2005/04/16 - 2005/04/16
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Newmanさん
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関西方面に出張する友人に誘われて京都で待ち合わせ、古来より桜の名所として名高い吉野へ行ってきました。吉野では、下から下千本、中千本、上千本、奥千本の順に時期を追って桜が咲いていきます。
吉野は、古くは壬申の乱(672年)の前に大海人皇子(のちの天武天皇)が出家して身を隠していた場所としてもしられ、また平安末期には源義経主従の、南北朝時代には後醍醐天皇のといったように数々の悲哀に彩られた歴史の舞台でもあります。桃山時代には、豊臣秀吉によって大々的な花見の宴が催されたところでもあります。
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小さなロープウェイに乗って下千本の上へ。花見に絶好の季節なだけにかなり順番を待ちました。道を歩いて登っていく人や(我々も下りは歩きました)、近鉄の駅前からバス(ロープウェイ以上に並んでいました)で行く人々など、さまざまでした。
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ロープウェイを降りてすぐのところから下千本を見下ろしました。この辺りの桜はちょうど散りはじめの頃で、ひとたび風が吹き出すと花吹雪が舞ってとても風情がありました。
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このように食事処や土産物店が立ち並ぶ坂道を進んでいきます。
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銅鳥居(かねのとりい)が見えてきました。現在の鳥居は1455年(康正元年)に再建されたものですが、オリジナルは東大寺の大仏を鋳造した際に余った銅で建立されたのだともいわれています。
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さらに進んでいくと、前方に国軸山金峯山寺(こくじくさんきんぷせんじ)が見えてきます。この名刹は、役行者(えんのぎょうじゃ)によって奈良時代に創建されたといわれています。
向かって左が仁王門、右奥の屋根は蔵王堂。ともに国宝に指定されています。 -
近づくと、室町時代に再建されたという仁王門を下から見上げる形となります。階段の脇に満開の桜が植わっていてとても絵になっていました。
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左の吽形像(うんぎょうぞう)。
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そして、こちらは右の阿形像(あぎょうぞう)です。
これら二体の金剛力士像(仁王像)ともに迫力がありました。 -
仁王門をくぐり蔵王堂の裏手から回って正面に出ます。秘仏の本尊蔵王権現(三体)がご開帳ということもあってか、とても多くの人で賑わっていました。
寺の方の講話によると、蔵王権現の姿は釈迦が役行者の前に姿を現したときの魔障降伏の相貌なのだそうで、なるほどものすごい形相をしていました。 -
正面より。
この蔵王堂は、木造古建築としては奈良東大寺大仏殿に次ぐ大きさです。 -
境内から蔵王堂に向かって左にある坂を降りたところが、後醍醐天皇の南朝の皇居とされた跡です。奥に見える南朝妙法殿という八角三重の塔はあたりの歴史的な風景にマッチしていますが、実は1963年(昭和38年)に建てられたものです。
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再び参道に戻ってから少し先を左に入っていくと、その先が吉水神社です。
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吉水神社に着きました。源頼朝に追われた義経らが身を隠した場所としてもしられ、入口辺りでは今年のNHK大河ドラマ「義経」との相乗効果を狙ったような大々的な宣伝がされていました。
また、ここは南北朝の後醍醐天皇の行宮が置かれた場所でもあり、桃山時代には太閤秀吉が大規模な花見の本陣を置いたところとしても有名です。いわば、吉水神社は数々の歴史に彩りを添えた吉野でも有数の史跡なのです。 -
ここから見える「ひとめせんぼん」の眺め。花見の折の秀吉もこの風景を眺めたのでしょうか。
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国の重要文化財にも指定されている書院です。義経潜居の間や後醍醐天皇玉座の間などを見学することができます。
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書院より金峯山寺蔵王堂を望む。
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次に勝手神社に向かいました。本社殿はあいにくと2001年(平成13年)9月に不審火により全焼してしまったとのこと。再建のための寄付を募集していました。
ここには、壬申の乱の以前に吉野に身を寄せていた大海人皇子(のちの天武天皇)が琴を奏でたところ天女が舞い降りたという伝説があるそうです。
また、義経と別れた静御前がとらえられた際に社前で法楽の舞を舞ったといわれ、いまも舞塚が残っています。 -
さらに、上千本の方へと向かいました。この時期、中千本から上千本にかけてが一番の花の盛りを迎えていました。
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上千本あたりで急な坂を登っている途中から、やってきた方向を振り返ってみました。正面にひときわ大きく見える屋根は蔵王堂です。
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車道は鋪装されていて歩きやすいのですが、傾斜が緩やかな分だけ山の回りを遠回していかなければならないのと、ひっきりなしに車が通るのとでかえって時間がかかってしまうようです。そこで途中からは斜面をまっすぐに突っ切るようにして登っていくショートカットを選んで進んでいくことにしました。
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花矢倉展望台からの見事な春の吉野山の眺め。
謡曲でも有名な義経の家臣佐藤忠信が追っ手に防ぎ矢を放ったとされる場所はここよりももう少し下で、当時を再現したような矢倉舞台が設置されています。 -
花矢倉展望台を過ぎるとじきに、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)が見えてきます。
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社殿は1604年(慶長9年)豊臣秀頼(秀吉の子)の再建。3つの社殿をひとつにしたかのような本殿は、とても印象的な美しい造形でした。
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中庭の奥のしだれ桜が大変見事でした。写真は真下から見上げたところ。
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吉野水分神社を出たのは16時半過ぎ。残念ながら帰りの電車の時間の心配もありここまでで引き返すことに。
帰りに寄ろうと思っていた如意輪寺にも結局行くことはできず、夕日に照らされる塔を遠目に眺めつつ通り過ぎました。
今回吉野に滞在できた時間は実に4時間弱程度。次回訪れるときはもっとゆっくりと見て回りたいものです。秋や冬など異なる季節もまた良いかもしれません。
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