2005/04/17 - 2005/04/17
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Newmanさん
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吉野行きの翌日は、大津に宿泊したこともあって比叡山延暦寺参りとなりました。
延暦寺は天台宗の総本山であり、788年(延暦7年)伝教大師最澄が一乗止観院を建立したのがその起源。東塔(とうどう)、西塔、横川(よかわ)の三塔よりなりそれぞれが独立した伽藍を形成しています。
11世紀半ばの平安後期以降は奈良の興福寺と並んで僧兵たちの勢力が盛んとなり、しばしば後白河法王や平清盛ら時の権力者たちの悩みの種ともなりました。そんな中、1571年(元亀2年)9月の織田信長による比叡山焼き討ちにより、多くの堂宇と貴重な文書とが消失してしまいました。現在残るの建物の多くはその後に再建されたり移築されたりしたものとのことです。
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京阪坂本駅から比叡山へ向かう手前に日吉大社があり、参道の枝垂桜は満開で大変美しいものでした。
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難工事の末 1927年(昭和2年)3月15日に開通したという日本最長(勾配長2,025m/高低差484m)の比叡山坂本ケーブルに乗って11分、ケーブル延暦寺駅へと向かいます。
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比叡山駅前より琵琶湖の眺め。
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ケーブルの駅から徒歩3,4分ほどで、延暦寺の入口にたどり着きます。
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東塔の中で最も中心的な建物であり、比叡山の総本堂ともいえる根本中堂です。
現存する建物は1640年(寛永17年)に江戸幕府三代将軍徳川家光により建造されたもので、最澄の時代から数えて八代目の建物となるとのこと。比叡山様式という独自の建築様式を引き継いでいるのだそうです。実際にはこの再建には、江戸幕府と非常にかかわりの深い天台宗の僧天海の尽力が大きかったとか。
また、根本中堂は奈良の東大寺大仏殿、吉野の金峯山寺蔵王堂に次いで日本で三番目に大きな木造建築でもあります。 -
根本中堂の正面の急な石段の上に文珠楼が建っています。1642年(寛永19年)家光による再建で、和唐折衷様式の建物です。また、この文殊楼は根本中堂の正門の役割も果たしています。
内部には文殊菩薩が祀られており、受験などを祈願する人々の絵馬がたくさん奉納されていました。 -
文珠楼への石段より根本中堂。
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戒壇院。僧侶が大乗戒を受ける重要な建物で、現存の建物は1678年(延宝6年)に再建されたものとのことです。文珠楼と同様に和様と唐様とを合わせもったつくりとなっています。
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阿弥陀堂(右)と東塔(左)。ともに、昭和になってからの再建(前者は1937年(昭和12年)、後者は1987年(昭和62年))となります。
旅行用パンフレットなどでは、比叡山延暦寺としてこのアングルのこれらの建物の写真がが多く使われているように思えるのですが、いかがでしょうか。 -
山王院堂(法華鎮護山王院)。東塔から西塔へ行く途中の奥比叡ドライブウェイの上にかかる陸橋を渡った木立の中にひっそりと建っています(当然ながらバスで西塔へと移動してしまうと通り過ぎてしまいます)。千手観音を祀ってあることから千手堂、千手院などとも呼ばれているそうです。
第六祖智証大師圓珍の住房であったとされている堂で、後唐院ともいわれたとのこと。彼の死(891年/寛平3年)後100年してから圓珍派と慈覚大師圓仁派の学僧との間に紛争が起こり、圓珍派は智証大師圓珍の木像を背負って大津三井寺(園城寺)へと移住したのだとか。その舞台となった歴史上きわめて重要なお堂なのだそうです。(以上、案内板より) -
山王院横の長い参道を下っていった先の正面に見えるのが浄土院です。最澄の御廟(墓)のある場所です。周囲はとても静寂で、ここは比叡山第一の浄域とされているとのことです。
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さらに西塔までもうすこしこのような参道を進みます。
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参道から下へと回り込むように降りていった先に、西塔に入って最初のお堂、椿堂があります。
聖徳太子が比叡山に登ったときに、使った椿の木の杖をここにさしておいたところ芽を出し大きく育ったところから、この堂は椿堂と名づけられたと案内板には書かれていましたが、あくまで伝説でしょう。
訪れた時には、ちょうどそばに植えられた椿の花が満開でした。 -
常行堂(左)と法華堂(右)。同じ形式の建物を渡り廊でつないでいる姿から、廊下をにない棒に見立てて通称「にない堂」と呼ばれています。弁慶がこの渡り廊を天秤棒にして両堂を担いだという伝説があります。
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こちらが常行堂。常行三昧を修する堂の意です。阿弥陀如来を本尊とし、1595年(文禄4年)に建てられた和様建築です。
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こちらは法華堂。法華三昧を修する堂の意です。普賢菩薩を本尊とし、常行堂と同様1595年(文禄4年)に建てられました。つくりも常行堂と同じです。
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にない堂の渡り廊を潜ってさらに先へ進むと、左側にこの恵亮堂があります。修力霊験あらたかだった大楽大師恵亮和尚(京都の妙法院を創建)を祀っています。
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西塔の中心的な建物、転法輪堂です。本尊として釈迦如来を祀っている事から「釈迦堂」の名で一般に知られています。
この堂は1347年(貞和3年)に建てられた園城寺の弥勒堂(金堂)を、織田信長の比叡山焼き討ちの後豊臣秀吉の命で1596年(文禄4年)にここに移築したもので、比叡山では最も古い建築物です。 -
ドライブウェイに出てからそれを横断し、さらに横川方向にドライブウェイ沿いに数百メートル進んだ後左手に見える木立の奥へと続く道へと入っていった先に、この瑠璃堂があります。延暦寺で配布している地図だけではなかなか場所がわかりづらく、私もちょうど通りかかったお寺の方に行き方を教えていただいてたどり着くことができました。薬師瑠璃光如来が堂内に安置されていることからこの名がついたとのことです。
瑠璃堂は信長の比叡山焼き討ちを免れた唯一の堂宇なのですが、この場所にあるということでなんとなくそれも納得できました。 -
今回は横川を訪れることはできず、西塔からまた東塔へと戻ってきました。
写真は大講堂。1956年(昭和31年)に焼失してしまった建物に代わり、山麓にあった讃仏堂を移築したものなのだそうです。 -
しばし東塔内を散策した後、再度ケーブルカーに乗って下山しました。
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