2001/11/10 - 2001/11/10
877位(同エリア1022件中)
沙瑠さん
私らが泊まった部屋は確か4階だったか!?どうやら騒音というのは上にいればいるほど
聴こえてくるものなのか?まだ6時ぐらいだったか、クラクションとバイクの音が
渋滞かと思わせる勢いで鳴ってた。カンボジアの人の朝は早い。
目が醒めてしまったがベットの中でゴロゴロする。2時間ぐらいそうして過ごす。
今日はプノンペンの市内1日観光だ。朝食はホテル1階の中華レストランで。
器とかがあまりキレイでないところだったけど、それぞれ中華粥とヌードルを注文。
これがアレマでおいしいんだな!ただ、特にSさんの粥のほうにたくさん入ってたが
レバーじゃなくて、何だっけ?血の塊みたいなところ。それは食べにくかった。血あいかも。
双方ともガッチリ中華ではなく、カンボジアというかベトナムっぽさがあった。
ロビーでガイドのレン(LENG)さんと待ち合わせてワゴン車にて出発。
シエムリアップよりやはり道は良い。ただ1つ細道の住宅街に入ったところは
まだ土のガタガタ道だ。まずは国立博物館の見学だ。赤い寺院のような建物だ。
館内にはアンコール王朝時代から現在に至るまでのお宝を展示している。
様々な種類の仏像が主だ。大きさも手のひらに乗るくらいから、顔だけで私より大きい
のもあった(確か)。博物館の案内人の人に説明していただいたが、これを見てから
アンコールワットに行けば、もっともっと理解できたかもしれなかったかな?
次に王宮へ。あのシアヌーク国王がいるところ、日本でいう皇居だ。さすがに実際の
住居となる部分は入れないが、キレイに整備されたお庭や「金」ばかりの即位殿を
見学できる。ただしカメラ持込が2ドルかかるので2人ともケチって支払わなかった。
今思えば、贅を尽くしたご立派な建物たちを写真に収めておけばよかったかな。(当然
皮肉ってますよ)。1つアジアらしからぬ建物が。そこはフランス統治下時代の
建物で、今は衣装や絵、メダルとかが展示されてました。シアヌーク家のご先祖さんの
絵や写真もあったのですが、1つ女の子と男の子の写真が。シアヌークさんの実の子だ。
でも、殺されたそうだ。ポルポト派に。寝返りで有名なシアヌークさんも実子が
殺されてたのは知らなかった。ちなみに今の奥さんは何人目だったかかなり若いらしく
まったくのカンボジアの人(クメール人)ではないそうだ。Sさんと2人で国王を
偶然見れないかと期待したが、もう80過ぎらしく、散歩するとかまずないそうだ。
そのまま隣の銀寺へ。ここはその名の通り本堂内の床が銀で敷き詰められている。柱は
高級大理石。本堂内には金のブッタをはじめとして宝飾類が多数展示されている。
話を入る前に聞いただけでもクラクラきており、とりあえず早く目にしたかった。
王宮と壁一つ隔てて銀寺へ。まず壁画がズラリと描かれてた(もちろん宗教画)が
金銀づくしが気になり、あまり頭に入らなかった。(オイオイ)
で、寺の本堂へ。すごいご立派な大理石の柱がズラリと並んでる。靴を脱いで入ると
確かに床が銀の正方形の板状のものが敷き詰められてる。1枚ぐらいなら持ち帰れる。
それ以外に様々な宝飾品がガラスケースに入れられて展示されてたが、ルビーやら
ダイヤやらやたらとデカイ。薄暗い中ではなく光に照らせばさらに眩しかっただろう。
メインは金のお釈迦様。しっかりでかく、胸のところに埋まってるダイヤがでっかい。
私が親指と人差し指とで○を作るよりも大きいかもしれない。すでに気分はルパンか
キャッツアイ(あほ)。ダイヤだけでもどうにかならないか、と考えてしまった。
国王だけこんなに宝まみれになりやがって!と思ってしまうが、思えば日本の皇室も
いいもんタップリ持ってるのよね。まだ一般公開して観光客が来ることで人民に仕事や
収入を与えてるのだから、自分だけのコレクションにしてるよりはいいのかもしれない。
寺の構内にはでっかい塔みたいのが3つあるのだが、それは国王の先祖さんのお墓だ。
今の国王も人間なのでそのうち逝ってしまうので、そのときはまた塔が増えるそうだ。
その次に「独立記念塔へ」独立記念日の翌日だからか旗みたいなのが飾られてる。
あと警備の人も中で立っていた。パリの「~門?」みたく周囲は車が走ってるので
歩いては近づけない。少し離れた全体が入る位置で記念撮影をした。
次にセントラルマーケットへ。その名のとおり街の中心にあるでっかい市場で、形も
ドーム状になっていて目立つ。その中とさらにまわりのテントにお店が入ってる。種類は
時計等の宝飾品屋、肉屋、生活雑貨屋、野菜や果物屋だ。そこで1時間ぐらいか
自由時間をいただいた。買い物目的ははっきりしていた。まずは爪楊枝。こっちのは
両サイドが細くなってて1本で2度使える。爪楊枝を咥える姿がさまになってる?営業の
人へと見つけて購入。次にコショウだ。トンレサップ湖での海老の味が本当に
おいしかったので是非日本でも再現したくて野菜売り場を見つけて探し歩いた。なかなか
見つからず、1件粒胡椒で売ってたが潰せる胡椒入れがなかったので、また、量り売りの
手続きが言葉上大変そうなのもあったのかな?近くにあった既に磨り潰されていて袋に
入ってたものを購入した。まだ封を開けてないのだが香りはどうかな?ちなみにこの
買い物にて私とSさん2袋買ったので「値切り交渉」たるものをした。日本円で考えると
「別に値切らなくても」なことなのだが、せっかくだから言葉ややりとりをしたいのよ。
探してた時間が長かったために、予定時間がきてしまい(少々迷い)、急いで待ち合わせ
場所へ。でもレンさん結構のんきに他の人としゃべってた。
お昼はレンさんが餃子がおいしい、という中華料理屋さんへ。プノンペンは
シエムリアップと違って、観光客向けというより商業向けなのか、中華やベトナム、
タイ料理店が多い。全然他のお客さんはいなかったが、餃子やスープ、ご飯を注文。
レンさんは注文を手伝ってくれたら「ホテル近いから自分たちで帰ってね」と帰った
(たぶん)。料理が出てきてまずスープを食べたらオイチイ。やはり血合いみたいなのが
やや苦手感が出てしまうが。次に餃子。一口サイズだがたくさんある。本当にこれは
ウマイ!チュガンニュ!おなかいっぱいになっちゃうから、と遠慮してたビールを
やっぱり注文。もう~~~ビールに餃子最高~~~~!!!スープは例の如くご飯に
かけてモグモグ。テレビでは謎の歌番組中で店員のお姉さんとおばさんが夢中で見てる。
こういう芸能も最近だろう。いろいろ栄えてきたのは、きっと。餃子とビールは完食し、
血あいは残してしまった。本当にホテルが近かったがちょっとの間でもバイクタクシーの
勧誘があったなー。たくさん食べてしゃべってたら、あまり昼休みがなかったけど
車行動なので特に体力的には大丈夫だった。
もうホテルはチェックアウトしてしまうため、着替えて荷物をまとめる。
風呂のお湯は出なかったけど、それ以外はステキなホテルでした。
まずは午前中にリクエストをレンさんにしておいたお菓子屋さんへ。
正しくはパン屋さんだったけど、ケーキなども売っている。
前もって調べたカンボジアオリジナルのお菓子は結構生モノが多く、お土産に
向かなかったのだが、ココナッツ風味のクッキーなどが売っており、これを
会社のお土産にしよう、と購入。他の種類のクッキーも買い、Sさんはパンも購入。
お店の人は英語もほとんど通じなかったので、レンさんに手伝ってもらい、
値段は紙に書いてもらって、ドルで購入した。
再び車に乗り「ワット・プノム」という丘の上の寺院。
プノンペンという名の発祥の地でもある。銀寺みたいな派手さはないけど、なかなか
大きな寺院だ。階段をのぼり寺院内へ。大きな線香を使って私らもお祈りできるらしい。
レンさんが火をつけて持ってきてくれた。みな、正座して行ってるが結構にぎわってる。
私も端の方でやってみたが、礼をしたときに前にいた人が起き上がった。線香をも前に
倒していたために火の点いた線香がその人の背中へ「ブスッ」
「アアァァッァウチッ!!!!」
叫ぶお兄さん。服が焦げる。周囲で慌てて火を振り払う。
「すいません!ごめんなさい!ソ・・・ソーリー!ソーリー!」
ひたすら謝る私。また人に迷惑をかけてしまった。マジで反省。
その後チップを仏様のとなりに置き、寺内を廻り外へ。するとなにやら人が集まってる
ところがある。日本でいうところのお地蔵さんが置ける程度の大きさだ。でもそこに
様々なお供え物がしてある。なんでもお金持ちになれる神様だそうだ。おお!これは
あやかりたい!でも、お供え代をケチったからダメかな、こりゃ。
次に向かったのは「ツールスレン博物館」。元々は高校だったが、ポル・ポト時代に
刑務所として使用されそのまま残されてる戦争博物館だ。確かに外装は学校だ。
鉄棒もある。ここで私は大きな衝撃を受ける。
ガイドのレンさんは家族3人(父親と確か兄と姉?)をポルポト派に殺されたそうだ。
こんなに目の前に身近にポルポト派に家族を殺されてた人がいるとは思わなかった。
レンさんは結構若く見えたが30歳は過ぎているらしく、ポルポト政権下の混乱に
巻き込まれたのはおそらく5~10歳のときであろう。突然家族が連れて行かれて
帰ってこなくなった・・・・・。どんな思いで今2人の日本の女の子に説明してるの
だろうか。つらくはないのか。私なら言葉に出すのもキツイかもしれない。
でも、より多くの人に真実を伝えてくのが唯一の供養になるのだろうか・・・
いろんな思いが一瞬にして頭の中を、駆け巡っていった。
建物に入る前にお墓がいくつか並んでいた。ここに幽閉され最後まで残されて、
ベトナム軍がプノンペン入りした際、ポルポト兵が逃げ際に殺していった人たちの
お墓だそうだ。11個ぐらいだったろうか。とりあえず手を合わせる。
そして建物(校舎)に入る。午後の西日が部屋をオレンジ色に染めていた。
ベットがあった。正しくはベットの台、骨組みだけである。錆びてこげ茶だろうか、
部屋が薄暗いせいか黒っぽい。その下の床には赤黒いシミが広がる。血の跡だとは明らかだ。
あと、ベットと足を縛る鉄轡とチェーン。骨組みは古くなったからか、人の力か、曲がってる。
壁にはモノクロ写真が。同じ部屋に同じベット。違うのは黒い人影。さっきのお墓に
入ってる人の1人だ。ここの(当時)刑務所にベトナム兵が入りこんだときに
写した写真だそうだ。人影の下には血が広がっている。自分がこの現場と同じところに
いることに恐怖を覚え始めた。隣も、その隣の教室もそう。古びたベットの
骨組みと壁にはその人の発見された状態の写真。思い出すだけでキーを打つ手が
震えてくるようだ。その建物の1階がすべてそのような部屋となっているのだが、
それぞれベットが曲がってるのがあったり、写真の死体ももがいたのであろうか、
腕が変にまがってる状態のがあったりした。
2階は同じ収容部屋だったが、教室内に敷居やドアが作られており、その中に当初は
多くの人々が入れられたようだ。広さはトイレぐらいだろうか。大きな大人だと
まっすぐには寝れないかもしれない。こんなところに閉じ込められて
1日中恐怖に怯えながら過ごす。背筋がゾッとする。トイレは連れられて逃げ出さない
ようにしてたそうだ。3階は子どもの収容部屋。敷居はない。まとめて1つの教室に
入れられてたようだ。ただ、寝るときの区分けだろうか、壁には番号としきり線が
書かれてる。パパやママが殺される、そして自分達も、とはわからないままいた
小さな子どももいたんだろな。子どもや赤ちゃんまでもが殺された真実には
やりきれなさが出てきてしょうがない。
校舎をでると鉄棒や樽みたいのがあった。鉄棒は日本の学校にだって普通にある。
しかしポルポトの刑務所と化してからは、鉄棒は拷問の道具となった。
高い鉄棒に紐をくくり、拷問する人を逆さにつるし、鞭で叩いたり、下に樽をおき
水を入れ、紐を緩めては顔を突っ込ませる、人によっては拷問中に息絶えた人も
いたそうだ。尋問もめちゃくちゃだ。主に医師や教師など「知識人」が連行されて
殺されていったわけですが(ポルポト独裁の邪魔になるから)、尋問で
「お前は教師か?」聞かれて「はい」言ったらドボン。「いいえ」と言ったら
「ウソを付くな、きちんと資料にある」とドボン。またはビシッとどちらにしろ
拷問を加えていったそうだ。ちなみにそれを行うポルポト兵士というのは皆、
12~18歳ぐらいの「子ども」だ。教育をあまり受けてない農家の罪のない
子供たちにポルポト精神だけを植え込んだのだ。言われるがままに人を殺していったのだ。
殺される側も当然だか、それしか教えられてない子ども達もかわいそうだ。
頭がクラクラになりつつも、もう1つの校舎へ。ここには絵や写真が掲載されてた。
絵は1万人以上殺された捕まった人たちのなかから、2人だけ逃げ出せた人の1人が
描いたものだ。たしか外国人だったかな?拷問シーンが描かれている。先ほどの
樽にドボンもあったし、変な拷問器に掛けられてるシーンもあった。絵でさえも
痛々しかった。写真は圧倒された。捕まった人たちの顔写真だ。「犯罪者」写真を
ポルポト派は撮っていたらしく、いろんな人の顔写真が部屋の壁にズラッーとある。
当然顔は笑うわけがない。悲しみや諦めに満ちてる顔が多い。なぜ捕まったのか
疑問の表情をしてる人、反抗したためか顔に傷を負ってる人、赤ちゃんを抱いた
母親の写真もある。お坊さんや欧米人もいた。肩が後ろに反ってる人は、おそらく
手首を後ろにつながれてる人であろう。恐怖と悲しみに満ちた目は、写真であろうと
25年以上前であろうと恐ろしいほど訴えてくるものを私に浴びせかけた。
他にもキリングフィールドの写真もあった。ポルポト撤退後に発掘された当時のだ。
骨が土にぎっしり詰まってる。モノクロ写真であっても、シェムリアップで見た
いなかの淡い水色の空に濃い木々の緑、赤茶色の土。そこからやや黄色がかった白い骨が
大量に出てくる不自然さを想像できる。ちなみにキリングフィールドとは、ここに
収容されてた人たちが連れてこられて一気に虐殺した現場。オプショナルもあったが、
1日しかプノンペンにはいれないこともあり、予定には入れませんでした。
プノンペンから車で30分ぐらいで、現在も人骨の破片が大地に転がってるそうだ。
虐殺をしている時間帯には、大音量の音楽をかけて村の住民には
(人を殺してることを)わからないようにしていたらしい。
最後の部屋に行く。この部屋の意義に際しては現在も物議が交わされているらしい。
虐殺された人々の骨でカンボジアの国のカタチを作ったものだ。
たしかに地図と同じカタチのモニュメントという言葉は当てはまる?
骨がぎっしりと詰められてる。頭も腕も手足も骨盤も。だいぶベージュがかってる。
骨そのものが古くなってきたのと、遺族のことを考慮したうえで物議が起きてるそうだ。
そうかもしれない。でも、そのことに関して私は何も言えない。わからない、正直。
ただ、見てて体が硬直した。この国が悲しみに包まれてると感じた。骨そのものは
まったく怖くはない。ただ骨からにじみ出るような悲しさが降ってかかってくる。
レンさんは一通りの説明が終わったら早々に建物の外に出てた。もしかしたら
この骨のどこかに家族のがあるかもしれないからか・・・な?
一部の人間の欲のためにこの国の多くの人が悲惨な目に落とされた悔しさに近いものを
感じながら建物を出た私。この見学中に視界がぼやけたことが何度かあった。
博物館を出て車に乗ったけど、平和な日本で産まれ育ってきた女の子2人には
きっと衝撃が強かったのでしょうか、あまり言葉が出てこなくなってしまいました。
レンさんはプノンペンで(カンボジアで)一番豪華なデパートへ行こうと言ってくれ
私らも「ハイ」とうなずいた。到着すると確かに他のお店よりは大きくてキレイだ。
でも新宿タカシマヤみたいな大きさではさすがにない。スーパーぐらいか!?
KOOKAIがある。おお!本当にココでは高級デパートだ!1階2階辺りは洋品店やら
ショッピングエリア。その上になると、ゲームセンターやボーリング場がある。
若者たちであろうか、けっこう遊んでる。土曜日というのもあるからかしら?
ここで私はトイレに行くが、結構狭い(苦笑)女子高生らしき女の子がタムロってた。
どこの国もいっしょなのね・・・。駄菓子を売ってるところもあったりで、
お台場が小さくまとまった感じかしら?で、グルッとまわったところで1階に行く。
洋品店のほかに資生堂のショップも入ってた。これは高そうだ。なんだか日本より
高級な雰囲気を漂わせてる。外国人向けですな、明らかに。
地下は食料品売り場でパンが売っていて帰りの飛行機で食事が出るかは
定かでなかったので購入。他に1部現地のお菓子がパックになって売っていたのだが
昼間にお菓子買ったから確か買わなかったはず。
ここではタイや欧米など主に輸入食材が売っていた。クロレッツ?が売ってたので
ガムが欲しかった私は購入。日本のと違うのは1つ1つ銀紙に包まれてないこと。
デパートを出て車で通りに出ようとするが、すごい渋滞でなかなか出られない。
「仕事帰りか?」とも思われたが、それだけではないようだ。家族でバイクに
乗ってるのも多い。どうやら皆方向は同じらしい。川辺へ行くのだ。
レンさんも「賑わっているから」と連れて行ってくれるようだ。
午前中に行った王宮や独立記念塔からもう少し先に行くと、見えてきた。大きな川。
トンレサップ川だ。数日前に私がメガネを落としたトンレサップ湖から流れてる川だ。
川下の方なだけに対岸がわずかに見える程川幅が広い。もう少し川下へ行くと
あのメコン川との合流地点があり、雨季はメコン川の勢いの方が強くなるため
トンレサップ川は逆流をし、そのためトンレサップ湖は溢れて、その湖の領域が
広くなってしまうそうだ。川辺には多くの人が座っておしゃべりをしたり、何かを
食べてたりしてる。その人たち向けにおもちゃや食べ物を売り歩く人たちもたくさんいる。
時間はもう夕方。日が沈み始め、空が赤くなり川面も同時に赤く染まっていった。
すごくキレイだった。人々の平和な笑顔に嬉しくなった。ずっとずっと、このまま
もうカンボジアの人々が悲しむことがないよう、毎日この赤い景色を笑顔で見れるよう
切に願わずにはいられなかった。キャラに合わないとわかってても目が潤んでしまった。
川辺を歩きながら人々の様子や売ってるものを見たりする。川では船に乗ってる人たちも
いた。レンさんの知り合いの、やはり日本語ガイドをしてる人にも会った。
思わず「こんにちは」で挨拶してしまった。「いつまで(いるの)?」と聞かれて
今日には帰ることを伝えたとき、改めてもう少しいたいな~と思った。
でも、飛行機の時間もあるので、歩いた先に待っててくれたワゴンに乗って川辺を
離れることになった。辺りは大分暗くなってきてレストランなどのお店の電飾が
華やかに街を演出してきてた。ワゴンは空港へ向かって行った。
本当はツールスレン博物館までがコースで、空港までは自分達で行くことになってたのだが、
レンさんも運転手さんも時間が大丈夫、ということで空港まで送ってくれたのだった。
もしデパートメントや川辺に行ってなかったら、博物館のショックが相当だったため
「悲しい」の一点で旅を締めくくってしまいそうだったが、それを乗り越えようと
がんばり笑顔で過ごしてるカンボジアの人たちの力強さを感じることができ、
なんか「助かった」というか「こっちが勇気づけられた」ような気持ちになってしまった。
本当にカンボジアの国が好きになった。離れるのがいやだった。この国のために
自分ができることがないか考えるようになった(まだ見つかってないけど・・・・)
思いもむなしくワゴンは空港に到着。運転手さんにチップと感謝のお礼を告げる。
そしてレンさんにもチップと感謝のお礼を告げる。「オークン!オークン・チュラウン!」
ありがとう、本当にありがとうございます。手を合わせてお礼を。
「chumriap lia」さようなら。そしてありがとう。カンボジアとこの国で
接したすべての皆さん。離れても皆さんが幸せであることを願います。本当に。
次にこの国に来た時は、もっとずっと発展してることでしょう。平和だったら
そうなってるに決まってますし、そうでなければならない。もし、この国の人々を
不幸にする奴が現れたら、私が「ふざけるな!」と止めさせてやる!
オークンを何度言ってもきりがない。本当にそんな気持ちで空港内へと足を進めた。
手続はほぼ順調に済ませ、時間がくるまで土産屋を見たり、お茶したり。
シェムリアップのオールドマーケットとクロマーなどの値段があまりに違ってビックリした。
空港ってある種外国なんだな~って思った。
帰りのバンコクまではタイ国際航空だった。飛行機も大きいし機内もきれいで広い。
カンボジアの国内線を乗ってしまった身としては、大きすぎて落ち着かないくらいだ。
「バイバイ!ありがとう!」と窓の外に手を振る気持ちでカンボジアの地から
飛行機は離れたのであった。
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