1980/08 - 1980/08
43位(同エリア90件中)
アリヤンさん
イラクがクウェートに侵攻した事件より以前のお話です。
クウェートに出稼ぎに来ていた友人のレバノン人(マロナイト派キリスト教徒)がいつも自慢していた。
「夏、海で泳ぎ、山でスキーが同時に出来るすばらしいベイルート」、
「中東のパリ」ともいわれたベイルート。
ノアの箱舟はレバノン杉で作られたとも言われる、歴史あるレバノン・ベイルート。
古代レバノンを支配していたフェニキア人の一派は地中海を横断して北アフリカでカルタゴ帝国を繁栄させた。カルタゴのハンニバルはローマ帝国を攻めて窮地に立たせたこともあった。
友人の彼は、それほど長い歴史と文化をもったフェニキア人の末裔なのです。
彼の家族総出の案内でベイルートを初めて訪れた。
1980年当時、まだレバノンは内戦中であった。
(今でも内戦中だが)。
空港降りたら彼ではなく、彼の知り合いで、「ベイルート市内を安全に通り抜けられる確実な人」が迎えに来ていた。
ベイルート市街は、辻つじに土嚢を積み、重機関銃を据えた兵士が目を光らせ、あちこちのビルには大穴小穴があいて、壁はハチの巣状態。
さすが、ワタクシたち家族は緊張した。
安全な地域は、キリスト教徒が住んでいる山手しかない、とのことで、わたしたちはとうとう市街地には留まらず、ほとんど山手ですごした。
あれから30年以上経った現在でも、ニュースで見るように、ベイルートには平和はやって来ていない。
友人の家族は建てかけの邸宅を放って、10年以上前にアメリカ合衆国に移住してしまった。
イスラム教各宗派、マロナイト派キリスト教の人たちの思惑、イスラエル、シリア、イランの思惑が交錯して、内臓機能不全な状態に陥ってしまったこの国の人たちは、なんと不幸な人たちだろう。
- 同行者
- 家族旅行
- 航空会社
- ミドル・イースト航空
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イチオシ
ベイルートの山手の住宅街。
主にマロナイト派キリスト教徒の居住区。
比較的裕福な人々が多いと見受けられた。
この地域は、マロナイト派キリスト教徒の民兵組織にガードされているのか安全そうだった。 -
イチオシ
大きなマリア像。
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友人はクウェートで雇われ社長をしていて、稼いだ金を貯めてコツコツとベイルートに邸宅を建設中だった。
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1階部分はすでに完成しており、住める状態になっていた。
1階部分だけでも日本の我が家の倍くらいの面積はあった。 -
近くにローマ時代の遺跡。
この遺跡の名前は今もって知らない。
(パールバックではない) -
友人、Mr.Sassile Jarjourは当時すでに50歳代で5人の子持ち。
欧米の白人と同じような顔立ちで肌は白い。
古代フェニキア人の末裔か?
宗教がキリスト教のせいか、感覚は西洋人と同じ。
教養もあり、アラビア語(ここらのアラブ語はエジプトやサウジアラビアなどとは少し違い洗練されている、ように見受けられる)の他、英語、フランス語もこなせる。
末っ子の小さなサイモン君を抱いて。 -
次女。
高校生くらい。
姉妹のなかで一番の美人。 -
山手からは美しいベイルートの町が臨める。
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友人一家とわが息子。
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中東のパリではなくニースに匹敵する気候温暖、風光明媚なベイルート。
もし、平和であれば、の話。
一度失った平和は、もう30年以上経っても取り戻せないでいる。
レバノンを愛してやまない友人が可哀想で仕方が無い。 -
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