時間を始動させなければならい時機がすぐそこに
フランシスコ・ザビエルの来島依頼、スペインに統治され長い年月を、パンの木、タロイモ、ココナッツ、バナナなどの熱帯の果物と魚介を採取し、生活を営んでいたようだ。幾つも集落は酋長の裁量により、収穫は公平に、平等に分配され、種族間の争いも無く、スペインからドイツへ引き継がれていったようだ。多くの島々にはカソリック教会が創られ宣教師が赴任し、布教活動を通じてスペインの文化が他の南洋の島々と同じく生活様式に影響を与えていったようだ。ドイツは学術的な意味合いで文化人類学の観点でミクロネシア諸島を捉え、統治をしていたようである。
第二次世界大戦の勃発で、ドイツの同盟国である日本に統治を譲り渡し、日本は、太平洋の制覇の拠点として海軍の軍事基地をこのトラック島(現チーク島)に設営し、多くの軍人を駐屯させ、その家族まで伴わせ、結果として5万を超える日本人が住んでいた、と記されている。
太平洋戦争の終了を迎え、アメリカへの統治が移ったが、住民たちは、アメリカの軍事制圧は受けていない、代わりに、近代化への発展の支援を受けているとのこと、もちろん連合軍の一国であったオーストラリアからも支援を受けているとのことだ。それに加え、日本からも援助金という名目だが、実質は戦後補償として、この連邦州国に支払い続けているとのこと。
支援した金で、なにをどうしろという特別な指示も無く、この国に、使い道を任せているようだ。
島を取り巻く海岸線の道路は、いくつかの有名ホテル、官庁の一部、港湾と飛行場を結ぶ片側だけが、舗装されているだけで、湾というか入り江が続く海岸線は一部の借地人たちの生活に使われているが、でこぼこが激しく、パジェロのような床高の車がやっと通過できるほどの未開拓だ。15kmで草稿できれば由。
60年前の日本の田舎の道ですら、あんなでこぼこは無く、晴らされていた。
食生活はアメリカからの冷凍肉、軍人達の携行の缶詰食品が主流のようだ。
インフラが全く整備されていない、時間が止まっているとしか思えない国。
接する人、接する人からは、生活に困っているとは思えない、心の豊かさを感じる。
電化された生活を望む家族は、高校卒後、ハワイやグアム島。ないしは米軍に志願し、給金を仕送りすれば、日本人の感覚で文化的生活が可能ということのようだ。
アメリカの統治後、プロテスタント系の教会が作られ、学校運営もされ、子供達は、英語で教育を受けているので、私、旅のevagelistとの会話は英語となる。
英語でお祈りをする、敬虔なクリスチャン。
フィリピンの一般の人たちより、スムーズな会話だ。
さて、支援の話に戻るが、2023年、アメリカからの支援が打ち切られることになっている。
そこで、自活する為の産業を立ち上げなければと焦りだしたようだ。
日本はどうするのだろうか?