポットを運んで来る。ポットのコーヒーは一人2杯分づつあって美味しかった。ついでにパフェも注文したがこれも美味しかった。ニュージーランドもパリも外国では甘いものが美味しいし、男の人も平気で食べている。僕のように甘党には嬉しいかぎり。(実際、行く先々で食べてきたけど、今回も食べてしまった!)。今度は日本人の女性がワインの注文を取りに各テーブルを廻ってくる。試飲用のワインを持っていて試飲カップで飲ませてくれるが、名前だけは聞いたことのあるアイスワイン(Eiswein)など値段の高いものは美味しかった。このアイスワインは1本105マルクもする。アウスレーゼというワインが美味しいわりには低価格(それでも48マルクもする)だったので、これを買うことにする。そう言えばニュージーランドの時もキゥイワインを買って帰ったのだ。ワインは直送してくれるので荷物にはならないが現金がないのでカードで買うことになった。このワインの試飲の時、後ろの席にいたのが林さんご夫婦で、以後、林さんご夫婦と一緒に行動するようになる。林さんの奥さんと文子は飛行機の中で隣合わせだったそうだ。林さんの奥さんは帽子が似合う可愛い人。ご主人の方は東京急行に勤めるサラリーマンだったから話が合ったのかもしれない。今回のツアーは30人だが新婚3組を除くと、僕よりも更にお年を召した方が多いようだ。
さて、船は1時間半ほど走って有名なローレライの岩を過ぎると我々の下船駅サンクトゴア(St.Goar)に到着する。この間、船の左舷にはラインシュタイン城やライヘンシュタイン城などの古城が連続する。写真を撮りにデッキに出ると寒い位。雨のせいもあるが今年の欧州は天気も温度も不安定だ。ライン河の途中にあった街には教会の尖塔が聳え、ドイツの古い街という感じを与える。右舷には葡萄畑が連続し、最後はローレライの岩に至る。でも今日のラインの流れは歌に歌われるほど急ではなかった。サンクトゴアに上陸後、ここのレストランで少し早めの昼食となる。ドイツで初めての食事だが読めないメニューも工藤さんがいると安心。外国では飲み物にも金がかかる。今日はビール2本で10マルクだった。
お昼を食べてからはバスの旅。雨が降ったり止んだりする中をアウトバーンをひた走る。アウトバーンはドイツ国内の至る所に張り巡らされ、場所によっては直線が続くところもある。これは第二次世界大戦の時、ヒトラーが飛行機の発着ができるように、という意図で作ったからだ。お腹も一杯だし昨日の疲れもあって、バスの中は熟睡タイム。途中渋滞しているところもあったがロマンチック街道の出発点ビュルツブルク(Wurzburg)へ向かって行く。途中でトイレタイムを取るが、トイレにもチップが必要。1回だいたい50ペニヒ(1マルクの半分)だった。トイレタイムはアウトバーンのサービスエリアだったのでチョコレートやミネラルウォーターを買った。再びバスの旅が続き、ビュルツブルクに到着したのは16時15分。ここは古い城下町でロマンチック街道の出発点。また、日本には馴染み深いフォン・シーボルトの出身地でもある。ブルクというのは「お城」という意味だ。その名のとおりマリエンベルク要塞とレジデンス(宮殿)がある。市内にはマイン河が流れているが、この川はそれほど大きな川ではない。でも川沿いには歩道もあり街の真ん中には大聖堂もある。ヨーロッパの各国を廻る時にはキリスト教との関連を考えておくと面白い。特にドイツは神聖ローマ帝国の時代からキリスト教との関連が深い。このビュルツブルクの城主は大司教だったそうだ。中世のこの辺りは戦争の歴史。30年戦争というピューリタンとカソリックの戦いがあったりしたため、城塞都市のようになったのだろう。ただ、そういう由緒ある建物や建造物を今に至るまで大切にしている人々の価値観には感心する。自分たちの不便さを忍んでも残すものは大切にする、と決めているかのようだ。
さて、夕食までフリータイムになったので市内を少し歩いてみる。ホテルから少し歩くと大聖堂に出るが、大聖堂の壁面は修復工事中だった。この大聖堂の前が広場になっていて屋台のような小さな売店が沢山出ている。人も沢山集まっているが、パリなどのような不安感はない。どちらかというとニュージーランドのクライストチャーチと同じように安心して街を歩いていられる。この街には大聖堂のほか聖母マリア礼拝堂というのもあるがこちらは静かな佇まいを見せていた。大聖堂からマイン河の方へ歩く。マイン河に架かるアルテマイン橋も歴史があるようで、橋の各所に聖人の銅像が刻まれていた。この橋を渡りきったところから山の上へ行く道があるが、それは要塞に登る道。そこは明日ガイドさんが案内してくれることになっているのでホテルに戻ることにする。再びマイン河の橋を渡り返し、今度は川沿いの遊歩道を歩く。花壇がそこここにあり手入れが行き届いている。街の向こう側に広がる丘陵は全部ワインを作る葡萄畑だそうだ。トラム(市電)の線路を横切りホテルに戻る。ドイツ最初の都市であるこの街でも感じたが、歩行者用の信号はやはり赤になるのが早い。こういうのに慣れることが海外経験の豊富さになるのだろうか。
ホテルに戻ると夕食まで間もない。今日はホテルのレストランではなく、少し歩いて街のレストランまで行く。このレストランでは6人掛けのテーブルだったので林さんたちともう一組のご夫婦と一緒になる。飲み物はフランケンワインが付いていた。甘口で飲み易いが飲み過ぎは禁物。食事はカツレツ風の肉だが狂牛病が流行っているため、このツアーの間中ビーフは食べられなかった。この日のホテルはマリティムホテル(Maritim Hotel Wuerzburg)。ここは割と良いホテルだったが部屋は今日も1階の24号室だった。
6月3日(日)天候:雨時々曇り一部晴れ
この日は7時にモーニングコール。でも僕は6時位に目覚める。今朝の天気もあまり良くない。仕度をして朝食へ。ここの朝食はビュッフェ形式だが玉子もあり果物もあり、とても良かった。コンチネンタルとは思えないほどだが、このホテルはドイツだけでなく欧州の各所にホテルを持つ結構大きなホテルチェーンらしい。コーヒーまでゆっくり楽しんだあと9時に出発。先ず、昨日山の上に聳えていたマリエンベルク要塞へ向かう。今のところ雨は降っていない。こうした観光地の案内は工藤さんが行うのではなく、現地の専門の人が付く。マリエンベルク要塞は13世紀頃から18世紀に至るまで、この地方の領主だった司教が住んでいた。このお城は実戦にも使われたようで、日本で言えば松本城のように城門があったり、その門に至る坂道があったりして、僕自身は日本のお城に入る時のような印象を受けた。でも、このお城の最も美しいのは、お城のテラスから眺めるヴュルツブルクの街並み。手前にマイン河が流れ、街並みが左右に広がっている。その中心には昨日見た大聖堂や礼拝堂の尖塔が聳えている。こうした景観はやはり日本とは違うものだ。日本の古都の場合、新旧ごっちゃになって雑然とした印象を受けるものだが、こちらでは整然とした印象を受ける。テラスから街を見下ろすと、あたかも自分が領主になったような気がする。要塞からレジデンスに移動し、今度はレジデンスの説明を受ける。こちらは要塞よりも新しく18世紀に作られたものだ。ノイマンという人が司教のために建てたとされるバロック様式の宮殿。玄関まで馬車のまま乗り入れることが出来たり、階段を登ると天井のフラスコ画が丸く見えたり、工夫が凝らされている。第二次世界大戦の時に屋根が焼けたそうだが敵国であるアメリカ軍が天井を保護して由緒ある建造物を守ったそうだ。こうした努力もあって、この建物はユネスコの世界遺産に登録されている。庭園もバラが植わっていたり噴水があったり綺麗に手入れをされているが、過去にシェーンブルン宮殿やベルサイユ宮殿を見てしまっている僕にはそれほど感動的ではない。こういうお城や宮殿を始めて見た文子にはどう写っただろうか。僕もシェーンブルン宮殿を始めて訪れた時は、その広大さ、美しさ、規模の雄大さなどにとっても感動した覚えがある。その後スイスの古城のいくつかを訪れ、ベルサイユに行った時は規模の雄大さこそベルサイユの方が大きいもののシェーンブルン宮殿の時ほどには感動しなかった。このレジデンスでは天井のフラスコ画には感心したものの、シェーンブルン宮殿には比較するまでもない。
いよいよヴュルツブルグを後にしてロマンチック街道へ出発する。ロマンチック街道はこの街を出発点としてローテンブルグ(Rothenburg)を通り、Feuchtwangen、Harburg、Augsburg、Landsbergなどを通ってフュッセン(Fussen)に至る古城の多い街道だ。ドイツにはロマンチック街道のほか古城街道と名付けられた道もある。ヴュルツブルグからローテンブルグまではバスで1時間弱。バスに乗っている時に雨になったが間もなく止んだ。今日の昼食はローテンブルグの城壁の外側にあるレストランだった。席について間も無く、表で楽隊の音楽が始まる。この日はドイツの祭日で聖霊降臨祭だそうだ。これを祝うためローテンブルグは街をあげてのお祭りの最中で、楽隊の人たちも民族衣装で吹奏していた。このローテンブルグの街はロマンチック街道でも最も中世の雰囲気を伝える街で、「中世の宝石」と言われ、街全体が城壁に囲まれている。12世紀にホーエンシュタウフェン家の城が築かれ神聖ローマ帝国時代には帝国から認められた自由都市として発展したが、30年戦争で勢力を失い、その後19世紀に至るまで中世の面影を残したまま近代化の波からも取り残された。その後も市民の、文化保護、景観保護の活動は続けられ、中世の街としてロマンチック街道でも屈指の観光地となっている。こうした関係もあって、このお祭りを見るためにドイツ国内からも多くの人が集まっている。街の人々は中世の騎士に扮したり、民族衣装を着飾る娘がいたり、馬を乗り回す者や、牢獄に繋がれた罪人に扮する者までいる。仮装した人も、それを見に来た人もそれぞれに楽しんでいる。街の通路は石畳だが、馬が通った後には馬の落とし物が沢山落ちていて、それを避けて歩かなければならない。通路の両側には、それこそ中世そのままの石造りの家が建ち並んでいる。本当のおとぎの国に来たようだ。作りは中世のままだが、ある家は土産物屋であり、ある家はレストランであり、景観を壊さないで現代の営みをしている。街の真ん中にはマルクト広場というのがあって、中世にはこの広場で領主の命令が伝えられたり刑罰が行われたりしたそうだ。
このマルクト広場の正面が市庁舎になっていて仕掛け時計のある塔もある。中世犯罪博物館もあるが、どこも異常な人込み。自由時間も少なかったのでナイフのお店と1年中クリスマスのお店(ケーテ・ウォルファルト=Kothe Wohfahrtという名前だそうだ)を廻るだけで終わってしまった。このクリスマスのお店は木彫りやガラスのオーナメント、民芸品、刺繍の布製品など揃っていて、女性向けのお土産はほとんどここで買ってしまった。自由行動の後の再集合場所はマルクト広場。買い物を済まして外に出るとどしゃ降りの雨。幸い、ちょっと雨宿りをしているうちに小降りになったが、仮装していた街の人々も皆濡れてしまった。マルクト広場から城門を抜けバスの駐車場まで歩くのも人が多く、迷わないように付いて歩くのが大変。丁度、仮装行列を始めるところらしく、馬に乗った騎士たちや槍を持った兵士たちが大勢待機していた。こういう人込みでは添乗員の工藤さんも大変。バスに戻って人数を数えると幸いにして迷子はいなかったようだ。
14時50分、再びバスの旅が始まる。ここからはアウトバーンでなく、一般道を行くのだが幸いに渋滞もなくスムースに走る。一口にロマンチック街道と言うが360キロも走るのだ。バスに乗っている時に再び雨が降り出す。窓の外には草原が広がり、それが尽きると中世風の町並みが現れる。途中に現れる街もローテンブルグほどではないが、お城や教会の尖塔が聳え中世風の雰囲気を保っている。バスの中は再びオヤスミタイムとなる。途中、小さな売店しかないところでトイレタイムとなる。トイレの休憩時間は短かったが近くに草原があって花が咲き乱れているので写真を撮りに行く。ツアーだと、こういう草原や山など僕たちには興味があるようなところで止まってくれないのが残念。だから数少ないチャンスを生かすしかない。走ってバスに戻るようだが、観光地ばかりでは飽きてしまう。
今夜の宿はフュッセン(Fussen)というロマンチック街道の終点の街である。この街に近付くと有名なノイシュバンシュタイン城が左手の山の中腹に見えてくる。空模様ははっきりしない天気で白いお城がくっきり、という訳にはいかなかったがそれでも充分綺麗だった。フュッセン到着は、もう7時を回っていた。夕食はホテル ゾンネというホテルの食堂で全員一緒だったが、僕たちと林さん、それに新婚の千葉から来た1組と工藤さんは別のホテルに泊る。歩いて2分のところにあるホテル、ヒルシュ(Hirsch)。夕食の時に黒ビールを飲んだので少し寒かったが、ホテルはこちらの方が良い感じがした。それにしても、旅で仲良くなった林さんも偶然同じホテルで良かった。この日はシャワーを浴びて早めに就寝。明日は期待のひとつ、ノイシュバンシュタイン城だ。
6月4日(月)天候:晴れ
今朝は6時15分のモーニングコール。やっぱり僕は早めに起きてしまった。窓から外を覗くと幸い天候は晴れだ。早速荷物の仕度をして、朝食に行く。今朝は出発が早いので忙しない。でも、このホテルの朝食も結構豪華で良かった。コーヒーをゆっくり楽しんでいる時間がなかったのがちょっと残念。7時半にはロビーに集合し早速出発。まずバスでノイシュバンシュタイン城の駐車場に向かう。ここからはノイシュバンシュタイン城を築いたルードリヒ2世の父、マクシミリアン2世の居城だったホーエンシュバンガウ城が良く見える。この城もアルプ湖畔の断崖上に建つオレンジ色の綺麗なお城だ。この駐車場から小型のバスに乗り換えて、ノイシュバンシュタイン城の全景を見渡すことができる吊り橋に向かう。この吊り橋はマリーエン橋といって、城のやや上手の断崖に掛かっている。この吊り橋自体、急峻な渓谷の上をかなりの高さで跨いでいるので、高所恐怖症の人では渡れないほどの高さがある。しかしそれだけにノイシュバンシュタイン城の全景を見渡すことができる。幸い、昨日までと違って天気も良いので、青い空と白亜の城、それに山の緑が映えて実に美しい。ここから見るとディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなった、と言われるのも納得できる。ツアーの全員が思い思いにこの吊り橋からの景色を写真に納めている。この吊り橋から見るお城が絶景ポイントであることは、出発前にインターネットで調べてあったが本当に美しかった。朝早い時間なので遠景まで良く見え、城の美しさを引き立てていた。吊り橋からは急な坂道を下って城の入り口に向かう。この樹林の間からも城の姿が垣間見える。
城というと昨日まで見てきたロマンチック街道の城のように、中世に建てられ、いくつかの戦いを経て今日に至っているような感じを受けるが、このノイシュバンシュタイン城はそうではない。18世紀に入ってからバイエルン王国を継いだルードリヒ2世が自分の趣味で建てた城だ。なんと、この王様は城を3つも建てたという。しかし、18世紀になってもバイエルン王国という小領主が権威を振るっていたこのドイツという国は、どういうふうにして近代化したのだろうか?我々の知識にあるドイツは第二次世界大戦のヒトラーや第一次世界大戦のプロイセンなど、ごく表面的なことしか知らない。さらにその前は神聖ローマ帝国がウイーンにありドイツの大部分も、その版図に含まれていた筈である。昨日まで回ったローテンブルクなども神聖ローマ帝国の自由都市だった。中世の町並みを大切にする人々の意識を理解するには、こうした歴史の流れを知っておく必要があるのではないか。
さて、城内の見学は9時からとなるが予約制で、それに間に合わないと何時間も待たされることになるそうだ。我々のグループが最初で、次に阪急交通、その後ろに近畿日本ツーリスト、と日本の団体ばかりが並んでしまった。城内には、豪華なものは沢山あったが、これまでに見てきた多くの城と同様で、この城だけ特別なものがあった訳ではない。しかし、作曲家ワーグナーに心酔していた王様ということもあって、ワーグナーの歌劇にちなんだ絵などが飾られていた。この部屋では今でも毎年コンサートが開かれているそうだ。お城の窓からはバイエルン王国の領地であったであろう大平原が見下ろせる。この平原の片側には白鳥湖という湖も見える。
お城の観光を終わり、昼食までフリータイム。林さんと一緒に白鳥湖の湖畔に出て写真を撮る。するとそこに看板があって、ホーエンシュバンガウ城が湖面に写る綺麗な写真が張ってある。湖に沿って左手に小さな道が続いているので行ってみることにする。公園のはずれまでは舗装だが、直ぐにトレッキングコースのような小道に変わる。でも平坦な道が樹林の中に続いている。人影も少ないが、この田舎町では何となく安心感がある。しばらく行くと前方におばあさんが一人、湖畔のベンチに腰掛けているのが見える。近付くと水面に本物の白鳥が浮かび、そばに小さな雛を連れている。日本だったら人間のそばに近付きもしないのに、すぐそばまで寄って来る。ニュージーランドでもそうだったが、外国では小さな子供でも野鳥を追うようなことはしない。そういう躾がきちんとできているのは見習わなければならない。この、白鳥がいたところから正面に、丁度ホーエンシュバンガウ城が見える。水面にも写っているが、ちょっと遠いのが残念だった。駐車場まで戻ると昼食までまだ時間があるので付近の小さな売店を見て回る。前回スイスに来た時に買い損なってしまったチロリアンハットを買う。そこの売店の人は日本語が上手だった。
このノイシュバンシュタイン城を最後にドイツの旅は終わる。今日のうちにインターラーケンまで行くのだ。でも、もう一つのドイツ国境の街、バーゼルからでも列車で半日も掛かるのがインターラーケン。山々に囲まれたスイスの中でもベルナーオーバーランドの真ん中にあって、列車でもバスでも直線で行くことはできない。とは言っても陸続きのヨーロッパのこと。オーストリアとリヒテンシュタインという小国を通ってスイスに入る。このリヒテンシュタインという国は外交や軍事をスイスに委ねてはいるが、21世紀になった今でも昔の王侯が国を治めている「リヒテンシュタイン候国」というのだ。10年前に初めてヨーロッパに来た時も陸続きの国境を越えたが、スイス側とフランス側では対応が全然違ったのを覚えている。スイス側はちゃんと検査をするがフランス側はノーチェックだった。それでも国境の検問所が2箇所あり、その検問所と検問所の真ん中辺りに国境線が敷かれていた。今回はEUができたためかドイツ側では出国検査も何もなし。でもスイス側ではきちんと検査をしていた。尤も、我々にはノーチェックだがドイツ人の運転手さんはパスポートを持って検査に行った。国境を越えてスイスに入ったところでトイレタイム。ここからはアウトバーンを通ってインターラーケンに向かう。アウトバーンは一旦チューリッヒに向けて走る。チューリッヒ湖を左手に見て市街地を通過、ルツェルンを経由してプリエンツ湖に向かう。スイスは森と湖の国。チューリッヒを過ぎると車窓にはスイスらしい可愛い家や牧場が広がる。ツークを過ぎルツェルンを過ぎるとインターラーケンに向かってベルナーオーバーランドの山々に分け入って行く。プリエンツ湖に近付くとバスは切り立った断崖の上を走るようになり、眼下には下の平地に建つ小さな家々とローヌ川が眺められる。この渓谷は前回の旅の時、列車で通ったのだ。列車は、もっと高いところを通ったので、強烈な印象が残っている。
プリエンツに到着したのは午後6時。木彫り細工のお店に日本から修行に来ている娘がいて、展示室や工場を案内してくれる。その後、ようやくフリータイムとなったのでお土産も買わずに湖畔に行く。湖畔からはロートホルンなどベルナーオーバーランドの山々が見えて美しい。折角スイスに来たら、少しでも多くの自然に触れておきたい。この前プリエンツに来た時は湖畔に面したベルビューというレストランで美味しい魚を食べたのだが、残念ながら場所が分からない。湖畔を少し歩いてみるとヨットが沢山繋がれているばかりだった。何枚か写真を撮ってバスに戻るとまだ時間がある。さっきの日本の女性のいるお店でチロルハットに付ける羽根飾りを買う。雅子さまがプレゼントした生チョコを売っている店を工藤さんが案内していたので文子が買いに行く。そんなことをして、出発したのは7時を回っていた。
インターラーケンのホテルはデユノルドというオスト駅に近いヘーエマッテ公園の角のホテル。五つ星ホテルのビクトリアユングフラウなどとは規模もサービスも違うがこじんまりした綺麗なホテルだった。この日の夕食はフォンデュだったのだが、テーブルに着いてもなかなか出て来ないし、出てきてもテーブルによって時間差があって、我々のテーブルはちっとも食べられない。チーズフォンデュは臭くて食べられたものではないのでオイルフォンデュだったが、肉も鶏肉であんまり満腹感は味わえなかった。そんなことで時間を取り部屋に上がったのはもう9時だった。でも部屋は4階の角部屋で結構広く、良い部屋だった。インターラーケンでは同じホテルに2泊するので日本から持って来たお茶を沸かして飲んだりしていた。ところが、そんなことをしてシャワーを浴びる時間が遅くなってしまったので、お湯の蛇口を開いても熱い湯が出てこない。どうやら電気温水器のお湯を使い切ってしまったらしい。ヨーロッパのホテルではお湯も電気で沸かしタンクに貯めておく、という話は前回の通訳、大西さんから聞いてはいたけれど、自分が「お湯切れ」に当たったのは初めてだった。幸い文子は先に浴びていたので良かったが、結局僕はシャワーなしになってしまった。
《ロマンチック街道の旅2 スイス編に続く》
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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