キューバ共和国の歴史(2006年5月8日) - キューバのクチコミ
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キューバ共和国の歴史(2006年5月8日)
キューバ共和国はカリブ海の島国でアメリカ州最初の社会主義共和国で「カリブに浮かぶ赤い島」と呼ばれる。首都はハバナ。
キューバは1492年、クリストファー・コロンブスの第一次航海で「発見」された島でタイノ族と呼ばれる先住民がいたが、1511年スペイン遠征隊によって征服され、植民地化による強制労働でほぼ絶滅した。キューバの植民地化は砂糖産業、たばこ産業などを定着させ、スペインと中南米の中継地点として発展させた。
スペインに対する独立闘争は1868年ころから顕在化し、1898年にはアメリカが介入しスペイン・アメリカ戦争に発展、キューバは1902年にスペイン支配から解放され独立したが実質はアメリカ支配に変わっただけだった。
「独立」後、キューバにはアメリカ資本企業が数多く進出し、精糖産業など多くの産業をアメリカ企業が支配したことに対し反乱が続発、1953年に、アメリカ支配に抵抗して弁護士フィデル・カストロが蜂起、1953年の蜂起は失敗に終わって投獄されたがカストロはメキシコ亡命後、アルゼンチン人医師のチェ・ゲバラと出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、1956年にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸。1959年に革命政権を樹立、土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進した。キューバの上流階級の人々の多くはアメリカなどへ亡命した。
アメリカに敵視された革命政権は1960年にソ連と外交関係を結びアメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行など大企業を国有化した。
1962年、アメリカのケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を実施するとソ連はキューバにミサイル基地の建設とミサイルの搬入を行い核戦争の危機となった。キューバ危機は何とか脱しその後50年近くキューバの社会主義独裁政策が継続している。貧困に苦しむ人たちを見ると、社会主義独裁政策がキューバ国民を豊かにしたとは思えないが、フィデル・カストロ存命中はアメリカとキューバの国交断絶状態は変わらないと見られている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
(写真はハバナ大学の光景)
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