1975/01 - 1975/01
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片瀬貴文さん
二次大戦後のベルギーにとっても、コンゴの豊かな資源は大切な財産であり、手放す気はなかった。
1953年ベルギー領コンゴは、世界の工業用ダイヤモンドの70パーセント、ウラニウムの半分を産出するようになっていた。
二次大戦前のコンゴの経済開発は、多国籍の民間企業にまかされていて、ベルギー政府はほとんど口出ししなかったのだが、1943年からは「コンゴ社会・経済10年計画」によって500億ベルギー・フランを投入する開発計画が着手。
国際空港を始めとする交通網の整備が行われ、さらに工業の発展が急がれた。
1960年頃には、ビール、靴、セメントといった工業生産は、アフリカでも有数のものとなる。
一方、1920年代初頭から、コンゴの現地人の間に、民族主義の波が沸き上ってきた。
当初は宗教的な色彩を強く持つものであったが、第二次世界大戦後の大規模投資・開発によって急速に膨張し出した都市部に居住する現地人(開化民と呼ばれた)は、次第に近代的な政治意識に目覚めるようになり、数々の政治結社を組織する。
しかし政治運動は厳しく禁止され、白人も含めて一切の参政権が認められなかった。
その監視と弾圧には強大な軍事力が用いられ、加えて部族間の対立を激化させることで、統制を保った。
ベルギーは1957年に主要都市における民主的選挙を導入し、現地人の政治運動をかわそうとした。
その程度で充分と考えていたのである。
1956年にベルギー人の大学教授が、ゆっくり段階的にコンゴを独立に導こうとする「コンゴ解放30年計画」を発表したが、ベルギー政府はそれすらも急進的すぎるとした。
ベルギーはコンゴの資源や労働力を収奪するかわりに、現地人にそれ相応の経済生活を保障するという方針をとっており、現地人たちはそれに満足しているものと思い込んでいた。
しかし実際にはその頃のコンゴでは黒人による労働争議が頻発しており、もっと広いスパンでも,世界の時代の流れは,ベルギー政府の理解を越えて進んできていた。
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