2006/05/04 - 2006/05/07
868位(同エリア1012件中)
beoさん
蘇州に着きました。前回の旅行記で”「寒山寺に行こうよ」と友人を誘ったら「あそこはなにもない。くだらないよ。」と冷たいお答え。”と書いたところ、友達から「私、冷たいカ?」とクレーム?が来ました。今回はそのリベンジの観光なりますか。。。
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ホテルの前の「石路歩行街」です。
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友人宅のすぐ裏にある「北寺塔」です。
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その向かいにある「シルク博物館」です。
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友人宅に招かれ最初の夕食です。この鶏肉は「あなたのために昨日私がシメた」とのこと・・・。強いお母様ですね。
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友人のお父様に頂いた翡翠の首飾りです。
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友人に持っていったお土産「白い恋人」は好評でした。北海道名産なので今回はインターネットで購入。
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前回も紹介した「山塘街」の夜景です。夜のほうがきれいですね。
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見にくいですが「客桟」とあります。現代中国語では「賓館」「酒店」といいますが、ベトナム語では「khack san」といいます。「客桟」の音訳ですね。そういえばベトナムの「Hoi an」という街の雰囲気はここに似ています。
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「道光始創」とあります。清の道光年間の解説は以下を参照・・・
道光帝・・・清の八代道光帝。廟号は宣宗。在位1820〜1850。嘉慶帝(顒琰)の次男。嘉慶二十五年(1820)八月、帝位についた。道光六年(1826)、ジハーンギールがカシュガル・ヤルカンドを占領し、台湾では黄文淵が乱を起こした。このころ、天災や政治腐敗や重税が重なり、農民の叛乱や少数民族の反抗が相次いだ。十八年(1838)、林則徐を欽差大臣に任じて広東におもむかせ、アヘンの吸引と販売を厳禁させた。二十年(1840)、イギリスがアヘン戦争をしかけ、舟山島の定海を占領した。のちに英軍は、広州虎門の砲台を激戦の末落とし、鎮海・寧波・乍浦を陥落させ、南京を攻撃した。二十二年(1842)、和平派の耆英が欽差大臣となって、英との間に南京条約が結ばれ、香港の割譲、五港の開港、賠償金の支払いが約された。二十四年(1844)、米との間に望厦条約が、仏との間に黄埔条約が結ばれて、治外法権を認めさせられた。三十年(1850)、病のため崩じた。 -
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「会館弄」とあります。かつて同郷人の寄り集まる場所を「○○会館」と呼びました。この会館はどこの地方の「会館」なんでしょうね。また「弄」は通常「nong4」と発音しますが、江南では「long4」と発音します。「弄堂long4tang2」という単語もあります。
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でました!「臭豆腐」です。
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中学以来十数年苦楽をともにしてきたボロ筆箱ですが、友人の「難看!」の一言で解体されました。筆箱の開きもオツなものですね(笑)。
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