セバステの聖四十人殉教者の伝説
- 4.0
- 旅行時期:2019/06(約5年前)
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by タヌキを連れた布袋(ほてい)さん(非公開)
ベリコ・タルノボ クチコミ:20件
「セバステの聖四十人殉教者」というのは,まだキリスト教徒への弾圧が厳しかったローマ帝国時代の伝説である。
現アルメニアのセバステという街で,ローマ帝国の総督が,配下の者がキリスト教徒でないかを調べるために「踏み絵」のようなテストをした。すると,ある部隊の勇猛な軍人四十名がそれを拒否,自らがキリスト教徒であることを明らかにした。
ただの庶民ではなく貴重な軍人であったため,総督は簡単に見せしめとして殺してしまうわけにもいかず,あの手この手で棄教を勧めるが,断固として拒む四十人。いかんともし難く,ついには全員死刑ということになった。
総督は最後まで彼らに棄教させることを諦めなかった。季節は折しも冬,夜中に凍結した池の上に四十人を裸で引き据え,見える場所に温かい風呂を沸かした。棄教すれば温かい風呂,しなければ凍死というわけだ。しかし四十人はもとより殉教するつもりなので,氷の上に坐したまま。彼らは「我らは四十人。四十とは,モーセ(とエリヤ),そしてイエスが曠野で断食をした四十日と同じ聖なる数だ。」と殉教の歓びにふるえ,主に祈り続けた。
夜は更け,寒さは一段と厳しくなっていく。そのとき,風呂係の番兵のうちの一人が,凍てついた空から輝く冠を携えた天使の一団が池へ向かって下りてくるのを見つける。氷の上に引き据えられた「罪人」たちも次々に気づいて,それに見入る。ところが天使たちが手にしている冠の数はひとつ足りないことに気づく。つまり三十九しかない。訝しんだ刹那,「罪人」のうちの一人が寒さに堪えかねて棄教を申し出た。総督は喜び,その者をすぐに風呂に入れたが,天罰か心臓麻痺か,あえなく即死してしまった。
その一部始終を見ていた先ほどの風呂係の番兵は,「この者たちが信ずるキリスト教こそがまことの神の教えである」と感得し,その場で自らもキリスト教に帰依して殉教することを宣言して氷の上の「罪人」たちの列に加わった。これにより聖数四十は再び充足された。空で天使が携える冠の数も四十になった。
その後は誰も棄教を申し出ることなく,殉教者たちは次々と凍死していった。総督は,殉教者たちの遺体がキリスト教徒の手に渡ることを恐れ,最後の一人が凍死するのも待たず三十九の遺体をさっさと運び出して焼いてしまうことに決定した。遺体を乗せた荷駄隊が去った後,最後の一人の男の母親が瀕死の息子とともにその後を追った。追っている間にその男は息を引き取り,結局,総督は四十人の遺体を焼いた。(これにより聖数四十は三たび充足された。)
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この「40人殉教者教会」(セバステの聖四十人殉教者聖堂)は,第二次ブルガリア帝国の皇帝イヴァン・アセン2世によって建立され,その後,ここにアセン朝の一族の霊廟が築かれていく。イヴァン・アセン2世がクロコトニツァの会戦で歴史的な勝利を収めた日が1230年3月9日であり,3月9日が「聖四十人殉教者の日」であったことから,この聖堂が建てられた。
入場料は館外にある駐車場の料金所のような小屋へ。一人6BGN。(1BGN=約65円)
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- その他
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 新市街・旧市街から歩いて行ける。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 偶然だとは思うがガラガラだった。
- 展示内容:
- 4.0
- 展示は一級品
クチコミ投稿日:2019/07/23
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