南京旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「南京ドンブリ」というハンドル名の由来は、南ドンがはじめて中国南京の南京大学で留学生生活をした95年当時まで遡らなければいけません。<br /><br />当時“某”都市銀行の銀行員だった南ドンは中国南京へ派遣され、1年間の語学留学の機会を与えられました。大企業の会社員なら中国語研修の場所は「北京」や「上海」といった大都市と相場が決まっていますが、南ドンは「南京」へ派遣されました。当時“某”都市銀行が南京に事務所を開設する計画があったからです。<br /><br />24時間コンビニやマクドナルドの第一号店が開店して新聞のトップ記事になっていた時代です。今でこそ、高速道路の開通(1997年)で上海から様々な物資が運び込まれていますが、当時の南京で日本食を口にすることは困難を極めていました。<br /><br /><br />上海支店から南京事務所開設の応援で銀行の先輩が南京へやって来た時です。南ドンにお土産として「海苔」と「マヨネーズ」をくれたんです。両方とも当時の南京では手に入らなかった食品でした。<br />でも、それをどうやって食べるか…。南ドンの部屋には日本の醤油もありませんでした。また、当時の南京では野菜を生で食べる習慣はなく、自分自身、生で口にする勇気もありませんでした。<br /><br /><br />「どうする…」そこで南ドンは学食で買った白飯の上にマヨネーズをかけ、更に海苔をのせて食べたのでした。それは、南京で生活して以来、ずっと口にすることのなかった味でした。食べながら、思わず涙が出たほどです。<br />その丼を南ドンは「南京ドンブリ」と命名しました。<br /><br /><br />今では、南京でも海苔やマヨネーズが手に入りますし、また醤油も買えるし、サラダを食べる習慣も増えてきています。そんな中、南ドンも、その後の中国生活で「南京ドンブリ」を食べる機会はすっかりなくなりました。<br />でも、せめてハンドル名として、この名前を使用し続けることにしました。そうすることで、南ドンは当時の生活を思い出し、また日本の一切を捨て中国に飛び込んだ“初心”を思い出すことが出来るのです。<br /><br />「南京ドンブリ」…“あれ”を食べた時の感動と感謝の気持ちを、南ドンは今も忘れません。

南京大学

1いいね!

1995/08/26 - 1996/06/26

226位(同エリア270件中)

2

1

南京ドンブリ

南京ドンブリさん

「南京ドンブリ」というハンドル名の由来は、南ドンがはじめて中国南京の南京大学で留学生生活をした95年当時まで遡らなければいけません。

当時“某”都市銀行の銀行員だった南ドンは中国南京へ派遣され、1年間の語学留学の機会を与えられました。大企業の会社員なら中国語研修の場所は「北京」や「上海」といった大都市と相場が決まっていますが、南ドンは「南京」へ派遣されました。当時“某”都市銀行が南京に事務所を開設する計画があったからです。

24時間コンビニやマクドナルドの第一号店が開店して新聞のトップ記事になっていた時代です。今でこそ、高速道路の開通(1997年)で上海から様々な物資が運び込まれていますが、当時の南京で日本食を口にすることは困難を極めていました。


上海支店から南京事務所開設の応援で銀行の先輩が南京へやって来た時です。南ドンにお土産として「海苔」と「マヨネーズ」をくれたんです。両方とも当時の南京では手に入らなかった食品でした。
でも、それをどうやって食べるか…。南ドンの部屋には日本の醤油もありませんでした。また、当時の南京では野菜を生で食べる習慣はなく、自分自身、生で口にする勇気もありませんでした。


「どうする…」そこで南ドンは学食で買った白飯の上にマヨネーズをかけ、更に海苔をのせて食べたのでした。それは、南京で生活して以来、ずっと口にすることのなかった味でした。食べながら、思わず涙が出たほどです。
その丼を南ドンは「南京ドンブリ」と命名しました。


今では、南京でも海苔やマヨネーズが手に入りますし、また醤油も買えるし、サラダを食べる習慣も増えてきています。そんな中、南ドンも、その後の中国生活で「南京ドンブリ」を食べる機会はすっかりなくなりました。
でも、せめてハンドル名として、この名前を使用し続けることにしました。そうすることで、南ドンは当時の生活を思い出し、また日本の一切を捨て中国に飛び込んだ“初心”を思い出すことが出来るのです。

「南京ドンブリ」…“あれ”を食べた時の感動と感謝の気持ちを、南ドンは今も忘れません。

PR

  • 南京大学の『北大楼』です。現在の南京大学鼓楼校区の主要部分は元々アメリカからの宣教師ボールォーによって創設されたミッション・スクールの遺構です。1910年に『匯文書院』という名で創設された後、『宏育書院』と合併し、『金陵大学堂』と改名、1927年に国民政府が南京に成立した時に教育権を接収され、1928年には国民政府教育部の批准により『金陵大学』となりました。写真の『北大楼』は現在も南京大学学長室として使用されており、1919年にアメリカ人スモール氏の設計によって竣工されたものです。

    南京大学の『北大楼』です。現在の南京大学鼓楼校区の主要部分は元々アメリカからの宣教師ボールォーによって創設されたミッション・スクールの遺構です。1910年に『匯文書院』という名で創設された後、『宏育書院』と合併し、『金陵大学堂』と改名、1927年に国民政府が南京に成立した時に教育権を接収され、1928年には国民政府教育部の批准により『金陵大学』となりました。写真の『北大楼』は現在も南京大学学長室として使用されており、1919年にアメリカ人スモール氏の設計によって竣工されたものです。

この旅行記のタグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • hikkyhikkyさん 2007/06/07 10:27:37
    南京大学訪問
    南京ドンブリさん、

    2007年11月に南京大学に仕事で行く予定です。南京ドンブリさんのとても詳細な南京案内が大変参考になりました。ありがとうございました。

    とりあえずのお礼まで。

    南京ドンブリ

    南京ドンブリさん からの返信 2007/06/08 12:49:05
    RE: 南京大学訪問
    南京大学卒業生の南京ドンブリです(笑)。

    はじめまして。

    最近、4月、5月、6月と南京へ行く機会に恵まれまして、一昨日も南京から帰ったばかりなんです!
    わたしが住んでいた頃とは大分変わっています。
    上海からは“新幹線”で2時間で南京に行けますし、駅に降りたら目の前は玄武湖の絶景が迎えてくれます。

    南京大学も2002年の建校100周年以来、変化を続けています。

    とても文化的な町です。

    楽しみにしていてください(^0^)!

南京ドンブリさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 161円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP