2003/03/12 - 2003/03/16
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toukennさん
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ちょっと 旅 米倉 義明
観音寺城から安土へ
近江平野に聳え立つ安土山城址(163m)を知る人は多い。だが、その東南東2.5kmに戦国大名、佐々木六角氏の居城、観音寺城(跡)を知る人は少ないのでは・・・。
現在たずねても、ここが名城であったことを強く確信する。観音寺山は標高432mの緑深い山で、北東から南西に峰をなしている。いまこの山は霊場観音正寺として名高く、老若男女の参拝でにぎわう。観音正寺に至る参道は大きな石で築かれ、城跡への道となる。険しく、そして下山時にはひざが笑うほどの厳しさである。観音正寺より約200mのところに、本丸あとがある。石垣はここを中心に残っているだけで、他は竹林を深く入った、からめて門跡にある郭(くるわ)に少し残っているのが見られるだけだ。
この城の悲劇は安土城にあると私は思っている。この城の鎧(よろい)は石垣。その石垣が身ぐるみはがされ安土城に持っていかれたことである。以後、この城の名も歴史から消えていったのだろうか。ご存知のように佐々木氏は地方大名。一方、信長は天下にまで昇り詰めた人である。そのため安土城の持つ意味も当然違ったものになったと言われている。そのひとつは、米、綿花を含む農産品の大生産地で、大津、京都、堺にも近く交通の要所。
信長は今浜(現長浜)に秀吉を置き、比叡山のふもと坂本に光秀を配した。信長は家臣である秀吉、光秀を安土城から等距離のところに配し、常に両者を監視していたといわれている。両者の秀でた才能を高く評価していた反面、どこかで恐れていたのでしょう。地図上で測ると、安土山から今浜まで7里(28km)。坂本まで7里である。偶然か。安土山から今浜は見渡せるが、観音寺からは出来ない。
現在でも脚光を浴びている安土山(発掘調査がながく行われている)と、その奥に静かにたたずむ観音寺山との対比が歴史の中で揺らいでいるようで悲しげだ。下山し、登山口で拝借した杖(つえ)を元に返し汗をぬぐった。
遠く比良山が琵琶湖の向こうにかすんで見えた。初秋の傾きかけた陽を背に受け、彦根を目指して車を走らせた。
みどころ 野洲町銅鐸博物館、浮御堂(堅田)、近江八幡城、長命寺、水郷めぐり
観音寺城(別名 佐々木城) 観音寺山、別名繖山、高さ432m、比高325m。
古代より進行の山で、朝鮮からの渡来人が山上に城砦を作ったといわれている。応仁、文明年間(1467〜87年)に近江源氏の佐々木氏頼が城を構えた北畠氏と戦った。室町時代、佐々木氏、六角定頼・義賢が城の大改築を行い、大堅城となるも、永禄11年(1568年)上洛する信長に攻められ落城する。
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