セントオーガスティン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
サバンナ空港を基点とした東南海岸諸州を巡る約3週間のレンターカー旅行の後半に訪れた北フロリダ、セント・オーガスチンを紹介。<br /><br />セント・オーガスチンは、テキサスのサンアントニオと似ており、スペイン系の文化が強く残った古い町で、見所が豊富。<br />1)歴史<br />セント・オーガスチンは、バージニア州ジェイムスタウンの英国の植民地より、42年も前に出来たアメリカで一番古い都市として知られている。1565年8月28日、Pedro Menendez de Avilesのスペイン艦隊が、このフロリダ海岸に到着し、11日後に、SeloyのTimucuan Indian 村に砦を築き、St. Augustineと名付けた。<br />その後、フランスのプロテスタント入植地や艦隊を駆逐、何度かの火事、英国の海賊の破壊に耐えスペインが維持したが、1763年に、フロリダ移譲で、英国が取得。独立戦争の時には、サウスカロライナのGadsden将軍が収監され、1784年には、独立後のアメリカとの条約で、再びスペインの所有。1821年に、また、スペインがアメリカにフロリダを移譲。その後、南部連合へ参加し、南北戦争に係わる。<br />南北戦争は、1865年に終結。その後、1880年代には、Henry M. Flaglerの鉄道、観光事業の大開発で、北部の富豪達の避寒地として、セント・オーガスチンの黄金時代が始まった。フラグラーは、1900年代初めに、さらに南へ夢を広げ、パームビーチに移るが、現在でも、彼がセント・オーガスチンの格式と繁栄に及ぼした大きな影響をみることが出来る。1959年から続く州政府の保全努力によって、歴史の町、St. Augustineは、植民地スペイン文化の中心として、世界中からの旅行者の重要な目的地となっている。(Excerpted from Old City Web Services)<br /><br />旅行記、「フラッグラー名残りのリゾート、パームビーチ」をご参照下さい。<br />http://4travel.jp/traveler/bluebonnet/album/10235906/<br /><br />2)観光<br /> ビジターセンターは、旧市街の北端の大きな駐車場の内海(川)側にある。レンターカーだったので、駐車場の北側のベスト・ウエスターンをとった。個人旅行の観光は、ビジターセンター訪問が、鉄則。特に、その町の観光スポットを詳細に入れた大きな地図などは、ネットでは、無理なので。レンターカー旅行では、その州にInterstate   Highwayで入って直ぐの所にある州のビジターセンター立ち寄りも必須。<br /><br />観光地区は、(1)旧市内とそれに隣接するサンマルコ砦、(2)旧市内の北側の内海、湾に面しており、16世紀半ばスペインのミッションが最初に到着した入植地に大別できる。<br /><br />観光トラムが上記の地区を回って、案内してくれるので、まず、これを利用するとよい。ビジター・センター、中心部の広場の西南、のほか、ストップする見所でも乗り降り自由。ライオン橋を渡って、大西洋に面した灯台あたりまで行くコースもある。<br /><br />この情報は、2006年3月時点で、WEB確認してあります。<br />

北フロリダ、セント・オーガスチンの観光

8いいね!

2003/12/01 - 2003/12/20

5位(同エリア8件中)

1

10

bluebonnet

bluebonnetさん

サバンナ空港を基点とした東南海岸諸州を巡る約3週間のレンターカー旅行の後半に訪れた北フロリダ、セント・オーガスチンを紹介。

セント・オーガスチンは、テキサスのサンアントニオと似ており、スペイン系の文化が強く残った古い町で、見所が豊富。
1)歴史
セント・オーガスチンは、バージニア州ジェイムスタウンの英国の植民地より、42年も前に出来たアメリカで一番古い都市として知られている。1565年8月28日、Pedro Menendez de Avilesのスペイン艦隊が、このフロリダ海岸に到着し、11日後に、SeloyのTimucuan Indian 村に砦を築き、St. Augustineと名付けた。
その後、フランスのプロテスタント入植地や艦隊を駆逐、何度かの火事、英国の海賊の破壊に耐えスペインが維持したが、1763年に、フロリダ移譲で、英国が取得。独立戦争の時には、サウスカロライナのGadsden将軍が収監され、1784年には、独立後のアメリカとの条約で、再びスペインの所有。1821年に、また、スペインがアメリカにフロリダを移譲。その後、南部連合へ参加し、南北戦争に係わる。
南北戦争は、1865年に終結。その後、1880年代には、Henry M. Flaglerの鉄道、観光事業の大開発で、北部の富豪達の避寒地として、セント・オーガスチンの黄金時代が始まった。フラグラーは、1900年代初めに、さらに南へ夢を広げ、パームビーチに移るが、現在でも、彼がセント・オーガスチンの格式と繁栄に及ぼした大きな影響をみることが出来る。1959年から続く州政府の保全努力によって、歴史の町、St. Augustineは、植民地スペイン文化の中心として、世界中からの旅行者の重要な目的地となっている。(Excerpted from Old City Web Services)

旅行記、「フラッグラー名残りのリゾート、パームビーチ」をご参照下さい。
http://4travel.jp/traveler/bluebonnet/album/10235906/

2)観光
 ビジターセンターは、旧市街の北端の大きな駐車場の内海(川)側にある。レンターカーだったので、駐車場の北側のベスト・ウエスターンをとった。個人旅行の観光は、ビジターセンター訪問が、鉄則。特に、その町の観光スポットを詳細に入れた大きな地図などは、ネットでは、無理なので。レンターカー旅行では、その州にInterstate Highwayで入って直ぐの所にある州のビジターセンター立ち寄りも必須。

観光地区は、(1)旧市内とそれに隣接するサンマルコ砦、(2)旧市内の北側の内海、湾に面しており、16世紀半ばスペインのミッションが最初に到着した入植地に大別できる。

観光トラムが上記の地区を回って、案内してくれるので、まず、これを利用するとよい。ビジター・センター、中心部の広場の西南、のほか、ストップする見所でも乗り降り自由。ライオン橋を渡って、大西洋に面した灯台あたりまで行くコースもある。

この情報は、2006年3月時点で、WEB確認してあります。

  • (1)Castillo de San Marcos(サンマルコ砦)<br />プエルトリコのサンファンにあるような隅やぐらの付いたスペイン風の砦。ビジター・センターから旧市街入り口左手、内海(川)側にある。<br />

    (1)Castillo de San Marcos(サンマルコ砦)
    プエルトリコのサンファンにあるような隅やぐらの付いたスペイン風の砦。ビジター・センターから旧市街入り口左手、内海(川)側にある。

  • (2)St.George Street/Oldest Wooden School House<br />この通りには、18世紀のスペイン植民地跡やアメリカで、最も古い木造校舎があり、古い町並には、おみやげ物屋やレストラン。夜遅くまで、賑わっている。この点も、川縁の店屋やレストランが夜遅くまで賑わうサンアントニオに似ている。

    (2)St.George Street/Oldest Wooden School House
    この通りには、18世紀のスペイン植民地跡やアメリカで、最も古い木造校舎があり、古い町並には、おみやげ物屋やレストラン。夜遅くまで、賑わっている。この点も、川縁の店屋やレストランが夜遅くまで賑わうサンアントニオに似ている。

  • Oldest Wooden School House

    Oldest Wooden School House

  • 3)Basilica Cahedral of St. Augustine<br />   St. George St.を南下、Bridge of Lions の方にCathedral Place 通りを左折した所、広場に面した中心地にあるアメリカで最も古い教区教会。最初は18世紀末に建てられ、19世紀末の火事の後、再建されたもの。<br />

    3)Basilica Cahedral of St. Augustine
    St. George St.を南下、Bridge of Lions の方にCathedral Place 通りを左折した所、広場に面した中心地にあるアメリカで最も古い教区教会。最初は18世紀末に建てられ、19世紀末の火事の後、再建されたもの。

  • 4)広場から更に、南西の端に、Oldest Houseがある。17世紀頃からのあったスペイン植民地風のもので、現在、18世紀のものが残っている。

    4)広場から更に、南西の端に、Oldest Houseがある。17世紀頃からのあったスペイン植民地風のもので、現在、18世紀のものが残っている。

  • 5)広場の西には、19世紀末のフロリダ鉄道王、フラグラーゆかりのホテル群が、現在、フラグラー大学、ライトナー博物館(元Alcazar Hotel)、カサ・モニカ・ホテル(元Cordova Hotel、Alcazar Anex)として残されている。<br /><br />写真は、フラグラー・カレジ(元Ponce de Leon Hotel)。

    5)広場の西には、19世紀末のフロリダ鉄道王、フラグラーゆかりのホテル群が、現在、フラグラー大学、ライトナー博物館(元Alcazar Hotel)、カサ・モニカ・ホテル(元Cordova Hotel、Alcazar Anex)として残されている。

    写真は、フラグラー・カレジ(元Ponce de Leon Hotel)。

  • 写真は、カサ・モニカ・ホテル

    写真は、カサ・モニカ・ホテル

  • 6)Mission of Nombre de Dios とShrine of Our Lady of La Leche<br />  歴史の項で述べたとおり、16世紀半、スペインのミッション、Pedro Menendez が上陸し、最初のミサを行った所。その後、この地に礼拝所(Shrine)が立てられた。現在、Menendezを記念して、ステンレスの大きな十字架が建てられている。<br />

    6)Mission of Nombre de Dios とShrine of Our Lady of La Leche
    歴史の項で述べたとおり、16世紀半、スペインのミッション、Pedro Menendez が上陸し、最初のミサを行った所。その後、この地に礼拝所(Shrine)が立てられた。現在、Menendezを記念して、ステンレスの大きな十字架が建てられている。

  • 7)Fountain of Youth<br /> Shrine of Our Lady of La Leche より少し北に位置する。16世紀始めにこの地に上陸したPonce de Leon が知った泉。<br />

    7)Fountain of Youth
     Shrine of Our Lady of La Leche より少し北に位置する。16世紀始めにこの地に上陸したPonce de Leon が知った泉。

  • 旧市街の中心の広場から左方向に大西洋に面する細長い島へライオン橋がかかっている。

    旧市街の中心の広場から左方向に大西洋に面する細長い島へライオン橋がかかっている。

この旅行記のタグ

8いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (1)

開く

閉じる

  • パパさん 2015/02/07 14:37:41
    懐かしいですね。
    bluebonnetさん

    こんにちは。
    子供がまだ小学生の頃にキーウエストからマイアミを経由してディズニーワールドに行く途中で寄りました。

    前日は、ボカラトンリゾートに泊りました。とても素晴らしいホテルでした。

    セント・オーガスチンでは、写真にある砦などを観光してディズニーワールドに向かいました。

    懐かしかったです。

    パパさんより

bluebonnetさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

アメリカで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
アメリカ最安 15円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

アメリカの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP