旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

ダイアナ妃事故の疑惑(2006年10月3日) - パリのクチコミ

さすらいおじさんさん 写真

さすらいおじさんさん
男性 / パリのクチコミ : 7件
旅行時期 : 2006/10(約18年前)

ダイアナ妃事故の疑惑(2006年10月3日)
ダイアナ妃(1961?1997年)は、イギリス女王エリザベス2世の長男・チャールズ王太子の元妃で第2位のイギリス王位継承者であるウィリアム王子、第3位のヘンリー王子の実母。1981年の結婚するが1996年に離婚し1997年、パリでの交通事故で死亡した。ダイアナは、オルソープ子爵エドワード・スペンサーと夫人フランセスの3女としてイングランドのノーフォークで生まれた。スペンサー家は15世紀に羊商として成功し、チャールズ1世からスペンサー伯爵の地位を受けた貴族。
だがオルソープ子爵夫妻は妻フランセスの不倫が原因とのことで1969年に離婚して幼いダイアナは寂しい思いをしている。
ダイアナは長姉のセーラが1977?1978年チャールズ王太子と交際していたことで、1978年11月、バッキンガム宮殿でのチャールズ王太子の誕生日パーティーで面会し交際が始まる。
チャールズには既に恋人のカミラ・パーカー・ボウルズがいたがカミラがチャールズにダイアナとの結婚を薦めたとの奇妙な話しで1981年7月、チャールズ王太子とダイアナはロンドンのセントポール大聖堂で結婚。だが結婚後もチャールズはカミラとの交際を続けたため悩んだダイアナは過食症になり精神的な病が続いた。
二人は1992年別居、1996年8月離婚しダイアナはプリンセス・オヴ・ウェールズ名乗ることと、ケンジントン宮殿の居住を認められた。
離婚1年後の1997年8月31日、パリでパパラッチに追跡され、パリのリッツ・ホテルのメルセデスベンツがセーヌ川のアルマ橋沿いのトンネル内の柱の激突しダイアナは死亡、遺体はノーサンプトン州オルソープにあるスペンサー家領地内の池に設けられた墓所に埋葬された。
ダイアナ妃の恋人は武器商人で百貨店ハロッズ、パリのリッツ・ホテルのエジプト人オーナーの息子ドディ・アルファイドで事故でダイアナとともに死亡したが、アラブ世界ではイギリス情報局秘密情報部による暗殺説が流布されている。ダイアナ妃はアルファイドの子どもを妊娠しており、出生後アルファイド一族によって将来のイギリス国王の異父兄弟としての地位を利用される事を恐れてダイアナを暗殺した、などの説が流れた。
事故の際、ダイアナの運転手は抗うつ薬を飲んで飲酒もしていたとされていたが直前の映像では、酩酊の様子がないので、なぜ運転を誤ったか不明だがトンネル直前で合流路から進入してきた「白い乗用車との接触」がトンネルの柱に激突した原因ではないか、との説もある。しかし白い車の持ち主、運転手は不明で白い車による暗殺疑惑は払拭されていない。
ダイアナ謀殺説は根強く、チャールズとの不仲の際にダイアナと交際していた英国王室職員が事故死とされたがダイアナ自身が「英国王室職員は殺された」と語ったテープが公表されチャールズ王太子にも事情聴取が行われている。ロンドン警視庁は約3年の調査の結果、運転手の飲酒運転が事故の原因で、殺害の陰謀はなくダイアナが妊娠していたとする説も公式に否定しているが謀殺説は収まらなかった。
2007年1月に再開されたダイアナの死因究明の審問ではイギリス警察はダイアナの妊娠説とアルファイドとの婚約説を再度否定したがアルファイドがダイアナへの婚約指輪をオーダーしていたことを高級宝石店が認め、イギリス警察への疑惑が再燃した。
ダイアナが妊娠していなかったとしてもエジプト人アルファイドとの結婚話が進んでいたことは英国王室にとっては不快だろうし、ダイアナの車に接触した白い車が故意であった可能性も否定できない。ダイアナ妃事故の疑惑は米国ケネディ大統領暗殺事件などと同様にこれからもさまざまな推測がなされるだろうと予想している。
また、ダイアナが幼い頃両親の離婚で悲しい思いをしたのに同じ思いをウィリアム王子、ヘンリー王子にさせなければならなかったことはダイアナも王子もつらかっただろう。ダイアナの事故はダイアナだけでなく、イギリス王室家族の悲しい歴史も世界に知らしめる結果になってしまった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10112528/
(事故があったトンネルの上に設けられたダイアナ妃の慰霊碑「自由の炎」)


利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP