1979/02 - 1980/01
1714位(同エリア3205件中)
kioさん
寝袋の中で少し眠りこけていたかもしれない。薄汚れた駅の構内で、寝袋にくるまり、傍らにザックを置いたまま、夜を明かした。やがて私は付近の喧騒で目が覚めた。腕時計をみると午前5時を指していた。喧騒は人混みの中での物品売買、つまり闇市の中の人々の活気ある喧騒だったのだ。統制経済を続けていた当時のハンガリーは、共産圏諸国の中では経済水準も生活レベルも比較的に高かったが、それでも商品が街に溢れているという状態からはほど遠いものがあった。彼等は西側のエレクトロニクスや日本製のカメラを欲し憧れた。その為にはそれらの商品が展示されているドルでしか買い物の出来ないドルショップで求めるものを手に入れるしか手段がなかった。駅の構内に集まり始めた彼等は必要なものをそこで売買していたのだ。彼等はバッグから 衣料などのセーター類を出したり風呂敷のようなクロスを出したり、或いはカセットテープを売りさばいているものもいる。ポリバケツを幾重にも束ね、販売している者すらいた。注意深く観察していると、物品交換をしている人達もいる。闇屋同士が自分の持ち物を互いに交換しているのだ。私は彼らの活気に軽い興奮を覚えた。
ここでドルを交換す ればいいのだな、 私は群衆の中に入っていった。やがて壁にもたれながら腕組みをして立っていた。客はすぐに見つかった .20代くらいの娘とその家族とおぼしき感じだ。
「ドル チェンジ?」と尋ねる娘に私は頷いた。私は手際よく紙とボールペンを用意している。言葉さえおぼつかないときは筆談が間違いないのだ。ハンガリー国内での公定レートは1ドル=18FT<フォリント>だった。 ウイーンで交換したときは1ドル=25FTだった。 闇レートの相場は35〜40FTだと聞いていた。相手は紙に1ドル=30FTと書いてきた。私はそれを消して40FTと書く。相手は大袈裟に声を出してのけ反る。家族3人でのけ反る。娘はこれでどうだ?とばかり今度は32Ftと書き直す。私も少し歩み寄って、38ftと書き直した。その間、他の人達も我々のやり取りを見て紙切れに書かれた金額をのぞき込んでくる。 幾度なくやり取りをし、1ドル=37ftで交渉は成立、キャッシュのUS20ドルを740ftと交換した。更に私はドルを売って欲しいというポーランド人という男と商談をして成立したときだった。
警察が踏み込んできたのだ。付近で物品販売をしていた闇屋達はあっという間にバッグの中に物品を隠し素知らぬ態度を取る。おそらく毎朝の恒例なのだろう。手慣れた様子だった。、私はポーランド人にドル紙幣を渡し、ハンガリーフォリントを受け取ろうとする刹那だったのだ。制服警官の1人が私に近づく。交渉相手だったポーランド人は私から さっと離れた。やられた!と瞬間、思った。私は動こうにも動けない。 しかし 私から20ドルを受け取った男は私から2.3M位離れた所で私に目配せをしている。 警官が去ったあと支払うからな、、というような仕草で合図を送ってきた。目は口ほどにものを云う。警官は私に何事がいうのだが私は知らぬ存ぜぬといった態度を貫き通し、自分のノートなどに目をやり、しらを切る。やがて諦めたのか 警官が去っていくと、先ほどのポーランド人は私の元にもどり約束通りのレートのハンガリーフォントを私に手渡した。40ドルが1400ft以上になった。
とりあえずこれだけあれば、いいだろう。昨夜から食しておらず、空腹を憶えた私は、闇市現場から離れ、構内の食堂をみつけ入っていった。ポテトサラダ、黒パン、ソーセージ、コーヒーをセルフ形式の食堂で支払いを済ませると21ft<闇ドル換算で170円>だった。財布に入りきらない程のハンガリーフォントだがポケットの中にあった。しかし 食事は空腹にも関わらず不味かった。それでも空腹を満たした私は、宿の確保をすべく、駅構内の昨夜到着したときに訪ねたIBIZUと呼ばれる旅行代理店に向かった。そこは昨夜と違い、行列が出来るほどごった返していた。<accommodation>という 英語の案内も出ていたので、私もその下の行列に並んだ。昨夜、ここでホテルを紹介して欲しいと言った私にfamily accommodationしか取り扱ってないと無愛想に云われた事を思いだしたが、それは今で云うプライベートルームの事だった。
並んでいたその時、私は日本語で背後から肩を叩かれ声をかけられたのだ。振り返ると、ザルツブルグのユースホステルで同室になり、ウイーンのハンガリー大使館で再び出逢い、ヒッチハイクでハンガリーに入国する予定だと云っていた日本人バッカパッカーがそこにいた。 「無事 入国出来たんだな 良かったな」 私が問うと 難儀したよと疲れた表情で、答えた。彼もこの駅構内で夜を明かしたという。 それも私も躊躇してしまった程の凄まじい混み合いの<待合室>で夜を明かしたという。さすがにアジア、、中近東と旅して欧州に入ってきた奴は精神構造が違うなあ と太々しさに妙に感心した。 ここで宿が確保出来るのかと尋ねる彼に 私は小さく頷いた。 良かったら部屋をシェアしないか?という彼の提案に、この男なら鬱陶しさをそれほど感じないかもしれないと思った私は、彼の提案を受け入れた。 我々は1人あたり60ft<480円>の民宿を斡旋してもらった。 そしてアクセス地図とアドレスを貰い、その民宿に向いはじめた。
与えられたアドレスと地図を頼りに我々は地下鉄を利用してホストファミリー宅へ向かった。ハンガリーの中央駅から2つ目の駅で降りた。古い5.6階ほどの建物が与えられたアドレスメモの場所に在った。古い建物の二階が我々の目指す、民宿だった。ハンガリーでは廉価で一般家庭が一室を旅行者に提供するというシステムが広く利用されているようだった。 ドアのブザーを押すと、体格の良い小母さんがとても愛想良く迎えてくれた。 IBUZUで引き替えたバウチャーカードを渡すと部屋に案内してくれる。我々に与えられた部屋は20畳くらいの大きな部屋だった。ベッドや家具などの調度品が置いてある。文字通り家族の使用している部屋の一室だった。
ザックを何気なくチェストに立てかけると、小母さんが大袈裟な表情でダメ、ダメという仕草をしながらザックの金具でチェストに傷がついてしまうでしょ?と云う。小母さんはマジャール語<ハンガリー語>で、まくし立てるのだが、云いたいことは、ボディランゲージでとても良く伝わった。 更に小母さんはドイツ人旅行者が今朝この部屋をチェックアウトするが、ザックは午前中預かる事になってるから、手に触れないようにと室内に置いてあったザックを指さし云った。
判らない事はロシア語も含まれた六カ国語対応の会話辞典を見せて確認した。当時ソビエト連邦の衛星国の一つであり旧ソビエトの影響下にあった東側陣営の一つだったハンガリーではロシア語が広く通じるようだった。 部屋のサイズにおいても清潔さにおいても今までの宿でも最上級に違いなかった。 我々は荷を解くと、市内至る所にあると聞いた温泉の一つに行こうと決めていた。ハンガリーは日本と同様な温泉国で市内至る所に温水プールやサウナを含めたクワハウスが有ると聞いていた。 お母さんに六カ国対応辞典で<温泉>のロシア語を指して教えてくれと頼むが要領を得ない。 すると お母さんはちょいとお待ちよ?といいながら、娘を連れてきた。後ほど判ったのだが、彼女は娘ではなく、この家族のお嫁さんだった。 嫁は、我々程度の少しの英語が理解できるようで、市内で一番良い温泉は何処ですか?と云いながら私が差し出す駅でゲットした市内地図を見せると印をつけてくれた。 更に最寄りの地下鉄駅も教えてくれた。 我々は感謝の意味のマジャール語を更に教えて貰い、小母さんとお嫁さんに次々と気持ちを伝えたいが為にその言葉を繰り返した。優しそうに微笑むお母さんと頬を染めたお嫁さんがそこにいた。気持ちの良いホストファミリーに当たったな〜とつくづく感じた。
二週間弱の滞在中に私はお母さんと嫁さんにはそれ以上に更に世話になってしまうのだった。それは思い出すにつけ、今でも顔から火が出るほどの恥ずかしくなるような事だった。
このホストファミリーとの交流は私が帰国した後も何年も手紙でのやりとりが続いたものである。
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この旅行記へのコメント (2)
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- スーポンドイツさん 2009/10/05 08:05:31
- はじめまして
- kioさん、おはようございます。
けーしちょーさんに、写真がなくても素晴らしい旅行記が出来ることを伺い、お邪魔しました。
まるで小説のような実体験の数々!引きずりこまれました。
プロフのザックの写真も地に足をつけた濃密な旅であったことを物語るようですね。
1979年といえば私がソ連を訪れた年です。その後東欧の旅でも重苦しい空気は感じたものの、所詮パック旅行!いいところばかり見させられました。
kioさんの旅行記にはまりこんでしまうと家事ができませんので、今日はこの辺で。
すーぽん
- kioさん からの返信 2009/10/05 22:09:47
- RE: はじめまして
- スーポンドイツさん はじめまして!
書き込み頂き ありがとうございます。
けーしちょーさんの紹介で、来て頂けたんですね、
多謝〜〜〜 多謝〜〜
> 1979年といえば私がソ連を訪れた年です。その後東欧の旅でも重苦しい空気は感じたものの、所詮パック旅行!いいところばかり見させられました。
本当は1978年からの話なんですけどね。私の旅は、、(~o~)
実は私もシベリア経由で欧州に渡る事を長い間、考えていました<高校生の頃から>
横浜からバイカル号でナホトカへ、更にハバロフスク経由でモスクワまで
列車で、一週間かけて向かい、フィンランドで向かうという、五木寛之の
「青年は荒野をめざす」を高校の頃に読んで結構 はまりこんでしまいましてね
当時 <日ソ・ツーリスト>とかいう 旅行代理店から資料を取り寄せたものでした。当時、旧ソビエト時代はパック旅行しか無かったんですよね
今でも、このコースには憧れを感じてしまいますね。
> kioさんの旅行記にはまりこんでしまうと家事ができませんので、今日はこの辺で。
なかなか新作がアップ出来ずにいますが、良かったらまた遊びに
来てください。 私もスーボンドイツさんのサイトへ寄らせていただきますね
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