ベルリンのバウハウス史跡、AEGタービン工場も是非!
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- 旅行時期:2014/06(約12年前)
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by ごーふぁーさん(非公開)
ベルリン クチコミ:61件
● ベルリンのバウハウス史跡、AEGタービン工場とバウハウスに至る建築史
初代バウハウス校長のグロピウスは、かつて電気会社AEGの仕事を請け負うべーレンスの設計事務所に勤めていた。この時、彼は建築だけでなく製品デザインやグラフィックデザインにも取り組むことになった。このことがバウハウスの思想の根幹が機能一辺倒ではなく芸術的要素を加味するきっかけとなったと思われる。ベルリンには、グロピウスの先輩であるベーレンスが手がけたAEGタービン工場(AEG Turbinenfabrik)の威容を今でも見ることができる。
●バウハウスとベルリン、そしてバウハウス資料館
1932年 ナチスがデッサウ市を制し、バウハウス校が廃校となるとミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe)校長はベルリンのランクヴィッツ(Lankwitz)の空き工場で私立校としてバウハウスを再開する。しかし、その期間はたった6ヶ月、翌1933年春にはナチスに学校を占拠され、運営のままならないまま夏に廃校が確定となる。ワイマール、デッサウと迫害を受け、よくぞ首都ベルリンで再開を試みると思うが、公的援助を受けない私立での再開も驚きの短命で終わってしまう。時局はそこまで酷い時代になっていたのだった。そして、カンディンスキーなど教員達は次々とドイツを去ることになる。ローエ校長もナチスを逃れ渡米し、後にシカゴで大成功を収めることになる。そして、ローエの設計したビル群は今も全米各都市に健在である。
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- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
クチコミ投稿日:2020/03/01
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