2005/08/01 - 2005/08/02
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night-train298さん
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8月1日(月)
06:30 Caceres → 20:00 Club nautico (34.7 km)
/ Albergue 泊
この日も私は忘れない。
イサベル、ミカさんと三人で出発。 しかし私の足は歩きだした途端から,激痛が走る。 足じゅうにマメができていて、足の裏の指の付け根も痛い。一歩足を踏み出す度に痛みが走る。
せっかくイサベルがつき合ってくれているのだから、ゆっくり歩くわけにはいかない。 それでも早くは歩けなかったが、彼女が合わせてくれた。
やっと薄明るくなったころ、私の足も限界だった。
イサベルには先に行ってもらう。 ペースをゆっくりにしたが、それでもキツイ。
なんとか一つ目の村に入った。私はすでにビッコをひいていたので、ここで医者に診てもらうことにした。
今日はミカさんの方がずっと調子がいいように見える。
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バルで病院の場所を聞いていると、後ろを通 りがかった女性がそれを聞いていて、そちらの方向に行くから一緒についていらっしゃいと言ってくれた。
ミカさんにもついてきてもらうが、小さな病院はたくさんの人が待ち合い室におり、ミカさんには、さっきのバルで待っていてもらうことにした。
ここに連れてきてくれた女性が私を受付に案内してくれた。言われたところで待っていると、トイレに行きたくなったので、近くにいたおばあちゃんに場所を聞くと、一緒に付き添って、歩いている間ずっと私の肩に手を添えてくれていた。
なんかみんなすごく優しい。
順番が回ってくると、老医師は私の説明を聞き、考えた末、消毒もなしで大きなプラスターを三つに切って、三か所にペタペタと貼っておしまい!
あ〜〜〜っ!確かにそこには消毒や薬の成分も染み込んでいるのかもしれないけど、こんなことなら自分で水を出した方がずっといい。
その高級そうなプラスターを二枚予備に持たせてくれた。親切だけど・・・。
よ〜くお礼を言って病院を出た。 -
バルに行くとミカさんが見えない。奥の方におじさんと親密そうに連れ添う女性の影は見えたのだが・・・。
ここにいないわけがないと、奥に行ってみると、このおじさんの影にすっぽり隠れていたのがミカさんだった。
ミカさんはすっかりおじさんに気に入られたいた。
飲み物と、ここではチーズが美味しいのよとイサベルから聞いていたのでチーズのボカディージョを注文する。
このおじさんはここの店主で、ボカディージョもおじさんが作ってきてくれた。
おじさんはしきりにここの町に留まって、アルベルゲに泊まるよう勧めてくる。
後で聞いた話によると、ここのアルベルゲはとても良く、寄付さえお断りだという。
そのチーズのボカディージョはすこぶるおいしかった。
ところでここからバスで今日の目的地に行く便はあるか聞くと、ここカサール・デ・カセレスまではCaceresからたくさんバスが出ているが、ここから先はないと言う。 ミカさんは
「今日は調子がいいから歩けるかもしれないから、やってみるわ。」
良かった!
店を出る時、おじさんはミカさんに熱いkissをおくった。
外に出ても、通りがかりの人が、アルベルゲはこっちだよと、聞いていないのに教えてくれる。
巡礼者にフレンドリーな、いい町だった。
しばらくは一緒に歩いたが、今日は私のペースで行ったら、後で暑くなった時にミカさんが参ってしまう。先に行ってもらった。 -
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私はちっとも改善されない足を引きずりながら歩いた。こんなことに負ける気はなかった。
しかし、これほど痛い目にあってこそわかることがある。人の痛み。
ミカさんに対し、私は彼女の痛みをわかってあげていたのだろうか。
調子がいい時は人の痛みは想像し難がたい。
ここまで痛みを感じなければ、私は人の痛みを想像することすらできなかったのだ。 この『銀の道』は厳しいけれど、確実に自分を成長させてくれる。
一人では生きていけない厳しい道だから。
山道に入り、ミカさんが休憩していた。
近くで休むとオレンジを一つ分けてくれた。 私はオレンジは大好きだが、重いので持って歩かない。ミカさんは二つも重いオレンジを持って歩いて、一つをくれた。 喉が乾いていたので何よりおいしいご馳走だった。
よたよた歩きながらも進むことができるのだと教えられた。
今日の目的地までCaceresから34,7km。こんな足でもここまで来ることができるのだ! -
やっと目的地の近くの湖が見えてきた。
ここで私の持っていた水があと350mlになったので、少々心細くなっていた。
何しろ、いくら水を飲んでも喉の乾きは止まらないくらい暑いのだ。
湖の見える山の頂上で、羊飼いのおじさんが小屋の前に座っているのを発見した。 おじさんに水はないか尋ねると、奥からボトルを持ってきてくれた。
こんな山の上まで水を運ぶのは大変だろう。私は500mlほどをもらった。
おじさんにすすめられ、少し飲んでまたボトルに足してもらった。
多分このくらいでもう足りるだろう。
地図によればあと5kmくらいといったところか。
おじさんに聞くと、8kmはあると言う。そこまではまさかないだろう。
お礼を言い、犬とともに見送ってもらった。 そこからは湖まで下っていく。
地図によるとさらに湖まで下る時、難しい箇所があると書いてある。 それらしき場所に行き当たったが、矢印は二方向についているように見えた。
私は右側の畑の中の方に入ってみた。どうも違う。もう一度戻ったがやっぱり右側かもしれない。その道を行くと、足跡が全くないことに気が付いた。 またまた戻る。
暑い最中にこういう動きをするのは疲れるものだ。
体が疲れているためか勘が働かない。
左の道に出るとミカさんの足跡があり、難しい箇所には先人がやってくれたと思われる、手作りの石で作った矢印があった。 -
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その頃、イサベルから電話があり、遅いけどだいじょうぶ?と聞かれたので、今湖が見えて、もうすぐ道路に出るところだと伝える。
イサベルは
「道路に出てから少しあるけど・・・ここにくればたくさんの飲み物と氷があるからがんばって!。」
そこからどんどん下りつつもなかなか幹線道路まで出ない。 -
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やっと道路に出たが、湖沿いを走る素敵な道のはずが、高速道路のごとく飛ばす車に注意しながら歩くだけでも神経を消耗する。さらに足の痛みはピークにきてふらふらしているから気をつけなければならない。 そしてアスファルトの照り返しがきつい。水は道路に出る前に安心して飲んでしまった。
道は確かに地図と同じなのだが距離がとても長い。
橋を渡る。その橋も揺れるし隣で車は激しく行き来するし、生きた心地がしない。 喉が乾く、カラカラに乾燥している。喉の皮がくっついてしまい苦しい。
ガードレールに腰掛け、しばらく休む。
脱水症状とはこういう時になるのだろう。
私は恐くなった。
この旅の間、『死』とい文字が何度も頭をよぎった。 それは、たくさんの動物や鳥の死骸を見たからだろう。 道ばたに死んでいる犬、鳥、草原に転がる動物の骨。 緊急事態とまではいかなかったが、初めて自分にもその言葉が降り掛かってきたように思えた。
足の痛みもあり、前向きな思考がまるで働かないのだ。
まだだと地図に書いてあるのに、あそこを曲がったら目的地?と希望を抱けばそこには何もない。また道は曲がりその後に・・・と期待するが裏切られ、いよいよ最後の橋を渡る。この橋を渡りあの岬を曲がれば・・・という期待は、この時すでに持てなかった。 -
その時、一台の車が止まった。
どこへ行くの?乗りなさいと言う。『 銀の道』ではしばしば親切な人がこう声をかけてくれた。歩いて巡礼をするという意識が全くない人たちが多く、こんな暑い中、バス代がないかヒッチハイクしていると思われるようだ。
もちろんいつもお断りするのだが、この時は、水はありますか?と聞いてしまった。 車のおじさんは、水はあるというので近くに行くと、
「とにかく車に乗りなさい。」
と言う。 歩いて巡礼しているのですからと説明し、水だけ欲しいと言っても通じない。
私は水をもらうためにとうとう車に乗ってしまった。
与えられた水を飲みながら、町を探す。
しかしどこにもなく、車はどんどん走り、とうとう湖から出てしまった。
そんなわけがない。
車を止めてもらい地図を見せるがおじさんはわからないという。
なんていうことだ。私はイサベルに電話をするが出ない。ミカさんも出ない。イサベルに説明してもらえばわかるはずなのに。
車に乗ってしまった私への罰なのかもしれなかった。
おじさんに頼んでもう一度戻ってもらう。
反対側からは見えなかったが、湖のほとりに小さな集落が見えた。そこで止めてもらう。
おじさんは残っていたお水をボトルごとくれた。 しかしその集落に入るところに矢印もなければ名前も出ていない。ここではないはずだ。 -
歩いてはいけない道の右側を歩いていると(人は道の左を歩かなければならない)パトカーが止まった。
私は反対側を歩くようお説教された。そしてまた警官に向かって
「お水ありますか?」
警官はダッシュボードから三分の一(1.5リットルボトルの)ほど残った水をボトルごとくれた。
私はそれを飲みながらさまよっていると、イサベルから電話が入った。私はもう歩きながらしゃべれるような余裕はなく、ひどいしゃべり方で近くまで来ているけどわからないと伝えた。
ミカさんからも電話が入った。もうシドロモドロであるから、尋常ではなかった。 歩いていくとバルの看板が見えた。その時ミカさんが
「バルの看板は見える?そこを入るの。」
たぶんそれのような気はするが、目的地の看板もなければアルベルゲがあるようにも見えない。道を反対から来ているから、このバルの他にもまだ先にバルがあるのかもしれない。 さらに進むと、目的地とそっくりな名前の表札が見える。でも、これはなんとなく違うとわかる。
その時またイサベルから電話があった。今から道に出ていくからという。 私はまたバルの方向に戻ろうとしていた。
しばらく歩くとイサベルの姿が見えてきた。 私は自分の持っていた1.5リットルのボトルのほか、おじさんにもらったもの、警察官にもらったもの、三本の空の1.5リットルボトルを抱えていた。 イサベルと固く抱き合う。うれしかった。昨日会ったばかりの人とは思えなかった。 そして
「あなたは素晴らしいわ!チャンピョンよ!」
と感嘆してくれる。 素晴らしいわけがない。こんなに時間をかけて、心配かけてやっとたどり着いたのだから。
でも、そんな風に言ってもらえると、気持ちが明るくなるから不思議だ。
イサベルは荷物を持つと言ってくれたがそれだけは断った。もう一度言ってくれたので、空の三本のボトルを持ってもらった。 -
私が車に乗った場所から道が曲がって見えなかったが、ほんの100メートルほどの距離だったのである。 車に乗ってしまったために大変に苦労してしまったのだ。
アルベルゲはやはり先ほどのバルのところから入るのだった。
イサベルが
「フランも来ているのよ!」
えっ?もう二度と会えないと思っていた彼女が!! バルのところまで来ると、そこまでフランが迎えに出てくれていた。
私たちはもうカタクカタク抱き合い、ずっと手をつないで歩いた。
また会えるなんて思わなかった。
足が悪いということで、バスを利用して今日はあのチーズのおいしい町からここまで歩いて来たらしい。
ちょうどゴミ箱があったので、三本のボトルを捨ててもらう。するとイサベルはフランに
「ほら、彼女はベリー・ペリグリーナ(巡礼者)でしょ!」
と言い、三人で大きな声で笑いながら歩いていく。話が次から次へと止まらない。 二人だって同じ道を歩いてきたのだから、苦労は同じである。
「道路に出てからが長いのよね〜」
「湖が見えてからも長かったわ。」
なかなかアルベルゲに着かない。
「ところでアルベルゲはどこにあるの?」
と聞く私に二人は
「もうすぐよ。」
と言って笑っている。ここからまだ距離があったのだ。
アルベルゲの近くでミカさんが待っていてくれた。
「ごめんね、疲れてここまでしか迎えにこれなかったの。」
さらに行くと、キ二ーというおじさんがいた。
アルベルゲは湖を望む最高のロケーションにあり、設備は全てがあり、バルにあるようなエスプレッソの本格的マシーンもあり、何もかもがプロ指向だった。
窓全面が湖を向いていて、夕日はすでに沈んだあとだったが、まだ薄いオレンジ色がきれいだった。
フランはすぐに氷入りの水をたっぷり持ってきてくれた。
二度おかわりをする。
私は妙な興奮状態だった。
みんなの居るこの場所に来れたこと。 少しづつ増えた仲間が支えてくれることも本当にありがたく感じた。
クルブ・ナウティコの夜だった。 -
クラブ・ナウティコのアルベルゲ室内
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8月2日(火)
07:00 Club nautico → 14:00 Grimaldo (21,1 km)
/ Albergue 泊
今日はゆっくりコーヒーを飲んでから出発しようとイサベルが言った。
早足キ二ーはもうとっくに出発していた。 女4人で朝食の支度をする。イサベルは前の日に多めに食料も買って持ってきてくれていたようだった。
エスプレッソマシーンを使いコーヒーを作ってくれた。
私は胃の調子が心配なので、ココア。
のんびり湖を見ながら朝食をいただく。
イサベルは、
「こんなにゆっくりすることは、巡礼者としては珍しいことね。」
フランスの道とは大きく違うのは、ここではもっと時間が自由なことだった。
去年なら、ほとんどのアルベルゲが10時消灯、就寝。朝は決まっていないが、みんな早くからもそもそと起きはじめる。
朝はこの道の方が早いだろう。でも、寝る時間が自由で、アルベルゲも管理人が住んでいないから勝手ができる。
もともと人数が少ないから他のグループへの配慮も必要がない。 -
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昨日も満足に足のケアもできなかったので、今日も相変わらずの足の痛みがあった。 それでも最初の山道は、昨日よりもまだ調子がいい。
イサベルが棒を拾ってはそれを地面に押し付けている。何回もその動作を繰り返し、 一本の枝を私のところに持ってきた。これを使いなさいと。
しばらくすると、もう一本持ってきてくれた。私も日本から去年も使っていたポールを持ってきたのに、一人で歩いていた時にホテルに忘れてきたのだった。
金属製のポールより、むしろこの木の棒切れの方が持ちやすいし、地面に当たる感触もいい。何よりイサベルの優しさがこもっていた。
今日も歩けそうだ。
フランと話しながら歩く。
会わなかった数日間の出来事を報告しあう。
「一人で暗がりの中を歩いていたの。そうしたら道ばたで何か大きなものが動いて・・・、私はキャーッって叫んでしまったの。何かと思ったら、若い男の子が二人寝ていたのよ!」
そのうち私はまたフランよりもやや遅れた。
山の上でミカさんとフランが待っていてくれた。 私はその前に一人で休憩していたので、長くここで待っていてくれたのではないか。
フランは
「ミカは長くいたかもしれないけれど、私は少し前に着いたのよ。」
この言葉の意味がわからないまま、私も休憩した後だったので、そのまま一緒に歩き出すことにした。
そこからは下りでどんどん降りて行くと、ミカさんが先にきて、
「フランが私に『ポールを貸して』と言うくらいだから、足がかなり悪いのではないかしら?」
待っていると、ゆっくり時間をかけ下りてくるフランがいる。顔はこわばりとてもきつそうだった。 聞くと、休憩に入る直前に足を悪くしたのだと言う。数日前から同じ症状で病院に行き、痛み止めの薬も飲んでいた。 今日も私と一緒に歩いている時は順調だった。彼女も気分が良さそうだった。 しかしまた急に筋が痛みだしたらしい。
イサベルにもらった杖を渡し、ゆっくり歩く彼女と一緒に一つ目の村に入る。
彼女は痛みもあるだろうが、きっと足を痛めたこと自体が悲しいのだろう。不安なのだろう。
とても苦痛に満ちた顔をしていた。 -
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一つ目の村には、おいしいチュロスの店があると聞いていたので探したが、開いておらず、バルで休憩。
そこでフランはバスの時間を調べる。
ここから今日の目的地まではバスに乗ると言う。
ちょうどいい時間帯のバスもあり、ミカさんと私は一足先に村を出る。 -
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この後は松林が続き、足も杖のおかげか悪くない。 順調に目的地のアルベルゲに到着した。 先に到着していたイサベルとフランもここにいた。
キ二ーもも泊まっている。
みんながお昼寝をしている間、思う存分洗濯をする。
少し休んで外に出ると、隣のバルにイサベル、フラン、キ二ー、自転車の人もいる。自転車の人は私がひとりで休憩していた時に、立ち止まって話をした人だ。
彼は休憩していた私と、今ここにいる私は別人だと思っていたらしい。
そのうちミカさんも入って一緒に食事をすることになった。
ここで食事できることはイサベルが調べてあった。
彼女はスペイン人には珍しく(?)先のことを考えて行動する人だった。さすがカタラン(バルセロナ出身)だ。
こんなに大勢で食事をするのは初めてである。去年の道ではいつもにぎやかだった。もっともっと大人数で食事をしていた。 でも、この旅ではフランを入れて最高3人での食事だった。
いよいよ巡礼らしくなってきた。
私もミカさんも調子づいてきた。 -
アルベルゲの入り口
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しかしその時イサベルが真剣な顔をして私に真面目な話があるのと言い出した。
いったい何なんだ?
この人はもともと恐い顔なのだけど、こういうときはすごい迫力だ。
2〜3日後に迫った最大の難関と出発前から心配していたCaparraのことだった。
この一日分38kmは村が全くない。ということは補給する食料も飲み物もない。 全てを背負い、酷暑の中を歩かなければならない。そのことだった。
「キ二ーは三年前にここを歩いたの、その時は門に鍵がかかっていたの。(プライベートな敷地も歩くことが多く、そのときは門を開け閉めしなくてはならない。)それでキ二ーはその高い門を乗り越えた時に腕をけがしてしまったのよ。そして矢印がほとんどないのよ。何もない場所で目印もなくて。とてもとても厳しいコースなの。」
私が日本を出る前から一番心配していた所は、その想像を遥かに上回るものなのかもしれない。何しろ経験者が語っているのだから。
そこには途中のCaparraというローマ時代の遺跡があった。ロンドンで買った本の表紙にイラストが書いてあるくらいだから、銀の道では一つの重要なモニュメントなのだろうと思う。 それも見たかった。
しかしそんなところを一人でまったく別の方向に何十キロも歩いてしまったら・・・と考えるとぞっとする。
今の自分の足の調子を考えると、もし一緒に行ったら迷惑をかけるだろう。
足さえ悪くなければどんなに時間をかけてでも歩くだろう。
あ〜っ、だけどバスに乗るのは気持ちが悪い。
そんな葛藤もあったけど、意外にもあっさりと私は決めた。
明日はガリステオまで20km歩き、次の日は10km歩いて巡礼路にはないけれど銀の道の要所でもあるプランセンシアにバスで行き、観光したあとまたバスで巡礼路に戻ろう。
つまり、38km区間は歩かないで、バスで移動すると決めたのだった。
8月3日 Grimaldo → Garisteo (20.0km)(歩き)
8月4日 Garisteo → Carcaboso (10.3km)(歩き)
Carcaboso →(Plasencia(観光) → Aldanueva del Camino (バス)
それに対しキニーとイサベルは、(明日からキ二ーの友達も参加して三人で)
8月3日 Grimaldo → Carcaboso (30km)
8月4日 Carcaboso → Aldanueva del Camino (38km)
予定では4日にはAldanueva del Caminoに二組とも着くのであるが、私たちは38kmをパスし、バスで移動するのである。
苦しい選択であったが、今の自分の状態からすると仕方がなかった。 (いつかこの38kmだけを歩こうと思っている。)
キ二ーは50〜60代。今年でCaminoは5度目。フランス道はもちろん、ポルトガルルート、銀の道は二度目、2000年から5回目の挑戦だった。 彼は強靭な体力の持ち主だった。今朝も一人だけ早朝から出発している。英語は全く話さないので、私の変なスペイン語で会話すると、とても喜んでくれた。しかも私が彼の出身地バダホス周辺や、ポルトガルの道について地名を知っていたり、行ったことがあったのも彼の心を少しだけほぐしたようだった。 生真面目で冗談はほとんど言わない。ただこの道を歩くことだけが彼の最大の関心事であるように見えた。
明日行くガリステオという場所。 私のガイドブックの稚拙なイラストによると、お城の上で男の人が、鰻を持って高らかに見せているように見えていた。
日本を出発する前から、ここに行ったら鰻を食べよう!とミカさんと話していた。 そこでイサベルに本を見せて聞いてみる。キ二ーとイサベルは最初はわからないと言いつつ、よく見た末に、
「この男性は闘牛士の格好をしているわね。あっ、この手に持っているものは牛のしっぽよ。優秀な闘牛士は牛のしっぽをもらえるのよ。」
これ以上納得のいく答えはなかった。
ただ、ガリステオと闘牛のつながりについては誰もわからなかった。
フランが言った。
「ねえ、私が朝、暗い道を歩いていた時に道ばたで寝ていた若者にびっくりした話を前にしたでしょ。あの人たちがさっきも来ていたのよ。えっ?あなたはまだ会っていないの?」
私たちはいつもすれ違いのようだった。
「それでね、あの後、また別のアルベルゲで会ったから、『あの時はごめんなさい』って謝ったの。そして今日はね、ここのアルベルゲで彼等はシャワーを浴びて昼寝をして洗濯をして出て行ったの。彼等はどうもアルベルゲには泊まらず、野宿しているのね。安くあげるためじゃないかしら?そしてね、洗濯物を乾かす暇がないから、洗ったものをリュックにくくりつけ、干しながら歩くわけ。だからパンツ一枚で歩いているのよ!」
私とフランは顔を見合わせて吹き出した。
今日はライスが食べられるという。久々のご飯はピラフのようなもので、悪くはなかった。
そのうち自転車の団体が二組は入り、バルはにぎやかになっていった。
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