アセノフ地区の川の西岸側にある由緒正しき教会。四十人(殉教者)教会からウラディシュキ橋を渡って徒歩約10分。
- 3.5
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by タヌキを連れた布袋(ほてい)さん(非公開)
ベリコ・タルノボ クチコミ:20件
アセノフ地区からウラディシュキ橋でヤントラ川を西側へ渡った付近にある教会。離れた場所からでも教会の建物が見えているので,道に迷うことはないと思う。
「聖デミタル」とはテッサロニキ守護聖人・致命者(「殉教者」の正教的言い回し)聖ディミトリオスのこと。その伝説は次のとおり。
当時のテッサロニキはローマ帝国の支配下にあった。ディオクレティアヌス帝の治世で,キリスト教徒に対する「最後の大迫害」の時代。聖ディミトリオスはテッサロニキの支配階級の出自であったが,キリスト教に帰依し,その布教者として名高かった。大迫害の政策の下,当然捕えられてしまう。
皇帝は,「パンとサーカス」の見世物だったのだろうか,捕えたキリスト教徒を競技場で屈強なレスラーと格闘させ,観衆の前で嬲り殺しにしていた。いくらキリスト教を信じても「神の加護」なぞないこと,そしてキリスト教を信仰したらどんな悲惨な末路を迎えるかを一目瞭然に知らしめ,かつ「悪人」を虐殺する熱狂で民衆の不満をも解消する。冷酷な支配者が考えつきそうなことだ。
この非道な行いに憤り,格闘に勝って皇帝の顔に泥を塗り,一矢を報いんとする男が現れた。彼は一緒に捕えられている聖ディミトリオスのもとへ行き,祝福を受け,神の力を得て格闘に臨んだ。はたして,彼は観客の前で神の御名を高らかに唱え,一撃のもとに屈強なレスラーを斃してしまった。
怒った皇帝は,たちまちこの男をひき据えて首を刎ね,後に聖ディミトリオスも処刑した。
‥‥このストーリーだけを聞くと,一矢を報いた男のほうが立派な殉教者であるような気もするのだが,まあ聖ディミトリオスが主人公であることを前提とした「伝説」ということなのだろう。
第二次ブルガリア帝国建国の発端となった対ビザンツ帝国の反乱は,この教会を起点としたとされている。反乱を指導したアセンとペタルの兄弟は,テッサロニキの守護神であり軍神である聖ディミトリオスがテッサロニキを離れてこの地に降臨したと称し,反乱軍の士気を鼓舞した。その経緯から,第二次ブルガリア帝国の守護聖人は聖ディミトリオスである。
教会の建物自体は三十数年前に再建されたものだが,独特の造りをしているので外から見るだけで面白い。管理人のような人はおらず,いつでも内部を見学できるような態勢ではなかった。そのせいか観光客の姿はまったく無く,いささかもったいない感じがした。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- その他
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
クチコミ投稿日:2019/07/23
いいね!:7票
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