1992/07 - 1992/07
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まーがりんさん
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初めての台湾以外一人長旅はフィリピンでした。ザックに荷物ギッチリ詰めて高雄から出発。
最初に出会った人。入国管理を過ぎてトイレに寄るとドアを開けてくれた。朝顔まで案内してくれた。水道を開けて洗面台で待機している。手を洗って振り向いた胸元に真っ白なタオルを突き出してきた。構えていなければ咄嗟に手にしてしまったかもしれないが「おらの勝ちだ」まだ通関前なのに空港職員なんでしょうか?
街へはタクシーしか方法がなく空港職員が契約タクシーへ案内している。今日は予定もないので歩くことにした。「フリーチャージ」と声をかけるタクシーがのろのろついて来るので物は試しと乗って見る。マニラ市外に着く頃「いくらくれる?」「なんで?」「こんな遠くまで送ってやったんだし」なんてやり取りがあったがお金は払わなかった。10km近くあったので歩く判断は間違いだった。ロハスの夕日もたいした感慨はなく、近くの公園は札幌大通公園の規模で芝生中に人民が転がっている。寝苦しくて出てきたんだろうな、広島のダイオフってこんな感じかな。なら混ざろうかと野宿に決定したが、ここは危ないと多くの人に警告を受けた。「これを見ろ先週切られた」と継ぎの当たったズボンのポケットを見せる人もいて、公園喫茶の聾唖者まで手振りでホテルへ行けという。あそこの自転車タクシーの上で寝てる人は家がないんだろうな。果物屋台で寝てる人は店番の為の居残りかな。みんなお休みなさい。台湾から持ってきたシーツを掛けて熟睡。
朝露に濡れたTシャツを干して日光浴しているとジープニーから若い男が5人ほど降りて手近の人物に話し掛ける。ベンチの男が逃げた、全員で追いかける。 助手席から降りてきた白い海軍服の小太り男は作ったようなキャラクター。ちょび髭を指でひねり上げて乗馬鞭を小脇に持っている。「日本人か?ここは危ないからどこか行きなさい」とニコニコ話し掛けてきた。どこが危なくない場所なのでしょうか?
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観光局で情報を集めて公園で検討。昔フォスターペアレントでフィリピンの子を選んでクリスマスカードなど貰っていた。遠くもないので今でも援助を続けていたなら会いに行くところだが。
高校生くらいのストリートギャングが声をかけるので立ち止まった。自分で呼んどいて戸惑うなよ、こいつら見てると浜田省吾の「東京」を歌いたくなる。「おじいさんは?」「go to サンタマリア」「おばあさんも?」「go to サンタマリア」結婚も早いんだろうに平均寿命50歳くらいでしょうか。
カメラマンと名乗る男が声をかけてきた。「こないだのクーデターでも写真を撮った」とカメラマンベストから出して見せてくれたのが戦車の上でポーズを取る自分の写真。普通、カメラマンがピースサインなんて出すか?カメラは質に入れたのか。マルコスが追い落とされてマカティ地区は弾痕累々という時期です。
ホワイトサンドが見たいというと「そんならあそこがよかろう自分も友達が居るし連れていってやってもいい」というのでお願いする。ジープニーで町外れへ泥濘のバスステーションはトレイにいくつかのキャンディとばら売りタバコを載せた男たちがいっぱい。みんなまともな職につく気がないんじゃないか?
バスの座席は板張りで一人40CM幅しかないので両手の置場がない。タール湖を見下ろす丘で乗り換え。伝統的市場で昼食を取る。巨大ヤットコで掴んだ氷を引きずって運んでる。洗面器の中でぶっかいて水道水で洗って飲み物に使ってる。肉がチビット入ったカレー「こんなもんしかなくて恥ずかしい」と言うので「俺が払うんだから黙って食え」と思う。右手にスプーン左手にフォークが標準らしいが素手で食べる人も多く見かける。
この近くに筏で滝を見に行ける所があるのだが、国際観光地なので後髪を引かれつつも切り捨て。今回は田舎の滞在が目的です。
日がくれる頃やっと着いた海岸は遠浅油凪ぎいかにも南国。でも真っ黒い砂だった。一番最初に目に付いた宿を取る。一戸建てで壁と床は竹。「食事のときは起こしてくれ」と言うのを無視して寝込む。混んだバスとジープニーに揺られて思いのほか疲れた。日が落ちると壁の隙間から蚊が自由に出入りする。でも平気で寝る。 -
朝バス停へ向かう「ここはホワイトサンドじゃなかったから出かける」「ガイド料について相談したい」「ガイドなど雇った覚えはない」「こんなに遠くまで付き合ってきたんだし」「友達のところへ行くんだと言ってたろう?」「そんなことは言ってない」実を言ってこの人がいなかったらずっとマニラで沈没したのかも。「そんじゃお礼に」と100ルピー渡すと「すごーく少ないんだけど」というが宿代まで払ってやったんだから文句言うなよ。帰りの切符買って50は残るでしょ。それでカレーでも食べて。(ちょっとひどすぎ?)
ルセナでバスが終点で町歩き。雑貨屋に人が群がっている。カウンターの後ろの商品を指差して買うシステムなもんだからみんなで大声だしてすごい騒ぎ。ものすごい購買力かと思えばあにはからんや歯磨きも洗濯石鹸もみんな1回分の小包装。喫茶店でコーヒー頼んだら小包装のインスタントコーヒーとお湯が出されるってのもすごい。賑やかのなので入って見たら税務署だったり、郵便局でも活気があったり、国民性の違いですね。
南往きバスの乗車場が分からなかったのでサイドカータクシーに乗る。あんまり近かったので最初の言い値の半分しか渡さなかった。(まずい?)ガイドブックを持ってなかったので子供を捕まえて数詞の勉強。これが分からないと話しにならない。サッ・ダロワ・タロー・アッペ・リマ。(台湾アボリジーニと単語が一致、どの部族だっけな?)
待てども来ないバスにみんなで相談してジープニーを仕立てることになった。12時間で××ルピーは安い。(台湾観光団では2時間の道のりにこの2倍払ったという話しを帰国後聞いた。)マニラから田舎へ向かう土産は一斗缶に入ったビスケットが一番人気でした。途中、武装兵による検問が多くあり乗客を降ろして車内を調べる。夕食休憩で教師然としたおばちゃんに押されて孫娘が話をしに来た。翌朝着いた町で一緒に買い物して名残惜しそうに分かれる。
道路が舗装されていないから少しの距離でも時間がかかる。ジープニーがパンクして修理になったけど、つるつるタイヤに別のタイヤのゴムを貼った再生タイヤ。いろいろ親切にされました。みんなで席を詰めて尾底骨の先4cmだけ座らせてくれたり。荷物の上に座らせてくれたり。映画でよく竹籠に入れた鶏を乗り物に持ちこむシーンが有って、見るたび「わざとらしい演出だな」と思っていたのに自分がご一緒してしまった。ほんとに日常なのね。 -
首都から充分離れて町の規模も適当なので滞在決定。価格調査でホテルに飛び込んで「いくら」「××ルピー」「バイバイ」「そんなら△△ルピーでどうだい」フロントは中国人だった。アジアどこでも宿屋は中国人が多いな。昔は商港として栄えて中国人が多いそうだ。観光局で一番安いと紹介されたのが中華学校のとなりで30ルピー(150円)泊り客無し。ゴキブリ有り。裏路地にスヌーピー漫画に出てくるレモネード屋台みたいなのがたくさんあって一杯一ルピー。あとラム酒がすごく安かった。闘鶏抱えてる人が多いけどいくら待っても試合が始まらない。
海岸に行ったが砂浜が高床貧民街で泳ぐ気になれなかった。後で聞いたらすぐ隣は高級リゾート地だって?教会で結婚式を眺めているとロザリオ売りのおばあさんが耳元で延々と効能を並べ立てる。この年で英語が達者なのは相当のインテリ?
マヨン火山のふもとカグサワ教会を見に行きました。こないだ強盗が出て韓国人が撃ち殺されたばかりだと警告されたので早朝に出かける。悪人は早起きしないでしょ。カグサワは噴火で埋まった名所。マヨン山は標高2500mできれいなコニーデ型。緑濃いし登って見たい。登山道なんてないんだろうな。400m以下の山で3回遭難しかかってるんだからやっぱり無謀だよな。昼ごろ教会に観光客も来たので話しかける。反応が悪いがわかれ際に「ありがとう」と言うと「おや日本人だったのか」と振り向く人が多い。どうも中国人を嫌っているようすで「スモールアイ」と呼び捨てにする。かの韓国人も「ありがとう」が言えたら撃たれなくてすんだのかも。暗殺直後で「日本から来たアキだ」と名乗ると「ニノイ・アキノの親戚か?」とよく問われた。
掘建てお土産屋でビールを買う。ジュースより安い。栓を抜いてからお釣りが無いというのでタバコで払う。小学4年生くらいかな英語は通じないけど一人で店を切り盛りしてしっかりものだ。
1993年マヨン火山噴火。死傷者170人だけど危険地域としてカグサワ教会までは住人はいないし、火砕流は南東側だったからあの子も犠牲者に含まれるかも。 -
昼間に運行するバスが極端に少ないのは暑くて動きたくないからでしょうか。バスで行ける北限まで・レイテの戦跡も見ようと思っていましたが、南国の明るい嵐が終日続いて移動を断念。マニラまでの30時間の超長距離バスに乗りました。
マニラに着いてから鉄道があることに気づいた。そう言えばレガスピに駅があったっけ。乗れば良かった。ジープニーの運転手はムスリムで馬の飾りが奥さんの数を表す。集金係の奥さんはお金を受け取ると運転手の旦那に渡して旦那からお釣りを受け渡す。バスの運転手はキリスト教徒で教会の前を通るときはタバコを左手で隠して右手で十字を切るから手放し運転。
マニラではスモーキーマウンテンを見たかったが結局場所がわからず行けなかった。街中でも真っ黒なおこもさんがきつい目で睨みながら手を差し出す。隣りには辺りのことが目に入らぬ風のおないぎさん。6ヶ月くらいの赤ん坊が裸で芝生の上。チクチクしないのかなあ。米軍基地のあった時代。埃だらけだけどアクセサリーは沢山付けた中学生くらいの子供がその方面で有名な通りにいたり。田舎も貧しかった、毎年葺き替えないと崩れちゃう草作りの家で、屋根を葺くブリキが欲しいと言ってたし。電線なんか引いてないし。ランプの明かりも無くて真夜中家族で何をするでもなく街道沿いに腰を下ろしている。抓んだ服を小川でぐるぐる回して洗濯。女の人が川に尻を突き出して用をたしていたりするけど大らかな気持ちで眺めていたものです。首都の様子は痛々しいなあ。自分がそういう通りを選んで歩いていたんだけど。マラカニアン宮殿にあるイメルダ夫人の3000足の靴も見たくは無い。
夜になってお店が開いてから例の通りへ行くと日本語のできる叔父さんが寄って来た。「お出かけ?私は一人もんだから暇でね。仕事は交通警察、ほら身分証。ここ良いお店ですよ。私のはとこがやってる店がありますよ。お静かなのがお好き?」通りの端まで来ると「じゃ私はここで・・」と去っていった。この日は海岸で寝る。 -
暑さに負けて30分ごとに冷房のあるファストフードで休みながら街歩き。「ハンバーガー」の一言が通じないで涙の出るような思いをしたなぁ。モップで指差して注文。店中の人が見ている。恥ずかしい。
こちらをチラチラ見ている娘がいるので声をかけてみると北の避暑地バギオからのおのぼりさんだそうだ。マニラの友達に案内してもらっていると言うのでジョイントさせてもらう。ジープニーを乗り継ぎ教会や市場を見学。お昼は友達の家でご馳走になる。表は食堂かなにか商売をやってるような雰囲気。そこのお母さんがこっちおいでと言うのでパンツひとつになって簡易寝台に横になるとアルコールで体をふいてくれた。ひんやりして良い気持ち。しまった何日風呂に入ってないんだっけな?
午後また観光。「色が白いね」と言うので「同じでしょ」と比べると僕の手をひっくり返して「こっちが白い」。ほんとだ、フィリピン人の肌はどこまでたどってもおんなじ色だ。観光馬車に乗って手をつないだり遊んでいると「田舎で小さい家で恥ずかしいけど、両親に会って欲しい」と言う。ゴムをつけないで(いえ、そっちのではありません)バンジージャンプに誘われたような気がした。
後日バギオが大地震に襲われた。お見舞いの手紙はあて先不明で帰ってきた。
フィリピンで最後に会った人。空港で寝ていると警官だか警備員だか分からない人が近づいてきた。文句を言われるのかと思ったら、そっぽを向いたまま「エアポートポリースバッジ スーペニア」
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