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台北からキールンを経て金瓜石へ向かう。バス代は50元(日本円にして200円弱といったところ)なり。黄金博物館を目指す。<br /><br />キールンでは駅前の雑踏の中、バス停で30分くらい待たされたものの、道中は順調である。キールンの夜市や商店街を通ると、女性物の下着や果物なんどが無秩序に並んでいてにぎやかだ。やがて、バスは山道を登り始め、細くクネクネと曲がった道を登ったり下ったりとヘビのように進む。<br /><br />小一時間ほどして、金瓜石黄金博物園区に到着。<br />日本統治時代の遺跡を見ようと楽しみにしていた。<br /><br />日清戦争に勝利した日本は清国より台湾を得た。そして20世紀初頭から太平洋戦争敗戦まで、約半世紀にわたって日本は台湾を統治した。統治したといっても、当時の台湾は国家として独立していたわけではない。福建省からの移民と少数民族、そして海賊が点在しているようなところだったようだ。<br /><br />大学院に勤めていたころ、台湾の土地改良状況の調査という名目で台湾を一周したことがある。そのとき、日本がつくったダムなどを観に行った。台南につくられた烏山頭ダムのおかげで台南で稲作が行われるようになり、30万人の食料がまかなわれるようになったそうだ。<br /><br />そのダムを設計した日本人技師・八田與一氏の銅像がダム公園のなかにあり、今でも墓前際がおこなわれている。それを観たときは感動して嬉しくなった。太平洋戦争では、アジアの国々に悪行の限りを尽くしてきたと思っていた日本だが、良いこともしたのだ。<br /><br />そういった、日本がこれまで歩んできた道を自分でもたどりたいと思って旅をしている。来たところがわかれば、行くべき場所にも迷わないと思うからだ。<br /><br />今回の旅では、台湾統治時代に金鉱の発見で賑わった九イ分と金瓜石を目指した。金瓜石には、最近になって、採掘現場や当時の日本人住居を再現し、金瓜石黄金博物園区として観光地となっている。<br />そこに行ってみたかったのだ。そこには、神社もあって黄金神社と呼ばれていたそうだ。<br /><br />どうなっているのか観に行った。神社までは広い敷地を歩き、さらに500メートルほど山を登らなければならなかった。汗だくで登ると、日本の神社は、拝殿さえなく鳥居だけだった。神社の手水社も本殿もなかった。ただ、ローマ風の8本の柱と土台だけが残っていた。土台には4畳半ほどが半地下になっていて、奉納と書かれた石が置いてあり、小銭が数枚おかれていた。<br /><br />他には、そこがかつて日本であったことも、日本人が住んでいたことを示す物も何もなかった。柱の向こうは、ひょっとしたら本国を向いているのかもしれないが、ただ空だけが広がっていた。<br /><br />残念だった。<br /><br />すっかり、台湾の観光地となっているこの場所だが、神社とは言わないまでも、いつかこの地に慰霊の碑を建てられたらち思った。この地に眠る日本人と、彼らの行為の犠牲になった人々に何かをしたいと思った<br /><br />また、博物館ではシンガポールから連れてきた英国人捕虜に過酷な労働を強いたこともわかった。多くの捕虜が、過酷な鉱山労働で命を落としたのだ。この博物館では、その英国人捕虜たちを国家の礎となった人々として讃えていた。<br /><br />映画「戦場にかける橋」では、日本軍捕虜となった連合軍兵士が、インドネシアで橋をかけるが、いったい日本人で何人が、台湾まで英国人捕虜を移送したことをしっているのだろう。<br />捕虜たちは、さぞ心細かっただろう。戦争の犠牲は、いつの時代も痛ましい。<br /><br />http://onari.jp/

台湾憧憬1−空の神社、ゴールドラッシュの街

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2006/06/14 - 2006/06/14

1833位(同エリア1850件中)

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kon

konさん

台北からキールンを経て金瓜石へ向かう。バス代は50元(日本円にして200円弱といったところ)なり。黄金博物館を目指す。

キールンでは駅前の雑踏の中、バス停で30分くらい待たされたものの、道中は順調である。キールンの夜市や商店街を通ると、女性物の下着や果物なんどが無秩序に並んでいてにぎやかだ。やがて、バスは山道を登り始め、細くクネクネと曲がった道を登ったり下ったりとヘビのように進む。

小一時間ほどして、金瓜石黄金博物園区に到着。
日本統治時代の遺跡を見ようと楽しみにしていた。

日清戦争に勝利した日本は清国より台湾を得た。そして20世紀初頭から太平洋戦争敗戦まで、約半世紀にわたって日本は台湾を統治した。統治したといっても、当時の台湾は国家として独立していたわけではない。福建省からの移民と少数民族、そして海賊が点在しているようなところだったようだ。

大学院に勤めていたころ、台湾の土地改良状況の調査という名目で台湾を一周したことがある。そのとき、日本がつくったダムなどを観に行った。台南につくられた烏山頭ダムのおかげで台南で稲作が行われるようになり、30万人の食料がまかなわれるようになったそうだ。

そのダムを設計した日本人技師・八田與一氏の銅像がダム公園のなかにあり、今でも墓前際がおこなわれている。それを観たときは感動して嬉しくなった。太平洋戦争では、アジアの国々に悪行の限りを尽くしてきたと思っていた日本だが、良いこともしたのだ。

そういった、日本がこれまで歩んできた道を自分でもたどりたいと思って旅をしている。来たところがわかれば、行くべき場所にも迷わないと思うからだ。

今回の旅では、台湾統治時代に金鉱の発見で賑わった九イ分と金瓜石を目指した。金瓜石には、最近になって、採掘現場や当時の日本人住居を再現し、金瓜石黄金博物園区として観光地となっている。
そこに行ってみたかったのだ。そこには、神社もあって黄金神社と呼ばれていたそうだ。

どうなっているのか観に行った。神社までは広い敷地を歩き、さらに500メートルほど山を登らなければならなかった。汗だくで登ると、日本の神社は、拝殿さえなく鳥居だけだった。神社の手水社も本殿もなかった。ただ、ローマ風の8本の柱と土台だけが残っていた。土台には4畳半ほどが半地下になっていて、奉納と書かれた石が置いてあり、小銭が数枚おかれていた。

他には、そこがかつて日本であったことも、日本人が住んでいたことを示す物も何もなかった。柱の向こうは、ひょっとしたら本国を向いているのかもしれないが、ただ空だけが広がっていた。

残念だった。

すっかり、台湾の観光地となっているこの場所だが、神社とは言わないまでも、いつかこの地に慰霊の碑を建てられたらち思った。この地に眠る日本人と、彼らの行為の犠牲になった人々に何かをしたいと思った

また、博物館ではシンガポールから連れてきた英国人捕虜に過酷な労働を強いたこともわかった。多くの捕虜が、過酷な鉱山労働で命を落としたのだ。この博物館では、その英国人捕虜たちを国家の礎となった人々として讃えていた。

映画「戦場にかける橋」では、日本軍捕虜となった連合軍兵士が、インドネシアで橋をかけるが、いったい日本人で何人が、台湾まで英国人捕虜を移送したことをしっているのだろう。
捕虜たちは、さぞ心細かっただろう。戦争の犠牲は、いつの時代も痛ましい。

http://onari.jp/

  • 博物園のなかの日式住居。この日は撮影が行われているようでした。

    博物園のなかの日式住居。この日は撮影が行われているようでした。

  • 昭和天皇が来る計画があったそうで、昭和天皇用の住居もあるました。天皇用としたら、すごい小さい家です。

    昭和天皇が来る計画があったそうで、昭和天皇用の住居もあるました。天皇用としたら、すごい小さい家です。

  • 昭和天皇部屋

    昭和天皇部屋

  • 昭和天皇用のゴルフ場。なぜか、コンクリート製のパターゴルフコースが裏庭にありました。

    昭和天皇用のゴルフ場。なぜか、コンクリート製のパターゴルフコースが裏庭にありました。

  • 鳥居に刻まれた日付はだれかに埋められていました。

    鳥居に刻まれた日付はだれかに埋められていました。

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