1997/08/22 - 1997/08/30
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ittsuan123jpさん
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バックパッカーの聖地的な国インド
インド行きの航空券は意外と高いなあ。
なかなか安いのが見つからない。
(見つけ方を知らなかっただけだろう)
いつか行くぞと考え始めて8年が経ってしまった。
その間にアメリカホームステイ、韓国、シンガポール、タイ、ベトナムと行ってしまった。
しかし、結婚したらもう一人旅なんかできなくなってしまう。
もう今行くしかない。
思い立って行ってきました。
しかし、毎日カレーだとさすがに飽きたなあ。(他の料理も食べなさい!)
辛いのが苦手だから尚更でした。
22日 午後成田発 夜デリー着
23日 オールドデリー観光
24,25,26日 バラナシ観光
27日 ニューデリー観光
28日 アグラ観光
29日 デリー観光
30日 帰国
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8/22
成田から出発して窓から富士山が見えました。
頭を雲の上に出〜し♪ -
ここは1日目のホテルのレセプションです。
ここに来るまでがたいへんだった。
デリーの空港に夜、到着した。
街へ向かうバス停に行くが、バスはあっても乗客がいない。
運転手は、次の出発は1時間後だという。
早くホテルを決めたいのにこれは困った。
するとそばで話をしていたタクシーの運ちゃんが安くしとくよなんて感じで誘ってきた。
ただ待つのも嫌なのでその話に乗った。
しかし、それが大失敗だった。
御存知の方も多いと思うが、デリーの空港はしつこい客引きと悪名高い白タクで有名だ。
私が乗ったタクシーも白タクだ。
ガイドブックに載っている通り、白タクが連れていったのは彼の仲間の小さな旅行会社だ。
「ふざけるな」と言っても相手は聞く耳なんかもって無い。
無理矢理店の中に連れ込もうとする。
そんな男達の手を振り払い、500円ぐらいのタクシー代を投げ渡してその場を逃げた。
逃げれたはいいが、ここはどこだ?
とにかく暗い小径を大きな道路を探してとにかく歩く。
ようやく大きな道路に出たがまだ郊外のようでろくに街灯も店もない。
とにかく歩き出すが、方角さえ分からない。
困ったなと思っていたら、そこへカボチャの馬車ならぬリクシャー(三輪自転車タクシー)のじいさんが現れた。
じいさんは当然英語が通じない。
でも英語とジェスチャーとで街へ連れて行くことを伝えることができた。
ようやくこれで街へ行けるとホッとしながらも、このじいさんもまさか騙したりしないだろうなあと不安は消えなかった。
じいさんはゆっくりゆっくりペダルをこいで私を街へ連れて行ってくれた。ありがとうじいさん。
街に着いて今夜の宿を決めなければならない。暗い中、何軒も回って比較的安い値段のこのホテルに決めた。
旅行1日目(着いて数時間)でこんなに疲れたのも初めてだ。 こうして不安なインド旅行はスタートした。 -
8/23
通りの露店でチャパティーとカレーで朝食だ。
インドの庶民はナンは高価であまり食べないそうだ。
庶民はチャパティーを食べるそうだ。
たしかに安かった。でも値段は覚えていない。
チャパティーだって美味しいじゃないか。 -
ラール・キラーへ
1639年から9年の歳月をかけてムガル帝国5代目皇帝シャー・ジャハーンが建てたものです。赤砂岩で築かれているので、城壁はきれいな赤茶色をしていて、レッド・フォート(赤い城)とも呼ばれています。
途中で会った日本人旅行者と。
彼とは、ここへ来る前にデリー駅2階の外国人専用チケットカウンターでバラナシ行きの夜行切符を一緒に買いました。 -
中へ入ってみよう!
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昔の皇帝の玉座ですか?
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ラール・キラー前にいた蛇遣いです。
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首にニシキヘビ?と目の前にキングコブラ
いくらだったかは忘れました。 -
ジャマー・マスジット
ムガル帝国時代を象徴するような建物です。
こちらもシャー・ジャハーンによって建てられたもので、現在でもインド最大のモスクとして機能しています。
ラール・キラーから歩いて近いところにありました。 -
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おっさんたちがお祈りに来てました。
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鳩がたくさんいました。
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ミナレット?(塔)に上って
向こうに見えるはたしかラール・キラー -
オールド・デリーからニュー・デリーの方向を眺めて
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タマネギのようなとんがり帽子です。
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中央にはプールのような池がある。
まずい、バラナシ行きの列車の時刻が迫っている。
急いで下りなければ。 -
一緒にバラナシへ行く彼は先に出発駅へ。
私はオールド・デリー駅(この写真)に預けた荷物をリクシャーに乗って取りに行く。
そして、バナラシ行きの出発駅へ向かった。
だが、リクシャーは渋滞にはまった。
駅に着いたときには既に出発時刻を過ぎていた。
でも、インドの列車だからと期待して1時間くらい駅の構内で列車と彼の姿を探すが見つからない。
駅の中にも列車の状況を伝えるものもない。
失敗した、乗り遅れてしまった。
やっちまったよ。
切符を買い直そうと再びデリー駅2階へ行くがすでに外国人専用売り場は閉店している。
もう週末だから2日後まで開かない。
こうなったら1階の一般売り場で英語のみで挑戦だ。
でも、結局ガイドブックに書いてある通りだ。
インド人と同じように並んで待っていても、たらい回しにされるだけで切符は手に入らない。
しかもインド人の横入りには腹が立った。
このまま何もしないままデリーから動けないのか?
このあと私は、今までの旅行でもしなかったバックパッカーの掟違反?をすることになった。 -
8/24
2日目のホテルの人たちと
結局この日(23日)の夜もデリー滞在です。 -
このホテルのガードマンでしょうか?
全然怖くありません。
お茶目な人でした。
このあとに私の使った掟違反は知りたい方はバラナシ編へどうぞ。 -
8/26 夜
バラナシから夜行に乗ってまずはデリーへ戻る。
復路はちゃんと夜行に乗れました。
これが、列車に乗って頼んだ夕食(やっぱりカレー)です。ちょっと食いかけですみません。
上の寝台ベッドで食べてるので狭いなあ。 -
8/27
デリー着
早速アグラ行き列車のチケットを外国人専用売り場でゲット。
そこで出会った日本人旅行者と
週明けで開店してました。
みなさんも現地での切符購入は気をつけましょう。
週末になったら現地ツアー会社に頼むしかないと思います。(多少割高でも) -
この日は雨が降っている。
のんびりして雨休みを待って出かけ始める。
これはインド門ですね。
高さは42m、1921年から10年の月日をかけて造られたそうです。
第一次大戦でイギリス軍に協力させられ戦死した9万人ものインド兵の慰安の為に造られ、壁面には戦死者1万4千人分の名前が刻まれているそうです。 -
実はこのメガネの兄さんがただでスクーターの後ろに乗っけて案内してくれました。
日本で働いていたこともあるという親日家でした。 -
ただ、最後はエンジンの調子が悪くなってしまってここでお別れです。
私が重かったからでしょうか?
短い時間だったけれど楽しかったよ、ありがとう。 -
兄さんと別れて、リクシャーに乗って運ちゃんお薦めの国会議事堂へ。
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この辺はオールドデリーではなくてニューデリーなんだよな。
さすがに停まっている車も小綺麗です。 -
ここの名物はこの子達です。
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お菓子を見ると続々と寄ってきます。
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ちょーだい、ちょうーだいよー。
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おいらにもくれよ〜
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ちょっと目を離すと、後ろから盗ろうとするお行儀の悪いやつもいます。
日光ほど質(たち)は悪くないかもしれませんがきをつけましょう。 -
列車に乗っていざアグラへ!
夕方アグラに着 -
8/29
アグラから帰ってきました。
ニューデリーにある昔の天文台へ
変なところです。 -
ここは何だったかな?
思い出したら書きます。
のんびりできました。 -
こんなきれいな鳥がいました。
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フマユーン廟です。
この廟は第2代皇帝フマユーンの王妃ハージ・ベグムが1565年に建てたものです。
広い庭園の中に廟を造るという形式を取り入れており、この廟が後のムガル朝の廟建築の手本となり、あの有名なタージマハールも、この廟をモデルにして造営されているそうです。 -
そこで出会ったボーイズ
前列の子のポーズは何だろう? -
デリー駅前にはツアー会社の他いろんな食べ物屋もあって最後にそこで食事をしました。
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オールドデリー駅
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良くも悪くもこの駅が今回の旅で一番思い出深いところになりました。
楽しい旅に出かけたのもここから
切符も買えずに2時間くらいたらい回しにされたのもここだった。
最後もこの辺からバスに乗って空港へ向かったように思う。
とにかく辛いもの苦手なくせに毎日カレー食ってたのでお腹の調子が最後はよくなかった。
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