サヌア 基本情報 クチコミ
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2015年1月現在、在日イエメン大使館ではビザ取得できません。しかし、現地代理店を通せばビザ取得可能でPDFで送ってもらえます。現地では手配旅行が無難だと思います。また、入国審査時に現地旅行代理店との関係をうまく説明出来ないと、入国を拒否されるそうです。
- 軟弱(系)全独立国訪問済〔全国連加盟国訪問済・日本の承認国全て訪問済〕 さん
- 男性 / サヌアのクチコミ : 2件
- 旅行時期 : 2015/01(約11年前)
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敬虔なイスラム教徒がほとんどのイエメンでは、みな真剣にラマダンをしています。
- ヒロポン さん
- 男性 / サヌアのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2009/09(約16年前)
イエメン人のとって
ラマダンは罰ゲームといった感覚ではなく、1か月毎日お祭り感覚なので、
楽しみで仕方なさそうです。
したがって、毎晩どんちゃん騒ぎで朝まで活動します。
どんちゃん騒ぎといっても、酒が飲めない国なので、コーヒーだけでスゴイテンションになります。
そんなんだから、昼間の仕事はこの期間、眠くてグダグダの様子です。
街について個人で頼んだツアーガイドも、徹夜して騒いでから仕事突入なので眠いから
かなりいい加減です笑
外国人でも街中でペットボトルの水を飲んでると
イエメン人が怒り出します。
イスラムじゃないから関係ないけど、人目につかないところで飲むべし
ということなのだろう。
ごはんはというと、レストランが表面上はどこも閉店。
強制ラマダンです。
しかし、レストランに入っていて、厨房まで行ってお願いすると
作ってくれます。 -
神聖ローマ帝国の女帝といわれたオーストリア・ハプスブルグ家のマリア・テレジア。彼女の肖像銀貨(直径10センチくらいの大きな銀貨)は、北イエメンの首都、サナアのスーク(バザール)で取引されていた。金価格のようにその価格は毎日変動する。なぜイエメンにあるのか?見つけた時は不思議で仕方なかった。古いものに興味があったので毎日通って安い時に十枚ほど購入した。サナアでは、今もスークをじっくり観察しておれば、あちこちでジャラ、ジャラ、ジャラと銀貨の音がしているハズ。その日その日で一枚当たりの価格は変動しているその銀貨のやり取りが見られる。女性の装飾品にも使われていたのかチェーンの通し穴が付いたものもある。しかし、なぜ18世紀のオーストリア銀貨がイエメン??なのか?不思議だ!
- アリヤン さん
- 男性 / サヌアのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 1992/09(約33年前)
以来なぜか?思い出すたびに研究した。自説によると、
「18世紀、アラビア半島をその支配下に置いていた、“オスマン・トルコ”がイエメンにもたらし、自国通貨もないイエメン人が通貨として取り入れた。その名残が今のイエメンのスークに残っている。」
アラビア半島はオスマントルコに長い間支配されていた。オスマントルコは西側ではウィーンをはさんでヨーロッパと対峙していた。そのころのヨーロッパはハプスブルク家率いる神聖ローマ帝国時代でこのマリア・テレジアの時代。このように考えると符号する。いろいろ調べたが、この銀貨がイエメンにある事、経済の一端を担っている事実についてのレポートは未だに発見出来ずにいる。
最新情報!(2007年10月)本当の理由発見。1836年、イギリスがオスマン・トルコ支配下であったアデンを租借した時、イエメンにその見返りとして毎年6,500枚のマリア・テレジア銀貨を支払っていた。それがつい最近まで実際に流通していたのだ。
これでスッキリ!
写真は、マリア・テレジアの銀貨の裏表。裏に西暦1780年の刻印がある。今でもサナアのスークのどこかで取引されているハズである。
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新しいツーリストポリスの場所は・・・
- ともひこ さん
- 男性 / サヌアのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2006/09(約19年前)
言葉ではうまく説明できない(ハサバにある緑の建物です)ので
ハサバで地元の人に聞くか、
マナハの情報ノートをメモしていったほうがいいですよ。
いずれにしても初日はまず情報集めで
マナハに泊まる事をオススメします。
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