マリア・テレジアのシルバー・コイン - サヌアのクチコミ
- アリヤンさん
- 男性 / サヌアのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 1992/09(約34年前)
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神聖ローマ帝国の女帝といわれたオーストリア・ハプスブルグ家のマリア・テレジア。彼女の肖像銀貨(直径10センチくらいの大きな銀貨)は、北イエメンの首都、サナアのスーク(バザール)で取引されていた。金価格のようにその価格は毎日変動する。なぜイエメンにあるのか?見つけた時は不思議で仕方なかった。古いものに興味があったので毎日通って安い時に十枚ほど購入した。サナアでは、今もスークをじっくり観察しておれば、あちこちでジャラ、ジャラ、ジャラと銀貨の音がしているハズ。その日その日で一枚当たりの価格は変動しているその銀貨のやり取りが見られる。女性の装飾品にも使われていたのかチェーンの通し穴が付いたものもある。しかし、なぜ18世紀のオーストリア銀貨がイエメン??なのか?不思議だ!
以来なぜか?思い出すたびに研究した。自説によると、
「18世紀、アラビア半島をその支配下に置いていた、“オスマン・トルコ”がイエメンにもたらし、自国通貨もないイエメン人が通貨として取り入れた。その名残が今のイエメンのスークに残っている。」
アラビア半島はオスマントルコに長い間支配されていた。オスマントルコは西側ではウィーンをはさんでヨーロッパと対峙していた。そのころのヨーロッパはハプスブルク家率いる神聖ローマ帝国時代でこのマリア・テレジアの時代。このように考えると符号する。いろいろ調べたが、この銀貨がイエメンにある事、経済の一端を担っている事実についてのレポートは未だに発見出来ずにいる。
最新情報!(2007年10月)本当の理由発見。1836年、イギリスがオスマン・トルコ支配下であったアデンを租借した時、イエメンにその見返りとして毎年6,500枚のマリア・テレジア銀貨を支払っていた。それがつい最近まで実際に流通していたのだ。
これでスッキリ!
写真は、マリア・テレジアの銀貨の裏表。裏に西暦1780年の刻印がある。今でもサナアのスークのどこかで取引されているハズである。
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