2005/08/03 - 2005/08/04
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night-train298さん
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8月3日 (水)
06:30 Grimaldo → 16:00 Galisteo (20.0 km)
/ Hostal Los emigrantes 泊
フランはここからバスに乗ってPlasenciaに行くことになった。
その後きっと会えると思っていたのに、これが本当に最後になってしまった。
イサベル、キ二ー、ミカさんと4人で歩きはじめる。
とても足が痛く、いたわりながらゆっくり歩くことにする。
みんなに先に行ってもらう。
ゆっくりでも確実に道を歩こうと思った。 少しでも無駄に長く歩きたくなかったからだ。
今日は20km、なんとかなる。
途中から矢印を見つけるのは難しくなった。
木の幹に付いていたり、意外な場所にあるからだ。 一人でいる時は特に五感を集中し、耳を澄ませ、広い範囲に目をやる。不思議だがこれでたいてい間違えることはない。
一人の良さはこういうところだろう。人に頼らず集中できる。そうすることの積み重ねによって、だんだん勘が良くなる気がするのだ。
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昨日一緒だった自転車の人
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歩いていくと、門扉に厳重に鍵がかかっているではないか。
昨日、 Caparraではそれを乗り越える話を聞いていたが、こんなところにもあったとは。
幸い明るくなっているので危険ではない。 まずリュックを下ろし、よじ上れそうか試してみた。
いけそうだ。
最初にリュックだけを向こう側に落とす。そして柵によじ上り、向こう側へおりる。成功だった。
何歩が歩いたところでふと気が付いた。杖がない。
そうだ、門のところに置いてきてしまったのだった。 すぐに戻る。この杖はイサベルが探してくれた魔法の杖なのだから。
杖は門の向こう側にあった。もう登るのはいやだったので、近くの棒切れでたぐり寄せる。 二本の魔法の杖はまた私の友となった。
日本から持ってきた杖がなくなったことに気が付いたのは二日後だった。 去年それを忘れた時は4km歩いてからだった。 すぐに気が付かなかった。必要性とも関係があるのだろうが、イサベルの杖はその後も忘れることはなかったのであった。(1本は途中で折れてしまったが、その頃は残りの1本で充分だったため、ずっと大切に使った) -
その頃ミカさんから電話が入る。
「道を間違えてしまったみたいなの。」
何度かやり取りしたが、お互いがどこを歩いているのか目印になるものなんてないのだから説明できなかったが、なんとか車道からガリステオに行けるだろうと言う。
その後も難しかった。
大きな陥没した穴。
ここを渡る。冒険としてはおもしろかった。
そのうち車道に出て、またCaminoに入る。
遠くの丘の上にガリステオらしい城壁が見えてきた。 しかしそこからも遠かった。道は回り道をしながら徐々に徐々に近付いていく。近付いたかと思えば見えなくなる。 -
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それでもなんとかたどりついた。 少し前に道を間違えてヘトヘトのミカさんも着いていた。
ミカさんとは村への入り方が違うのでなかなか会えなかった。 私は一軒のバルを見つけたので、電話でそこに来てもらうように言った。
しかしミカさんはなかなか来ない。
何度もメールや電話をして、やっと丘の上からやってきた。
偶然にもこのバルの階上が安いホテルになっていて、アルベルゲがないこの村の宿泊場所としてガイドブックに紹介されていたのであった。
まずは水を飲んで喉を潤す。部屋に行きシャワーを浴びたあとは、また階下のバルにいき、タパスとビール。安くておいしい。 -
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城壁を見に上に上がってみる。石組みがみごとだ。
こんなすごいものがあるのに観光に来る人はほとんどいない。
こんな風にスペインにはまだまだ知られていない素晴らしい場所がたくさんある。
スーパーがあったので食料を少し買い、またバルでビール。
何しろ今日は二人とも喉が乾いていたのだ。
何時間も歩くのはきつい。特に酷暑の中は。
でも、それだけに宿に着いて浴びるシャワーは最高だし、ビールの味も格別なのだった。 こんなシンプルな幸せ感を味わうことができるのはありがたいことだと思う。 -
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8月4日(木)
07:00 Galisteo → 11:00 Carcasboso (10.3 km)
/ Albergue 泊
ガリステオからローマの橋を渡って村を出る。
今日はまずカルカボソまで10km歩く。
母娘で切り盛りしている感じが良いバルに入った。
大きなオレンジジュースの瓶をミカさんとグラスにニ杯づつもらって飲む。
ここからプラセンシアまでバスに乗る予定なので、タイムテーブルを聞くと、一日一本の便はすでに出てしまい、今日はもうないと言う。
何も調べていなかったのはいけないが、そんな事情だとは思わなかった。
少し考えて、 ここのエレナというお母さんにタクシーを呼んでもらうことにした。 待っている間、日本人がここに来たことがあると話してくれ、エレナは、また偶然にもアルベルゲも経営しているのだという。
隣のアルベルゲを案内して見せてくれた。
今日ここに泊まりたいがそうもいかない。 -
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バルのおばさん、エレナ
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バルの親子に見送られながらタクシーに乗る。
巡礼者がバスやタクシーに乗る時ほど気恥ずかしいことはない。
18kmほど走ってプラセンシアに着いた。
活気のある歴史的な街で、12世紀に国王アルフォンソ8世によって築かれた街。マヨール広場から、靴屋通 り、チーズ通りがあるという。 なるほどお店がいっぱいある。私たちにとっては大都会だった。
私はここで靴屋に入り、雨の日に備えてもっと靴を強化したかった。ここでは直してもらえなかったが、靴用のグルーをたくさん買うことができ、切れそうになっていた靴ひもも新しく買った。 -
インフォメーションで今日の目的地までのバスの時刻を聞き、カテドラルに行く。
ここで新しいクレデンシャルをもらえるだろうとキ二ーが言っていたのだ。
Sevillaでもらったクレデンシャルはもう一杯になっていた。
このカテドラルには巡礼友の会もあるのだった。
新しいクレデンシャルにとても素敵なスタンプを押してもらった。 普通の巡礼路では通 らない道なので貴重なものだった。 -
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私たちはマヨール広場のバルに座ったきり動けなくなってしまった。
結局、新しいクレデンシャルをもらったり、靴屋で用事を済ませただけで大満足してしまい、あとは広場で行き交う人々を見物。 そしてバスステーションに向かった。
途中で安物の時計(とっくになくしていた)と、風呂上がりに良さそうな服を一枚買う。薬局でシャンプーも購入。
ろくに観光もしていないが、この街に来た甲斐は充分にあった。 -
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バスの中ではとても眠かった。
Aldanueva del Caminoに時間通りに着く。
また人通りのない午後の時間帯に町に着いてしまった。
一つのバルにふらりと入った。(まずはビール!)
すると、少し前に着いたばかりのキ二ーとイサベルがいるではないか!
ほかにも三人の男性と共にグループになって座っていた。 イサベルは真っ先に抱きついてきて、
「おめでとう!よくやったわ!」
「あなたの方こそ!私たちはバスで来たのよ。」
そう言うと、イサベルは
「バスで来ようと関係ないわ。ここに着いたことが肝心なの。」
テーブルに近付くやいなや、すごい熱い男が抱きついてきた。
「ずっと会いたかったんだよ〜!日本人が歩いているっていつも聞いていたんだから!」
熱烈な歓迎ぶりである。とまどっていると、もう一人もやってきて、こちらも嬉しそうな顔をしている。 なんとこの二人が、フランが言っていた、野宿をしながらパンツ一丁で歩いている男たちイワンとホアンぺなのであった。
「私も噂を聞いていて、(ある意味・・・)会いたかったのよ〜!」と合わせる。
イワン&ホアンぺは、Caparraのローマ遺跡の下で野宿したのだそうだ。 星がとってもきれいだったと言う。野宿とは思い浮かばなかったが、Caparraの遺跡の下から星を見ながら眠るなんて、すごくうらやましく思えた。
そしてそれなら私にも歩けるし、やってみたくなった。
自由な彼らが妬ましくも思えるほど素敵な話だった。
まさにこれから食事が始まるところであった。私たちも参加して一緒に食べることにした。
どれもこれもおいしい!
まずはたっぷりのサラダ、ポテトのトルティーヤ、豚肉のフライ、とびきりおいしいチーズ、フルーツ。
イサベルたちこそ大偉業を成し遂げた後なのだった。あの恐怖の38km。
聞いてみると、カルカボソで得た情報により、Caminoは難しいので避けた方がいいと言われ、車道を歩いたそうである。
朝5時に出て12時まで一切休まずに歩き続けた。 そしてその後道に迷い、水はなくなり、キ二ーの友達は気分が悪くなりパトカーに来てもらって、今アルベルゲで寝ているという。
そんなすごいことをやってのけた後なのに、みんなに食事を取り分けたり、相変わらず気を遣ってくれる。
私はバルセロナには20回くらい行っているのよと、初めてそのことを話した。イサベルはバルセロナ出身なのだ。 すると彼女は、
「あなたはバルセロナに住むべきよ!今までなぜそのことをあなたから聞かなかったのかしら?!ミカには聞いていたのに。」
全員でアルベルゲに向かう。イワンがリュックを持っていってくれる。 これから二人はこのアルベルゲでシャワーを浴び、休んで夕方からまた歩きだすのだと言う。
噂の通りだった。
二人は底抜けに明るく、何にも縛られない自由人のようだった。パンツ一丁ではなかったが、リュックには笛がくくりつけてあったり、かっこいい帽子がついていたり、とてもユニークだった。 また、私がスペイン語を少し話すことがおもしろいらしく、ひとこと言うたびに大受けする。
部屋は明るく感じが良い。 ベッドでマメの治療をしていると、隣のベッドに横になっていたイサベルが、突然恐い顔をして私に聞いてきた。
「ねぇ、Hiromi、あなたこの旅をどう思う???」
迫力のある真顔でこう聞かれ、少々たじろぎながらも・・・
「う〜ん、去年の道を歩いた時は、私の日記の最後には毎日のように『今日は最高の一日だった・・・』と書いてあったわ。でもこの道は・・・・」
イサベルは
「そうでしょ!私はもうわからなくなったわ。」
意外だった。イサベルもとても強い女性で、歩く速さは男性並だったから。
彼女でさえ疑問に思えるほど、真夏の『銀の道』は険しい道なのであった。
夕方外に出ると、ちょうどイワンとホアンペが出発するところだった。 もう二度と会えないだろう。こんなにネタの多い二人なので、記念写真を撮って見送る。
夜はイサベル、キ二ー、元気になったキ二ーの友達とミカさんとでバルにいく。 男性二人はしっかり食事をしていたが、女性軍は疲れもあり、飲み物だけにした。
ミカさんは今日もバスを使わず、足も順調で歩けるようになってきた。
私はミカさんに言った。
「もうバスに乗っちゃだめ。ホテルにも泊まらない。アルベルゲに泊まるんだよ。」 これはミカさんをSantiagoまで引っ張っていくと覚悟を決めた私の言葉だった。
年下の私にそう言われたのに、ミカさんは素直に頷いてくれた。
どんなにつらくても、歩いていれば道は開ける。
アルベルゲに泊まれば必ず何かが起きる。
それが巡礼なのだ。
イサベルに
「Caparraのローマのモニュメントはどうだった?」
と聞くと、
「そうね、この道にある数々のローマ時代の建築物に比べたら、たいしたものではなかったわ。」
行けなかった私たちに気を遣って言ってくれるのだろうが、とても良かったと言われるよりは、少し楽になったかもしれなかった。
でもいつかこの38kmだけを歩いてみたいと思った。
キ二ーの友達、ルイスは、休んでからすっかり体調も回復していた。娘が大学で日本語を勉強しているので、日本に行くことがあれば色々教えてやってほしいと言い、アドレスをくれた。
アルベルゲに戻り、イサベルに洗濯用の桶はないかしらと聞いてみた。ずっと炎症を起こしている足を冷やしたいのだ。
イサベルは、バスタブに水を張ればいいと言うのだが、栓をさがしたがなかったのだ。 彼女はバスルームじゅうを探し、あったわよ!と栓を見つけてくれたのだった。 全員が、寝る前のバスルームでの用事を済ませたことを確認し、私は日記帳を持ってバスタブに足をつけた。 ここの水は井戸水だったので、とても冷たく、熱い足を数十分つけても生暖かくならなかった。
これをきっかけに、私の足の痛みはすっかり消えたのだった。
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